警察官はかわしたものの
海上保安庁映像流出
ヤンキー
随意神経失調症
脳の一部、随意・不随意の境界あたりで
富士山に登るとする
うつ病だったのに急変して統合失調症になる人
軽躁病と学力
強迫性障害の一つのタイプに付いて
遺伝子と文化の伝播波及
夢 コラージュ シャガール 壁のシミ 過剰相貌化
夢は意味の連関が少しゆるくて、
コラージュに似ている。
少し前に
そう書いたが、
コラージュを見る時、脳の中の、夢の回路が働いていると
言い替えてもいいと思う。
シャガールの絵がまさに「夢」に似ているのは、
その色合いといい、形といい、テーマといい、まさに「夢」に親和性があるからだろう。
コラージュと夢の関連、さらにこの先の連関を辿れば、
「壁のシミが人の顔に見える」「天井の模様の中に性器の絵が見える」
などの、過剰相貌化につながると思うのだが、
発展しすぎで、過剰な先走りとも言えるので、
慎重に議論していきたい。
ツグミの巣ごもり
その最後のページに佐伯誠氏の短い文章がある。
*****
ジェームス・サーバーの短篇集の中の、「ツグミの巣ごもり」
たとえば、野球でいえば、ノーストライク、スリーボール、というカウントのときのバッターの気分のこと。シメシメ、という感じだろうか。
バスタを茹でていて、一本をつまんで口にしてみると、かなりアルデンテで、火を止めたとき。
葉書を書こうと、ペンをとってみて、インクをたっぷり入れてあったとき。
洗濯して干してあったダンガリーのシャツから、日なたの匂いがするとき。
かなり長い小説なんだけど、100ページくらいまで読んできて、登場人物の関係が飲み込めたとき。
そういう時、口笛を吹きたくならないだろうか?
サーバーは晩年、目が悪くなって、字を書くことも、マンガを書くことも出来なくなった。
ところが彼ときたら、ニレとカエデの木に囲まれた邸宅で、来る日も来る日もハックルベリーフィンの冒険を読んで、プードル犬を飼って、地下室にワイン、ルーレットをしながら、雑談して暮らしたいと、のんきな事を言っている。
ツイてなくても弱気をいわないで、ユーモアの煙に巻く、これはタフでなくては出来ないことだ。
しぼみかけた夢を、風船みたいにふくらませるのは、子供には出来ないこと。いつも笑顔でいるのは、最高のマナーだ。
*****
概略こんな感じ。
いつも笑顔でいること。
笑顔には本当に価値がある。
笑わない美人と
笑う不美人では、
笑う人のほうに価値があるように思う。
笑って過ごしたいし、
人を笑わせて過ごしたい。
そのコツは小さなことのような気がしている。
古典落語全集で研究している。
*****
夢は叶わないままで終わろうとしている。
現実はもうすぐ命の限界を迎えようとしている。
すべての野望も、奉仕の心も、わずかながらの恋の心も、
すべては淡い夢のままで、終わろうとしている。
この人生のたそがれに、
君がいてくれてよかった。
でも、ツグミの巣ごもりはそんなにもすばらしいことなのだろうか。
箸の使い方と性格
要するに、食べられればそれでいいわけで、
自分なりに合理的な箸の使い方をしているだけなのだと思う。
これは性格に似ていて、
人に対するとき、どのような戦略でいくかということは、
その人なりの事情もあって、標準的でない対応をする場合があるのだろう。
それが固定していくと、性格の偏りになる。
箸の使い方がすこし標準でないのと同じだ。
しかし自分なりに一番やりやすいのだし、
それでいいと思っているのだから、
他人が何かいうことでもない。
でも、もし自分の姿を鏡で見る機会があり、
さらに、違う箸の持ち方があることを知れば、
違う持ち方をしてみようという気になるかもしれない。
性格も同じで、
自分を客観的に見る機会があり、
自分の行動パターンや感情パターンとは違うパターンも可能なのだと知れば、
どうだろうかと思う。
性格を映す鏡もないし、
別の性格と言っても、すぐには難しいけれども。
それに、箸の使い方と同じで、
とりあえず間に合っているのだから、
他人が何か言うことでもない。
ドストエフスキー
隣人を積極的にたゆまず
愛するように努めなさい。
その愛の事業がすすむにつれて、
神の存在も自分の霊魂の不死も
確信されてくるでしょう
『カラマーゾフの兄弟』
*****
隣人愛が
神への愛、神からの愛、
霊魂の不滅、神の存在
へとつながり花開いて行く様子はすばらしい。
