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躁うつ病

あるサイトから採録。

*****
躁うつ病という病気についてはじめに躁うつ病は、クリペリン(ドイツの精神
医学者、1856~1926)により概念化されて以来、ずっと呼び慣わされてきた疾
患名でありますが、現在では、すべてにわたり持続的な意味をもつ気分
(mood)という用語がより適するとして、気分障害という語が用いられるよう
になってきました。
しかし、この章では、従来の「躁うつ病」の病名を使用することにします。

躁うつ病(気分障害)は、統合失調症と並んで内因性精神病の一つとして重要な疾患で、一卵性双生児(遺伝素質が同じ)の一致率が高い事から、遺伝疾患であ
ることが広く認められており、初発年齢は、おおよそ思春期以降で、女子の方
が男子よりも多いと言われています。
また、同じような症状が、アルコ-ルや薬物の乱用、脳の外傷や脳腫瘍などに
よって見られる事もありますが、ここでは、心理的な原因や原因不明で起こる
心の病気としてとり上げたいと思います。

感情とは誰もがもっている、喜び、怒り、哀しみ、楽しさなど心の中に湧き出
してきた感覚を意識したものです。また持続的で、弱い漠然とした感情を気分
と言い、爽快気分、抑うつ気分などがあります。

現在の社会では、リストラ、就職難、受験などにより色々な悩みや、ストレス
を抱える人々が増え続けており、躁うつ病(気分障害)を持っている患者の数
は、確認されているだけでも、軽症を含め、おおよそ全人口のうち35%の人
が1度は経験すると言われる程で、さらに近年病院を訪れる人数も増加傾向に
あるようです。

2つの基本的な気分の異常として、うつ病と躁病があり、その症状は、精神病
的水準にも達しており、正常な過程とは著しく異なり、早期治療を必要としま
す。
うつ病の症状うつ状態を起こすのに十分な心理要因がある場合は、反応性うつ
病または抑うつ反応と言いますが、近年では、内因性うつ病の発症にも環境要
因が重要な役割を果たしていると考えられていて、両者は必ずしもはっきりと
区別する事はできません。

うつ病は、女性の方が起こりやすく(女:男=2~3:1)、おおよそ20代
後半から30代にかけて、発症すると言われています。多くのうつ病患者は、
抑うつを訴え、その初期症状に見られる特徴として、まず不安や焦燥感(イラ
イラ)として現れ、さらに、疲れ、不眠、呼吸困難、頻脈、または頭痛などの
痛みなどを訴える事があり、日常生活もままならない場合が多く見られます。
時には、絶望のあまり、自殺をしてしまうこともあります。

特  徴
精神的症状
抑うつ気分、昜刺激性、不安、快感消失症、興味の消失、熱意の喪失、感情的
結びつきの減弱、対人関係における引きこもり、死へのとらわれ、自己批判、
無価値観、罪悪感、悲観、希望のなさ、絶望、集中力の乏しさ、記憶の障害、
うつむきかげんでゆっくりとした動き、涙もろい、悲しげな顔がみられます。
 
身体的症状
不眠または過眠、食欲不振または食欲亢進、乾燥した口と皮膚、便秘、体重の
減少または増加、動悸、めまい、息切れ、熱発、冷感などの自律神経の失調な
どを伴います。
躁病の症状躁病は、気分の高揚が強く、たいした理由もないのにはしゃぎ回
り、そのあまりにも気分が良すぎる事から、症状を訴えない事が多く見られ、
生命感にあふれ、表情が明るく、自信過剰となり、自分の行動の行き過ぎ(早
口、大声など)や乱暴・暴言に気付いていない人も中にはいるようです。特徴
として、妄想もよく見られますが、自分が金持ちやどこかの国の大統領だとい
った誇大妄想や、自分は異性にもてるといった恋愛妄想など、その症状は様々
です。発病率は、うつ病と比べると少なく、うつ病のおおよそ6分の1から7
分の1と言われています。

特  徴
興奮、高揚した気分、大声で話す、多幸感、自己中心的、要求が多い、情動不
安定、誇大性、我慢できないなどの特徴があり、悪化すると支離滅裂な会話、
判断力の乏しさ及び金銭感覚の欠落、無秩序、妄想または幻覚などが見られま
す。 躁うつ病の経過躁うつ病は、一般的には、躁うつの状態が反復して見ら
れる事が特徴とされていますが、躁うつのどちらか一方が単独に現れる事もあ
ります。
経過としては、主として次の三つがあげられます。

単発性 … 躁またはうつの状態がどちらか1つだけのもの
周期性 … いずれか一方(躁病なら躁病ばかり、うつ病ならうつ病ばかり)が
周期的に繰り返されるもの
循環性 … 躁とうつの状態が交互に繰り返し反復されるもの
躁うつ病の特徴また、躁うつ病の特徴としては、次の三つが主なものです。

生命感情の障害を示す病気で、躁うつ病以外の精神障害でも、同じような症状
が見られるが躁うつ病ほど著しくない。
周期性の経過をとり、正常にもどる時には、ほとんど障害を残さない。
予後は良好で、自然に治る事もある。ただし、うつ病で長い年月にわたって、
症状が持続する場合は、身体的持病(高血圧症、胃潰瘍、糖尿病、神経痛な
ど)の合併、あるいは持続的なストレスなどが見られる場合がある。

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以上で、躁うつ病についてのおおまかな説明を終わりたいと思います。躁うつ
病は、軽い症状のケ-スだと見落としやすく、診断が大変難しい病気です。そ
の分、変化を感じた家族の方などの協力(相談など)、早期発見がとても大事
になってくるのです。

参考文献
「加藤伸勝編、目でみる病態-精神科-」
「大原健士郎編、「心の病」その精神病理」
「デビッド・A・トム編、レジデントのための精神医学」

躁うつ病になりやすいタイプ(人)と躁うつ病をチェックするポイントはじめ
に前ページで、躁うつ病について、おおまかな説明はご紹介させて頂きました
が、今回は、躁うつ病になりやすいタイプ(人)と躁うつ病をチェックするチ
ェックポイントについて、ご説明させて頂きたいと思います。
躁うつ病になりやすいタイプ(人)これまでに、いろいろな精神科医によっ
て、躁うつ病になりやすいタイプ(人)には、いくつかのパタ-ンがあること
が報告されています。
中でも有名なのは、1921年に、ドイツの有名な精神科医クレッチマ-が、
人間の体型を四つのタイプ(①痩せ型、 ②肥満型、③筋骨型、④発育異常
型)に分類し、躁うつ病は肥満型に多く、性格は循環気質(躁うつ気質)であ
るとしたことです。

循環気質の特徴には、

人付き合いが良い、親切である、親しみやすい
朗らかである、ユ-モアに富む、激しく興奮しやすい
物静かである、落ち着きがある、物事を苦にする、柔和
などがあり、中には陽気で快活で、人付き合いの良い型と孤独で引っ込み思案
の型とがあるとしています。
クレッチマ-は、これらの特徴が、著しく異常なまでに達したものを循環病質
と名づけました。

