誘う女 ニコール・キッドマン
このストーリーは1990年、当時22歳のパメラ・スマート(Pamela Smart)という女性が、15歳の少年を唆して彼女の夫を殺させた事件が元となっている。ニューハンプシャー州の高校で開かれた "Project Self-Esteem" というプロジェクトで講師をしていたパメラは、ボランティアで来ていた少年ビリーと知り合う。深い仲になった二人だったが、パメラは「夫さえいなければずっと一緒にいられる」とビリーを唆し、ビリーは友人二人と共にパメラの夫のグレッグを殺害、物取りの犯行のように見せかけた。
しかし、共犯となった少年の証言もあり、ビリーの犯行だという事が明らかになる。パメラが計画を立て、彼女を愛していたのでその計画に乗ったと語るビリーと、容疑を全く否認し無罪を主張するパメラの証言は真っ向から対立。その裁判の様子はテレビ中継され、全米で一大センセーションを巻き起こす。結局、警察はパメラと親しかったある女生徒の協力により、彼女自身の口からその計画を立てた事を引き出した。
パメラ・スマートは1991年3月に終身刑を宣告され、現在も刑に服している。
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この事件をネタにした映画誘う女であるが史上まれに見る誘う女で鮮やかな印象である。
ニコール・キッドマンがゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞した。
きわどい賞である。
したたかさを感じる。
実際は、でかい。
出産は2008年7月頃の見込み。
夫はカントリー歌手。
日本への映画プロモーションで自家用ジェット機できたらしい。
精神安定のために夫も乗せて。
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先日、そのPamela Smartさんの話になり、あれこれと聞いた。どうでもいいがどうしてそんなものに詳しいのかわけが分からずどうしてそんな話がおもしろがられるのかも分からずしかし言いたいだけ言わせて全部聞いた。
ソファで寝るから
君に会えば別れたくない
離れたくない
温もりに触れていたい
そのことが罪だと
世界は裁くとしても
それが何だというのだろう
世界の法律も倫理も
人間の愛のためにあるはずだと信じて疑わない
メタファーとして読解して欲しい
性的ネット社会
普及を牽引してきたのは何かと言えば、ひとつには
性的情報に接したいという欲求が挙げられる。
男性だけでなく女性も接触している。
人間は異性そのものを求めるのではなく
その映像や文章をも求めるものなので
猫や犬から見たらとても不思議に見えているだろう。
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メディアとネット社会が現代社会に及ぼす影響を考えると
まず小児科、教育関係者は、子どもの発達に大きな影響を与えていると憂慮している。
子育ての場面で、テレビやビデオに子育てを任せているケースがあり、
それでは子どもはうまく育たないと警告を発している。
身体的な面では、睡眠習慣が乱れ、遅寝遅起きになり、遅刻し、忘れ物をし、居眠りをして、
保健室登校になり休学になり、引きこもりになる。
メディアとネット社会だけが原因ではないが一因だという。
精神的な面では、親から感情の動きなどを学ぶ機会が失われるという。
たとえば現実の母親ならば、子どもの動きに対していろいろな人間的な反応で返す。
それに再び赤ん坊が反応して、また母親が反応を返す。
そのようにして脳が作られるのに、テレビやビデオでは、
子どもが何をしてもかまわすが進行していくので、
本質的な反応学習になっていないのだという。
先日アメリカの小児精神医学の専門家が来て講演した折りに、
日本の小児科の先生が、日本の子どもはメディア漬け、ゲーム漬けでとても心配だが、
どうすればよいかと質問し、議論になった。
そのときの話では、メディアもゲームもすでにあるもので、引き返せないのだから、
その環境でどのように対応できるか、考えた方がいいとの考えだった。
具体的には子どもがメディアとゲームに接触しているときに、隣に座り、
母親も同じ画面を見る。そして画面に対して人間的な反応をしてみせる。
このような場面では母親はこのくらい驚き、笑い、恐怖するということを知ってもらう。
また、画面に対して子どもが反応したらそれに対して母親が反応して見せて、
反応を返し、そこから反応のループを形成するようにする。
そのようなことを心がけていれば、ずいぶん違うだろうという指摘だった。
メディアに子育てをさせて親が関与しないのが一番良くない。
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メディアとネット社会が現代社会に与えている影響を精神科的に考えると、
