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朝起きてつらい感じ

朝起きてまず、
あ、今日も憂うつ、と思いますね

夕方になると段々楽になってくる

何でしょうね

ーー
朝起きたときに
電池が充電されていない
と知るわけです

身体からがっかり反応が出る

その後徐々に気力で立て直す


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電池のたとえ 一日電池と一生電池

人間のエネルギー充電池を二つ考えようという考え方があるんです
わたしの考えではないんですが
分かりやすいので利用しています

ひとつは「一日電池」、夜充電して昼使うタイプの充電池
普段はこれで運転しています
朝起きて、すっきり開始出来ればOKです

ひとつは「人生電池」、これは『一日電池』が足りないときに
応援でこっそり使います

普段の生活で無理をしていると、つまり、
『人生電池』を「ちょっぴり応援」と思って使い続けていると
人生電池が空っぽになって、これがうつだという説明です。

だから対処は、人生電池を充電すること。
仕事を休んで休養してください、となる。
一晩寝ただけではもとに戻りません。

ーーーーー
一日電池は、機能的(肉体的)な意味合いが強く
人生電池は感覚的(情緒的)な感じ

体力的に辛くても、しばらくは気力でのりきれることも
あるけれど、限界ある

ーーーーー
人生電池ってどうやって充電するんですか?
仕事休む訳にはいかない人もいるし、
仕事休めば充電できる類いのものでもないですよね?

農業の人は有給があるわけでもないし

ーーーーー
人生電池は昔からいう霊とか魂の領域ではないかと思う

魂をケアすることが必要なのではないか

たましいのケアの仕方の一部は昔からの宗教の中にあると思うが

現代では宗教というものは概ね他人を支配して搾取する部分だけが肥大しているので困ったものだ

キリスト教教会の中で
世間で最も非宗教的な人が
最もかいがいしく「宗教的活動」としての実際的な外向的な活動に活躍しているのを見ると
やっぱり個々も会社のようなもので
宗教の場所ではないと感じてしまったりもする

ーーーーー
ご先祖の墓の前で一日子供とピクニックして
そのあとお墓の掃除でもしてあげようか

ーーーーー
人生電池を充電することは
多面的な考え方とか価値観を取り入れることでもある

ーーーーー
一日電池の話から離れて、

たましいを充電することが
大切な事だと思う

その方法は
やはり別の魂に触れることなんだと思う
実際でもいいし
書物でもいいし
芸術でもいいし
小さなメモでもいいし
ガラクタのようなデッサンでもいいし

そばにいる魂に深く触れてみれば
きっと充電できる

魂は充電し合う性質があるのだろう

ーーーーー
困ったことにすぐ病気のことを考える

魂が充電し合うことを妨げる病気があるのか?

それがいま蔓延していると思う

ーーーーー
そういう魂の機能がなぜもっと公式に議論されないのかと思う

解剖しても「ない」ことが主な理由だと思う

ーーーーー
公式になされる魂の議論が結局世俗の権力闘争に過ぎないことも分かる
何が価値のある議論であるかも3ヶ月とか100年とか2000年とか、それぞれの射程で
価値が定義される

ーーーーー
一日電池は肉体ホルモン電池で
一生電池は自己愛電池だと考えたらどうだろう

肉体ホルモン装置の電池が切れても自己愛電池から気力を補給する

情緒の充電は非宗教の現代では自己愛の充電に当たるのだろうと思う

芸術のありようを考えてみようではないか
現代芸術がどんなに心を慰めないか
いかに不安をかきたてるか

ーーーーー
しかしその自己愛電池が切れたとき
結構深刻なことが起こる

そこから先は一日電池=肉体ホルモン電池しかないんだよ









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場の雰囲気をぶち壊す人

場の雰囲気をぶち壊す人の例として採録

ーーー
ジョークには私自身苦い思い出がたくさんある。
 ふと口を突いて出たジョークが、次の瞬間、自分の足元に墓穴を穿っている……という感じの経験を、私は、子供の頃から、幾度となく繰り返してきた。
 何回反省しても、直らない。
 ジョークを言う前に、言った後の反応について吟味する時間を持つべきだ、と?
 その通り。対策は簡単だ。
 が、困ったことにジョークは揮発性だ。思いついたその瞬間に、間髪入れずに口の外に出すのでなければ鮮度を保つことができない。そういうことになっている。
 しかも、不適切な出来の悪いジョークに限って、思わぬ速度で口から外に出てしまっている。
 だから、反省は、常に手遅れだ。
 というよりも、反省なんてものは、前向きに見せかけた繰り言に過ぎないのだ。