しかし、躁うつ病の病前人格には、これまでに述べた循環性格のほかに、思い
込みが激しく、頭の切かえが難しい等の執着性格が重要であることが、わが国
の下田光造(1950年)によって指摘され、その後に、ドイツの精神科医テ
レンバッハも、ほぼ同様の性格をメランコリ-親和型人格と呼んでいます。
メランコリ-とは、ドイツ語でうつ病という意味です。この型の人は、まじめ
で几帳面な人が多く、いつも組織や構成の整った状態の中で、密着して生きよ
うとしています。
具体的には、仕事や周囲の人たちとの関わりの中で、はっきりと見られる事が
多く、組織内での自分の評価がしっかり保たれていればいいのですが、このよ
うな状態が保たれない状態になった時に発病する事があります。

うつ病の発病に関する原因として次のような事が挙げられます。

個人・家族に関する出来事 
近親者・友人の死亡、別れ
病気、事故
家庭内での問題(けんか・浮気など)
結婚、妊娠、出産、月経、更年期
引越しなどによる環境の変化
財産の喪失

職場などに関する出来事
定年
仕事による過労
家庭の経済問題
 職場の移動(転勤、配置転換、転職など)
昇進
退職(リストラも含む)
職務内容の変化
仕事上の失敗
病気による欠勤と再出勤
昇進試験や研修
 
躁うつ病のチェックポイント躁病のチェックポイント
そわそわして、落ち着かなく、電話をかけたり、よく外出したりする
原色の服を着たり、アクセサリ-等で身辺を飾ったり、派手な化粧をする
1日に何度も買い物に行く(お金の使い方があらい)
よく食べる
あまり寝ない(早く目が覚める)
異性に強く関心を示す
誰にでもよくしゃべりかける
怒りっぽく、よくけんかをする
偉くなに威張ったり、ありえないような大きなことを言う
いきいきとした表情をしている
頭の回転が速く、要求を押し通そうとするなど
以上のような事が、躁病になると認められます。

うつ病のチェックポイント
身体的訴え 
身体不定愁訴
頭が痛い
お腹が痛い
胸が苦しい
よく食べる
めまいがするなど

自律神経失調症
体が重く、疲れやすい
眠れず、起きるのがつらい
口や喉が渇く
手足のしびれを感じるなど

心理的訴え
抑うつ気分(感情)
自信がない
生きている意味がない
将来に希望が持てない
死にたいなど
思考制止
物忘れ
人と話をしてもパッとしない
新聞やテレビを見てもパッとしない
頭の回転が悪く、考えがまとまらないなど
 

以上のような訴えが、うつ病になると認められます

躁うつ病の方には、以上のようなチェックポイントが多く認められますが、多
く認められるからと言って「病気?」というわけではありません。
病気であるかどうかということは、チェックリストなども参考にして、医師が
専門家の立場から決めることなのです。
ですから、周囲の方が変化を感じた時は、専門医への相談を勧めることが大切
です。
さいごに躁うつ病について、どういった病気なのか、おおまかにはご理解頂け
たかと思いますが、躁うつ病は、決して珍しい病気ではありません。
病気の再発を減少させる為にも、予防と治療に一番大切なのは、躁うつ病に限
らず、『病気であることを自覚すること』です。
これは、患者さん本人だけの問題ではなく、家族の中にも「家の子にかぎって
…」「自分の身内にかぎって…」等と主張する人がいます。
躁うつ病は、精神的なストレスによって大きく左右される病気です。
患者さん本人と家族が、十分に病気を理解する事も治療につながるのではない
でしょうか?

以上で、躁うつ病についてのご説明を終わらせて頂きますが、皆さまに少しで
も参考になれば幸いです。
参考文献
『「心の病」、その精神病理』
「現代臨床精神医学」

 



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法律操作と心理操作

弁護士の仕事はもちろん法律操作が主であるが
所詮あいては人間であるから
説得の最終場面では心理操作も大切になるらしい

どれだけのお金を出させるかは
法律が決める面もあるけれど
相手が諦めたり観念したり時間の利益の方が大きいと判断したり
いろいろな側面がある

多くは恐怖を与えて心理操作することである

それは騙しとか恐喝とかそんなものと無限に近い


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バストは見せるのに乳首は隠す

バストは誇示するのに
ニップルは隠すのはなぜかというと

ニップルは性的興奮を表示してしまうからである

一般に個体の性的興奮を表示する部分は隠すことが多い

猿は発情すると陰部とおしりが真っ赤になるのでよく分かる

人間は発情を知られてしまうと
配偶者選択が弱くなってしまうので不利である

だから気付かれないようにしたい

また逆に発情を装うことも高等な戦略となる
そのためにも発情表示部分を隠蔽することには有利さがある

バスト全体に関しては
生殖機能に関して豊かな可能性があると表示しているので
これは誇示した方が有利と思うらしい

一瞬の発情は You are OK なので隠したい
持続的な妊娠可能の表示は I am OK なので誇示したい
という比較対照になる

だからニップルとラビアは隠す
腰や胸の豊かさは誇示する

*****
したがって
ニップルをその部分だけ表示するとか
むしろ拡大表示したりすれば
文化の転換になるだろう


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ニュー新橋ビル むさしや

ニュー新橋ビル むさしや

スパゲッティ ナポリタン が650円
大盛り!

お弁当にちょこっと入っているあの日本食ナポリタンが皿に大盛り
付け合せも何もなくてこれだけ
それを食べきる

リピトールもなにも全部無駄でしょう 炭水化物と塩と味の素のみ

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そのあと、こんな将棋
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さらにSL広場では雨が多いというのに古本市が開かれ
価値のある古本ではなく
本当にクズのような本ばっかりで
新橋のおじさんもあきれる


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スチュワート・ワイルド

採録

一旦金持ちになったら、好きなことが言えます。スチュワート・ワイルドはこのような「自己啓発」方面の作家であり、講演師でもあります。一日の講演に何万人と人を集める人気講演者の一人でありましょう。
私も時々宝くじを買いますが、当たらないだろうと思って買うと当たらないそうです。きっと当たるだろうと思えば当たるそうです。ばかばかしい。よくこのようなことを図々しくも言えるもんです。
「豊かさは本来いたるところに存在している。人生におのずから流れ込んでくるはずのものです。生きていると、とくに努力しなくても、楽しいことがひとりでにやってきたりするのと同じです」
お金も、考え方ひとつで、いかようにも入ってくると言っています。「お金もうけなんて、べつに大仕事ではない」とも言っています。「拾い物」に集中すると、落ちた財布を何個もみつけることができると言っています。ロンドンでは向こうからハンドバックが飛んできて、中に身分証明書があれば返すのだと言っていますが、ないものだから、神が自分に与えてくれたものだと思って、ありがたく現金をいただいたといっています。日本だったら警察に届けるでしょう。スチュワート・ワイルドは横領罪で捕まるでしょう。
私のように貧乏だと嘆いているような男はいつまで経っても貧乏から抜け出せないと言っています。貧乏が張り付いた男にはお金は敬遠して寄り付いてこない。これは、まあ当たっているかもしれない。スチュワート・ワイルドの対処法は金がなくても、「うなるほどお金がある」と思い込むことだそうです。すると金がどんどん入ってくると言っています。よく言うように、女のいる男は女ができるが、女のいない男は女が寄ってこないと同じことかもしれません。
「あなたに見合うだけの正当な報酬を要求することが、豊かさの大事なポイントです。本来控えめに請求して自分をおとしめることがないように、心に言い聞かせてください」
私も占い代500円では安いのかもしれない。H女史のように一回50万円くらいにすればありがたみも出て、真実っぽく思われるのであろう。これには相当あつかましさが必要で、気の小さい私にはできそうもない。
最後に「チクタク人間(私のように生真面目で、気の小さい人間)」から「ユニークで非凡な人間」になるための練習を公開しています。レストランに行って、払いのときに「ポテトが少し冷たかった」とか難癖をつけ、料金をまけさせることをすれば、「世間の常識」から解き放たれ、「創造性」が漲るそうです。