自己愛性の肥大と性的環境の変化が挙げられる。
自己愛の肥大は子ども時代から大人になるまで続く問題で、
人間の精神でいえば、一階部分である。
男性は、発達阻害要因があれば女性になってしまうという
生物学的な要素がいわれるのだが、
女は女になるのであるといった人もいて、
精神性的発達としては、やはり、どちらかといえば中性的存在として完成する一階建ての部分と、
それに引き続く、第二次成長期以降の、性分化の時期とを分けて、
性的領域は、二階部分の話ということになる。
消費社会と情報化社会、少子高齢化、核家族化、そしてメディアとネット社会というように複合した要因となっていて、分かちがたい。
自己愛性の肥大は、省略していえば、自分中心で他人の気持ちを大切にしない、そして誇大性が少しだけ強いということになる。
「自己チュー」や「自分王国の自分様」などの言い方は現代人の傾向の中で、自己愛と関係した部分を言い当てたものである。
自己愛の肥大といってもいいし、自己愛の正常の発達の阻害といってもいい。
親などにちやほやされていた時期の未熟な自己愛は、次第に社会というものと出会い、
社会に容認されるアイデンティティに変化する。その時点で大人であるということになり、
職業も定まり性的関係についても安定したパートナーを得るということになる。
肥大した自己愛のままでいる期間はモラトリアムと呼ばれる。
たとえば、仕事についても、この仕事では自分を発揮できないとか、自己実現できないとかの理由でやめてしまう。
たとえばパートナーの選択についても、モラトリアム期間を延ばして、晩婚化してしまう。
どちらも、わずかながらの誇大性があるからで、そのことがモラトリアムの終わりを遅くしている。
俳優になる、声優になる、ミュージシャンになる、小説家になる、など、自己実現系の職業をイメージしていても、本当に具体的に計画的に行動して前進している人は少ないと思われる。
モラトリアムの期間は人間が生物的にもっとも性行動の盛んな時期である。人間の性行動は生物学的にだけ決定されるものではなくて、文化的に決定される部分が大きい。だからこそ人間は性に関する情報も、パートナーを得るのと同じくらいの情熱で手に入れたいと思う。昔はどうしていたかというと、ものの本によれば、年上の女性たちが、性の文化を若い男性に教育したものらしい。それをもって若い女性に対して、男性が優位に立って性行動を展開したものらしい。
現代では、若年男性の先生は、ビデオとネットになったようである。そこで学んだことを現実の若い女性にたいして応用しようとする。女性はそのようなものとして性をとらえていて、応じようとする。女性は女性で、性的情報に接触していて、そのような性を予想しているらしい。
ネット系出会いの場などが不適切な性関係の場になったりもしている。また、ここで性被害にあうことも報告されている。
そしてこのように人生初期に性的トラウマを抱えた人間がその後の人生をどのように生きていくかについては困難なものがある。
自己愛性のなかの自己中心性、他者への無関心の傾向は、性愛場面で全面的に発揮される。要するに、自分だけが満足すればいいという人種である。相手はとても悲しい気分になる。普通なら耐えられないというが、何とか我慢する場合もあり、それだって妊娠して出産はできるわけだから、大騒ぎすることもためらわれる。妊娠するだけの性でいえば、女性の側に心理的同調性があれば、男性の側に心理的同調性がなくても、妊娠は成立する。しかしお互いに満足のいく充実した性関係というものではないだろう。しかし中には自己愛男性に共依存女性の組み合わせで安定している場合もあり、実際、様々である。
このような、メディアとネット社会を仲立ちにした性の関係というものは、近親相姦から獣姦まで、あの性の百科事典である聖書にも書いていない新しい事態である。
さてそのようにして結婚もして子供も生まれて妻が子育てで苦労しているときに起こりやすいのが男性の浮気である。
現代では多くの場合、携帯がその道具になっていて、交信記録を消しそびれて、それがあとで見つかり家庭争議になる場合がある。
ここでも、個人間の心理的距離を縮めてしまう、そしていつでもつながることのできる、携帯の効果が発揮されている。
逆のケースで妻の不倫が暴かれるケースもあり、いろいろな意味で男女は同等の資格で社会に参画しているのだと納得できる。
子育て期を過ぎて、もう一緒にいる理由はない、しかし性的にはアクティブという場合、新しいパートナーとの結合に至る。この時期になると財産問題が関係してくる。
生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな 大伴旅人
やがて死ぬ者よ 享楽せよ
この病棟に横たわる者の誰一人
来年の桜は見られない
この桜が最後の桜
祈り
それならそれでテレビを見ないで勉強していればいいので不都合はない