 学校を出て最初に(最初で最後だった)勤めた会社でのことだ。
 入社を間近に控えた時期に、就職内定者を集めた昼食会があった。
 3月頃だったと思う。
 内定者は全部で30人ほど。全員男子。その新入社員予備軍の大学四年生であるわれわれは、5人一組ぐらいの小グループに分かれて、それぞれ円形のテーブルについていた。
 テーブルには、かわるがわる常務や営業本部長といった偉い人がやって来る。で、新入社員と会食し、二言三言言葉を交わす運びになっていた。緊張の瞬間である。

 私のジョークがスベったのは、副社長がやって来た時だ。
「君たちはどんな社会人になりたいのだね?」
 と副社長は言った。あるいは
「どんなAGFマンになりたいんだ?」
 という言い方だったかもしれない。
 つまり、私に不適切なジョークを言わせたのは、「AGFマン」という言葉に対する学生っぽい反発だったのかもしれないということだ。
 ジョークは、必ずしも親和的なものではない。
 時に、敵意や反発や呪詛を含んでいる。
 不適切なジョークの場合、特に。

 私は、
「違いのわかる男になりたいです」
 と言った。
 このジョークは、30年ほど古い。説明しなければならない。
 「違いのわかる男」というのは、うちの会社のライバルであるN社がその主力商品であるところのインスタントコーヒーのCMの中で使っていた定番のフレーズで、当時としては非常に有名な成句だった。
「違いのわかる男になりたいです」
「……」
「……」
「……」
「……」
 数にして、6個ほど、時間にして約5秒間の沈黙が私を取り囲んだ。
「ああ」
 と私は思ったが、もちろん手遅れだった。
 誰もフォローしなかった。
 私自身、何もできなかった。
 ただ平然としているふうを装うのみ。
 悪いくせだ。動揺している時に限って平気な顔をしたがる。実にくだらない虚栄心だ。
 結局、私の態度は、不適切なジョークをカマして場をシラけさせたあげくに、凍りつく周囲を冷然と見回して薄笑いを浮かべる、という最悪なところに着地していた。ああ。

 たった一人でも笑ってくれれば、雰囲気はかなり違っていたはずだ。
 あるいは
「バカ言ってんじゃないよ」
 とでも、突っ込んでくれる仲間がいたら、私とて、小憎げなポーカーフェースで恥の上塗りをせずに済んでいただろう。
 が、未来の同僚は、誰もが、下を向いて黙っていた。

 ジョークは「場」が作るものだ。


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外側の仮面 外界との皮膚と割り切る

本当の自分なんて考えなくていいです

そのグループのその場面だけで
あたかもぴったりであるかのような演出をするだけでいいでしょう

大根役者くらいにはやれる

太宰治なんかの文章で出てくる嫌な感じは考えていればつらいんだけど
みんなそうらしいと思って
外側の自分を作ればいい

外側の仮面
外界との皮膚

たったそれだけなんだよ

空気が読めないとかいうんだけど
空気が読めてる人と違わないように振る舞う学習はできる
算数を習うのと同じでしょう

誰でも最初から
面積を考えられるわけではない

学んで習って外側の自分を作るのだ
学んですなわちこれを習う
わたしは最近は論語の始まりの一句をそのように解釈している

荀子では学はもってやむべからずという

ーーー
そのあたりのコーチなら出来るでしょう

社会と接する部分は仮の自分でいいではないかとその場だけの仮面を勧めるとする
どのように人は交流するものか
自分が本当に納得するとかは別にして
たとえばいまそこに集まっている4人はどのように反応するのか知っていればいいし
それだけのことだ
それを観察して勉強して対策すればどうだろう
そのことのコーチならば少しは出来るかもしれない