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プロスペクト理論

出発点は、プロスペクト理論で実験的にも証明された基準点の概念である。人間は外界の刺激を受けたとき、その絶対値をみて効用を最大化するのではなく、初期値からプラスかマイナスかに反応する。サイモンの限定合理性(bounded rationality)も、正確に訳せば「制約された合理性」であり、この制約条件となるのが基準点である。

そして人間はこの基準点となる現状(status quo)を維持するバイアスをもち、プラスの利益よりもマイナスの損失に強く反応する。

ーーー
というわけだが
分かりにくいといけないので説明すると
つまり太もものむっちり度を知るのにはその時の大きさが問題なのではなく
今日と半年後を比較してますますむっちりになっているぞという点に人間は反応する
20歳を過ぎてだんだんしぼむのは断固拒否で
20歳に向けてだんだんむっちりしてくるのが最もよい
という話を難しく言っている






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Ghost in the Machine

カレンの実践IT英語というページに次の記事があった。

*****
欧米ではしばし、システムのバグのことを“Ghost in the Machine”(機械の中の幽霊)と表現します。

例えば、2005年に起きたジェイコム株大量誤発注事件を『Newsweek』は次のタイトルで報道しました。

Ghosts in the Machine: World-renowned for its hardware, Japan has a software problem. And the bugs are starting to bite.
(機械内のゴースト達:ハードウェアで世界的に有名な日本、ソフトウェア問題に悩まされる。バグが噛み付き始めたのだ。)

今では、このようにシステム系のバグのことを意味するようになりましたが、元は Arthur Koestler が1967年に出版した本『Ghost in the Machine』から取られているのでしょう。同書では、人間の脳は怒りや憎しみなどを司る原始的な部分が残っており、しばしそれが理性を抑圧して私たちの行動に反映されてしまうという説が論じられているようです。その原始的な部分がゴーストという訳ですね。

さらに元を辿ると、デカルトの心/身体の2元論を揶揄するのに Gilbert Ryle が初めて“Ghost in the Machine”という言葉を使ったのも有名です。

因みに、“Ghost in the Machine”というフレーズは目を凝らすと色々なところで使われています。

私が大好きな80年代の代表的ロックバンド Police のアルバムも同名ですし、海外でヒットした日本アニメの傑作「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」のタイトルも“Ghost in the Machine”からインスピレーションを得たものと思われます。

*****
この文脈ではマシンは合理的で合目的的で整合性のある部分で、
そうでない原始的な部分をゴーストと呼ぶということのようで、
何ともすっきりした区分けである

それで行くとリアルはゴーストを大量に含み
バーチャルはリアルの中から合理的な部分だけを切り分けたマシンと
割り振ってもいいかもしれない

だからバーチャルの王国は理性には住み心地がいいはずだ

*****
こうして言葉を操っている場合には
合理性という暗黙のコードがあるのだが
現実の人間関係にはそれを超えるいくつもの原則があるようで
それらをすべて非合理的・原始的とくくるあたりが
いかにも英語らしい



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ルバイヤート オマル・ハイヤーム 小川亮作訳

最後のあたりが好きだ。

  140

さあ、ハイヤームよ、酒に酔って、
チューリップのような美女によろこべ。
世の終局は虚無に帰する。
よろこべ、ない筈(はず)のものがあると思って。

  141

もうわずらわしい学問はすてよう、
白髪の身のなぐさめに酒をのもう。
つみ重ねて来た七十の齢の盃を
今この瞬間でなくいつの日にたのしみ得よう?

  143

いつまで一生をうぬぼれておれよう、
有る無しの論議になどふけっておれよう?
酒をのめ、こう悲しみの多い人生は
眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!

*****
この世のことは虚しいが
あの世のことはうそ臭い
せめていまのこの瞬間だけが真実だ
楽しみ尽くそう酔い尽くそう

美女の瞳を愛そう愛し尽くそう
学問の楽しみは結局すべてを捨てることだ
すべては無価値だと心底知るために長い年月の学問があった
いまは自信を持って酔い愛することができるのだ

昨夜の紹興酒の深い香りがいまもわたしを包んでいる
時間の熟成それだけが楽しい
鮭と同じで人生も
複雑に偶然を構成し時間を旨みに変えるものだ

*****
ルバイヤート オマル・ハイヤーム作 小川亮作訳

まえがき
解き得ぬ謎(なぞ)
生きのなやみ
太初(はじめ)のさだめ
万物流転(ばんぶつるてん)
無常の車
ままよ、どうあろうと
むなしさよ
一瞬(ひととき)をいかせ
   解き得ぬ謎(なぞ)


  1

チューリップのおもて、糸杉のあで姿よ、
わが面影のいかばかり麗(うるわ)しかろうと、
なんのためにこうしてわれを久遠の絵師は
土のうてなになんか飾ったものだろう?

  2

もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来(きた)り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!

  3

自分が来て宇宙になんの益があったか?
また行けばとて格別変化があったか?
いったい何のためにこうして来り去るのか、
この耳に説きあかしてくれた人があったか?

  4

魂よ、謎(なぞ)を解くことはお前には出来ない。
さかしい知者*の立場になることは出来ない。
せめては酒と盃(さかずき)でこの世に楽土をひらこう。
あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない。

  5

生きてこの世の理を知りつくした魂なら、
死してあの世の謎も解けたであろうか。
今おのが身にいて何もわからないお前に、
あした身をはなれて何がわかろうか?

  (6)

いつまで水の上に瓦(かわら)を積んで*おれようや!
仏教徒や拝火教徒の説にはもう飽(あ)きはてた。
またの世に地獄があるなどと言うのは誰か?
誰か地獄から帰って来たとでも言うのか?

  7

創世の神秘は君もわれも知らない。
その謎は君やわれには解けない。
何を言い合おうと幕の外のこと、
その幕がおりたらわれらは形もない。

  8

この万象(ばんしょう)の海ほど不思議なものはない、
誰ひとりそのみなもとをつきとめた人はない。
あてずっぽうにめいめい勝手なことは言ったが、
真相を明らかにすることは誰にも出来ない。

  9

このたかどのを宿とするかの天体の群
こそは博士らの心になやみのたね
だが、心して見ればそれほどの天体でさえ
揺られてはしきりに頭を振る身の上。

  10

われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう――
 われらはどこから来てどこへ行くやら?

  11

造物主が万物の形をつくり出したそのとき、
なぜとじこめたのであろう、滅亡と不足の中に?
せっかく美しい形をこわすのがわからない、
もしまた美しくなかったらそれは誰の罪?

