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あなたは私の檻だ

私の愛情が深いとも広いとも濃やかだとも思わないが
とにかく現実に時間をあなただけに捧げていることは
事実として分かってもらえると思う
能率は悪くて仕方ない
じっと考え続けて一日が過ぎる
それ以外に何もできないで一日が終わる
あまい果実も少ししかない
あなたは私の檻だ


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なぜ私は何度でも同じように発達障害系の女性に

ある人の話

なぜ私は何度でも同じように発達障害系の女性にひきつけられるのかといえば
多分家の女性たちがそうだったので好きになってしまうのだろう
母親もおばも隣に住んでいた親戚の女性も同じ
地球生まれの宇宙人

恋愛感情に嘘はないんだ
でも、うまくやっていく方法がわからない

関係として3ヶ月以上続いたのは
発達障害の学校の先生とだけという現実


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愛について語るときそんなにも退屈そう

愛について語るとき
おまえは疲れた子供のように
眠たげ

愛について語るとき
そんなにも退屈そう




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愛するおまえはアレキシサイミア 自分がどれだけ疲れているのか気がつかない

愛するおまえはアレキシサイミア 
自分がどれだけ疲れているのか気がつかない
自分がどれだけ悲しいのかも気がつかない
自分がどれだけ美しいかも気がつかない
私にどれだけ深く愛されているかも気がつかない

こうして書いてもそれが自分のことだとは気がつかない


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認知機能に障害がある人同士

認知機能に障害がある人同士で
どうやって暮らしているんだろうと不思議に思うが
何とかやっているらしい
生きにくいとも言わない

元気に前進している


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親が抱く非現実的な理想自我が子どもを潰す

親が抱く非現実的な理想自我が子どもを潰す

ーーー
潰れてちょうどいいくらいでしょう

生きていれば充分




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「わたし、中身はおやじです」

おやじが入っているとか嘆くでしょう
女性なのに、おやじが入っているどころか、おやじそのものなんです

決定的というか絶望的というか
取り扱い説明書の1ページ目に
女性の外見をしていますが中身はおやじです
と書いておかないといけないくらい

取説じゃなくて
タバコの危険表示みたいに印刷
「わたし、中身はおやじです」

ーー
取引相手も上司も部下も同僚も
皆同様おやじ
女性はいるけれど中身はおやじ

ここで生き残っているということが
中身がおやじである証拠

まあ、内部の大切なところは
何かそのままなのかもしれないが
他人と接触する言葉とか仕草の部分は
完全おやじモード

どうしたらいいものかなあ


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抽象化された世界と生き生きとしたリアルな世界

こんな意見を紹介

人間は、普段、無意識に感覚がある程度抑制をされている。
以前、概念化という問題について記事にしたことがあったけど、人間は普通は、事物から受ける刺激を、直接ではなく、ある程度抑圧して受けるようになっている。
外から受ける情報(刺激)を、そのままの具体的な個々の姿ではなく、ある程度脳で抽象化をして、知覚しているのである。

この抑圧が外れて、より具体的な世界になるとどうなるか。
物事から受ける感覚は、それまでの抽象化された世界とは違い、実に生き生きとしたリアルなものとなる。

ここで、上記の本の内容を適当に意訳して、抜粋してみる。

(引用始め)

以前、コカインなどの薬物中毒で嗅覚が非常に敏感になった青年がいたのだが、彼は同時に色彩感覚も鋭敏になり、直感的な視覚的能力と記憶力がひどく高まるようになった。
今まで同じにように見えた色も、違うように見えるようになり、以前は絵を描くなどということや、心で物を見るなどということは出来なかったのに、まるで高感度のカメラを持っているかのように、事物が正確に紙に映し出されているように見え、正確な絵の描写が出来るようにもなった。

そして、嗅覚がするどくなったお陰で、臭いだけで、人を見分けることが出来るようになり、その人の感情まで(恐怖や満足、また性的な状態まで)嗅ぎ取ることが出来るようになった。
彼は、街を臭いだけで迷わず歩くことが出来るようになった。

嗅覚のもたらす快感は強烈だった。(また不快感も。)
しかし、臭いは快不快だけの問題だけではなく、美意識や判断にも影響を与える重要なものとなった。

彼は、嗅覚が敏感になる前は、どちらかというと知的で、あれこれ考えて抽象化をする方だったのだが、いまや個々が持つ直接性に比べたら、考えたり抽象化したり分類することは、なんとなく難しく、真実味がないように思えるようになった。
「きわめて具体的な世界でした。個が重要だったのです。ひとつひとつが恐ろしく直接的で、全てを生で感じるんです。」と彼は語った。

この感覚は、その後正常に戻ったのだが、彼はほっとすると同時に、残念がった。
感覚が正常に戻ると、生気なく色あせた世界、感覚も平板で、具体性にとぼしい抽象の世界に戻ってしまったからだ。
彼は、人間は、文明化の代償として、これらの感覚を失ってきたのだということがよく分かった。そして、人間には原始的なものも必要なのだということも。

(引用終わり)

