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空の青さを見つめていると神の徹底的な無関心を感じる

今日、港区の空は徹底的に青い
神の祝福さえ感じる

一方で私は徹底的に孤独で不幸で絶望的である

神は一人の人間なんかより
空の青さに熱中している感じがする

だっていいこと何もなくて ただ空が青い絵の具みたいに青いんだもん


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禁欲は常に善を求めつつ悪を行う力である。

先輩は引用しました。

*****
Weber:
禁欲は常に善を求めつつ悪を行う力である。

*****
プロテスタンティズムの禁欲に関して


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謙虚について

謙虚な人は徳が高くて
とてもいいのだからそうなりたいものだが

どうすれば謙虚になれるかを考えた

自分を馬鹿だ醜い鈍くさいと本当に思って
人生を生きるのも大変につらい
普通の人間には耐え難い
そこで人から賞賛されたいとか人より目立ちたいと思うと
もう傲慢の領域である
よくない

逆に究極的に傲慢になって
私は世界で一番美しいとか徳が高いとか賢いとか思い込んでみたらどうだろうか

この世で一番なのだから
もう誰にも認めてもらわなくても平気ではないか
あなたの認知能力が世界で一番だとすれば
その微妙な感受性に誰もついてこられないのも当然ではないか

むしろ世界一の美女なのに他人にはそれとは知られずに生きているなんて
とってもすてきではないか

そしてそう思えば他人になどいくらでも優しく出来るではないか
どうせ相手は出来損ないのかわいそうなやつなのである

自分が相手よりも美人なのかどうか不安なうちは確認したくもなる
しかしいまやもう自分が世界一の美女であることは確定なのである

最終的には私の美貌にはどうしたってかなわない
周りのかわいそうな人に少しだけ優しくしてあげたって
全然構わないではないか
国連親善大使みたいに腰を低くして振舞うことができるではないか
そのひとのために涙を流してあげることだって
国連親善大使には簡単にできる

そう思うと謙虚であることはしびれるくらいの快感になるのだ
相手を褒めてあげる
気持ちよくしてあげる
尊重してあげる
その人のいないところで褒めてあげる
先に通らせる
先に降ろす
先に食べさせる
楽をさせてあげる
自分は世界一の美女としてある程度の苦労をしなければつりあわないではないか
そう思えばなんでもできる
そのくらいは世界一の美女にすれば朝飯前である
むしろ唯一の務めである
あなたは世界を手中に収めているのだから

ただそう思っていることは他人には決して打ち明けないのがよい

究極の傲慢が謙虚なのである
逆に謙虚が持続できるのは究極の傲慢なのである

謙虚な人がいたとして
謙虚にできるということは賢いからだというくらいは
その謙虚な人にも分かっているはずだ
そこから見ると巨大な傲慢なのである

自分は世界一だと傲慢に思い、しかしそのことを誰にも話さずにいれば、
徳が高いと言われるのだから随分とお得な生き方である

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脳の異変と体験

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このような図を参考にして考えると
脳の部位Aに異変が起こったとき体験1が発生する
たとえば被害妄想
脳の部位Cで異変が起こっても体験1が起こる
主観的には区別ができない

またたとえば
部位Bで異変が起こると
部位Aとほぼ変わらない場所なのに
体験2が発生して
体験1とは随分違うような主観的な印象を持つ

しかし実際にはAとBは近いのであってABとCは遠い
体験の領域で考えれば、現状ではそれしか方法がないのだが、体験1と2の違いになる

AとCは脳の部位としては遠いのに体験としては区別できない
AとBは脳の部位としては近いのに体験としてはかなり異なる

こんな事情になる

ーーーー
この方式で考えると
Aのあたりで1センチの病変と
Cのあたりで1センチの病変を想定すると
Aの影は大きくなって
Cの影は小さくなる
Aの影はCの影を全部含んでしまう

DSMでうつ病とか妄想性障害とか人格障害とかのチェックをすると
それは体験の領域での話なので
Aの影を体験している人は
いろいろな診断チェックに当てはまりそうだ

ーーーー
この説明方式が妥当であるためには脳の構造が全体に逆ピラミッドだといいのだけれど
困ったことに実際はピラミッド型である
新しくできた部分が古い部分をサブルーチンとして指令を出している

