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自然そのものと言葉

自然そのものを扱う自然科学者にとって
言葉を扱う人は一段違うものと思われる

統治の技術としての政治は
人間を扱うものだが
人間は自然の一部と考えれば
確実に自然科学である
観察対象が人間であり
観察目的が統治である点が異なる




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Google空間に出現する物理学空間

自然を脳が転写している
転写された脳の内容がGoogleに蓄積される

自然から脳への転写でミスが発生する
だから世界観の違いとか性格の違いが出てくる

脳からGoogleに転写するときにまたミスが発生する

脳に入力されるときにフィルター
脳から出力されるときにフィルター

ふたつのフィルターがある

その結果としてGoogleには何が蓄積されるのか
そこから共通構造を抽出すれば、結果として何が得られるのか

ニュートラルなミスは統計処理によって補正できるような気もする

二重のフィルターの要素を解決出来れば
Googleの中に自然そのものが出現する

子どもが自然を脳に転写するのではなくて
Googleを脳に転写するとしたら
何が起こるのだろう

たとえば法律を脳に転写することに似ているかもしれない


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『エリッククラプトン自伝』に学ぶ「弱い人間」の生き方 彼は他人に上手に甘えることができる

『エリッククラプトン自伝』に学ぶ「弱い人間」の生き方 評論家 山崎元 氏の文章

2010年02月12日
 前々から買ってあったのだが読まずに積んであった『エリッククラプトン自伝』(中江昌彦訳、イースト・プレス刊)を読んだ。400ページを超える本で、じっくり読むとそれなりに時間を食うのだが、ある仕事でエリック・クラプトンについて少し話す予定があり、今、読んで置こうと思った。
 事実を時間順にみっちり語り込むスタイルの自伝で、エピソードが豊富だから、読み終えるとかなりのボリューム感がある。
 伝記としては、かなり異色だ。端的に言って、これは「弱い人間」の物語だ。本が書かれた2007年に至る最後の10年は、家庭・仕事・健康の何れにも恵まれているようで、流れはハッピー・エンドなのだが、全体を通した印象では、この幸せのどこがいつ崩れてもおかしくないような危うさがクラプトン氏の人生にはある。
 「ひねくれ者でろくでなし」(p409)と自分でも言っているが、エリック・クラプトン氏は、一般的な基準から言って、人格的にはかなり「ひどい人」でもある。薬物やアルコールへの依存症に長年苦しんだことは有名だが、赤裸々に語られる女性関係もまさに「手当たり次第」だ。よくぞ、現在、健康で生きているものだ。
 詳しくは伝記を見て欲しいが、エリック・クラプトン氏は、自分の父親を知らずに、祖父母の下で育つ、かなり不幸な生い立ちなのだが、若い頃に関する記述の端々には、後の自堕落な生活や依存症、気むずかしさなどに対する「言い訳」のトーンを感じる。自分への甘さは超一級品だ。ただ、言い訳をストーリーの中で作っているというよりも、思い出すことが出来る限りの事実を時間順に羅列していく方法で書いているので、自然にこういうストーリーになってしまうのだろう。つまり、彼は彼自身に対する同情を隠さない。
 しかし、ぎりぎりで彼に嫌な感じがしないのは、彼が率直であるからだろう。気むずかしくてとても社交的とは言えないクラプトン氏だが、推察するに、彼は他人に上手に甘えることができるのだろう
 もちろん、彼個人がギターの名人として突出した実力と商品価値を持っていたことで、周囲が気を遣ったということはあるだろうが、伝記を読むと次から次へと助けが現れる。彼がどのように他人にアプローチしたのかは、自分の視点だけから書かれた伝記で正確に理解することは難しいが、自分に出来ないことはあっさり他人に任せているし、やりたいことを次々とやって行く。そして、彼が興味を持った女性はいとも簡単に彼になびいていく(時間が掛かったのは、ジョージ・ハリスン夫人だったパティくらいのものだ)。
 ギターに関しては、彼は努力の人だったように見える。練習を続けられる才能において天才、というタイプだ。ちなみに、若い頃の練習は、コピー対象を自分で何度も弾いてこれをテープに録音し、完全に同じになるまで何時間も繰り返すというようなもので、これがいくらでも続けられたようだ。また、若い頃の記述で「楽譜が読めなかった私」というフレーズが出てくる。ギターが声のように肉体化しているのだろう。
 薬物やアルコールに対する依存症が深刻化した場合でも、自分にとって得意で、他人からも評価され、自分が付けることができる「ギター」があったことが、彼を救ってきたし、もちろん、経済的に成功させてもきた。
 凡人が何かに注力して、その「何か」がエリック・クラプトンに於けるギター演奏のようなレベルや評価に達することは稀だろうが、一つのことを前向きに続けることが出来れば、それなりに自信を持つことが出来るのではないか。名人・神様のクラスではなくとも、ギターを上手く弾けることがエリック・クラプトンにっとっては一種の励ましになっていたように、自分を励ますことができる「得意なもの」があれば、落ち込んだときにも何とか生きる意欲を再活性化できるのではないか。
 思うに、殆どの人は「強い」「自立した」存在ではない。本人が自覚している場合も、自覚していない場合もあるが、人は、その人に固有の弱さを抱えて生きている。
 人は他人に上手に甘える術を覚える方が、自立しようとして頑張るよりも、上手く生きていくことが出来るのではないだろうか。そのためには、自分は弱いし、自立などしていないから、他人が必要なのだということを素直に認めるのが第一歩だろう。
 『エリック・クラプトン自伝』は、弱い人間、ダメな人間の人生の記録として一級品の読み物だ。そして、弱い人の生き方こそ、学ぶ価値があるのではないか
 内容はたいへん重たいので、調子のいいときに読むべき本かも知れないが、「強くない私」もいいではないかと思える人には、一読をお勧めする。