論理的にいえば緩い部分もあるようなのだけれど
やはり伝統の力で、感動は揺るぎない。
エピステーメー、ドクサ、カイロス
もうひとつの存在様式が分かるとき
妄想と妄想がdebateするという壮観
防衛機制としてのうぬぼれ
うぬぼれ屋も一種の防衛機制と考えてもいいのかもしれない
現実の自分を現実のままにとらえていたのでは
人生はかなりつまらないしかなり耐え難いのではないか
いざとなれば自分だって少しはすごいのかもしれない、
中学校の時だってそんなことがあった、
そんな風に考えて、少しの間だけ、自分の心に麻酔をかけるのだ。
雑魚寝 貧窮問答歌 山上憶良
雑魚寝してるって歌は何かないかな
と人に聞くと探してくれた
*****
*****
というわけで確かに雑魚寝している
希望していた方面の雑魚寝ではないのだが、
それより何より、言葉の力に惹かれる。
父母を養えないのはつらいというのである。
つらいねえ。つらい。
*****
問答歌というので問答になっていて
前半で
こういう時は、あなたはどんな風に暮らしているのですか。
と質問して、
後半で答える形になっている。
*****
このあとに
世の中を 憂しと恥しと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
の歌が出ている
治療としての面接 鈴木二郎
方法としての面接―臨床家のために (医学書院) 土居 健郎 (著)
という入門書があり、
タイトルはその発展形ということだろうと思う。
この方面は神田橋 條治、中井久夫、成田 善弘、笠原嘉と渋いところが並んでいて、
いずれも入門的な本であるが、最終的な本でもある。
鈴木二郎先生とは多少のご縁がある。
鈴木先生は関根義夫先生と職場をともにされて、
治療観も共有できるとのお話であった。
わたしは関根義夫先生のご指導をうけた立場なので
共有しているもなにも、信じ込んでいるような具合である。
そんな関係で、共有する部分があるのではないかと思っている。
学生の頃、宇宙論とか世界観の本を読んでいて、
J.C.Ecclesの本を翻訳しつつ読んだ。
意外にうまくできたので丸善に言ったら
相談に乗ってくれた。
「脳と宇宙への冒険―人間の神秘」か
「脳と実在」かであるが
多分前者で「Human Mystery」だと思う。
版権の問題を調べていたら
当時東邦大学で教授だった鈴木二郎先生の出版が分かり、
こちらは諦めた。
いま鈴木二郎先生の医院の隣の駅で開業しているので
やはりご縁があるのだろう。
先日お食事をさせていただいた。
まだまだ旺盛に先のことを考えていらして、
とても勉強になった。
食事しながら精神療法してもらったようなものだろう。
ありがたい体験であった。
あとがきの中で
土居健郎先生や中井久夫先生のことが出てくるが、
影響力のある人格というものは何回も会わなくても、
何かが残るものだと思う。
わたしも将来、もう少し考えがまとまったら、
鈴木二郎先生や関根義夫先生、
さらには松波先生、内海先生、秋山先生、津田先生の学恩を記したいものだ。
*****
鈴木二郎著
治療としての面接
四六判 200頁 定価2,730円(税込) 2001年3月刊
面接は,精神科臨床の独自の方法論である。精神療法の基本であるとともに,一般身体科の診察においても必ず行われる重要な治療的出会いである。
本書は,その面接がいかに治療的意味を持つか,また時に用い方を誤ればいかに有害にはたらくかを,著者が自身の臨床経験をもとに書き下ろしたものである。
クライエントに重要な意味を持つ「出会い」としての初期面接,クライエントへの問いかけ方,クライエントのストーリーを読むこと,物語を聞く(聴く)ためのプロとしての技術,見立ての効用,共感することとは,など,多くの臨床的知見がわかりやすく述べられる。
面接の実際場面は,治療者と患者の微妙なやりとりに満ちたものである。後半部において著者は,多くの症例を提示しながら,精神科臨床における職業人としての治療者の心得と役割をも明らかにしている。
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おもな目次
第I部 面接とは――その意味――
第1章 序論――治療としての面接
第2章 面接の意味と現象
*人と人,人生との向かい合い――患者から学ぶ――
第II部 面接がなぜ治療であるのか