  12

苦心して学徳をつみかさねた人たちは
「世の燈明*」と仰がれて光りかがやきながら、
闇(やみ)の夜にぼそぼそお伽(とぎ)ばなしをしたばかりで、
夜も明けやらぬに早(は)や燃えつきてしまった。

  (13)

この道を歩んで行った人たちは、ねえ酒姫(サーキイ)*、
もうあの誇らしい地のふところに臥(ふ)したよ。
酒をのんで、おれの言うことをききたまえ――
 あの人たちの言ったことはただの風だよ。

  (14)

愚かしい者ども知恵(ちえ)の結晶をもとめては
大空のめぐる中でくさぐさの論を立てた。
だが、ついに宇宙の謎には達せず、
しばしたわごとしてやがてねむりこけた!

  15

綺羅星(きらぼし)の空高くいる牛――金牛星、
地の底にはまた大地を担(にな)う牛*もいるし、
さあ、理性の目を開き二頭の牛の
上下にいる驢馬(ろば)の一群を見るがよい。

   生きのなやみ

  16

今日こそわが青春はめぐって来た!
酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。
たとえ苦くても、君、とがめるな。
苦いのが道理、それが自分の命だ。

  17

思いどおりになったなら来はしなかった。
思いどおりになるものなら誰(た)が行くものか?
この荒家(あばらや)に来ず、行かず、住まずだったら、
ああ、それこそどんなによかったろうか!

  18

来ては行くだけでなんの甲斐(かい)があろう?
この玉の緒の切れ目はいったいどこであろう?
罪もなく輪廻(りんね)の環(わ)の中につながれ、
身を燃やして灰(はい)となる煙はどこであろう?

  19

ああ、空(むな)しくも齢(よわい)をかさねたものよ、
いまに大空の利鎌(とがま)が首を掻(か)くよ。
いたましや、助けてくれ、この命を、
のぞみ一つかなわずに消えてしまうよ!

  (20)

よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀(えよう)をつくしたとて、
所詮(しょせん)は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。

  21

歓楽もやがて思い出と消えようもの、
古き好(よしみ)をつなぐに足るのは生(き)の酒のみだよ。
酒の器にかけた手をしっかりと離すまい、
お前が消えたって盃(さかずき)だけは残るよ!

  22

ああ、全く、休み場所でもあったらいいに、
この長旅に終点があったらいいに。
千万年をへたときに土の中から
草のように芽をふくのぞみがあったらいいに!

  23

二つ戸口のこの宿にいることの効果(しるし)は
心の痛みと命へのあきらめのみだ。
生の息吹(いぶ)きを知らない者が羨(うらや)ましい。
母から生まれなかった者こそ幸福だ!

  (24)

地を固め天のめぐりをはじめたお前は
なんという痛恨を哀れな胸にあたえたのか?
紅玉の唇(くちびる)や蘭麝(らんじゃ)の黒髪(くろかみ)をどれだけ
地の底の小筥(こばこ)に入れたのか?

  25

神のように宇宙が自由に出来たらよかったろうに、
そうしたらこんな宇宙は砕きすてたろうに。
何でも心のままになる自由な宇宙を
別に新しくつくり出したろうに。

   太初(はじめ)のさだめ

  26

あることはみんな天(そら)の書に記されて、
人の所業(しわざ)を書き入れる筆もくたびれて*、
さだめは太初(はじめ)からすっかりさだまっているのに、
何になるかよ、悲しんだとてつとめたとて!

  27

まかせぬものは昼と命の短さ、
まかせぬものに心よせるな。
われも君も、人の掌(て)の中の蝋(ろう)に似(に)て、
思いのままに弄(もてあそ)ばれるばかりだ。

  28

嘆きのほかに何もない宇宙! お前は、
追い立てるのになぜ連れて来たのか?
まだ来ぬ旅人も酌(く)む酒の苦さを知ったら、
誰がこんな宿へなど来るものか!

  29

おお、七と四*の結果にすぎない者が、
七と四の中に始終(しじゅう)もだえているのか?
千度ならず言うように酒をのむがいい、
一度行ったら二度と帰らぬ旅路だ。

  (30)

土を型に入れてつくられた身なのだ、
あらましの罪けがれは土から来たのだ。
これ以上よくなれとて出来ない相談だ、
自分をこんな風につくった主が悪いのだ。

  (31)

礼堂(マスジッド)*のともしび、火殿(ケネシト)*のけむりがなんだ。
天国の報い、地獄の責めがなんだ。
見よ、天の書を、創世の主は
あることはみんな初発(はつ)の日に書いたんだ。

  (32)

宇宙の真理は不可知なのに、なあ、
そんなに心を労してなんの甲斐(かい)があるか?
身を天命にまかして心の悩みはすてよ、
ふりかかった筆のはこび*はどうせ避(さ)けられないや。

  33

天に声してわが耳もとに囁(ささや)くよう――
 ひためぐるこのさだめを誰が知っていよう?
 このめぐりが自由になるものなら、
 われさきにその目まぐるしさを逃(のが)れたろう。

  34

善悪は人に生まれついた天性、
苦楽は各自あたえられた天命。
しかし天輪を恨(うら)むな、理性の目に見れば、
かれもまたわれらとあわれは同じ。

   万物流転(ばんぶつるてん)

  35

若き日の絵巻は早も閉じてしまった、
命の春はいつのまにか暮れてしまった。
青春という命の季節は、いつ来て
いつ去るともなしに、過ぎてしまった。

  36

ああ、掌中(しょうちゅう)の珠(たま)も砕けて散ったか。
血まみれの肺腑(はいふ)は落ちた、死魔の足下。
あの世から帰った人はなし、きく由(よし)もない――
 世の旅人はどこへ行ったか、どうなったか?

  37

幼い頃には師について学んだもの、
長じては自ら学識を誇ったもの。
だが今にして胸に宿る辞世の言葉は――
 水のごとくも来たり、風のごとくも去る身よ!

  38

同心の友はみな別れて去った、
死の枕べにつぎつぎ倒れていった。
命の宴(うたげ)に酒盛りをしていたが、
ひと足さきに酔魔のとりことなった。

  39

天輪よ、滅亡はお前の憎しみ、
無情はお前日頃(ひごろ)のつとめ。
地軸よ、地軸よ、お前のふところの中にこそは
かぎりなくも秘められている尊い宝*!

  40

日のめぐりは博士の思いどおりにならない、
天宮など七つとも八つとも数えるがいい。
どうせ死ぬ命だし、一切の望みは失せる、
塚蟻(つかあり)にでも野の狼(おおかみ)にでも食われるがいい。

  41

一滴の水だったものは海に注ぐ。
一握の塵(ちり)だったものは土にかえる。
この世に来てまた立ち去るお前の姿は
一匹の蠅(はえ)――風とともに来て風とともに去る。

  (42)

この幻の影が何であるかと言ったっても、
真相をそう簡単にはつくされぬ。
水面に現われた泡沫(ほうまつ)のような形相は、
やがてまた水底へ行方(ゆくえ)も知れず没する。

  43

知は酒盃(しゅはい)をほめたたえてやまず、
愛は百度もその額(ひたい)に口づける。
だのに無情の陶器師(すえし)は自らの手で焼いた
妙(たえ)なる器を再び地上に投げつける。

  44

せっかく立派な形に出来た酒盃なら、
毀(こわ)すのをどこの酒のみが承知するものか?
形よい掌(て)をつくってはまた毀すのは
誰のご機嫌(きげん)とりで誰への嫉妬(しっと)やら?

