心を形にして外に出す
文章でもいい
粘土でもいい
絵でもいい
料理だって表現の一つだ
音楽でもいい、歌でも演奏でも、作曲でもいい
ビデオや写真でもいい
そのときの自分の気持ちはこんな風、と外側に形にして出すこと
そうすることで
なんだかひとまとまりが付けられることもある
カレーが好き
いまははるかに画質の良い映像をお金持ちでなくても楽しむことができる
性格が未熟であるということ
スケープ・ゴートを意図的につくる
Eliane Elias - "Tangerine"
Eliane Elias - "Tangerine"
http://www.youtube.com/watch?v=-cZzypApmNA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=VplDxlZBryk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=mxGqeTBtbgQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=mxGqeTBtbgQ&feature=related
見るからにくどい
名前からしてくどい
1960年、ブラジルのサンパウロ生まれ。ジャズからボサノヴァまで
音楽そのものはそんなにくどくなくてちょうどいいくらい
誰も傷つけず、傷つかずに、生きて行って欲しい。
子供に向けた文章採録。
*****
「10歳の長男へ
インターネットをやってもいい。
一つだけ憶えておいて欲しい事がある。
それは、インターネットで誰も傷つけないで欲しいし、お前も傷つかないで欲しいということだ。
ディスプレイ越しに見る言葉は、口から発せられた言葉と違い、時に心に深く深く心に突き刺さる事がある。
何度でも反芻でき、何度でも傷つく事が出来る。
時に話す言葉よりも残酷で、何度でもお前の心の傷をえぐるだろうし、お前の何気ない言葉が相手の心をえぐるだろう。
インターネットの言葉は、時にお前の心を壊し、誰かの心を壊すかもしれない。
一度発した言葉は永遠にネット上を彷徨うのだ。
日常生活以上に、気をつけて欲しい。
そして、想像力を使うんだ。
誰がどういう思いでその言葉を発したのかを考えて気持ちを読み取り、言葉を返す必要が最上と判断するのなら、想像力を駆使して相手に言葉を返してもいい。
だが、謙虚さを忘れてはいけない。
時に雄弁は銀、沈黙は金なりだ。
何も言わない事が勇気である時もある。
そして、想像力を駆使して、自分の心を守れ。
不用意に、無条件に、誰かの言葉で傷つくな。
言葉の表面上の意味だけを捉えて、安易に傷つくな。
想像しろ。
この広大なネット上の世界に何が渦巻いているのか、思いを馳せろ。
父さんはいついなくなってしまうかもわからない。
そうしたら、この広い世界で、お前は一人で生きていかなくてはいけない。
考え抜いて、生き延びるんだ。
誰も傷つけず、傷つかずに、生きて行って欲しい。」
*****
ディスプレイ越しに見る言葉は、口から発せられた言葉と違う
日常生活以上に、気をつけて欲しい。
そして、想像力を使うんだ。
という部分が大切な教育になっている。
*****
考え抜いて、生き延びるんだ。
誰も傷つけず、傷つかずに、生きて行って欲しい。
この部分は考えさせられる。
傷つけ、傷つけられ、その果てに、なにか目指す境地があるのでもない。
そんな時代は終わったらしい。
むしろ、傷つけず、傷つかずに、生きていくことが目標という。
これが生存を保証された豊かな社会の自己愛のあり方であり、
シゾイドタイプの心理が表現されていると思う。
子どもたちを取り巻く現状を生き抜くにはおそらくこのようなことが必要と親は感じていて、
そのことを表現した文章だと思う。
共有の理想や価値観は消滅し、
残っているのは裸の自己愛と家族愛。
それでいいと思うし、その範囲内で何とかうまくやっていきたいものだ。
孤独が一番いい
朝日がきらきらしてレースのカーテンのあたりではねている。
肌はさらさらしていて気持ちがいい。
なんて幸せなのだろう。
人生は不幸だが
瞬間の感覚は幸福だ
孤独であることの幸せにくるまれて
わたしはしばらく目を閉じている。
高次脳機能障害
アクティブなうつ 時間を待つ
死にたい気持ちを抑えるのが大変で、
一杯泣きましたと言う。
アクティブというのは、
うつが「活火山」になったという意味のようだ。
ひとまず落ちつきたいというので、
薬を飲んでじっと時間を待つ。
一週間たつ頃には局面が展開していて、
自分の苦しさを客観的に表現できるまでになる。
よく辛抱しました。
辛抱していれば何とかなります。
時間を待つことが大切です。
ベルクソン 現代思想としてのマザー・テレサ 曼荼羅
ベルクソン―〈あいだ〉の哲学の視点から 篠原資明著 (新赤版1040)