この脱抑制は、どのような状態で起こるのかというと、ドーパミン過剰状態で起こるといわれている。

また、私が感じていたような恍惚とした世界は、てんかん発作でも起こることが知られている。
光が降ってくるような状態などは、偏頭痛が起こる前の前兆現象にも少し似ているようにも思った。(閃輝暗点)

側頭葉てんかんでは、体外離脱や既視感や宗教的法悦のようなものが起こることがある。
このようなてんかんの経験をした歴史上の人物ではドフトエフスキーが有名である。
(この説には異論もあるようだけど。)
ドフトエフスキーは次のように語っている。

「ほんの五、六秒の短い時間だが、永遠の調和の存在を感じるときがある。恐ろしいことに、それは驚くべき明晰さで姿をあらわし、魂に法悦をもたらす。もしこの状態が五秒以上続くなら、魂はそれに耐えられず消滅してしまうだろう。この五秒間に、私は人間としての全存在を生きる。そのためなら、私は命も賭けるだろうし、賭けても惜しいとは思わないだろう。」

私の持つ感覚が一体なんなのか。
かなり見えてきたように感じている。

今のところ、ドーパミン過多で感覚が鋭敏になっている可能性が一番影響力があるようにも思える。
それから、光が見えた時は、閃輝暗点状態になっていたか、軽いてんかん発作だった可能性もあるのかもしれない。
私自身はてんかんという診断は受けたことがないのだが。

また、ドナ・ウィリアムズなどの自閉症者が、似たような感覚を持っているのは、物事を抽象化することなく具体的に受け取るという性質や、感覚が過敏であるということも関係しているのではないか、と思う。
私の場合、何かしらの原因で生まれつき感覚が鋭敏なのだろうと思うのだが、ドーパミンなどの可能性はあるけれど、原因は一つではないとも思っている。
(ちなみに、私も嗅覚は敏感な方であり、その他にも触覚や聴覚など割と過敏であったりする。生まれ持った感覚のレベルの問題もあるのかもしれない。)


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抽象化された世界と生き生きとしたリアルな世界

こんな意見を紹介

人間は、普段、無意識に感覚がある程度抑制をされている。
以前、概念化という問題について記事にしたことがあったけど、人間は普通は、事物から受ける刺激を、直接ではなく、ある程度抑圧して受けるようになっている。
外から受ける情報(刺激)を、そのままの具体的な個々の姿ではなく、ある程度脳で抽象化をして、知覚しているのである。

この抑圧が外れて、より具体的な世界になるとどうなるか。
物事から受ける感覚は、それまでの抽象化された世界とは違い、実に生き生きとしたリアルなものとなる。

ここで、上記の本の内容を適当に意訳して、抜粋してみる。

(引用始め)

以前、コカインなどの薬物中毒で嗅覚が非常に敏感になった青年がいたのだが、彼は同時に色彩感覚も鋭敏になり、直感的な視覚的能力と記憶力がひどく高まるようになった。
今まで同じにように見えた色も、違うように見えるようになり、以前は絵を描くなどということや、心で物を見るなどということは出来なかったのに、まるで高感度のカメラを持っているかのように、事物が正確に紙に映し出されているように見え、正確な絵の描写が出来るようにもなった。

そして、嗅覚がするどくなったお陰で、臭いだけで、人を見分けることが出来るようになり、その人の感情まで(恐怖や満足、また性的な状態まで)嗅ぎ取ることが出来るようになった。
彼は、街を臭いだけで迷わず歩くことが出来るようになった。

嗅覚のもたらす快感は強烈だった。(また不快感も。)
しかし、臭いは快不快だけの問題だけではなく、美意識や判断にも影響を与える重要なものとなった。

彼は、嗅覚が敏感になる前は、どちらかというと知的で、あれこれ考えて抽象化をする方だったのだが、いまや個々が持つ直接性に比べたら、考えたり抽象化したり分類することは、なんとなく難しく、真実味がないように思えるようになった。
「きわめて具体的な世界でした。個が重要だったのです。ひとつひとつが恐ろしく直接的で、全てを生で感じるんです。」と彼は語った。

この感覚は、その後正常に戻ったのだが、彼はほっとすると同時に、残念がった。
感覚が正常に戻ると、生気なく色あせた世界、感覚も平板で、具体性にとぼしい抽象の世界に戻ってしまったからだ。
彼は、人間は、文明化の代償として、これらの感覚を失ってきたのだということがよく分かった。そして、人間には原始的なものも必要なのだということも。

(引用終わり)

この脱抑制は、どのような状態で起こるのかというと、ドーパミン過剰状態で起こるといわれている。

また、私が感じていたような恍惚とした世界は、てんかん発作でも起こることが知られている。
光が降ってくるような状態などは、偏頭痛が起こる前の前兆現象にも少し似ているようにも思った。(閃輝暗点)

側頭葉てんかんでは、体外離脱や既視感や宗教的法悦のようなものが起こることがある。
このようなてんかんの経験をした歴史上の人物ではドフトエフスキーが有名である。
(この説には異論もあるようだけど。)
ドフトエフスキーは次のように語っている。