ーー
自分への甘さは超一級品 の一語がすごい


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わたしは拒食症じゃない



わたしは150センチ、34キロ、
先月まで36キロあったけど、
自然にいまの体重で

ママがつくってくれるものは全部食べてる
だから栄養は心配ないはず
ママもバレリーナ

ジャンプは去年のほうがうくまできた
いまはお姉さま方のように高くは飛べない

いつからバレエ?
生まれたときからだと思うわ
みんなそんな感じ

プレゼントはたいてい
バレエ関係で

週に何回?
みんなそうなんですれけど、毎日。レッスンは毎日。

生理はない。とまったまま。

少なくとも、ママのレベルまではいけるはず
そこまでは努力
そこから先は運

食べてますよちゃんと
だって筋肉作って それを動かすのが アスリートですから
自覚してるんです

コーチが心配しすぎたみたいなんです

でも どうして跳べないのかな
そっちのほうが問題なんです



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わたしは世界と点線でつながっている

わたしは世界と点線でつながっている

点線でしかつながっていない

ーー
他者とエロスの通路でしかかかわることができない



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妻は、私のためなら、早く帰ってきて、そばにいて欲しいと話す

仕事か家庭か
家庭のために仕事をしてるのだから
家庭側には理解して欲しいという言い方になる

妻に、お前のために働いているのだから、理解してくれと
妻は、私のためなら、早く帰ってきて、そばにいて欲しいと話す

仕事vs家庭 は完全な対立にはならない

家庭のために仕事は必要である
仕事のために家庭は必要ではない

その結果として家庭は我慢することになる



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アスペルガーの城

組織の中で行き残るにはどうすればよいか

あんまり仲良しで他人の顔色をうかがうのは得策ではない
自分は自分、他人の批判も少しは聞くが
ほどほどにしておく
あまり気にしないで自分の道を進む

ということはアスペルガーだ
ということは
適応タイプなんだ
という結論になった

学問というものはアスペルガーの城である




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躁うつ病は 心底反省していないという観察がやはりある

躁うつ病は
心底反省していないという観察がやはりある

反省がないから軽躁状態になる
躁状態になるから結果としてうつ状態がある

しかしその反省をしていたら
生きていけない社会ものあるので

その場合は自分で環境を選択しなければならない

うつ状態の原因は躁状態
躁状態の原因は無反省
だと思う
(反省していたら負けてしまうので、それもどうしようもないのだが)

新奇性追求(novelty seeking)
探究心、衝動性、むら気

食欲、性欲、征服欲、などと関係する

現代社会が
軽躁状態を要求しているので仕方がないと思う

人口の流動性が高まる限り
選抜されて軽躁状態が集まる

学歴で輪切りにしたりするから
どうしようもない




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行きたい vs 行けない のアンビバレント

会社や学校に行きたい

けど

行けない

という場合に

行きたい vs 行けない のアンビバレントが発生してコンフリクトを起こしている

そこで解決は
行く
行かない
の二つであるが
どちらも困る

ここで、「うつ病」という答えが見つかると心理的にもほっとできる

ーー
アンビバレントの解決として
Yes,No,その他があり
その他を工夫すると案外にいい

しかしそこの回路に入って困る場合があり

アンビバレントの解消の仕方の間違いがある




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工芸作家的な仕事を根雪のように残していきたい

後輩の話

じぶんでじぶんをささえること

ーーー
僕らの仕事って蓄積にならないし
明日の保証がないんですよ

なにか外側から保証されるライセンスがあるわけでもないし
所詮無形のものです、アイディアですから
仕組みとしても、アイディアなりコンセプトなりにマーケットで値段をつけるということは難しいです