現代思想としてのマザー・テレサ――ベルクソン再発見
マザー・テレサとベルクソン―― 一体どういう関係があるのだろうか? そう思われる方が多いと思います。これは、何を隠そう、この本をつくるきっかけになった篠原先生のエッセイのタイトルです。
それは、社会や宗教の閉じたあり方を打ち破り、「愛の衝動」を人類全体へ押し広げようとした現代の聖女マザー・テレサの活動はどこからくるのか。このたいへん興味ぶかい問題を、哲学者ベルクソンの思索をたどりながら、解き明かしたものでしたが、とても刺激に満ちたものでした。
そのエッセイをもとに、5年をかけて書き下ろされたこの本は、人間の生成と存在の問題について根本的な問題提起を行なったベルクソンの思索の軌跡を、著者の〈あいだ〉哲学の視点から読み解きながら、ベルクソン自身も大きなテーマとしていた、人間はどこから来て、何であり、どこへ行くのかという哲学の最重要問題に取りくんだ渾身の一冊です。
(新書編集部 平田賢一)
■著者からのメッセージ
われわれはどこから来たのか、われわれは何であるのか、われわれはどこへ行くのか。この問いは、ゴーギャン(1848-1903)による名画のタイトルとしても知られる。われわれは何であるのか、を問おうとすれば、われわれはどこから来たのかと、問わざるをえない。そうしてはじめて、われわれはどこへ行くかについても、問うことができる。いうまでもなく、この問いは、われわれの存在の根本にかかわる問いなのだ。にもかかわらず、この問いに対して、はたして今日、まともに答えてくれる哲学者が、どれだけいるだろうか。いや、今日とはいうまい。歴史上、いったいどれだけの哲学者が答えてくれたことだろう。
この問いが、しだいに、まともに取りあげられなくなった理由は、大きくいって二つあるだろう。ひとつは、この問いが、あまりにも宗教と結びついていたからである。宗教と結びつくというだけで、哲学者が距離を置いてしまう、そんな風潮が、いつのまにかできあがってしまったのだ。もうひとつの理由として、簡単に答えの出そうのない問題は、最初から遠ざけるという傾向も大きくあずかっていよう。
しかし、いつまでも宗教を毛嫌いし、神といえば退いてしまうばかりでよいのだろうか。考えてみれば、答えの出そうのない問題については、宗教が答えてくれていたし、哲学者は別として、多くの人々にとっては、いまでもそうだろう。確かに、答えようのない問いかけについては、沈黙すべきかもしれない。しかし、その問いが、われわれの存在の根本にかかわるものだとすれば、なんとかして、その問いに適切にアプローチできるよう工夫すべきではないだろうか。極言するなら、答えの出そうのない問題だからこそ、沈黙すべきではないのである。
(本書「はじめに」より)
■目次
はじめに
I 〈あいだ〉と生成――われわれはどこから来たのか
1 存在と無の〈あいだ〉
2 過去と現在の〈あいだ〉
3 異交通的生成
II 進化と痕跡――われわれは何であるのか
1 生物学と実証的形而上学
2 分岐と痕跡
3 知性と横断
4 開いた動対応へ
III 神秘系と機械系――われわれはどこへ行くのか
1 神仏への道
2 開いた社会と密厳浄土
3 マンダラと二重狂乱
おわりに
文献案内
アンリ・ベルクソン略年譜
*****
ベルクソン、マザー・テレサ、曼荼羅 進化 神仏。
なるほど。このような発想もあるものか。
「愛の衝動」
という。東海テレビの昼ドラみたいだ。
モネ アンティーブの庭師の家
この絵は写真だと色がはっきりしないが
実際に見るとセーターの模様のようで暖かい
何かを描いていると言うよりは
模様のようだ
インターネット依存症かどうか
インターネット依存症かどうか
インターネット依存症かどうかの診断は、この問題に詳しい精神科医にしか下せないのでしょう。 しかし精神科医や他人がどう考えていたとしても、自分で問題があると思ったのなら解決すべき問題なのだと思います。 また自分では問題がないと思っていても、客観的には問題が生じているのかもしれません。 次のことが自分にあてはまるかどうか考えてみて、いくつかあてはまったら解決に向けてすすむ時なのではないでしょうか。 |
・インターネットのために仕事や学業、人との約束がおろそかになったことがある。 ・自由な時間があると、第一にインターネットのことを考える。 ・インターネットのために自分の評判が落ちたことがある。 ・インターネットに接続したあとで自責の念を感じたことがある。 ・インターネットに接続するようになって、意欲や能率が落ちている気がする。 ・家族に嘘を言ってインターネットをすることがある。 ・インターネットに接続していないといらいらしてくる。 ・インターネットのために家族や知人が不幸になることがあった。 ・インターネットに接続するときは、家族や知人はいない方がよい。 ・インターネットに接続するようになって、目が悪くなったり睡眠不足になったり、健康状態が悪くなった。 ・家族に泣かれたり、やめることを約束させられたことがある。 ・へらそう、やめようと思ったがダメだった。 |