  45

時はお前のため花の装(よそお)いをこらしているのに、
道学者などの言うことなどに耳を傾けるものでない。
この野辺(のべ)を人はかぎりなく通って行く、
摘むべき花は早く摘むがよい、身を摘まれぬうちに。

  46

この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎(なぞ)をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。

  47

酒をのめ、土の下には友もなく、またつれもない、
眠るばかりで、そこに一滴の酒もない。
気をつけて、気をつけて、この秘密 人には言うな――
 チューリップひとたび萎(しぼ)めば開かない。

  (48)

われは酒屋に一人の翁(おきな)を見た。
先客の噂(うわさ)をたずねたら彼は言った――
 酒をのめ、みんな行ったきりで、
 一人として帰っては来なかった。

  49

幾山川を越えて来たこの旅路であった、
どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。
だが、向うから誰一人来るのに会わず、
道はただ行く道、帰る旅人を見なかった。

  50

われらは人形で人形使いは天さ。
それは比喩(ひゆ)ではなくて現実なんだ。
この席で一くさり演技(わざ)をすませば、
一つずつ無の手筥(てばこ)に入れられるのさ。

  51

われらの後にも世は永遠につづくよ、ああ!
われらは影も形もなく消えるよ、ああ!
来なかったとてなんの不足があろう?
行くからとてなんの変りもないよ、ああ!

  52

土の褥(しとね)の上に横(よこた)わっている者、
大地の底にかくれて見えない者。
虚無の荒野をそぞろ見わたせば、
そこにはまだ来ない者と行った者だけだよ。

  53

人呼んで世界と言う古びた宿場は、
昼と夜との二色の休み場所だ。
ジャムシード*らの後裔(こうえい)はうたげに興じ、
バラーム*らはまた墓に眠るのだ。

  54

バラームが酒盃を手にした宮居(みやい)は
狐(きつね)の巣、鹿(しか)のすみかとなりはてた。
命のかぎり野驢を射たバラームも、
野驢に踏みしだかれる身とはてた。

  55

廃墟と化した城壁に烏(からす)がとまり、
爪の間にケイカーウス*の頭(こうべ)をはさみ、
ああ、ああと、声ひとしきり上げてなく――
 鈴の音*も、太鼓(たいこ)のひびきも、今はどこに?

  56

天に聳(そび)えて宮殿は立っていた。
ああ、そのむかし帝王が出御(しゅつぎょ)の玉座、
名残りの円蓋(えんがい)で数珠(じゅず)かけ鳩(ばと)が、
何処(クークー)、何処(クークー)とばかり啼(な)いていた。

   無常の車

  57

君も、われも、やがて身と魂が分れよう。
塚(つか)の上には一基(もと)ずつの瓦(かわら)が立とう。
そしてまたわれらの骨が朽(く)ちたころ、
その土で新しい塚の瓦が焼かれよう。

  (58)

地の表にある一塊の土だっても、
かつては輝く日の面(おも)、星の額(ひたい)であったろう。
袖(そで)の上の埃(ほこり)を払うにも静かにしよう、
それとても花の乙女(おとめ)の変え姿よ。

  59

人情(こころ)知る老人よ、早く行って、
土ふるいの小童の手を戒めてやれ、
パルヴィーズ*の目やケイコバード*の頭を
なぜああ手あらにふるうのかえ!

  60

朝風に薔薇(ばら)の蕾(つぼみ)はほころび、
鶯(うぐいす)も花の色香に酔(よ)い心地(ごこち)。
お前もしばしその下蔭で憩えよ。
そら、花は土から咲いて土に散る。

  61

雲は垂れて草の葉末に涙ふる、
花の酒がなくてどうして生きておれる?
今日わが目をなぐさめるあの若草が
明日はまたわが身に生えて誰が見る?

  62

新春(ノールーズ)* 雲はチューリップの面に涙、
さあ、早く盃(さかずき)に酒をついでのまぬか。
いま君の目をたのします青草が
明日はまた君のなきがらからも生えるさ。

  63

川の岸べに生え出(い)でたあの草の葉は
美女の唇(くちびる)から芽を吹いた溜(た)め息(いき)か。
一茎(ひとくき)の草でも蔑(さげす)んで踏んではならぬ、
そのかみの乙女の身から咲いた花。

  64

酒のもう、天日はわれらを滅ぼす、
君やわれの魂を奪う。
草の上に坐(すわ)って耀(かがよ)う酒をのもう、
どうせ土になったらあまたの草が生える!

  (65)

ありし日の宮居(みやい)の場所で或(あ)る男が、
土を両足で踏みつけた。
土は声なき声上げて男に言った――
 待てよ、お前も踏まれるのさ!

  66

よき人よ、盃と酒壺(さかつぼ)を持って来い、
水のほとりの青草の茂みのあたり。
そら、めぐる車*は月の面(おも)、花の姿を
くりかえし盃にしたり、また壺にしたり。

  67

昨夜酔うての仕業(しわざ)だったが、
石の面(も)に素焼の壺を投げつけた。
壺は無言の言葉で行った――
 お前もそんなにされるのだ!

  68

なんでけがれ*がある、この酒甕(さけがめ)に?
盃にうつしてのんで、おれにもよこせ、
さあ、若人よ、この旅路のはてで
われわれが酒甕とならないうちに。

  (69)

昨日壺をつくる所へ立ちよったら、
壺つくりは土をこねてしきりに腕をふるっていた。
盲の人は気もつかなかったろう、しかし
その手の中におれは亡(な)き人の土を見た。

  (70)

壺つくりよ、心あるならその手を休めよ、
尊い土に無礼なことはやめよ!
ファレイドゥーン*の指やケイホスロウ*の掌(てのひら)を
ろくろに取ってどうしようてんだよ?

  71

壺つくりの仕事場へ来て見れば、
壺つくり朗らかにろくろをまわしては、
みかどの首もこじきの足もごっちゃに、
手に取ってつくるは壺の首と足だ。

  72

この壺も、おれと同じ、人を恋(こ)う嘆きの姿、
黒髪に身を捕われの境涯か。
この壺に手がある、これこそはいつの日か
よき人の肩にかかった腕なのだ。

  73

壺つくりの仕事場に昨日(きのう)よって見ると、
千も二千もの土器(かわらけ)がならべてあったよ。
そのおのおのが声なき言葉でおれにきくよう――
 壺つくり、売り手、買い手は誰なのかと。


   ままよ、どうあろうと

  74

マギイ*の酒に酔うたとならば、正(まさ)にそうさ。
異端(いたん)邪教(じゃきょう)の徒というならば、正にそうさ。
しかしわがふるまいを人がどんなにけなしたとて、
われはどうなりもしない、相変らずのものさ。

  75

わが宗旨はうんと酒のんでたのしむこと、
わが信条は正信と邪教の争いをはなれること。
久遠の花嫁*に欲しい形見は何かときいたら、
答えて言ったよ――君が心のよろこびをと。