「ほんの五、六秒の短い時間だが、永遠の調和の存在を感じるときがある。恐ろしいことに、それは驚くべき明晰さで姿をあらわし、魂に法悦をもたらす。もしこの状態が五秒以上続くなら、魂はそれに耐えられず消滅してしまうだろう。この五秒間に、私は人間としての全存在を生きる。そのためなら、私は命も賭けるだろうし、賭けても惜しいとは思わないだろう。」

私の持つ感覚が一体なんなのか。
かなり見えてきたように感じている。

今のところ、ドーパミン過多で感覚が鋭敏になっている可能性が一番影響力があるようにも思える。
それから、光が見えた時は、閃輝暗点状態になっていたか、軽いてんかん発作だった可能性もあるのかもしれない。
私自身はてんかんという診断は受けたことがないのだが。

また、ドナ・ウィリアムズなどの自閉症者が、似たような感覚を持っているのは、物事を抽象化することなく具体的に受け取るという性質や、感覚が過敏であるということも関係しているのではないか、と思う。
私の場合、何かしらの原因で生まれつき感覚が鋭敏なのだろうと思うのだが、ドーパミンなどの可能性はあるけれど、原因は一つではないとも思っている。
(ちなみに、私も嗅覚は敏感な方であり、その他にも触覚や聴覚など割と過敏であったりする。生まれ持った感覚のレベルの問題もあるのかもしれない。)


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感じるこの「世界」は、知識で得たこの「世界」とは、ちょっと違う

ある人の感想

ーー
私が、感じるこの「世界」は、知識で得たこの「世界」とは、ちょっと違う。

私は、そこにあるものを、ただ、そのものとして、感じる、のみである。
そこに言葉なんて、ない。

ただ、目の前のものを、言葉などで括らず、既成の意味も与えずに、そのまま、感じるままに受け取る。

そこに喜びがある。

私は、私が感じるままに、私が意味を与え、私が名前を付ける。

言葉は、ない。

私が感じる世界では、音と色と模様とリズムと、流れるような音階があるだけ。
細かい粒子のような粒が構成する、世界に、ただ、浸るだけ。

私にとって、本来の言葉は、ただ、音として存在する。
言葉よりも、音の響きの方が、よっぽど意味がある。

そしてまた、その感覚の世界に、私というものは存在しない。
他人も存在しない。
誰も居ない。

ただ、流れていくような色とりどりの美しい世界があるだけ。
素晴らしい旋律が流れるだけ。
私はその中に溶け込む。

そこでは、既成の「言葉」や「意味」はないのだ。

でも、この世界に住んでいたら、「現実」といわれているものに対応出来ないと知識として分かっているので、私は普段この世界を封印して、身に付けた社会的な「自分」というもので、生きている。

その「自分」は、自分だとは分かっているんだけど、本来の意味での自分、ともいえない感じもある。

ただ、嫌いじゃないし、社会に応対出来るから助かっているし、たまに自動運転モードで色々な雑用も片付けてくれる。

社会的な「自分」は、不器用だったり、色々な思い込みや、強迫観念なども持っていて、厄介な面もあるけれど、向上心も持っているので、学習も出来るし、成長も出来る。

そして、現実社会に対応しながら、私は、ひっそりと自分の中の感覚の世界に浸るのだ。

そこには、いつでも至福の喜びがあり、そここそが、私にとっての本当の現実だから。

ーー
発達障害の診断は受けましたけど、発達障害にも精神疾患にも、偏見やこだわりはなく、
診断名はどうであろうと、自分の状況の説明と対処法などが分かれば、有り難いし、それで良いと思っています

感じていないのか、感じているのだけれど話す程の話題ではないと思っているのか、
言葉に出来ないだけなのか、まったくもって謎なのです。

ーー
書くことに慣れてくると書く内容を頭の中で推敲するようになる。
私は、少し推敲をした後、頭の中に寝かしといて、あとは勝手に頭の中で出来たものをそのまま自動筆記みたいにして書いている。
(今まで学習して蓄積された言葉や文章が当てはめられて、作られているのだと思う。)

推敲する間、頭の中は言葉で溢れる。
言葉、言葉、言葉の渦だ。

そうしているうちに、ふと感覚の世界が遠退くことに気が付いた。
頭が言葉で溢れている(言葉で思考している)と、感覚の世界が感じにくくなるのだ。

私が感じている感覚は、元々言葉とは無縁の世界だ。
言葉の世界と感覚の世界は、平行した世界なのである。
(感覚の世界では、言葉が本来持っている意味は無くなり、音の響きに意味があるようになる。)

感覚の世界は、具体的であり、生々しいリアルな世界だ。
私は、事物から生き生きとした直接的なサインを感じ取る。
それは、とても喜びに満ちた素晴らしい世界だ。

一方、私は平均並の知能も持ち合わせているので、知識として、頭の中で言葉を使って世界を概念として捉えることも出来る。
こちらは、私にとって現実感のない、実に味気ない世界だ。
理屈では理解出来るが、感覚的には、違和感があるし、皆がこの概念でのみ生きているのが不思議でならない。