分析力はいろいろですけど
それを見せるプレゼンテーションの力と見分けがつかない

引き出しを沢山持っている人は強いですね
いろいろな分析をして見せて
都合のいいものを提示できる

コンペになっていろいろ考えて出すでしょう
すると相手もずるくてとりあえずした準備していた安いところに決めるという手もある
そしてその時に出たアイディアを建前上は使わないけれど
その後「もんでみました」みたいな話で結局いろいろと取り入れている
無意識にといえばそうですけれどね

グローバルな競争になっているので
勝ち続けることはないんです
必ず負けます
人件費、家賃が全く違うわけですから

それにすべてのアイディアも技術も模倣可能なんです
できなかったら人を雇うか会社を買うかすれば調達はできる
まあ、それで利益率が落ちるので、それはしょうがないですが

転職は多いです
メジャーリーグのような感じ
戻ってくる人もいたりしてそれもあり

競争相手との差別化ができないんですよ
今回は勝ったと思っていると
来週にはもう取り入れられている
僕らにしても負けた記憶は大きいですから
取り入れてしまう

すると何も違いはなくっなてきて
値引き勝負のような消耗戦になる

結局人と人なんですよ
相手の会社も、おたくは少し割高だけど、付き合いだから頼むと言われる
するとこちらは多少持ち出しになってもお付き合いしてサービスする
結局割安な買い物になるんです
そんな感じでもいいから長く関係を続けることが一番いい仕事が出来るはずなんです
こちらは企業の内部がよくわかりますから

ただ少し変えてみようかとか
他社のセールスに乗って、じゃあ、今回はコンペにしようかとか言われると消耗します
役員が変わったりすると、なにか変えたいんでしょうね

そんなわけで今の僕は春の雪なんです
降ったらすぐ溶けて明日は残っていない
根雪がいいんですよ
降り積もってゆく雪になりたい

自分でそこの仕組みを心の内部に
つくらないといけないから大変ではあります

他人から承認してもらって安心するというプロセスが
結局、コンペとか収益の伸びとかで摩滅しているんです

自分でしっかり自分を支えていかないといけない

日展の洋画、日本画、書道、工芸とか並んでいますよね
あの中で僕にとっては工芸が特別なんです

洋画も日本画、書道もときどき現代芸術的な、子どもが偶然やったらできたみたいな感じのものがあるでしょう、
技術がどこにあるのかわからない
ところが工芸はそうではない
子どもが遊んでなにかやっても似たものさえできない
まねさえできない

そういう、厳しい世界ですよね
僕はそういう世界に生きたいと思って目指している
そのような内部環境をつくろうと思っている

僕は工芸作家のようなつもりで
作品を作る
それは外部から見たら他の人と同じようなものにしか見えないかもしれない
でも、僕には違いがはっきり分かる

理解にも、要するにこういう意味ね、と抽象的に還元していく方法と
具体的な事象を指でなぞって理解していく方法があるわけでしょう
僕にはまた独自の方法があると思っているし
それはいますぐに周りの人に理解してもらわないと不満だというのでもないです
100年でも200年でも残る形にしておいて
そのころでも、多少の理解者がいればいいですよ
いなくてももう100年待てばいい
僕は結構待てるタイプなんです

具体的な他者でなければ自己愛備給にならないと理解は出来ているんですよ
でも、僕にとっての具体的他者は200年先でもいいかなと
そのことでじぶんでじぶんをささえています
他人に依存しない人生もいいですよね














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エピソード記憶と意味記憶の話

ナースさん
エピソード記憶と意味記憶の話をしていて

発達障害でいま担当している子供は意味記憶が弱くて
エピソード記憶が強い

私は逆でエピソード記憶が弱い
看護記録を書くときに細かい具体的な言葉が思い出せない
要するに何を言っていたかとか意味記憶はあるんですけど
それだと看護記録が書けない

