文章と絵画の間に、このような非対称性がある
例えば、難解な文章を、平易な解説で解きほぐすことはできる。
絵画でそれができるだろうか?
ゴヤの絵のどれかを説明するにはやはり文章が必要である。
文章と絵画の間に、このような非対称性がある。
出産と子育て
非常にわがままな女性がいたとする
もちろん誰にもどうしようもない
しかし出産して子育てをすると
自分によく似た、しかし自分以上にわがままな存在に
否応なく付き合うことになり
それはもう効果てきめんなのだった
ーー
わがままシステムが外在化する
父親は家庭では無力であるが職場では有能である
父親は家庭では無力であるが職場では有能である
ここを起点にして考えると
現代の家族の崩壊と
会社婚外性交渉の増大が説明できる
娘は自分の上司が頼もしく思えて身を委ねるが
自分の父親が家庭では存在が薄いのに
職場では若い娘に依存されていることを知らない
何が正しいかは知らないが何が楽しいかは知っている?
何が正しいかは知らないが何が楽しいかは知っている
それで充分だと語る
充分なのかな
自分が楽しいと思っているその楽しさは
はたしてそれでいいのかなと疑問に思わないのだろうか
別の楽しさとかあるのかなと思わないのか
逆に不思議である
そのことをわたしは「広義の自閉」と呼ぶ
そう考えて正しさの次元が登場する
それが社会であり倫理であり法であり正義であり
お互いに交流可能で共感可能な領域
そのような背景があれば別の次元の楽しさが発生する
原始的な楽しさではない
そこまで行かないのは一種の精神的怠慢である
ーー
何が楽しいかだけで
生きられるものなんでしょうか?
正しさは思考の問題
楽しさは感覚の問題としても
思考の背景に感覚があるし
感覚の背景に思考があるはず
独立しているものではない
だからこそ認知行動療法が成立もしている
対人恐怖症という切り口
対人恐怖症の論文を読んでいると
ほぼすべての精神疾患が登場する
症状として現れるものは
対人関係であるというのは分かりやすい
妄想の背後にもうつの背後にも他者の意思が潜んでいる
神経症はなおさら他者の存在が気になる
ーー
清潔強迫では他者はどこにいるのだろう
先端恐怖とか高所恐怖では他者はどこにいるのだろう
過食嘔吐について口唇モデルか肛門モデルか
過食嘔吐について
嘔吐することを肛門モデルで考えることがある
不安を緩和してくれる
いっとき何も考えられなくなる
マゾヒズム的な快楽と結合している
ーー
その不安はなぜ発生しているのか
そこに行き着く
ーー
変化することは怖い
再び傷つく可能性がある
回復するということ、症状を捨てるということは、平凡になるということでそれは耐え難いと思う
症状を抱えた異常な
人間であることのほうがまだしも耐えやすいと決めている
内因性脳内バイアグラ状態
内因性脳内バイアグラ状態
私としては『ああ、この人とは妙に気持ちがつながる』と納得したりしている
この人は私を奇妙に読み取りなぞる
わたしも奇妙に読み取りなぞる
その言葉と指の一ミリ一ミリの動きが私にはたまらない
うっとりする
脳内バイアグラがまたしても放出される
それは実際愛撫のようでこの感応に官能が我慢できるとは思えない
そこ!というその場所に、正確に触れ、はずすことがない
あと一ミリと思う瞬間に、その場所を撫でている
もう一度と思うとすでにもう一度撫でている
私も自分の思うとおりに撫でていると
よく反応してくれる
好きという感情、惚れるという感情はこんなものなのかと
いまさらのように開眼する
エロス
魂の片割れ
解釈としては
たぶん投影
一目見てこの人について何も情報がないときにすでに惚れているのだから
私が他の人にではなくこの人に激しく反応するのはなぜか?
私がこのように反応した女はいないと思ってしまい
私にこのように反応した女はいないと思ってしまう
私の側の悶えを彼女は読み取って反応している
そのキャッチボールは実際見事でめくるめく
どうしたものか
血迷う
話しているだけで深く満足する
気持ちを打ち明けられない病気
人間は感情を吐き出して受け止めてもらうことが必要だ
なぜか
脳は独立コンピュータではないから
言葉を学習した時からすでに他者を予定しているのだ
ーー
脳は他者を予定しているにもかかわらず
他者に受け止めてもらえないとしたら
どうなるのか
感情を表現することで他者に嫌われたり他者に見捨てられたりしたらどうしようと考える人がいる
これまで受け入れられなかったからそう考える
いい人でいたい、対立が怖い、怒ることができない
意見の対立を「関係の崩壊」と考えてしまう
人との距離が本質的に近くなってしまうことが怖い
本性を知られることが怖い
それは避けなければならない
相手のペースで、相手の考えのとおりに、自分の領域に踏み込まれることが本質的に怖い
翻弄されてしまいそうになる
その恐怖がわき起こると通路を遮断する
一番いい逃げ道は仕事である
ーー
脳は本来、他者が必要なのに、その他者を遠ざけて置かなければならないというジレンマの中で
不安が高まる
自然なアタッチメントができない
ーー
いろいろといえるが、で、どうする?
感情を安心して吐き出せる固い箱をつくること
全力疾走の快感
全力疾走の快感を思い出したい。
それは全能感やふくれあがった自我や
過剰な自愛や誇大な思い上がりではなく
ただ現実に直接に触れ
生き物としての根源を確かめること。
この世界で私は円満に需要されていると
感覚すること。
私の定義するよい生き方に向けて
全力で走ること。
走ったあとにはその跡が線となって見える。
風を切る感覚が好きで
私はまた走る。
「がんばれ!」と背中を押してくれたのも
「がんばれ!」と背中を押してくれたのも
「がんばらなくていいよ」と抱きしめてくれたのも あなたでした。
音のないスクリーンをふたりで眺めている
1981
思い出のブラスバンドが耳元を過ぎる
音のないスクリーンをふたりで眺めている
君が泣き出したから車を寄せようと思っていたら後ろからパッシング