私から見ると、世界は、とても美しい調和で成り立っている。
事物は流動的に動き、その流れは心地良い旋律となる。
世界は、色と音とリズムと点や模様で溢れている。
パターン化された模様は、素晴らしく美しい。
それらはダイレクトに私の中に流れ込んできて私を圧倒し、私の中はそれらでいっぱいになり、そして私はいなくなる。

視覚、嗅覚、触覚、聴覚などを使って、それらは感じ取ることが出来る。
感覚に意識を集中すれば、そこにはいつでも素晴らしい世界が広がっているのだ。

目の前の何でもない景色は、一枚の素晴らしい絵画となり、一定のリズムや模様は、魂に安らぎや喜びを与えてくれる。
触ったものから、様々な波長を感じたり、何ともいえない世界を垣間見たりする。

発達障害だからこの感覚があるのかは分からないが、もし発達障害で持ち合わせている人がいたら、社会に合わせて押し殺してしまうのはとても惜しいことだと思う。
もし子供のうちに、この世界を否定され、概念化された世界を強制されてしまったら、その子は社会に現実感が持てないまま、辛い気持ちになるんじゃないかな。
でも、この感覚があれば、世界は素晴らしく思えるし、逃げ場にもなる。

私は、この感覚があるお陰で、最も根本的なところにおいて、人生は素晴らしいものと思えるし、存在していることが大いなる喜びとなっているのである。

ーー
とのこと






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メタ表象

メタ表象が分からないということは、すなわち「心の理論」が分からないということでもある。

シンボル機能の獲得

概念操作機能

象徴遊びやごっこ遊び

シンボル機能が発達していないと、一つの言葉が複数の意味を持つことが認識できない

あるいは他人がどの意味で使っているのか、把握しそこねる傾向が強い

言葉の意味のにじみとか反転を利用している場合には意思疎通ができなくなる

大学卒業まではいいがその後は傷つくことばかり多くなる

自分は何故か傷つき続けていると思う人は考えてみたほうがいい

勉強してやっと分かるというなら、すでに環境変数と自己変数が合っていないと思う


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注意共有の機構(Shared-Attention Mechanism:SAM)

サイモン・バロン=コーエンは、心を読むためのメカニズムとして
 意図検出器(Intentionality Detector:ID)
 視線検出器(Eye-Direction Detector:EDD)
 注意共有の機構(Shared-Attention Mechanism:SAM)
 心の理論の機構(Theory-of-Mind Mechanism:ToMM)
という4つの機構を提案している。

<ID>・・・物事から意図や欲求を読み取る。(9ヶ月ごろまでに発達。)
<EDD>・・・目に似た刺激を検出し、視線がどこを向き、何を指しているのかを読み取る。(生後まもなく。)
<SAM>・・・それらを統合して、行為者と対象と自己の間に構築されている関係を理解する。(三項関係の理解:定型発達児では1歳ごろに発達。)
<ToMM>・・・それを認識可能な“心の状態”として翻訳するという機能。(定型発達児では3、4歳で発達。)

そして、自閉症者は、IDやEDDを正常に持っていながら、大半はSAM、そして少なくともToMMに障害を持っていると結論付けている。

EDDは、主体者と標的の関係を理解するために必要なもの。
IDは、物体や生物を、それ自身の持つ欲求や目的などの心的状態と関連付けて理解するためのもの。
そしてSAMは、他者と対象、そして自分といった三項関係を理解するための機構であり、ToMM(心の理論)へのインプットとして必要不可欠なものである。
IDだけでは二項関係の理解のみとなり、SAMによって初めて、対象を通じて、自分と他者の違いを推論に考慮する必要性が出てくる


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「三項関係」

「三項関係」とは、「私」と「あなた」と「対象物」との三つの関係のことだ

これって、英語とかの構造そのものでしょう、私にすればローカルな話

そこから哲学を構想するとは、趣旨に賛同しかねる

ラテン語だと主語を省略できる

日本語もそう

それで不便はない

技術用語としては不便だけれど、いちいち主語をつければ使えるので大丈夫

ーー
東京と大阪の間に名古屋があると聞かされて

京都は不思議に思っている

そんな感じ


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サリーとアン

『サリーとアン課題』 
 1.サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。 
 2.サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行きました。 
 3.サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。 
 4.サリーが部屋に戻ってきました。 
 5.「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?」と被験者に質問する。 
正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。

サリーとアン、それぞれの立場を切り離して類推し、その視点に立つことが出来る。

「他人の立場にたって考え、感じてみる訓練」をしたものだ

「他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする」には、言葉も必要である。
言葉の獲得により、類推する能力は高まり、
他者という存在や、ひいては社会の成り立ちなどが、
頭の中で理解出来るようになる。

ーー
「このあいだのあれ、お願い」と言って通じない人、いるでしょう
記憶障害ではなくて

広辞苑みたいな人、いるでしょう



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ナラティヴを論じる

コーエンのデータによると、「心の理論」については、
自閉症児のうち20%は正しく答えている。
(定型発達児でも15%の子供は正しく答えられない。)
また、自閉症者でも一定の社交性を発揮する者もいる