  76

身の内に酒がなくては生きておれぬ、
葡萄酒(ぶどうしゅ)なくては身の重さにも堪えられぬ。
酒姫(サーキイ)がもう一杯(いっぱい)と差し出す瞬間の
われは奴隷(どれい)だ、それが忘れられぬ。

  77

今宵(こよい)またあの酒壺を取り出してのう、
そこばくの酒に心を富ましめよう。
信仰や理知の束縛(きずな)を解き放ってのう、
葡萄樹の娘*を一夜の妻としよう。

  (78)

死んだらおれの屍(しかばね)は野辺(のべ)にすてて、
美酒(うまざけ)を墓場の土にふりそそいで。
白骨が土と化したらその土から
瓦(かわら)を焼いて、あの酒甕(さかがめ)の蓋(ふた)にして。

  (79)

死んだら湯灌(ゆかん)は酒でしてくれ、
野の送りにもかけて欲しい美酒(うまざけ)。
もし復活の日ともなり会いたい人は、
酒場の戸口にやって来ておれを待て。

  (80)

墓の中から酒の香が立ちのぼるほど、
そして墓場へやって来る酒のみがあっても
その香に酔(よ)い痴(し)れて倒れるほど、
ああ、そんなにも酒をのみたいもの!

  81

尊い命の芽を摘みとられる日、
身体の各部がちりぢりに分れる日、
その土でもし壺を焼いたら、さっそく
酒をついでよ、息を吹きかえすに。

  (82)

命の幹が根を掘られて、
死の足もとにうなじをたれよう日、
身の土だけは必ず酒の器に焼いてくれ、
しばらくは息をつこう、酒の香に。

  (83)

愛(いと)しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、
酌(く)み交(か)わす酒にはおれを偲(しの)んでくれ。
おれのいた座にもし盃(さかずき)がめぐって来たら、
地に傾けてその酒をおれに注(そそ)いでくれ。

  (84)

あのしかつめらしい分別(ふんべつ)のとりことなった
人たちは、あるなしの嘆きの中にむなしく去った。
気をつけて早く、はやく葡萄の古酒を酌(く)め、
愚か者らはまだ熟(う)れぬまに房を摘まれた。

  (85)

法官(ムフテイ)よ、マギイの酒にこれほど酔っても
おれの心はなおたしかだよ、君よりも。
君は人の血、おれは葡萄の血汐(ちしお)を吸う、
吸血の罪はどちらか、裁けよ。

  (86)

或る淫(たわ)れ女(め)に教長(シャイク)*の言葉――気でも触れたか、
 いつもそう違った人となぜ交わるか?
答えに――教長(シャイク)よ、わたしはお言葉のとおりでも、
 あなたの口と行(おこな)いは同じでしょうか?

  (87)

恋する者と酒のみは地獄に行くと言う、
根も葉もない囈言(たわごと)にしかすぎぬ。
恋する者や酒のみが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう!

  88

天国にはそんなに美しい天女がいるのか?
酒の泉や蜜(みつ)の池があふれてるというのか?
この世の恋と美酒(うまざけ)を選んだわれらに、
天国もやっぱりそんなものにすぎないのか?

  (89)

天女のいるコーサル河*のほとりには、
蜜、香乳と、酒があふれているそうな。
だが、おれは今ある酒の一杯を手に選ぶ、
現物はよろずの約にまさるから。

  (90)

エデンの園(その)が天女の顔でたのしいなら、
おれの心は葡萄の液でたのしいのだ。
現物をとれ、あの世の約束に手を出すな、
遠くきく太鼓(たいこ)はすべて音がよいのだ。

  91

なにびとも楽土や煉獄(れんごく)を見ていない、
あの世から帰ってきたという人はない。
われらのねがいやおそれもそれではなく、
ただこの命――消えて名前しかとどめない!

  (92)

おれは天国の住人なのか、それとも
地獄に落ちる身なのか、わからぬ。
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば、
この現物と引き替えに天国は君にやるよ。

  93

この世に永久にとどまるわれらじゃないぞ、
愛(いと)しい人や美酒(うまざけ)をとり上げるとは罪だぞ。
いつまで旧慣にとらわれているのか、賢者よ?
自分が去ってからの世に何の旧慣があろうぞ!

  94

はじめから自由意志でここへ来たのでない。
あてどなく立ち去るのも自分の心でない。
酒姫(サーキイ)よ、さあ、早く起きて仕度をなさい、
この世の憂いを生(き)の酒で洗いなさい。

  95

バグダード*でも、バルク*でも、命はつきる。
酒が甘かろうと、苦かろうと、盃は満ちる。
たのしむがいい、おれと君と立ち去ってからも、
月は無限に朔望(さくぼう)をかけめぐる!

  (96)

選ぶならば、酒場の舞い男(カランダール)*の道がよい。
酒と楽の音と恋人と、そのほかには何もない!
手には酒盃、肩には瓶子(へいし)ひとすじに
酒をのめ、君、つまらぬことを言わぬがよい。

  (97)

酒姫(サーキイ)よ、寄る年の憂いの波にさらわれてしまった、
おれの酔いは程度を越してしまった。
だがつもる齢(よわい)の盃(つき)になお君の酒をよろこぶのは、
頭に霜をいただいても心に春の風が吹くから。

  (98)

一壺の紅(あけ)の酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐ糧(かて)さえあれば、
君とともにたとえ荒屋(あばらや)に住まおうとも、
心は王侯(スルタン)の栄華にまさるたのしさ!

  99

おれは有と無の現象(あらわれ)を知った。
またかぎりない変転の本質(もと)を知った。
しかもそのさかしさのすべてをさげすむ、
酔いの彼方(かなた)にはそれ以上の境地があった。

  100

酒姫(サーキイ)の心づくしでとりとめたおれの命、
今はむなしく創世の論議も解けず、
昨夜の酒も余すところわずかに一杯、
さてあとはいつまでつづく? おれの命!
   むなしさよ

  101

九重の空のひろがりは虚無だ!
地の上の形もすべて虚無だ!
たのしもうよ、生滅の宿にいる身だ、
ああ、一瞬のこの命とて虚無だ!

  102

時の中で何を見ようと、何を聞こうと、
また何を言おうと、みんな無駄(むだ)なこと。
野に出でて地平のきわみを駈(か)けめぐろうと、
家にいて想いにふけろうと無駄なこと。

  103

世の中が思いのままに動いたとてなんになろう?
命の書を読みつくしたとてなんになろう?
心のままに百年を生きていたとて、
更(さら)に百年を生きていたとてなんになろう?

  (104)

地の青馬にうち跨(またが)っている酔漢(よいどれ)を見たか?
邪宗も、イスラム*も、まして信仰や戒律どころか、
神も、真理も、世の中も眼中にないありさま、
二つの世にかけてこれ以上の勇者があったか?