で、困っていると
たしかに、こんな場面では困りますね



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躁うつ病+発達障害+強迫性障害

「外部インターフェイスになってくれる人がいたらとってもいい」
という感覚はある
引越しの時にお隣にご挨拶したりとか
まあ、秘書さんみたいなとかの話

今日、人の話を聞いていて、なるほどと思ったけれど
自然にそんなことを体得している人がいる

その人は、躁うつ病+発達障害+強迫性障害なんだけれども
最初の妊娠が高校生の時でそこが躁状態の始まり
子供の頃には集団との友達関係ができないので
誰か一人の親友を作って窓口になってもらっていた
(そのようにできてしまうところが優秀。成績がよければ文句は言われない。)

その子が偶然社交的だと自分の一年間も社交的になる
その子が偶然非社交的だと自分の一年も非社交的になる

もともとは(ある種)社交的なんだけれども
自分勝手な話を聞かせたがるので集団ではやっていけない
一対一ならばいい
集団だと、なんで人間はあんな馬鹿な話でだらだらと時間を過ごすのか理解出来ない



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「お父さん、眠れていますか?」

こんな文章

ーー
 最近「お父さん、眠れていますか?」というようなポスターをよく見かけませんか?これは睡眠キャンペーンの一環として政府や自治体が展開しているものです。睡眠障害が続くとうつ病になる人が多いということから、睡眠にテーマを絞り、早期に体の不調に気が付くようにして専門医への相談を促す狙いがあるようです。

 確かに、健保組合のレセプトを分析していると、就業しつつも抗うつ薬をもらっている人が増えてきていることに気付きます。そこで、寝不足の人(睡眠障害が疑われる人)は、寝不足ではない人と比べて医療機関にかかり始める割合が多いのかどうかを調べてみました。

 まず、企業の健保組合の被保険者(社員)を、健康診断の標準問診項目である「睡眠で休養が十分とれている(「1:はい」「2:いいえ」)の回答内容で2群に分けました。その上で、各群の健診(問診)後の「うつ病」診療開始、及び診療開始後の抗うつ薬処方の関係を調べました(図1)。その際、うつ病はICD10の「F32:うつ病エピソード」とし、疑い病名も含めています。また、抗うつ薬は「気分安定薬(抗躁薬)」、「選択的セロトニン取り込み阻害薬(SSRI)」、「セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)」、「その他の抗うつ薬」を対象としました。



 今回対象としたのは、2008年4月~2009年3月に健診を受けた12万5635人の中で、健診前の半年間にうつ病としての医療機関受診があった人を除外した12万3131人です。「睡眠で休養が十分とれている(1:はい)」が6万5279人、「とれていない(2:いいえ)」は5万7852人で、年齢分布は表1の通りです。



診療開始率は0.5~1.6%
 睡眠十分群と不足群の健診後1年間のうつ病診療開始の割合を見ると、不足群のほうが有意に高い割合で「うつ病」の診療を開始していました(図2)。ただし、診療開始率自体はそれほど高いものではなく、最も高い20歳代の不足群でも1.6%です。なお、今回の分析においては、対象にした企業群におけるメンタル対策の違いなどは考慮に入れていません。

 また、診療開始率は、年齢によって若干の差はありますが、不足群が十分群の概ね2倍といったところです。私は、思ったより差が小さいと感じたのですが、皆さんはどうお考えになりますか?


 次に、うつ病の診療を開始した人の中で、診療開始から3カ月以内に抗うつ薬の処方があった患者の割合を見ると、健診の結果に関係なく、同じような割合の患者が抗うつ薬の処方を受けていることが分かります(図3)。また、健診後1年以内の診療開始率は若い年齢ほど高い傾向が見られましたが、抗うつ薬の処方割合に関してはそれほど顕著ではありません。

 このデータから見る限り、診療開始から抗うつ薬処方までの期間は、健診時における睡眠不足の自覚の有無や年齢とは、直接的には関係していないようです。


睡眠不足の若年層ほど早期に診療開始
 先のデータは、健診から1年以内にうつ症状の診療を開始した人を対象としましたが、次は、健診から診療開始までの期間を、より細かく分けて見ていきたいと思います。図4は、健診後「半年以内」にうつ病の診療を開始した人のデータです。

 「1年以内」に比べると、若い世代(20歳代と30歳代)で特に、睡眠十分群に比べて不足群の診療開始傾向が強くなっています。若年層の方が、中高年層に比べると、睡眠不足の自覚が受診につながりやすいのかもしれません。最近は、若い世代で非定型うつ病(現代型うつ病)が増えているといいますが、そんな傾向も影響しているのでしょうか。


 では、健診後「半年~1年」ではどうでしょうか?「半年以内」に比べると、睡眠十分群と不足群の診療開始率の差はわずかです。また、年齢による顕著な違いも見られません(図5)。