セントラルコヒーレンス(中枢性の統合、中心的首尾一貫性)とは、
いろいろな情報をまとめて全体像をつかむ力のことで、
自閉症者はこの能力が弱いとされている。

情報の選択能力機能が通常とは違う

通常なら不必要だと見なされ無意識に省かれる些細な情報も、いちいち受け止めてしまう

昔でいう、統合失調症のフィルター理論である

情報は溢れ、目の前の処理に追われる

事象を大まかに捉えてカテゴリー分けすることは出来ず

全体像がつかめない

外部刺激を抽象化せずそのまま受け止めてしまう傾向がある
特徴を掴んで大まかにカテゴリー分けすることが難しい

ーーー
知能指数が20以下で運動能力が極めて低い場合でも、
音楽や踊りになると、ぎこちない動きは消えてしまう。
音楽があると、どう動けば良いか分かるからだ。

単純な仕事さえうまくこなせない人々も、
音楽が入ると、完璧に行うことができる。
体系としては把握できないそれらの仕事を、
音楽にはめこまれたものとして捉えることができるからだ。

演劇の役を割り振り、物語の登場人物になりきれば、
セントラルコヒーレンスの欠落は補充できる

ーーー
重度の前頭葉損傷者は、知能は損なわれていないのに、
簡単なひとつつながりの動作が出来なくなる。
このような場合、通常のリハビリテーションでは効果がないのだが、
音楽に合わせると、これらの欠陥は瞬く間に消え去ってしまう。

抽象的で体系的な方法が役に立たない時にも、
音楽は組織としてまとめる力、効果的に楽しくまとめる力がある

トゥレット症候群のチック症状も、音楽で踊っている時には現れない

何かの役割になりきって、事を進めるのも有効である

いくつかキャラクターを作っておくことは、スムーズに対処をする上で有効だ。
キャラクターの選別は、場に合わせて行わなう

概念的能力が劣っている場合においても、
音楽や演劇や物語には、こべく具体事象をまとめあげる力がある。
一定の枠組みがあれば、格段に動きやすく理解しやすくなる。

理論の枠組みとはそのようなもので
概念相互の関係を語るのが理論である
たとえばエネルギーと質量と光速の関係

ナラティヴを論じるときにそのような視点もあると思う

バラバラだったものが、一枚の織物につながるときうれしい

細部に意味が宿る

間隙に充実がある

そのようにつなぎ合わせるものが
理論であり音楽であり物語であり演劇である

抽象化とか概念化が理論化の前提となるが
それが不得意な場合は
音楽でも演劇でも対等である
物語を対等物とみなせばナラティヴ・セラピーである

理論化が労力の節約になるというだけだ

しかし節約しないとたくさんの体験はできない

音楽を早送りしても楽しくないでしょう
演劇を早送りしても楽しくない
物語は全部読むのが惜しくなる

理論は場合によってはすばやく処理できる利点がある
しかしそれだけだ

われわれ一般人にとっては物語で充分ではないか

自分の内部の物語をリアルタイムに語ればそれでいい

圧縮もしない、早送りもしない、省略もしない、嘘も編集もなし

それが人生だ

ーー
理論は非常にしばしば嘘を付くために使われる

合理化に使われる

それよりはナラティヴの方がいいとも思う

しかし抽象的な説明が難しい

もともと理論にならないもの、理論では省略されたり圧縮されるもの

そこに混じる嘘が耐えられない場合ナラティヴのほうがいい

できるなら実時間・リアルタイムでナラティヴをしたい

それ以外は理論化を含んでしまうことになる

しかしリアルタイムをナラティヴすることは実人生を生きることにほかならない

ここで行き詰まり

語り始めたとき概念化の始まりであり、嘘の始まりである

沈黙する、そのような集結は見えていて鮮やかである

ナラティヴを「論じる」とは

幾何学をわざわざ代数で解くような不思議さである

ただ生きればいいのだ





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イメージ

00201012051.PNG

あなたの色と形をイメージするとこんな感じに近い


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私は赤い愛を切り刻んで食べてしまう

透き通るあなたのほほを見ていると 私の中に満ちてくるものがある

私は赤い愛を切り刻んで食べてしまう

ソファの上でグリーンのLEDになる

あなたはソファに体をのせて 私に愛を向ける

あなたが終わらないので私も終わらない

強くはないがいつまでも波が打ち寄せる

なんてあなたはきれいでやさしいのか

また飛行機が見えている


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愛していると言っているのに おまえは仏頂面だ

愛していると言っているのに
おまえは仏頂面だ

つまらないのかと聞くと
いや嬉しいという
やや感動したかもしれないという
あとでよく考えてみるという

自分の感情に気がつかないのかときくと

それはリアルタイムでは感じない

愛はあとでじわっと分かるものなのかな?

