ジェフリー・ジュリアーノ ジョン・レノン アメリカでの日々
1980年ジョン・レノンは40歳でチャップマンに銃で撃たれて死にました。そのときショーンは5歳、ジュリアンは中学生くらいでしょう。2010年、もうどちらもいい大人になっています。二人ともジョン・レノンの威光を背負ってバンドをやっています。オノ・ヨーコもジョン・レノンより10歳くらい年上ですから、いまや80歳にならんかなというところでしょう。さんざんマスコミにたたかれながら、しぶとくレノンの遺産の大半(現在でも10億ドル近い資産)を受け継ぎ、いまもCDなどが売れるのでしょうから、遊んでいてもどんどんお金が入ってくる。
生きていたレノンも人生後半ほとんど仕事はしていなくて、毎日覚せい剤におぼれて、自慰と、セックスにのめりこんでいたとこの作者はレノンの日記を根拠に書いています。ヨーコもレノンの性欲の強さにへきへきし、たまらず中国人秘書にセックスの肩代わりをさせたとも書いています。
どうも人間は暇と金を持ち合わせると、ろくなことをしないというのがわかります。「愛と平和」のジョン・レノンのイメージに合わないような実生活でありました。
ビートルズのマッカートニーは、「ジョンは偉大な人物だ。彼の偉大さは、彼が聖人でもないという点にもあるんだ」と言っています。息子のジュリアンも父親に対してはきびしい。
「愛と平和を語る一方で、家庭を崩壊させ、意思の疎通を図ろうとせず、不倫の果てに離婚だなんて、どうすればそんなまねができるんだろう」
ジョン・レノンも生前にこんなことを言っています。
「だって僕はつねに平和運動にかかわっているからね。ラブ・アンド・ピースの実現に努める人間は、最も乱暴な人間さ。すべてが平和や愛というものとは両極にあるんだよ」
ストレス対処能力を測る指標で、日常や人生に意味があると思える感覚「SOC」(首尾一貫感覚)
性的な経験値
ドラマ Long Vacation
大瀧詠一&松本隆 - A LONG VACATION
松本隆と井上陽水とMasako Arikawa は天才だと思うのだが
それと阿久悠と
松本隆とそっくりの精神科医がいて
最近はますます似てきているので
面白い
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話題にしていたら
後輩はこんなことを書きました
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1981年ですか
たしか、大瀧詠一とユーミンのパールピアスをA面とB面にしてカセットテープを作って
聞いていたと思う
その隙間に松田聖子を入れていたかもしれない
松田聖子の海の歌がいくつかあったように思う
最初の頃の松田聖子の声はなかなかよかったと思う
その頃の海の歌を集めたアルバムが家にある
わたし自身のその頃を思い出すし
時代の雰囲気も思い出す感じがする
あの頃の自分にアドバスしたいことがたくさんあるなあ
ドストエフスキーもヤスパースもハイデガーも読んでもどうしようもないよとか
図書館に青春はないよとか
君が本当に出会う人はもっともっとずっと後になって現れるんだよとか
いまの少しの我慢が大きな未来を作るんだよとか
青春の夢は人生の夢ではないのだよとか
大きな家で仕事場を確保した方が結局いい仕事ができるよとか
わたしは当時は由比ヶ浜に行ってもノートを広げてメモを書いていた
ノートを書いていたら
後ろから男性がのぞき込んで
「詩を書いているの」と
尋ねたことがある
「いえいえ」と答えてそれきりだったけれど
あとで思い出してみると
鎌倉在住の有名な詩人であったような気がしないでもない
ベレー帽をかぶっていた
写真を見てあの人だと思ったことがあるように思う
世の中の真ん中にサーファーがいて
そのサーファーに声をかけられないかとどきどきしている人がいて
そんな風景を眺めてメモしていたりスケッチしていたりする人がいて
それに声をかける本物の詩人がいて
そのようにしてだんだん世界の周辺部になって行く
パーティで言うと壁の花で
真ん中で賑やかにわいわいやっているのを
静かに眺めている、そんな種族
その後はサーファーにもサーファーを追っかける娘にも知り合いができて
彼らのなかなかおしゃれな生活の実態も分かったりして
やはりいい奴らだと思う
仕切るオヤジがいるのはどこの世界でも同じだけれど
まあそれだけ我慢すればいいみたいで
一緒にバーベキューなどするのも美味しそうな気もする
パニック障害のサーファーさんもいるんだよ
本当に怖い思いをするらしい
でもだからやめなさいとはわたしは言わないで
なんとかサーフィンができるようにしてあげる