第3章 なぜ治療でありうるのか
第4章 治療者の役割とクライエント
*見立てと処方
第III部 症例編――病態に応じて――
1 精神分裂病
2 強迫神経症
3 うつ病
4 不安神経症
5 心気神経症
6 摂食障害
7 境界性人格障害
8 ヒステリー(解離性障害)
9 不登校
10 脳器質性障害,脳血管性障害
11 アスペルガー症候群
12 てんかん
13 心身症
*****
まえがき
「治療としての面接」というタイトルは,数年前から自然に私の脳裡に浮かんできたものである。浮かんだあとで思い当たったのは尊敬する土居健郎先生の『方法としての面接』である。臨床家の必読書ともいうべきこの著作にもちろん私自身は大きい影響を受けており,類似の名称を用いるのは不遜のそしりを免れないと思われる。しかし本書は,私なりに経験し,考え,感じたものを記述するものであり,本書のタイトルと同様に自分の中で醸成したものであることをお断りして土居先生はじめ読者の御寛恕を乞いたい。
さらに読み進んでいただけばわかるように「面接」が精神科臨床の独自の方法論であることはもちろんであるが,それにとどまらずいかに治療的意味をもつか,あるいは逆にいかに有害に働くかを私自身の経験をも含め,多くの先輩,後輩の精神科医,心理士の方々の現場で実際に見聞して痛感して来たことが底流にある。数年来このタイトルで数回ほど方々の精神科医や,心理士の研究会等で話させていただいたが,幸い大方の共感と多くの反響を聴衆の年齢,専門を問わずいただいた。そうした機会の質問や感想を含めて書き下したのが本小論である。お読みいただくだけでも喜びであるが,さらに忌揮のない御批判をいただければ望外の幸せである。最近内科医を主として,一般身体医師からも「医療的面接」の重要さを指摘する声が高い。また国試にさえ出題される勢いである。本書はそうした面すべてを考慮に入れているわけではないが,医師-患者間の面接の基本にあるところは確固としたものであることを述べていきたいと思う。
筆者自身について
どのような著作でもそうであるが,ことに精神科臨床,精神療法を語る場合は,筆者の人間性が露呈される。そこでいっそのこと読者の理解のために,私自身の臨床歴を簡単に記すことにする。興味のない方は,本論にお進み下さって結構である。
まず東大医学部精神科,通称赤レンガ病棟で4年間過ごした。もちろん精神科臨床の初歩を教わったのであるし,秋元波留夫教授以下多数の優れた先輩,同僚,後輩がおられたのであるから,もちろんさまざまな影響を受けた。しかし本当に臨床に目覚めたのは,内村祐之先生の晴和病院においてである。ここで躁うつ病,神経症,初期分裂病の症例を多く経験し,内村先生の診断を学んだ。次いで都立松沢病院でハードな精神医療に出会った。どちらの病院も勤務年限は短かったが,松沢病院では,その後約15年外来を経験させていただいた。同じ頃お茶の水女子大学の学生相談室で,いわゆるカウンセリングから重症の精神疾患のケースまでを経験した。
その後十有余年前から現在まで,自分自身で,さらに若い人々に教える立場で,豊富な症例の診療に当たっている。ここであらためて記しておきたいのは,私が若い時に学んだ大教授の先生方と異なり,現在も私自身が診断し,治療を続けているということである。外来では殊に難しい症例を私が受け持ち,入院では若い受持医とディスカッションしながらともに診療しているのが実状である。またこの39年間さまざまな精神病院や企業の病院,相談室で実にいろいろの経験を積むことができた。しかし生来怠惰なせいで,こうした臨床について語ったり書いたりしたことがほとんどない。筆者の論文といえば主に生物学的研究領域が大半で,いわゆる生物学派と見なされている。しかし本人は臨床医でもあると思い,実践してきたつもりである。このことに関して臨床と生物学的研究の問題あるいは個と普遍性の問題なども含めていずれ書いてみたい。
精神療法に関しては,土居先生のセミナーにわずか(おそらく3回ほど)出席させていただいた位である。しかし土居先生と河合隼雄先生の御著書をかなり拝読し,御講演を拝聴して多くの影響を受けているであろう。土居先生のセミナーでは,中井久夫氏が14歳の男の子のチックの症例を提示され,最後に絵の中トビウオを描き,「海の世界はいいもの陸の世界はいづらいや」との少年のみごとな報告をされたことが印象に残っている。この症例提示に土居先生はじめ出席者皆々が感嘆されたことも鮮明に記憶に残っている。しかもこれが中井氏の最初の症例発表であった。最近古い書類を整理中に,中井氏自筆のテキストプリントが出て来た。あらためて読み直して再度感嘆した。氏に電話して確認したところ,よく記憶しておられ,症例のお話をされた。ここにこのようなエピソードを書くこともご了解いただいた。