といわれて
たじろぐ

私はいつでもリアルタイムなのに。この時間差

おまえは愛されるのが当然だと思い
私は愛するのが当然だと思っている

愛する私が先で愛されるおまえがあとなのは理屈にあっている

先にいっても抜かないで


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ナウル

イッテQが注目したのは・・・ナウル共和国
なぜなら、このナウルという国は世にも奇妙な運命をたどっている謎の国だからである。

資料によると、ナウルは20年前までアメリカや日本を押さえて世界で一番のお金持ち国家!
なんと医療費、学費、税金などがすべてタダという夢のような国だったというのだ。
しかし、現在はその見る影はなくなり、国として立ち行かなくなっていると言う。
なぜこの国は20年前、世界一豊かだったのか?
そして、なぜ今存亡の危機に瀕しているのか…

この謎を解き明かすのは、映画・舞台と幅広く活動中の女優、長谷部瞳!
長谷部の使命は、謎の国ナウルに潜入し、日本を代表する海外旅行ガイドブック「地球の歩き方」のナウル編を作る事。
日本人に人気のない国を紹介しなければならないので、
県や国の紹介に長けている芸人・はなわも長谷部に同行!

「地球の歩き方」そのナウル編を作るという、今回のミッション。
我々はナウルに旅立つ前に「地球の歩き方」編集長 石谷さんに話を伺ってみた。

スタッフ「地球の歩き方を作るうえで最低限載せなきゃいけないものは?」
石谷「交通機関、観光スポット、宿泊施設、食事ですね」

そして石谷さんがナウルについて知っていることは?
石谷「島自体がトリのフンが固まって出来た島、
   太っている人が非常にモテるっていうウワサを聞いています」

日本からはるか4800キロ、誰も行かない海外旅行!
日本人に一番人気のない国ってどんな国? IN ナウル 

二人が降り立った、ナウル国際空港は成田空港からオーストラリア、ブリスベンを経由し
14時間かけてようやく到着できる場所。
国土は東京の品川区と同じくらいの大きさで国を一周するのに、車で20分とかからない。
国連加盟国では2番目に小さく、総人口はおよそ11000人。
長谷部 「それではここから、イッテQ!版の地球の歩き方ナウル編を作りたいと思います!
せっかく空港にいるので、最初はまず交通情報から調べたいと思います
まずは旅行に不可欠な交通機関の調査!」
はなわ「バスとか電車ってあるんですか?」
男「手を挙げたら止まってくれるバスが、一日2本走ってるよ」
長谷部「バス停とかはないんですか?」
男「ないねえ」
バスを見つけた!
長谷部「アレが一日2本のバスですか?」

ナウルの交通機関。
空港に到着しても、電車、駅などはなく主な移動手段は車かバイク。
手を挙げれば停まってくれるバスはあるが、1日2回しか走っていないので、
遭遇は難しい。

ということで、今回はチャーターした車でナウルリサーチ スタート!
はなわ「レッツゴー! いいねえ」
長谷部「うわあ、すごく綺麗!」
走り出してすぐ、目の前に広がる青く美しい海! 
島を360度囲む青き雄大な太平洋がナウルの観光スポット!
赤道直下にある島国ナウルは常夏のパラダイスだった。

そんな島を車で走っている時、長谷部があることに気付いた。
長谷部「さっきからブラブラしてる人が多いんですよね」

成人男性なら、ふつうは働いているはずの時間に、一体何をしているのか?
車を降りて、ブラブラしている人に話を聞いてみる!
はなわ「今何やってたんですか?」
男「何にもしてねえよ」
はなわ「どこ行ってたんですか?」
男「魚釣りさ」

続いて通りかかったバイクに乗った男性は・・・
はなわ「何やってたんですか?」
男「島を一周してたんだ」
はなわ「何で島一周してるの?」
男「今日は特にやることもないからね、バイクに乗っていたほうが涼しいだろ?」

魚釣りにツーリング 一見、働きもせずのんきな国民性・・・と思ったがそうではなかった。
実は、ナウルでは現在、失業率の高さが大問題に!
なんと成人男性の90%が無職なのだ!
20年前は、世界一とも言われた金持ち国家。それが現在は仕事がないという謎。
果たして、この20年間に何が起きたのか?
その謎は二人が訪れた病院で明らかに・・・

はなわ「患者さんはどんな病気の方が多いんですか?」
院長「肥満や糖尿病が多いわね、食生活を変えようとはしていますが難しいですね」

実はナウルという国、糖尿病予備軍の人数が世界第一位(人口比率)!
確かに、街中で見かける人のほとんどが太っている!
院長「すべてはリン(鉱石)のせいよ、リン(鉱石)が取れるようになってお金が儲かるようになってからは、贅沢を覚えて食べ物は外食ばかり。国民は働かなくなってしまったの。」

ナウルを語る上で最も重要な言葉・リン鉱石。

二人はリン鉱石の採掘場へ。
はなわ「うわ~ すごい(景色)! この白いやつは?」
採掘場の崖の白い壁面を指さし、
男「それはサンゴだよ」
長谷部「サンゴですか!ってことは、ここは海だったんですか?」

驚くべきことにナウルは海上に飛び出したサンゴ礁のうえに
あほう鳥が排泄した大量のフンが積もって出来た島。
さんごの成分と鳥のフンの成分が化学反応をおこし出来たリン物質が、
国土全体に埋蔵されることになったのだ。
白い石を手に取り、
長谷部「これがリンですか。 なんか、タダの石みたいです。これが肥料になるんですよね?」
男「それを砕いて使うんだよ」