  105

戸惑(とまど)うわれらをのせてめぐる宇宙は、
たとえてみれば幻の走馬燈だ。
日の燈火(ともしび)を中にしてめぐるは空の輪台、
われらはその上を走りすぎる影絵だ。

  106

ないものにも掌(て)の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないかと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。

  107

世に生れて来た効果(しるし)に何があるか?
生きた生命の結果として何が残るか?
饗宴の燭(ともしび)となってもやがて消えはて、
ジャムの酒盃*となってもやがては砕ける。

   一瞬(ひととき)をいかせ

  108

迷いの門から正信までは、ただの一瞬(ひととき)、
懐疑の中から悟りに入るまでもただの一瞬。
かくも尊い一瞬をたのしくしよう、
命の実効(しるし)はわずかにこの一瞬。

  109

たのしくすごせ、ただひとときの命を。
一片(ひとかけ)の土塊(つちくれ)もケイコバードやジャムだよ。
世の現象も、人の命も、けっきょく
つかのまの夢よ、錯覚よ、幻よ!

  110

大空に月と日が姿を現わしてこのかた
紅(くれない)の美酒(うまざけ)にまさるものはなかった。
腑に落ちないのは酒を売る人々のこと、
このよきものを売って何に替えようとか?

  111

月の光に夜は衣の裾(すそ)をからげた。
酒をのむにまさるたのしい瞬間(とき)があろうか?
たのしもう! 何をくよくよ? いつの日か月の光は
墓場の石を一つずつ照らすだろうさ。

  112

あすの日が誰にいったい保証出来よう?
哀れな胸を今この時こそたのしくしよう。
月の君*よ、さあ、月の下で酒をのもう、
われらは行くし、月はかぎりなくめぐって来よう!

  113

あわれ、人の世の旅隊(キャラヴァン)は過ぎて行くよ。
この一瞬(ひととき)をわがものとしてたのしもうよ。
あしたのことなんか何を心配するのか? 酒姫(サーキイ)よ!
さあ、早く酒盃を持て、今宵(こよい)も過ぎて行くよ!

  114

東の空の白むとき何故(なぜ)(にわとり)が
声を上げて騒ぐかを知っているか?
朝の鏡に夜の命のうしろ姿が
映っても知らない君に告げようとさ。

  115

夜は明けた、起きようよ、ねえ酒姫(サーキイ)
酒をのみ、琴を弾け、静かに、しずかに!
相宿の客は一人も目がさめぬよう、
立ち去った客もかえって来ぬように!

  116

わが心の偶像よ、さあ、朝だ、
酒を持て、琴をつまびき、うたえ歌。
千万のジャムシードやケイホスロウら
夏が来て冬が行くまに土の中!

  117

朝の一瞬(ひととき)を紅(くれない)の酒にすごそう、
恥や外聞の醜い殻を石に打とう。
甲斐(かい)のないそらだのみからさっさと手を引き、
丈なす髪と琴の上にその手を置こう。

  118

こころよい日和(ひより)、寒くなく、暑くない。
空に雲 花の面の埃(ほこり)を流し、
薔薇(ばら)に浮かれた鶯(うぐいす)はパラヴイ語*で、
酒のめと声ふりしぼることしきり。

  119

花のころ、水のほとりの草の上で、
おれの手をとるこの世の天女二、三人。
世の煩(わずら)いも天国ののぞみもよそに、
盃(さかずき)にさても満たそう、朝の酒!

  120

はなびらに新春(ノールーズ)の風はたのしく、
草原の花の乙女の顔もたのしく、
過ぎ去ったことを思うのはたのしくない。
過去をすて、今日この日だけすごせ、たのしく。

  121

草は生え、花も開いた、酒姫(サーキイ)よ
七、八日地にしくまでにたのしめよ。
酒をのみ、花を手折(たお)れよ、遠慮せば
花も散り、草も枯れよう、早くせよ。

  122

新春(ノールーズ)にはチューリップの盃(はい)上げて、
チューリップの乙女(おとめ)の酒に酔え。
どうせいつかは天の車が
土に踏み敷く身と思え。

  123

菫(すみれ)は衣を色にそめ、薔薇の袂(たもと)に
そよかぜが妙なる楽を奏でるとき、
もし心ある人ならば、玉の乙女と酒をくみ、
その盃を破るだろうよ、石の面(も)に。

  124

さあ、起きて、嘆くなよ、君、行く世の悲しみを。
たのしみのうちにすごそう、一瞬(ひととき)を。
世にたとえ信義というものがあろうとも、
君の番が来るのはいつか判(わか)らぬぞ。

  125

大空の極(きわみ)はどこにあるのか見えない。
酒をのめ、天(そら)のめぐりは心につらい。
嘆くなよ、お前の番がめぐって来ても、
星の下(もと)誰にも一度はめぐるその盃(はい)。

  126

学問のことはすっかりあきらめ、
ひたすらに愛する者の捲毛(まきげ)にすがれ。
日のめぐりがお前の血汐を流さぬまに
お前は盃(はい)に葡萄(ぶどう)の血汐を流せ。

  127

人生はその日その夜を嘆きのうちに
すごすような人にはもったいない。
君の器が砕けて土に散らぬまえに、
君は器の酒のめよ、琴のしらべに!

  (128)

春が来て、冬がすぎては、いつのまにか
人生の絵巻はむなしくとじてしまった。
酒をのみ、悲しむな。悲しみは心の毒、
それを解く薬は酒と、古人も説いた。

  129

お前の名がこの世から消えないうちに
酒をのめ、酒が胸に入れば悲しみは去る。
女神の鬢(びん)の束また束を解きほぐせ、
お前の身が節々(ふしぶし)解けて散らないうちに。

  (130)

さあ、一緒にあすの日の悲しみを忘れよう、
ただ一瞬(ひととき)のこの人生をとらえよう。
あしたこの古びた修道院を出て行ったら、
七千年前の旅人と道伴(みちづ)れになろう。

  (131)

胸をたたけ、ああ、よるべない大空の下、
酒をのめ、ああ、はかない世の中。
土から生れて土に入るのか、いっそのこと、
土の上でなくて中にあるものと思おう。

  132

心はたぎる、早くこの手に酒をくれ!
命、いのち、銀露のようにたばしる!
とらえないと青春の火も水となる。
さあ、早く物にくらんだ目をさませ!

  133

酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一(ゆいつ)の効果(しるし)だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
たのしめ一瞬(ひととき)を、それこそ真の人生だ!

  134

酒をのめ、マムード*の栄華はこれ。
琴をきけ、ダヴィデ*の歌のしらべはこれ。
さきのこと、過ぎたことは、みな忘れよう
今さえたのしければよい――人生の目的はそれ。

  135

あしたのことは誰にだってわからない、
あしたのことを考えるのは憂鬱(ゆううつ)なだけ。
気がたしかならこの一瞬(ひととき)を無駄(むだ)にするな、
二度とかえらぬ命、だがもうのこりは少い。

  (136)

時のめぐりも酒や酒姫(サーキイ)がなくては無だ、
イラク*の笛も節(ふし)がなくては無だ。
つくずく世のありさまをながめると、
生れた得(とく)はたのしみだけ、そのほかは無だ!

  137

いつまで有る無しのわずらいになやんでおれよう?
短い命をたのしむに何をためらう?
酒盃に酒をつげ、この胸に吸い込む息が
出て来るものかどうか、誰に判ろう?