また,私自身が強く影響されているのは,Peter LomasのTrue and False Experienceで,たまたま宇野昌人先生からいわれて翻訳し,『愛と真実』として出版した(訳が拙劣でこれも改訳したく思っている)。また本書執筆にあたって,土居先生の先の御著書や神田橋條治氏の『精神療法面接のコツ』他ももちろん参考にさせていただいた。
このように,私の面接あるいは精神療法はいわば独学に等しい。しかし精神療法というものが個人に属するもので,精神療法家が100人いれば100通りあるといわれながらそれでいてそこに普遍的な妥当性がなければならないとも思い,私の考え方や実践もその将外ではないと思いつつ,本書を著わす次第である。大方の御批判を乞いたい。
2000年3月
自分と遺伝的に近い相手に似た人の写真に対して、より性的な魅力を感じる
「涙ぐむ」「物忘れ」で発見されるうつ病も
代理母問題・種々の問題あり・一夫多妻問題にも関連
ポンコツ研究日記~悩める産婦人科医のブログ~というブログで、以下を見つけた。
自分のために採録。
*****
代理母に関するトラブルシューティング
テーマ:医療問題:代理母問題
代理母について、もうちょっと考えてみます。
代理母に興味をお持ちの方、ぜひ一緒に考えてみてください。
考える材料として例をあげてみました。
まず、一番困るケースから。
1) 代理母が出産後、児を自分の子供であると言い張ったらどうしますか。 現状の民法のままでは、
産んだ母が実の母となってしまいます。 また、逆のケースとして卵子提供を受けて出産したら、卵子
を提供した女性から「私がその児の遺伝上の母だから、自分の子供である」と言われたらどうしますか。
2) 代理母が出産後、実の父母が児を受け入れなかったらどうしますか。特に、児に先天奇形があった
り、実の父母の生活環境に変化があった場合には、そういったケースも考えられます。その際、誰が責
任をとるべきでしょうか。
代理母を誰にすべきか。
3) 代理母を決定する際に、
① 代理母は血縁か、非血縁どちらが望ましいのでしょうか。
② 代理母を引き受けてもらうための説明の責任の所在は、誰にあるのでしょうか。
③ 血縁者に無理やり代理母になってもらいましたが、妊娠分娩に伴う合併症が起きてしまいました。
誰が、どのように補償しますか。
④ 血縁では自分しか生殖年齢の女性はいません。家族からのプレッシャーが強く、受けざるをえな
い状況ですが、本当は受けたくありません。どうしますか。
代理母の妊娠分娩
4) 代理母の妊婦検診、入院、分娩等の医療費、さらに妊娠分娩産褥にわたっての生活費等、どこまで
負担すべきでしょうか。また、途中で、実の父母の経済的な問題が発生して費用の負担ができなくなった
ときは、どうすべきでしょうか。
5) 代理母のリスクがどの程度なのかの正確なデータはわかりませんが、ふつうのお産では250件に1件は命に関わる重篤な合併症を伴うと言われています。高齢出産であれば、なおのこと。。。
① その現実を考慮したとして、具体的に誰を代理母にするのが望ましいと考えますか。
② 重篤な合併症が 発生してしまった場合、特に代理母が死亡したり後遺障害を負った場合、誰が
どのように補償すればよいでしょうか。
③ 重篤な合併症を起こした代理母の家族が、実の父母や医師、病院を相手に訴訟を起こしたら、どう
しますか。
6) 重篤な合併症を除いても、妊娠中はさまざまな合併症が考えられます。具体的には、
① 代理母が切迫早産になり、長期の入院が必要になりました。入院費や入院中の補償等(仕事がで
きない家事ができないことに対して)はどう考えますか。
② 代理母が重い妊娠悪阻(つわり)になりました。非常につらいため、中絶したいと言っています。
③ 代理母が前置胎盤になり、輸血や血液製剤の使用が不可避でした。その結果、肝炎になってしまいました。
④ 代理母が前置胎盤になり、帝王切開をしましたが、出血がコントロールできず、子宮を摘出すること