もともとは、農業や漁業で自給自足の生活をしていたナウルの人々。
しかし今から40年前。リンが肥料の原料として海外に売れることを知ったときから
豊かな生活を求め、リン鉱石を掘って掘って掘りまくった。

そして、その収益を国民全員に均等に分配するという政策により、
1981年。ナウルは国民一人当たりの収入を示すGDPが
アメリカや日本をはるかにしのぐという豊かな黄金の時代を迎える。
もはや国民は働くことを忘れ、海外旅行に外車、そしてグルメと天国のような生活を謳歌したのだった。
しかし、資源はいつか費える・・・
はなわ「(今は)あんまり取れないですか?」
男「もうほとんどないよ」
はなわ「そっか~ 30年以上掘り続けていたらなくなるわな そりゃ」

大量に取れていたリン鉱石も、1990年代から徐々に枯渇に向かい、
それとともに国民生活レベルも低下。
2000年に入り、国は破産状態になってしまったのだ。

いずれリン鉱石がなくなることは20年以上前から判っていたのだが・・・

今楽しければいい。その考えが一つの国を破産へと導いたのだった。
しかし、この国にも希望は残されていた。
それは学校で学ぶ子供達。

低学年の生徒には、読み書きを中心とした基礎教育が、
そして高学年の生徒には、社会に出て働くことが出来るようにと指導が行われていた。

校長「この子たちの未来には、働くことが当たり前という国になってほしいと思います。」

ナウルに新たな産業をおこし、仕事を作り、
母国の未来をその手で切り開いていかなければならない子供達。
そんな子供達に、はなわが歌をプレゼント!
「ガッツ伝説」の熱唱に笑顔の子供達。
言葉の意味は伝わらなくても、ナウルの子供のハートに届いた。
そんな子供達と記念写真。この写真が「地球の歩き方ナウル編」の紙面を飾る。

二人はこの後、「ナウルでは太っている人がモテる」という噂の検証を行った!
太った(森三中)大島と森公美子、痩せた(オセロ)松嶋と長谷部瞳の
4人の写真が貼られたパネルを手に「恋人にしたいのは誰?」とナウルの人たちに聞いてみた。

はなわ「誰か一番タイプな人を選んでください」
男(森 公美子をさす)
男2(森 公美子をさす)
長谷部「くやしい~ やっぱり(太った人が)モテるんですね!」

ナウル女性の好みはどうなのだろうか?
続いて用意したパネルは(NEWS)手越と(インパルス)堤下
はなわ「恋人にしたいのはこの二人だったらどっちでしょうか?」
女(堤下を指す)
子供で試しても、全員が堤下を指した。
はなわ「堤下 超モテてるよ!」
長谷部「(堤下さん)ここに住んだほうがいいですよ。」

島中を回り、未知の国ナウルを学んだ二人。
旅の最後を飾るのは、はなわ作詞作曲のナウルソング!
披露する相手はナウルの教育大臣バロン・ワンガさん。

長谷部「ナウルのことを見学させて頂いて、すごくナウルのことがわかりました。
すごく素敵な所だったので、彼にナウルの歌を作ってもらいました。
はなわさん どうぞ!」

♪はなわ作詞作曲 タイトル「ナウルの歌」♪

ナウナウナウナウ ナウル ウルウルウルウル ナウル 世界の果て アイランド

ナウルの町には信号も電車もない ホテルはなんとかあっても お湯がでない!

空港には時計もなければ 整備場もない そもそも 国民はちょっと 愛想がない

ナウナウナウナウ ナウル 何にもない

ナウルの人は太ってる人がモテるから 国民のほとんどがD・E・B・U デブ

糖尿病の予防 みんなしてるけど お医者さんも太ってるから 説得力ねぇ

ナウナウナウナウ ナウル メタボリック!

そんなナウルは素晴らしいとこばかり 珊瑚がキレイなビーチや 満点の星空 

すべての人たちが自由でおおらかだ 人の悪口も ストレスもない

そんなナウルに 一度 遊びに来ませんか? 太ってる人は 大歓迎

センキュー! アイ・ラブ・ナウル!


長谷部「大臣 どうでしたか 彼の歌は?」
大臣「ビューティフル!」

はなわ「ありがとうございました!」

長谷部「大臣! ほんとに今日はありがとうございました!」

というわけで結論!

謎の国ナウルは、人も気温もあたたかい国でした!



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私以外では愛しようもないではないか

おまえは正直、先天的にずれていて
私以外では愛しようもないではないか

そしておまえは私は愛されて当然だと言い放つ

私は愛に値すると言い放つ

なんという傲慢 そして その中に見える私への信頼

そして私はそれを当然と言い返す

なんという隷属 そして その中に見る愛への耽溺

私以外にはできない


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これは愛なのかと おまえはとまどう

これは愛なのかと
おまえはとまどう

これが私なりの愛なんだ

わたしなりにどうしようもなく愛を続けてゆく


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おまえがふいとそっぽを向くだけで 私の心はどれほど傷つくだろう