知り合いの先生はサーファーだけど
サーフィンはスポーツとしては能率が悪くて
時間あたりの活動量が少ないし楽しみも少ないなどと言っている
性格により様々だ
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昨日の雨はすっかり上がって
今日はペットボトルをゴミ捨て場まで運んだ
風が吹いてとても気持ちがよかった
散歩をしようと思ったけれど
部屋に帰ったらそのまま掃除を始めてしまい
日が暮れた
充電が上手くできなくなっていた電話の子機を二つ捨てた
窓から遠くの屋根が夕日を反射してオレンジ色に光っているのがきれいだった
ローマの日射しでわたしが思い出すのは
一番最初にローマに行ったときのこと
ストライキで地下鉄が動かなくなっていたような気がする
それでもうろうろしていたんだけれど
今から考えてみれば
銃を持った軍隊の人たちが道の曲がり角ごとに配置されていて
その中を私たちは観光気分で歩いていたらしい
知らないというのは恐ろしいものだと思う
いま考えると怖い
イタリアのサッカーが身近になるずっと前のこと
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海に降る雪を眺めていたのはもうずっとずっと昔のことになる
公園でと汽車の窓から
海に降る雨を眺めていることはたまにあるけど
でもそのときも半分くらいは
海に降る雨を眺めている人を眺めていることが多い
ゆっくりしていこうか
この間まで満開だった桜の木も柳も銀杏も
若い緑が雨に濡れて柔らかくねばねばになっている
そしてタクシー乗り場で傘が閉じられタクシーはどこかに向かう
ホテルの部屋ではボディローションを塗ったり塗られたりして
午後の時間が過ぎてゆく
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海に降る雨を眺めていると
波の音と雨の音が混じり合い複雑な音楽になる
遠い遠い昔に連れて行ってくれるような音楽
上前腸骨棘 肋骨下縁 鎖骨くぼみ
処女として立派に結婚できますか?
新聞広告で明治の人生相談という本があり、
接吻や握手をした私、処女として立派に結婚できますか?
と質問にある。
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昔は良かったのかもしれない。
最近は親が「うちの娘は新車です。わたしもそうでした。夫はたいそう満足でした」などと
言うのであるが
実際はいろいろな癖を誰かに教え込まれていて
その癖が私は嫌いだったりとかと
いろいろな事情がある。
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それにしても
接吻は握手などと似たような位置づけなのだろうか。
異常な潔癖症の私としては
納得できない。
明治の人たちは歯磨きはどうしていただろうかとか。
それも含めて清らかに思えるのが恋心というものか。
私には無理。
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規制緩和した市場経済の弊害が言われている。
規制緩和したからヘッジとかレバレッジとかが横行し
サブプライムローンも知ってはいたけれどどうしようもなかったとか。
タクシーの規制緩和も弊害があって、なかなか大変らしい。
大幅に規制緩和した恋愛マーケットや性愛マーケットも弊害があり、
恋愛と性愛の価値が暴落している。
しかも国境を越えて供給があるので国内産は売れない。
不況のせいか、上司が部下の性的リソースを無料で使用する事態が
日常的になっていて、これによって、
部下の将来の伴侶は不利な立場に立たされることになる。
妻の上司の性愛の好みなど知りたくもない。
病気をうつされたりもする。
性愛の分野は規制を強化すれば価値が維持できる一例であると思う。
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性愛について開放化された市場では
ハゲタカが大部分を食い尽くして
私などには何も取り分が残っていない
潔癖症なので半年も性愛ができないでいたら
離婚された
たぶん一生性愛市場には参入できないままで
終わると思う
私にとっては厳格な一夫一婦主義が望ましい
いまさら遅いと思うが
友達じゃなくて父親になってやる必要がある
おまえさんは父親だ。
友達じゃなくて父親になってやる必要がある。
莫言「至福のとき」「長安街のロバに乗った美女」「宝の地図」「沈園」
翻訳が気が利いているのか、新しい言葉やカタカナ語も記されていて、読みやすい。