依存症は否認の病といわれています。 「やめようと思えばいつでもやめられるから問題はない」、「誰にも迷惑はかけてないから問題はない」、「自分は○○に比べたらまだまだ問題はない」などと思っていたら、その考え自体が問題かもしれません。 自身の健康や家族の経済状況を悪化させるアルコール依存症やギャンブル依存症の患者で、自分からすすんで医療機関や専門施設を訪れる方はほとんどいないと聞きます。客観的に見れば明らかに病的状態なのに自分では問題がないと思っている。家族や知人がなかば強制的に連れてくる患者、家族や知人に責められるので自分には問題がないと診断して欲しいという患者がほとんどだそうです。 客観的に問題が生じているのに「自分には問題がない」と考えているならば、「自分には問題がない」という思考自体が依存症の症状なのです。 インターネット依存症かどうかの基準として、キンバリーヤング氏の「インターネット中毒度テスト」が一番信頼性が高いと思います。 ヤング氏の著書「インターネット中毒」の48ページに掲載されています(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/4306/memo/tyudoku.html)。 また、ライターの田口美帆氏のサイト「インターネットジャンキー」、精神科医のファルケム氏のサイト「ファルケムの森」などには、ヤング氏の許可を得てこのテストが掲載されています。 「インターネットジャンキー」には、他のテストも掲載されており、参考になります。 |
インターネット依存症 家族や知人のことで困っている方へ
家族や知人のことで困っている方へ
家族や知人がインターネット依存症かどうかを心配なさっている方も多いと思います。また、家族や知人のインターネットの問題で困っている方もいらっしゃると思います。 この場合まず考えなければならないのは、本人はインターネットを減らそうと思っているかいないかということです。 三つの場合に分けて、対処法を考えてみました。 |
(1)本人もインターネットを減らそうと思っている場合 インターネット接続を非難や叱責するのではなく、本人の気持ちを理解して問題解決に協力していく姿勢が必要でしょう。 参考文献のページにあるような書籍を参考にするなどして、どのように解決していくかじっくり話し合えれば解決に近づくと思います。 このサイトを紹介していただくと、効果があるかもしれません。 どのように取り組むにしても、本人の人格に問題があるのではなく行動に問題があるという考え方をすることが本人も周りの人も重要だと思います。 たとえば、話し合いの最中に「インターネットをやりすぎです!まったくあなたはどうしようもないんだから!」などと言ってしまったとします。 一文目には大きな問題はないでしょう。口調によっては問題だと思いますが。 二文目には明らかに問題があります。本人の人間性を問題にしているからです。 今の目的はインターネットに接続しすぎるという問題を解決することなのだから、その他の人間性の問題などはそれが解決してから考えればいいことなのです。それらを同時に解決することを目的にするとしても、先のような発言では解決に近づかないだけでなく喧嘩になります。 当面はインターネットの問題にしぼって、じっくりと話し合いを進めることが重要でしょう。 |
(2)本人は問題を感じてない場合 この場合は「実際にたいして問題がない場合」と「問題がかなり進んでいるにもかかわらず、自分の行動が異常なことがわかっていない場合」の2つに分けられると思います。 その判断はどのようにすればいいのでしょうか。 第1に本業に支障が出ているかどうか。社会人なら仕事、学生なら学業、主婦なら家事。これらの本業がネットによって阻害されているかどうかが問題になります。 第2に健康状態に問題があるか。目が悪くなってきたり腱鞘炎になっていたり睡眠不足になっていたりすれば問題があるでしょう 第3に客観的に見ても問題があるのか。本人のことをある程度知っている人や、あなたが親しい人に状況を説明してみましょう。インターネットのことをある程度知っている人がいいと思います。 多くの方に「そのくらい普通ですよ」、「最近の人はみんなそうよ」などと言われたらきっとそうなのです。 あなたから見て本人のインターネットに対する取り組みが普通でないように見え、本業や健康に支障があるように見えても、その問題はインターネットがなくても同じように生じていたのではないでしょうか。つまりインターネットに問題はないのです。 この場合、あなたからインターネット以外の活動を誘ったりするくらいでいいのではないでしょうか。 