古い部分の障害があると
上位命令セットではいろいろな命令に支障は出るが完全に止まることはない
その瀰漫性の広がり方を広汎性またはpervasiveと表現してもいいかもしれない
私の個人的に考えるpervasive な障害とはそんな感じ

新しい部分の障害があると
それ自体の働きは止まってしまう
それでおしまい

イメージとしては初期のプログラム言語で考えているような
サブルーチンとメインルーチンのような関係だ
深い部分のサブルーチンにバグがあったら
何度も登場して厄介だ
しかし治るときは鮮やかに全体が治る

再建方法を考えると
進化論的に古い部分の命令セットに障害がある場合は
上位部分をいじっていてもなかなか治療できない

新しい部分の欠落の方が新設しやすいとも考えられる

それに新しい部分が欠落していても生きていくには多分不都合はないので
それでいいのだと思う

自分は新しい部分が欠落していると
感じる人はいないだろう
猫は自分の欠落を悲しまない

古い部分の障害については自覚できると思う
だから苦しいだろう

図はまた時間のあるときに

ーーーーー
上の考え方は時間を止めて見た方法であるが

もう一つの考え方としては
脳の異変の領域の全体を脳と考えずに
脳の発達に従っての時間軸が横軸だと考えればいいのかもしれない
精子と卵子が結合した瞬間が左側の始まりの点である
ある時間の脳の状態は縦線一本になる

ビッグバンの背景放射 background radiationのようなもので
そこにそもそも障害があれば
症状は全般に及ぶ
症状は偏在するはずである

時間が経つに連れて右に移動し
発生分化すると考えると
発生の後期に発生したものほど
部分的で特異的な障害になる

発達障害で3歳までに見られるものなどと考えると
実際は障害は広汎に及ぶので知能の障害は回避できない

かなり後期になって発生すれば
特異的に読字障害とかコミニュケーション障害となる
読字ができないと結構大変だがそれでもハリウッドスターにもなれる
コミニュケーション障害もさまざまな様態があるが
大抵の場合は親を始め他人とのコミニュケーションの中で知能が発達するので
特異的発達というのも珍しいことになる

しかし実際に発達の最後期で部分的に障害が発生すれば
アスペルガー症候群のようになる

図で言えば
右の上のあたりになる
これは知能の障害はないので
むしろ他人の愚かさに付き合う必要がなくなり
独自に勉強できるので
生活が何でも便利になり
他人と妥協する必要のない環境が確保できれば
悪くない人生である

考えて見れば
他人から見て分かるようなことを考えているなら天才とは言えないわけで
単に頭の回転がいいだけでだ
天才の考えていることは理解されないのでコミニュケーションがうまくいかない
天才の側ではプレゼンテーションの必要など感じていないし
他人がなぜ分からないのか分からなし
そんなことを理解しようと思わない
他人よりもっと面白いものがあるからだ

ーーーーー
考えの土台のしっかりしている人ほど謙虚なことが多い
他人も自分と同じように深く考えていると錯覚しているからだ
他人も自分と同じようにすごいと考えると
他人に対して謙虚にならざるを得ない

高等なものの考え方がわからない人は
他人も自分と同じようなものだと思って他人を軽蔑する
謙虚さがない

このように
人間は自分が基準であるから
立派な人ほど謙虚である
私の恩師を見ていてそう思う
人間はどんなにでも謙虚になれるのだと
実際に生きて示してくれた

目の前にいる人は自分と同じように誠実な人に違いないので
誠実に対応するしかないと考える
すると相手はよほど不誠実でない限りは
誠実にならざるを得ない

このあたりを私の個人的なこころの理論という
自己参照して他人を推定する
ミラーニューロンが働く

ーーーーー
この図で言えば
アスペルガー症候群は右上の障害であり
自閉症はかなり左側の障害で知能にも障害のあることが多い
しかし特別な場合にはアスペルガー症候群に近くなり
無論、連続的な移行がある

脳の機能というものは
どのようにして測定されるかを考えると
とりあえず測りやすいものを測っているわけだ

テスターが一番測定しやすいものは
他人に対する印象である
ようするにテスターがどう感じたかで
インプレッションとかゲフュールという
それが客観的で最重要とは思わないが
テスターがまず最初に容易に感じるものだから
分類の最初に来ているのだと思う