になりました。
⑤ 代理母が子宮外妊娠になり、卵管を切除しなくてはならなくなりました。
⑥ 代理母が産後うつ病になってしまい、自殺未遂をしました。
②~⑥のようなケースになったら、どう対応し、どう補償すべきですか。
子供について
7) 児の先天異常について、可能性が考えられます。
① 超音波検査の結果、染色体異常の疑いがあります。しかし、代理母は羊水穿刺(子宮に針を刺し、
羊水を少量採取して検査する)を嫌がっています。どうしますか。
② 羊水検査の結果、染色体異常が明らかになりました。実の父母は中絶を希望しました。しかし、
代理母は拒否しました。どうしますか。
※中絶は、今の母体保護法で、強姦された場合か、母体が健康上、経済上妊娠を継続できない場合に
のみ、認められています。児の異常での中絶は認められていません。
③ 超音波検査の結果、重大な先天異常があることがわかりましたが、中絶できる時期を過ぎていました。
④ 妊娠中は異常を指摘されていなかったのに、出生後重篤な先天異常を合併していることがわかりました。
⑤ 先天異常の治療に莫大な治療費が必要なことがわかりました。
③~⑤が判明した後、実の父母は児の受け入れを拒否しました。どうしますか。
残念ながら、今の風潮だと、健康な子供しか欲しくない、とか、子供の異常は代理母のせいだ、とか主張する父母が出てくることが予想されます。
8) 児が成長後、代理母からの出生だったことを伝えるべきですか。(知る権利はあると思います)それは積極的に?それとも、そういった希望があったら?
会いたいといったら会わせるべきでしょうか。
また、真実を知った子どもに誰がどのようにカウンセリングすべきでしょうか。
未知のリスクについて
9) 今の医学では明らかにはなっていませんが・・・
① 将来、代理母で産まれた子には重篤な合併症があることがわかったら、どうしますか。
② 将来、代理母に重篤な合併症があることがわかったら、どうしますか。また、その治療に莫大な費用が発生するとしたら。。。
とりあえず、私が思いついたのはこんなところ。
以上のことについて、それぞれは決してそんなに頻度が高いものではないでしょう。
しかし、起こっても不思議ではないことを挙げてみました。
代理母を強く熱望している患者さんがいらっしゃるのはわかります。
しかし、代理母を推進するのであれば、これらをはじめ思いつく限りのトラブルについて暫定的でも
すべてルールを決めておかなくてはなりません。
10か月(採卵、受精等を含めればそれ以上)という期間は決して短くはありません。
人の気持ちが変わるのに、十分すぎるくらいの期間。そこに、妊娠分娩という命をかけた人生の大
イベントがあるわけですから。。。
そんなこと難しく考えなくたって、海外と同じようにやればいい。といわれるかもしれません。
確かに、代理母が海外でうまくいっているのですが、日本では難しいのです。
なぜなら、契約というものに対する意識が日本人は甘いから。。。
今のままでは、きっと何かあるたびに訴訟沙汰になってしまう。しかし、法に則った判断しかできない
司法は、これらのことについて適切な判断ができるとは思えません。そもそも、司法で白黒をつける格好にするのであっても、代理母のルールを法に組み込まなくてはならないわけで。。。
結局、誰も解決できない。
そして、一番困るのは当事者同士がもめている間、児は宙ぶらりんになること。下手すると、施設行きですもの。
正直、私もこれらについてどのようにすればうまくいくか見当がつきません。
*****
最初のスクリーニングでウィンドウズピリオドだったりして、児に感染症が移っちゃったりした場合に、代理母にひきとり責任とか違約金とか賠償金言われたら困らないかな~。。。。
確かに、国民の半数以上は代理母に賛成しています。
ただ、それはあくまで代理母に伴うこういった現実的な
問題点を知らせずに、選んだ結果であって、
本来はこういった点まで、きちんと説明したうえで、
決を採るべきだったと思います。
産婦人科医の中にはそれを確信犯的に無視する人たちがいます。
そして、その後ろにはこういった問題点を知らずに
無邪気に支持をする一般の人々がいます。
*****
▽死亡の危険性のある妊娠・出産を第三者に課す問題が大きい
▽胎児への影響が不明
▽「家」を重視する日本では強制や誘導が懸念される