さて、多くの人から見ても異常にインターネットに接続しすぎているなどと思われた場合。 インターネット依存症といえる可能性が高いといえます。 この場合、まず必要なのは本人に「問題」だと気づかせることです。本人が問題ないと思っていたら状況は変わりません。 可能ならば本人がインターネットに接続している時間をメモしておきましょう。一週間で何時間アクセスしているでしょうか。きっと本人が考えてる以上の数値が出ます。それが不可能ならば、部屋に閉じこもっている時間をメモしておきましょう。 また、どんなときにアクセスが増えるか、アクセスしていないときの様子はどうかなど、いろいろなことをメモしておきましょう。 おちついて話せる時間にそれらの事実を知らせ、本人がどう思っているかを聞いてみます。叱責や非難する態度ではじっくりと話せなくなるのでそれはやめておきます。本人のことを心配している気持ちを落ち着いて伝えましょう。 たとえ本人の行動が変わらないとしても、本人が「たしかに問題だ」と思えば大きな前進なのです。 |
(3)本人が小学生や中学生の場合 この場合、インターネットに長時間接続しているというだけでかなりの問題があると思います。 ほかに学ぶべきことがたくさんあるのに、それが学べないということが一番の問題です。 早急な対応が望まれると思います。 ただし本人が納得しない状態でパソコンの使用を禁じたり、接続コードを捨てたりするのは逆効果だと思います。 まずは本人とゆっくり話ができるような雰囲気の時に「私はあなたのことを心配している」というメッセージを伝えましょう。 本人が自分もまずいと思っているというなら、どうしたら減らしていけるかじっくり話し合えばいいと思います。 本人は問題がないと思っているなら、(2)と重複しますが、本人に問題だと感じさせる必要があるでしょう。 そして、パソコンの使用時間を制限する方向に持っていくことを目標に話し合いをしていってみてはどうでしょうか。インターネット以外のことの魅力や必要性を知らせる方向に持っていくといいと思います。 使用時間を制限するということに本人が納得したとしても、その制限時間を守れる人は少ないでしょう。例えば「これから1日3時間は勉強しよう」と決めて、だれの助けもなしにそれをその通り実行できる小中学生がどのくらいいるでしょうか。 ですから、その制限時間を本人が守れるように助けていく必要があると思います。 いろいろな方法があると思いますが、曜日ごとの毎日のスケジュールを決めて、その通り実行できているかどうかを見守るというのがごく一般的な方向かと思います。 小学生や中学生に個人のパソコンは必要ないと思います。 誕生日やクリスマスのプレゼントなどにパソコンを検討している方は、再考していただきたいところです。パソコンをプレゼントするよりも、興味を持っている分野の書籍などを贈る方が有意義ではないでしょうか。一般の書籍ならばパソコン一台の値段で100冊くらいプレゼントできます。ご検討ください。 家族でパソコンを共用している場合などは1日のパソコンの使用時間を使い始めの段階でしっかりと決めておくべきでしょう。 大人でさえはまってしまうパソコンに対して、小中学生が無制限に使えるというのはどう考えても問題があるといえます。 |
インターネット依存症に関するリンク集
インターネット依存症に関するリンク集
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【インターネット依存症を扱っているサイト】 Dr林のこころと脳の相談室 精神科医の林公一氏のサイト。インターネット依存症を病気とはしていないが、「パソコン/インターネット依存症」のページがあり、自己診断用のチェック表などもある。 ネットに関することだけでなく、心の健康全般に興味のある人は行ってみて欲しい。 特に「精神科Q&A」では林氏が読者からの質問に毎月回答しており、大変勉強になる。 インターネットaddiction 「子どもをインターネット依存症にしない、させない」という趣旨のもとにたちあげたサイトとのこと。 インターネット博物館 ネット資料室のインターネットホリックのコーナーでインターネット依存症が取り上げられている。 ネットと依存 精神科医ファルケム氏のサイト「ファルケムの森」の1ページ。 Center For Online Addicion(英語) キンバリー・ヤング氏の主催するオンライン依存症に関するサイト。 英語なので、残念ながら私にはまったくわからない。 「情報科が子どもに与える影響(ネット使用傾向を中心として)」に関する調査報告書 財団法人コンピュータ教育開発センター 平成14年度文部科学省 学校におけるIT活用等の推進に係る事業(情報教育の改善に資する調査研究)委託事業 良いカウンセラー悪いカウンセラー 何人かのカウンセラーの方が運営しているサイト。