多分、自己の中核を改造する必要はないのではないかと思うんですが
そのような適応でいいのじゃないかと

人間は分裂器質的なコアの自分の外側に社会的な循環器質的な皮膚を作っているでしょう
その外側の皮膚を学習によりつくる感覚
それは先輩として教えられる範囲ではないかと

だから東京のサラリーマンを応援できる部分があるのだと思う





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鉛のような腕

もう腕が鉛のようなんです

というんだが
なぜ腕が鉛なんていう言葉が
通じるのか不明



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いつの間にか君は

いつの間にか絵文字の技術を習得したんですねー

いつの間にか自然にできるようになりました
いまでは自分を抑えられないくらいです


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周囲の人に対する几帳面という意味で気を遣う

周囲の人に対する几帳面という意味で気を遣う
という



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私でなければだめと言ってください

ああ、まなざしをください

私でなければだめと言ってください

(なにかの翻訳)


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おじさんはどうか

嬢に
おじさんはどうかと聞いたら

全然かまわない
わたしは豊川悦司が理想だから

というのだが
理想が高すぎないか?

というか、おじさんでもいいのではなくて
豊川悦司「が」いいということでしょう


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自己啓発

自己啓発と精神療法を混同している人はいるのかもしれない

自己啓発の根本は「行動しろ」だ。
行動力のある人には不要。
行動力のない人には無理強い。

読んで「意識が変わった」というだけで何もしない人には不要。

おねしょをしないようになる本 に書いてあるのは
おねしょをしないように気をつけましょう

おねしょをしても気にしないようになる本には
気にするなと書いてある

過食してます
食べ過ぎないようにして

不眠です
早く寝なさい

パンを沢山食べてしまいます
玄米を食べなさい

リストカットしてしまいます
別の行動で置き換えなさい
たとえば衝動買いとか

ーーー
まあ、そう言っても無駄だけれど、
自己啓発本を読んでいる間に
ライバルは先に行ってますから

ーーー
マーケティングでは
あからさまに衝動買いを誘発する仕組みを作るというのは禁じ手なんですよね
いやそれとも
明らかに衝動買いを誘発しているのかな
その舞台設定の中で、衝動買いではない範囲の買い物を楽しんでいるのだろうか

ーーー
何がしたいのかが分かっていれば、そのあとはいろいろな方法がある
自分が何をしたいのか分かりたい、という要請の場合どうするのだろうか

したいことではなくて
むしろ
なすべきことをなせ



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「不可能性定理」

選挙の方法を「十分厳密」にするだけで、民主主義が成り立たなくなってしまうことをArrowが証明した

アローの定理は、選択肢が3つ以上あるとき、いくつか挙げられた望ましい条件 (定義域の非限定性、全会一致性、無関係な選択対象からの独立性、非独裁性) をすべて満たす「社会厚生関数」 (社会的厚生関数、social welfare function) を見つけることはできないことを主張する。
ーーー分かんないね

投票の逆理(とうひょうのぎゃくり)とは、投票において投票者一人一人の選好順序は推移的なのに、集団としての選好順序に循環が現れる状態があることを表す命題。
ーーーーこれもよく分かんないね

選択肢がA、B、Cの三つあり、投票者が1、2、3の三人いて、三人の選好順序が

投票者1: A>B>C(Aが一番好きで、二番目に好きなのはB。三番がC。)
投票者2: B>C>A
投票者3: C>A>B

の場合を考える。まず多数決を取るとそれぞれの投票者がAとBとCに別々に投票するために答えが出ない。そこで別々の選択肢を個別に分析してみよう。

まず、CよりAを好む人は投票者1だけなのに対し、AよりCを好む人は投票者2、3の二人いる。このため、AよりもCの方が投票者集団としては選好順序が高く、Aは選ばれない。次に、同じ亊をC、Bについても考えると、CはBより選好順序が低く、BはAより低いことが分かる。最後にAはCより低いので、結局堂々巡りのC>A>B>C>A>B>C>A>B>C>A>B>C>A>B>C>A>B.....になり答えを出せない。