それは小学校でお友達の感じることでもあるし先生の感じることでもある
小学校の学級編制に影響のあることは
先生にとって、つまり文科省にとって最重要である
だから医学ではなくて教育が発達障害の診断をしたりもする
それは小学校の先生にとって必要だからだ

自閉症があってpervasiveに障害があっても知能が抜群ならば
欠落を補ってお釣りが来る

そんな場合は知能が低くて他人を気にしてばかりいる一般個体から見れば
自分勝手でしかし頭が良くて問題は解けて非常に腹立たしい
だからいじめられたりする

また小学校の世界というものは実は先生も小学校程度の教養しかないものであって
これは仕方のないことなのであるが
そうなると非常に多くの、地域の小学校の先生の知人の子どもが優遇される隠された構図がある

多くの小学校の先生は公平ではない
自分の知人の子供に注目してひいきする
その自分勝手なひいきを否定するのが高機能自閉症である
頭はいいのに先生の気持ちなんかわからないし
先生がひいきしたいのが誰なのかわからないのである

というわけで先生はいつものようにえこ贔屓手ができないので
おかしいと思う
この子は病気だと思う

つまり病気の本体は先生がえこ贔屓したい子供に、遠慮して譲ることができないことなのだ
それを高機能自閉症とかアスペルガー症候群とか言うとしたら
全くもってよくないことだ

改善方法は、臨機応変はだめ、いつでも必ずルールを完全に例外なく守る、というものである
それを教え込んで、それ以外は自由としておけば、
知能が高いならどんどん伸びる

ダウン症児は人の気持ちがわかって
人にも理解されて愛される代表だと思うが
それはつまり左側の下の方の障害ということになる
遺伝子から始まっている障害なので当然pervasiveである

ーーーーー
小学校の先生が移動します、皆さんこちらに整列
なんて言ったときに
動かない子
動きすぎる子
なんかがいるわけで
自閉症とかADHDとか名前を付ける

それが病気かどうかなんて分からないわけで
推定されているだけだ
病気とは機能の異常を裏付ける構造的異常が客観的な方法で確認される場合をいう

大勢の平均と違うことは即病気ではない
教育上の困難があるというだけである

お前、ほとんど病気だよ
なんて言う場合は
でも病気ではないと言っているわけで
病気と言うからには構造上の変化を想定しているのだ

効く薬があるではないかというが
何に効いているのかメカニズムが分からないのだからはっきりしたことは言えない

写りが悪いテレビのコンセントを抜いたら
チラチラすることはなくなるが
それだからコンセントの部分の故障だったとは言えない

に続く














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謙虚-2 人は空虚であるときもっとも充実している。

謙虚であることを考えると、
神に対して謙虚である人と
人に対して謙虚である人と、
両方に対して謙虚である人と、
あるだろうと思う。

神に対して謙虚で、人間に対して傲慢であるというケースが
一般知識層には多いと思う。

神に対して傲慢で、人に対して謙虚であるというのは、
ある種の質のいい無神論があたるかもしれない。
これはヒューマニズムのひとつの形だろう。

人に対しても神に対しても謙虚であるとき
人は美しい。

人は空虚であるとき
もっとも充実している。


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人間として大きくなること

生きる方向としては、
不幸の原因を作ったその人たちよりも、
自分が人間として大きくなることだと思う。

人間として大きいというのは、
抽象的だけれど、
人に優しくできるということだし、
相手の立場に立てるということだし、
多くの人の善意を信じることができるということだ。

他人を信じられる人間になりたいではないか。
何度でもトライしようではないか。
他人を信じないつまらない人生よりも、
信じて楽しい人生にしよう。

そして自分を信じてくれる人を自分の周りに増やそう。
人間は信じられるという感覚を共有しよう。
心が温かくなる体験をときに与えて、ときにもらおう。
それだけで人生は充分だ。

この世での栄達なんかそうしたい人に任せよう
幸せはそんなところにはない
ただ目の前にある自分の取り組むべき課題に集中しよう

2008-01-29

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