▽本来の生殖活動から大きく逸脱している
▽胎児に障害があった場合の解決が当事者間の契約だけでは困難
これら5点はいずれも難しい問題。
さらに言うならば、
無事児が産まれた後、児と代理母と遺伝上の父母の間に禍根を残さないか
という点もあると思います。
上記の2点目およびこの点に関しては、特に結論が出るまで時間がかかる問題です。
ということで、少なくとも、某クリニックの院長先生がおっしゃるように、
「患者さんが希望してるんだから」という理由だけで、見切り発車するのはおかしい。
そんなことを言ってしまったら、クローン人間を作っての臓器移植とかだって
「患者さんが希望していれば」OKになってしまうわけで。。。
医療技術だけ進歩すれば、なんでもできちゃう。
やはり、線引きはどうしても必要になってくるわけで、
生殖技術も、このあたりで線を引くべきなんでしょう。
この話がけっこう厳しい結論に落ち着いた背景には、一連の薬害肝炎問題の影響があったかもしれません。薬害問題のように、不妊医療もいつどんな副作用が出るかわかりません。医学の進歩や症例の積み重ねによって、わからなかったことがわかることはよくあること。特に、不妊医療関連はその後の経過は長いわけですし、その影響は絶大ですから。。。
*****
代理母が親権を主張した時には、実の母=DNAで親子関係を認めることになります。
DNA鑑定で親子関係を認めることになります。
そうなると愛人の子=非嫡子も親子関係を要求できるようになります。
一夫一妻制の崩壊につながります。一妻多夫制、一夫多妻制につながります。
自由恋愛の横行、古き良き家庭生活の崩壊につながります。
近代の民法の精神を覆すことになると思います。
*****
新自由主義的に、経済的・政治的自由は最大認めろと言うなら、
経済的にゆとりのある人間が、何人妻・夫を持とうが、何人子供をもうけようが、
自由だということになるだろう。
他人の権利を侵さず、公共の福祉を妨げなければよいだけなのだ。
*****
潜在的な一夫多妻と顕在的な一夫多妻と、どちらが害が大きいのだろう。
*****
現在の日本の妊産婦死亡率は出生10万あたり1桁で推移していますが、母体が大量出血などで生命の危機に晒されるのは出生250に1件(10万あたり400件)と高率です 。アカの他人に押し付けて許される率ではありません。
*****
細かく契約を交わすことで解決できる部分も多い。
DNAだけを基本に考えることになるだろう。
金銭については、保険会社の契約と結びつくだろう。
しかし例の細かすぎる字の疾病保険契約のようなもので、
すぐには理解できないような、複雑なものにならざるを得ない。
「代理母保険」が売り出される。いくつものランクで。
感情の問題は、契約で抑えきることができない。
韓国ドラマが好んで題材にしそうである。
裕福なことと子供を産めることは、現在でも強い相関が強いけれど。
*****
子供たちの人生のことをどれだけ考えたのかという論点はあると思う。
その人生は子供たちが選んだ人生ではない。
どこかでこっそりと代理母に産んでもらって、こっそりと戸籍を届ければ、
問題なく、実子として受理されたかもしれないのに、
そうしなかったことは、子供には異議があるかもしれない。
その場合、まだ言葉を持たない者の異議申し立ての可能性を尊重しなければ
ならないのではないかと思う。
インフルエンザと陰謀と妄想
小学3年男児(8)が、インフルエンザ脳症を起こして死亡した。男児は3日に発熱などの症状が出た後、急激に容体が悪化。4日、市内の病院に入院したがインフルエンザ脳症を発症して多臓器不全に陥り、6日夜に死亡した。男児が通う小学校では集団感染の報告はなかった。
*****
このようなニュース。
人の命を大切にしている社会で、このような死があること。
*****
インフルエンザは風邪じゃないと言われ始めてしばらくたつ。
はじめは英語の教科書で、Fluと書かれていて、
風邪じゃないから注意とあるのを見たように思う。
そもそも現代社会で、このようなタイプの感染症が防げないものなのだろうか。
少なくとも、命を失うことがないように出来ないものなのだろうか。
流行の予測までできるというのに。
流行していないときも、どこかでじっと潜伏、
つまり待ち伏せしているということなのだろう。