この矛盾の「政治的」解決方法として恣意的に最初にAとBの選択投票を行いBを選択から破棄した後AとCを比較し最終的にCを選択するという手立てがある。つまり投票の手続きの決定権を握っている場合は結果を操作できると言うことである。

ーーーこれなら分かる

 

そうか、どうして気がつかなかったんだろう
一発投票だと

二番目とか三番目が一種の死に票になっているわけだ

手順を変えれば

死に票を生き票に変えられるわけだ

 



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大学生たちの学力は年々下がっているのか?

大学生たちの学力は年々下がっている
かつ
高校卒業生たちの学力は下がっていない

なぜなら
少子化が進んだから

ーー
高校卒業生たちの学力は下がっていないというのは
学力の分布が変わらないという意味だが
紛らわしい言い方である

同じ理由で
人口の多い国が
経済格差を保持していれば
多分強いだろう

その場合、近い将来、現在豊かな者から順番に
みんな豊かになるだろうと言い続ける

期限を明示しなければ
嘘ではない
自明のことだ

ーー
最近の学生はITに特化しているし
昔の学生よりも大人だと感じる点もある
野蛮人は少なくなって社会化していると思う
独自の視点にこだわる人もいるのだが
それはそれでいいと思う
試行錯誤である

若者の性格が未熟になったとか論じている人は
周囲の若者が未熟なのかどうかよく分からないが
統計に従って論じているのではないようだ









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日本における「文系」と「理系」の定義

「橋爪大三郎の社会学講義2」によると、日本における「文系」と「理系」の定義は、明治時代に旧制高校が作ったものだという。黒板とノートだけで学べる「文系」に比べ、「理系」は実験設備にお金がかかる。「お金のかかる学部を理系」「お金のかからない学部を文系」として分類し、お金のかかる学部の生徒数は絞らざるをえなかった。そこで数学の試験をして、「理系」と「文系」を振り分けたということだ。

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看板同士の派閥政治

改革を成功させるのは難しい。
欠点のよくわかっている現在の組織から、
欠点のよくわからない組織に変えるということだからである。

ーーー
どの欠点なら容認できると看板を掛けるか
看板同士の派閥争いなのだろう

ーーー
看板同士の派閥政治はもういやだと科学が始まったように聞いているが

それを否定してさんざん商売した人にも

抗生剤を使って人工心肺つなぐかな、どうかな


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不完全性定理と不確定性原理はメタだが、相対論はベタだ

20世紀最大の科学的発見は、一位は不完全性定理、二位は不確定性原理であり、相対論はその次である。そもそも科学的発見に優劣をつけるということ自体さほど意味がないが、あえてその理由を述べれば不完全性定理と不確定性原理はメタだが、相対論はベタだということ。相対論は科学を進化させたが、不完全性と不確定性の二つの「不」は理性の限界そのものを規定している。

ーーーー



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逆高度成長

戦後日本の高度成長は「奇蹟」ともいわれるほどめざましいものだったが、いま起こっているのは、その逆に世界でも例をみない逆高度成長である。高度成長の要因を産業政策や「日本型企業システム」などに求める議論もあったが、実証研究の結果はもっと平凡なものだ。それは人口の急増によって低賃金の若年労働者が増え、彼らが農村から都市に大量に移動したという要因でほとんど説明できる。

そして今、この高度成長を支えた人口動態が逆回転し始めている。高齢者が急増し、若年労働者が減るのだ。その結果として本書が予想するのは、意外な現象だ。すなわち、都市の急速な高齢化が起こるのである。東京圏では2035年までに65歳以上の人口は75.7%も増え、人口の32.2%を占めるという。これは現在の島根県より高齢化率が高い。


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言葉とは一般に

言葉とは一般に
他人に嘘を吹きこみ
自分を騙す道具でしかない

しかしときどき
真実他人とつながり
真実自分に気付く道具になる


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