おまえがふいとそっぽを向くだけで
私の心はどれほど傷つくだろう
どれほど下を向いてしまうだろう
救いがたい暗黒
一刻もやまない不安焦燥

そんなことも知らず
ただらくらくと生きているお前
ただ、窓の外を見ていただけだよと笑う

なぜこれほどひとりの女にとらわれるのだろう

救いがたく
後ろ向きの心の私

ーー
いやちがう
ひとりの女ではない
私にとってすべての女



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愛された記憶

愛された記憶

私にしても少しの愛を求めてもよいだろうと思うのだが

どうしてか許されない




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自分のことしか話さない人

自分のことしか話さない人がいるものだが
これだけでは描写として不充分だ

自己愛的でも自分のことしか話さないのだし
相手に敬意を払うとすれば、相手の知らない情報としては
理論ではなく自分を語るしかないのだ

つまらない理論をつまらない相手に説明されて時間をつぶすくらい無駄なことはない

古今和歌集について話すのは若輩者として申し訳ないのだ

ーーーーー
しかしながら、考えてみると
自分のことについて話すとは
話題が自分ということだけではない

話題を何か他のものにしたところで
語っているのは自分なのだし
自分の考えを語らないとしてもその考えを紹介しようとしているのは自分なので
必然的にいつでもそこには自分を語る態度が見えている

謙虚という場合は謙虚な自分を結構雄弁に物語っていることになる

ーーーーー
結局のところtxtも気に入らないしdocもなおさら気に入らないということらしい
気に入らないtxtを装飾されてもねえ






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自分自身を受容したとき

自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こる。
カウンセラーは、クライエントを無条件に受容し、尊重することによって
クライエントが自分自身を受容し、尊重することを促すのである。



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マスコミ内部の自己批評

マスコミ内部の人間に話を聞くと
嘘つきで空威張りだと否定する人と
いろいろと問題はあるものの、それでも中には素晴らしい人物が
素晴らしい志で活動していると賞賛する人とある

内部の評価がこのように分かれるのは仕方がないと思う
排除と包摂の動きが続くのが集団であるから
本質的な利益につながる者とつながらない者とが生み出され
そこに肯定と否定の論評が発生する


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空威張りで人気が出る商売

実力のない人でも空威張りで人気が出る商売をしていると
人間不信になる

やめたほうがいい


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人工生活の間違い

日本の旧暦は月の暦であって
季節感と一致していたし女性の月経周期(だから、月)とも一致していた

女性が自分を月と一体化して感覚することもある
性格傾向も周期的に変化する
それは不思議でもない

人工的な街に住み
真冬なのに年賀状に「迎春」なんて書き
女性が月経周期を隠蔽することに成功し、あるいは男性が鈍感になる
性愛は本来は月経周期に合わせてスタイルを変えるのが良いのではないかと思っている

このDNAの周期性と
人工都市の周期性がずれているので
いろいろな病気とか破綻が起こるのではないか

周期のずれがわかり易い例が立春だと思う

実感に合わない西洋文明の中で生きているので
脳も体も苦しんでいる



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テキストによって意味されるものを論じるのではなくテキスト自体を論じる

テキストによって意味されるものを論じるのではなくテキスト自体を論じる行為が成立するが

はたしてそうなのか

脳が見る夢の内容ではなく、脳そのものを論じる行為が成立するのか

テキスト自体を論じることがすでに幾重にも意味されるものであるように思う

脳そのものを論じることが脳の見る夢であり、それは奇跡的に脳そのものと一致するのだ

だからテキスト自体を論じることがすでに、テキストの意味するものを論じていることにならざるをえない

問題は、そのような言葉を用いることで幸せが増加しますかということ


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性愛のコストがほぼゼロ

男性の側からの性愛のコストがほぼゼロに近くなっている現状をみると
なぜなのかと思うが
多分、男性性欲と女性妊娠の間のギャップが大きい
簡単に中絶という文化も大きな要因だ
これでコストゼロになってしまう
単純に産めばいいというわけでもないけれども
コストが安くなるのは確実だ

アメリカ文化の性愛映像が日本でも製作されて流される
アメリカの皆さんにとっては性愛映像はトリガーに過ぎない
そのあと現実に取り組むバイタリティがある
しかしモンゴロイドにとっては性愛映像で満足らしい
モンゴロイド女性には何も起こらない

モンゴロイド女性は自分でハードルを高くするだけの魅力がないので
自然にハードルを下げてしまう
最初は加減がわからないので、なんでもオーケーの時期もある
その時期に家族が形成されればいいのだが
晩婚化、中絶フリーの現代では難しい
その時期が過ぎると誰からも大切にされない現実がある
男性性欲を愛情と誤解し続けるしかない女性たちが産生される
それが見えてしまえば、経済力のある女性はひとりでいるだろう
おひとりさまになる

女権伸長は関係ない
母となる人にどうあって欲しいかは女権と関係ないはず

文化・風土の問題もあるが
それぞれの人種で骨格や攻撃性レベルが違うように
性欲とか妊娠についてのレベルも違うはず

正直言って性愛についてはモンゴロイドはコーカシアンに比較すると
進化の途上であると感じられる
個人で言うと13歳と20歳の違い

ここをグローバルにされると誰も幸せにならない

私は13歳、中学一年生の性愛の感覚を大切にするけれど










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