トリインフルエンザが話題になって、その後大きな被害にならないですんでいるが、
豚と鳥はもともとの宿主で、ここで突然変異して、
凶悪なものが人間をも困らせるらしい。
しかしそこまで分かっているなら、何とかできないものなのかなあと思うが。
*****
伝染病については、陰謀説がついてまわる。エイズやエボラ出血熱は人口調節のための陰謀だとする説である。
エイズウイルスはアフリカにおける黒人の人口を減少させるのが目的だとか、新型肺炎SARS、鳥インフルエンザは、中国の急成長やアジアの人口増加を危惧する勢力による細菌テロだという。
狂牛病のプリオンに関しても同様の陰謀説がある。
*****
陰謀説は微妙に話のつじつまが合うようで合わないようで、おもしろいところがある。
少しだけ考えても、フリーメイソン、イルミナティ、ロスチャイルド、ロックフェラー、三億円事件、大韓航空機爆破事件、ジョン・F・ケネディ暗殺、アメリカ同時多発テロ事件などについて、ときに深遠な、ときにトリビアルな陰謀説がある。日本人拉致問題や南満州鉄道爆破事件については、最初陰謀説がささやかれ、後に実際に起こったことだと確認されていて、こうした実例を見ると、いろいろな陰謀説も、無視できない感じはする。
インフルエンザを陰謀だとは言わないが、ここまでいろいろ分かっているのに、毎年のように流行して、死者まで発生するのはなぜだろう。
いずれにしても、インフルエンザ対策は、本腰を入れさえすれば、もう少し何とかなるような気がするのだ。
インフルエンザで死んでしまうよりは、学校や塾を休んだほうがいい。
*****
陰謀といえば、有名なのがある。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(“War Guilt Information Program”、略称“WGIP”)というもので、これは受け売りだけれど、文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(文芸春秋・1989年)に書いているらしい。
第二次世界大戦終結後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本占領政策として行われた宣伝。江藤は「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」とし、「日本の軍国主義者と国民とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。」と主張している。また「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。」とも主張している。
江藤によれば、“WGIP”によってすべては「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになる。
また一方で、やはり有名な説。
安岡正篤の記憶によれば、日本において、第二次世界大戦終結後、GHQが日本の占領政策を実行するにあたり、基本原則としての「3R」、重点的施策としての「5D」、補助政策としての「3S」を策定した。 この「3S政策」により、日本では性風俗が開放され、映画やエンターテイメントが興隆し、プロ野球をはじめとするスポーツが国民行事となった。スクリーン(映画)、スポーツ、セックス(性産業)またはスピード(クルマ)は大衆の欲望動員による娯楽であるが、それらに目を向けさせることにより、民衆が感じている社会生活上の様々な不安や、政治への関心を逸らさせて大衆を自由に思うがままに操作し得るとされる。
この政策と「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」により、日本のマスコミや教育現場が当時のGHQによる検閲を経て、現在に至るまで「自己検閲」を続けることによって日本の弱体化を図ったものとされている。
*****
さて、陰謀説を考え付く側の脳の問題であるが、
妄想とその体系化という興味深い問題がある。
被害妄想という成分が広く心に染み付いているからこそ、
陰謀説も流布するのだろう。
壁のしみはほとんど任意の図形に解釈できそうなものであるが、
多くは人の顔だったりする。
どのような解釈も可能なようでいて、被害妄想的に解釈する心の傾きが人間にはある。