 今回の調査からは、
(1)健診時に睡眠不足の自覚がある人は、そうでない人に比べてうつ病での診療開始率が高い
(2)健診時に睡眠不足の自覚がある人は、そうでない人に比べて早期に受診する傾向がある
(3)早期に受診する傾向は、睡眠不足の自覚がある若い人ほど顕著
(4)健診から日が経つと、睡眠不足の自覚の有無や年齢と診療開始率との関係が薄れる
といったことが浮かび上がってきました。

 もちろん、スクリーニングの要素としては、健診時の睡眠に関する問診だけでは不十分でしょうから、他の要素を併用すればもっと興味深いデータが導き出せるかもしれません。機会があれば、睡眠不足の自覚の有無や年齢と、診療開始後の回復期間の相関関係なども調べてみたいと思います。








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身体が大丈夫だったら、きっと何とかなるといわれても困る

こんな文章

ーー
魔法瓶のガラスのように、何かが割れることはある。しかし、身体が大丈夫だったら、きっと何とかなる。

小学校5年生の時に、父と北海道に蝶の採集に行った。いろいろと計画を立てたが、一番いいのが6月だということで、しかし、その頃は学校があるから、あきらめた。

ところが、裏で父が学校の先生に話をつけてくれていたらしい。担任の小林忠盛先生も、「茂木くんが蝶をとりにいくんだったらいいですよ」と許してくれたようだ。ある朝早く、父が枕元に立って、「おい行くぞ」と言った。びっくりした。そのまま電車に乗って、青森に行った。市場で、エイを干したものを売っていた。青函連絡船に乗って、函館に渡った。

静内で蝶をとっていた時、追いかけるのに夢中になって、転んでしまった。その拍子に、肩に斜めにかけていた魔法瓶が衝撃を受けて、中の鏡が割れてしまった。振ると、カラカラと音がする。

「怒られる」と思った。父は、少し離れたところでやはり網を持っている。すっかり悄然として、蝶の様子も目に入らなくなった。

夕暮れになり、帰る時になった。父と合流するしかない。いっしょになってしばらく歩いてから、少し大げさに魔法瓶を振って、カラカラと音をさせて、「割れちゃった」と言った。

「転んだのか?」

「うん。」

「怪我はしなかったか?」

「だいじょうぶ。」

「そうか、気をつけろよ。」

それだけだった。魔法瓶を割って、怒られるかと思ったら、怪我をしなかったかどうかだけを聞かれた。うれしかった。そんな父の反応が、とても意外だったのだ。

いろいろ性格的な欠点もある父親だったが、少なくともあの時だけは素敵だった。

何かがあった時に、真っ先に聞くべきことは怪我はしなかったか、身体はだいじょうぶか、ということ。あの少年の日に改めて学んだように思う。

魔法瓶のガラスのように、何かが割れることはある。しかし、身体が大丈夫だったら、きっと何とかなる。

家族や友人が心配すべきことは、その一点に尽きると思う。

ーーー
いやー、そういわれると、身体が丈夫ではない人は、困るな


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不器用

最近の人は
不器用とか言われるけれど
それが進化の方向だ

ずっと昔は
日本人は器用で
白人は不器用とか言われていたと思う

不器用な人が増えれば
人々はサービスを買うようになり
社会は「豊か」になる

経済学部がある限り、そうだろう

そのような分業が果たして「豊か」なんだろうか


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若者は豊富なオカズで元気よく

若者は豊富なオカズで元気よく
(厚労省青少年健全育成局)


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好きを続けること

「好きなことを仕事にすべきだ」と言う人と、「好きなことは仕事にすべきではない」と言う人がいる。

 いったいどっちが正解なのか。そもそも、好きなことって、どういうことなのだろうか。

 一時的に好きなことをやるのであれば、好きなことだけやっていれば十分だ。しかし好きなことを続けるには、好きではないことも山ほどやらなきゃならない。

 例えば、好きな人と一緒にずっといたいと思ったら、「好き、好き」と言っているだけでは難しい。ずっと一緒にいるためには、時には好きではないこともしなきゃならないだろう。時にはちっとも論理的でない決断を下すことだって必要だ。

 早起きが苦手だろうと、朝早く起きて朝食を作ることだってあるだろうし、自分のスケジュールを変えてまで好きな人に合わせることだってある。結構な努力が必要なのだ。

 だが、それが好きな人のため、というか、好きな人とずっと一緒にいるためであれば、次第にそういうことをやるのも好きになるものだ。いや、好きにはならなくても、少なくともイヤではなくなる。









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