カウンセリングを検討している方には参考になると思われる。 ネットゲーム廃人について 実体験を元にしたネットゲーム廃人についての考察が記載されている。 今からネトゲを始めようとしている人を止めるサイト 非常に有益なサイトだと思っていたのだが、残念ながら2006年4月12日に閉鎖されてしまった。 2chにおける「今からネトゲを始めようとしている人を止めるスレ」がいくつかリンクされているので、ネットゲームに悩む人には参考になると思う。ただし、2chに慣れていない人にはお勧めしない。 ネットゲーム依存による体験談 上で紹介している「今からネトゲを始めようとしている人を止めるサイト」の体験談等を引き継いだブログ。 参考になる内容が多い。ただし、上のサイトと同様に2chに慣れていない人にはお勧めしない。 Cold Turkey インターネット中毒って何だ? onoT氏のサイト The Online Community 「インターネット中毒」をキーワードとして、インターネットにおける私たちの在り方について考えてみようというサイト。 インターネット・ジャンキー(休止中) ライターの田口美帆氏がインターネット中毒について考えているサイト。 キンバリー・ヤング氏によるインターネット中毒度テストの本人用とパートナー用の日本語翻訳版がある。 特定非営利活動法人RIASについて 以前このリンク集でこの団体のサイトを紹介していたが、そのサイトにおいてセミナーの講師として「牟田武生」氏の名前が挙げられてる。(参考図書のページに牟田氏の著作あり) 一方、牟田氏が主宰するNPO法人教育研究所のサイトでは「NPO法人教育研究所理事長 牟田武生の名前が次の団体で無断使用されています。この団体と当NPO法人教育研究所とは一切関係がありません。団体名:特定非営利活動法人RIAS」とのこと。 RIASという団体は現時点では問題があると判断し、リンクを外した。(2005.01.29) 【雑誌の記事など】 斎藤環氏に聞く「ゲーム脳の恐怖」 ゲイムマン氏のサイトの中のコラム。精神科医の斎藤環氏に「ゲーム脳の恐怖」についてインタビューしている。 斎藤氏はこの中で、「ゲーム脳の恐怖」はゲームに関する内容以前に脳に関する事項に間違いが多すぎてまったく信頼できないと指摘している。 あなたの健康百科 インターネット依存症 株式会社メディカルトリビューンの運営するあなたの健康百科の1ページ 第9回 インターネット依存症 富士通の運営する情報サイト「大人のためのパソコン情報室」の1ページ 価値観変えて脱ネット依存症 日刊スポーツ「今、心の診察室では」より 人民網日本語版より 北京、中高生の14.8%がインターネット依存症 事件簿ネットより 急速なネット人口増加で発病者多数。インターネット依存症「ネットジャンキー」の恐るべき症状と現状。 CNNより インターネット中毒でうつ状態に 米の心理学者が警告 Journal-izmより ネット依存症という名の病魔 サオリ姉さんのSurfin'USAより 通信ママは大丈夫? 相次ぐ「インターネット中毒」事件 発掘!あるある大事典 『依存症』 2002年3月31日放送 第277回 ネット依存症と人間ドック この先生の勤務する病院の人間ドックではネットへの関わり方を聞かれるようです。 第9回 インターネット中毒 第10回 インターネットに「ハマル」ことについて keyman@nifty 心理学から見る日常のシクミより 【引きこもりについて】 引きこもりに関する書き込みが掲示板で何件かあり、ネット依存との関連も深いと思われるので、2つのサイトを紹介する。 NHK福祉ネットワーク「ひきこもり情報」 NHK福祉ネットワークの番組サイトの中のコーナー。2005年3月までの「ひきこもり相談室」の内容を移転したもの。 ひきこもりに関する情報は充実している。Q&Aや精神科医によるコラム、家族のための対応策などのコーナーもある。ただし書き込める掲示板などはない。 ひきこもり村。 紹介文より。「ここは、ひきこもりの人が少しでも安心して過ごせるように、また抜け出そうとしてる人がその辛さを少しでも軽減できるように、抜け出したあともお互いにサポートしあっていこう、というネット上の居場所です。」 |
メールの返信
最も多い悩み「社内不倫」
「健康増進プログラム」で社員の医療費を抑える米国企業
暖かき春の河原の石しきて背中あはせに君と語りぬ
馬場あき子
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いい景色だね
そうだねえ
何を語るんだろう
そうだねえ
内的対象関係と精神分析とか
そうだねえ
それでだめだったことがあったんだっけ?
そうだねえ
眠っちゃったんだ、あの時は
いい景色だねえ