翻訳の場合には、文章の質と言うよりも、やはり、
話のネタが豊かであるかどうかが問題だろう。
莫言の場合には文句なしにネタが豊かであるように思える。
川端康成の「雪国」の温泉の湯を舐める犬の描写で、文学世界に開眼、と紹介されている。
勃起持続時間は平均4分間から10分に延びた
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ノーコメント
悪いのは全部あなた
それほど極端な例が多いわけではないけれど
たとえば夫婦で、いつも奥さんが
「うちの亭主は馬鹿で愚図だ、おかげでわたしは損ばかりしている、早く別れたい」
と言い続けているとする
そもそも夫婦になったはじめの頃を考えれば
お互いふさわしいと思ったから夫婦になったはずであって
それなりに似合いの二人であったはずなのだと思う
その後の人生の航路が二人を大きく隔てたという場合もある
それも実際にはあることで
夫は会社で人格を形成し
妻は家庭やパートで人格を形成し
微妙に食い違う部分も多くなったりする
しかしそうではなくて
専門の言葉では「スプリッティング」と呼んでいるが
ふつうの人間には内部に当然いい自分もあるし悪い自分もあるし
完全無欠でもないし完全極悪でもない
ほどほどによいしほどほどに悪い
それなのに
よい自分は自分の内部に残して
悪い自分は外部に投影して
この場合であれば、自分の内部の悪い部分は夫に投影して
処理してしまう場合がある。
そうすると自分はいつも悪くなくて守られている。
何か悪いことが起きてもいつも夫のせいで
自分はいつも被害者である。
そのような防衛機制というか「納得の仕方」が形成される場合がある
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現実を生きていればいつも思うとおりにいかないのは当然である
思うとおりにいかせないと気が済まない人の一部は強迫性障害というものになる
思うとおりにいかせるためにほとんどすべてのものを犠牲にする
また一部は都合の悪い部分を全部他人のせいにして
生きる人もいる
一種の性格障害である
また別の場合には都合の悪いことが起こると全部自分のせいだと自分を責める人もいて
それもネガティブな思考に支配されているといえるだろう
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悪いことが起こると他人のせいで
特に配偶者を責めて、怒って、それで憂さ晴らしするパターンになると
配偶者はたまらない
経済的側面とか
世間体とかでよほどメリットがあれば我慢するけれど
最近の世の中はそのような我慢が続く社会でもない
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解決の方向としては、
よい自分と悪い自分が自分の内部に同居していることをまず認めて
それを他人のせいにしないことだ
他人を怒っていても
何も解決にならないと知ることだ
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怒られた方も
よく考えてみて欲しい
自分が悪いのではなくて
ひょっとしたら相手が自分の内部で消化しきれずにいる部分を自分に投影しているだけではないかと
処女
母はわたしを処女だと思っている
婚約者にも
大切に育てすぎて今時の子なのに何も知らないとか
自慢げに話している
婚約者は優しい人で話を合わせてくれている
母の思い込みをわざわざ訂正する必要もないけれど
煩わしいことではある
HIVは陰性だったから特に誰にも迷惑はかけないと思うけれど
母にとってはそんなことも自慢の一つだったのかと思うと
期待に応えていない自分が悪いような気もするし
今頃そんなことを言っている母親がおかしな様な気もするし
同じ時代に生きて母娘であることに異和感を覚えたりもする
男の子は結局おっぱいが大好きだ
知性なんかより、ずっと好き。
ほんとにバカだ。
そして私はそんな男の子が好きで
胸が苦しいのだから、
もっとバカだ。
苦しんでも胸は魅力的にならないようだ。
男の子は女の子のお尻が大好きだ
私の父も祖父も叔父もみんなそうだ
私のDNAの半分くらいはそんな人たちに由来するのかと
絶望する
わたしは100パーセント女でいたい
女のお尻が好きなDNAなんかいらないのに
でもそんな遺伝子しか子孫を残そうとしない
キリスト教が訴えていることは、
女の子のおっぱいやお尻が好きというだけの遺伝子は
いらないということではないか
遺伝子工学を用いれば、
聖母マリアのように妊娠ができて出産ができる
キリスト教は未来の要点を教えていると思う