  138

仰向(あおむ)けにねて胸に両手を合わさぬうち*、
はこぶなよ、たのしみの足を悲しみへ。
夜のあけぬまに起きてこの世の息を吸え、
夜はくりかえしあけても、息はつづくまい。

  139

永遠の命ほしさにむさぼるごとく
冷い土器(かわらけ)に唇(くち)触れてみる。
土器(かわらけ)は唇(くち)かえし、謎(なぞ)の言葉で――
 酒をのめ、二度とかえらぬ世の中だと。

  140

さあ、ハイヤームよ、酒に酔って、
チューリップのような美女によろこべ。
世の終局は虚無に帰する。
よろこべ、ない筈(はず)のものがあると思って。

  141

もうわずらわしい学問はすてよう、
白髪の身のなぐさめに酒をのもう。
つみ重ねて来た七十の齢(よわい)の盃(つき)を
今この瞬間(とき)でなくいつの日にたのしみ得よう?

  142

めぐる宇宙は廃物となったわれらの体躯(からだ)、
ジェイホンの流れ*は人々の涙の跡、
地獄というのは甲斐(かい)もない悩みの火で、
極楽はこころよく過ごした一瞬(ひととき)。

  143

いつまで一生をうぬぼれておれよう、
有る無しの論議になどふけっておれよう?
酒をのめ、こう悲しみの多い人生は
眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!



共通テーマ:日記・雑感

夏の日、冬の夜、百歳の後、その墓に帰らん

夏之日、冬之夜。百歳之後、歸于其居。 
冬之夜。夏之日、百歳之後、歸于其室。

夏の日,
冬の夜。
百歳の後,
其の居(はか)に  歸らん。

冬の夜。
夏の日,
百歳の後,
其の室(はか)に  歸らん。

\\\
葛生

葛(くづ) 生え  楚(いばら)を 蒙(おほ)ひ,
(かづら)  野に 蔓(はびこ)る。
予(あ)が美しきひと  此(こ)こに 亡(ねむ)る,
誰と與(とも)にかせん  獨(ひと)り 處(を)り。

葛(くづ) 生え  棘(こなつめ)を 蒙(おほ)ひ,
(かづら)  域(はか)に 蔓(はびこ)る。
予が美しきひと  此(こ)こに 亡(ねむ)る,
誰と與(とも)にかせん  獨り 息(いこ)ふ。

角枕  粲(きらめ)き,
錦衾  爛(かがや)く。
予が美しきひと  此(こ)こに 亡(ねむ)る,
誰と與(とも)にかせん  獨り 旦(あさ)す。

夏の日,
冬の夜。
百歳の後,
其の居(はか)に  歸らん。

冬の夜。
夏の日,
百歳の後,
其の室(はか)に  歸らん。

\\\\\
愛し合う二人は
一つのお墓に眠るだろうと
歌う

あなたが亡くなっても
一人で生きて
百歳の後、あなたの墓に帰ると歌う

とても心の平安につながっている感じがする



共通テーマ:日記・雑感

エビデンスレベルフロー

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共通テーマ:日記・雑感

「エビデンスがある」とはどういうことか?

「エビデンスがある」とはどういうことか?

エビデンスはどのようにして出されているのか?

 エビデンスとはいきなり出されるものではありません。前にも説明したように、エビデンスとは科学的根拠、つまり実験の結果を基に「根拠がある」と考えられる事柄をさしています。様々な研究、実験の結果を基にエビデンスは作られているのです。

 エビデンスを出す研究にはいくつかの方法があり、その方法によって「エビデンスレベル」が変わってきます。この「エビデンスレベル」とは、信頼度と言い換えてもよいでしょう。「この治療法は効果的だ」と考える前に「そのエビデンスはどのような研究から出されたのか」を知ることはとても大切なことです。

 これから、研究の種類とその信頼度について説明します。そして、その種類によってエビデンスレベルも違います。これから、いくつかの研究方法について説明します。

研究の種類と信頼度

1.ランダム化比較試験

 RCTと略されることもあります。対象をランダムに選び、介入(薬・検査・看護など)を行うグループ(実験群)と介入を行わない群(対照群)にわけ、評価を行う方法です。


2.コホート研究

 コホートとはもともと古代ローマ軍の一連隊をさす言葉で、集団のことです。
ある集団(コホート)を追跡し、コホート内の人々の間でイベント発生(喫煙、運動、食生活など)がどのように異なるのかを調べて、その違いでその後の経過がどうなっていくかを見ていく方法をコホート研究、特に前向きコホート研究といいます。
 過去の記録を用いてコホート内の人々のイベント発生を見ていく方法を後ろ向きコホートといいますが、多くの場合「コホート研究」と言われたら前向きコホート研究のことをさします。


3.症例対照研究

 症例(患者)と「なるべく性別や年齢、住所などが似ている、病気でない対照」の2群を選び、過去にその病気の要因となる状況にどれくらい当てはまっていたかを調べる方法です。


4.記述的研究

 「この患者さんにこのような治療を行ったら回復した」というような、データを記述する方法です。この研究は原因を明らかにする目的で行われた研究ではありませんが、これらの研究をまとめて分析的研究が行われることがあります。


これらのさまざまな研究によってエビデンスが作られています。エビデンスレベルは

  • (1) ひとつ以上のランダム化比較試験
  • (2) ひとつ以上の非ランダム化比較試験
  • (3) ひとつ以上の分析疫学的研究(コホート研究や症例対照研究)
  • (4) 症例報告などの記述的研究
  • (5) 患者データに基づかない専門家・委員会の報告や意見

の順で高く、高ければより信頼性が高いと考えられています。


point
  1. エビデンスを出すための研究にはいくつかの方法があり、その方法によりエビデンスのレベルが違う。
  2. エビデンスレベルが一番高いのはランダム化比較試験である。


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エビデンス精神医療

患者さんのために ―精神医療におけるエビデンスの本当の意義とは?

なぜ「エビデンス精神医療」だったのか

エビデンス精神医療(EBP)とは何でしょうか?

精神科医療に特化したEBMのことです。EBMは他科では進んでいますが、精神科でのエビデンスに基づいた医療を目指して生まれてきたのが、Evidence Based Psychiatry (EBP)です。日々の臨床で目の前の患者さんに最善の医療が行われているのかどうかを検証するために、あるいはより効果の高い治療法を探すためにエビデンスを知ることが必要になるわけです。EBPとはEBMと同様に「患者さんの治療過程において、現在入手可能な最強のエビデンスを、良心的に、明示的に、かつ賢明に応用することである」と定義できると思います。

EBMではなくEBPとしたのは、精神医療のどんな特殊性のためですか?

過去、精神医療は経験則が重視され、ともすれば自分の経験や先輩、先達の経験や意見を参考に診療をするということも珍しくはありませんでした。一方、時代の流れとともにEBMが普及してゆきますが、EBMは身体医学を中心に発展してきましたので、精神医学になじみにくい部分がありました。こころの疾患には、身体系の疾患と違い「この範囲内であれば正常値」、「ここからはみ出ると異常値」といった臨床検査の数値のようなものはありません。治療効果の測定も生きるか死ぬかとか、腫瘍が再発した再発しないというようなクリアカットなものではなく、精神症状という主観的でソフトなデータを扱うため測定や評価が難しく、EBMという考えがなかなか育ちにくかったのです。EBPでは、精神医療に適応しやすいような形にEBMの諸元素を改変しています。

 


EBPの4つのステップ

◆実際の診療でEBPを活用するポイントはどこにありますか?

BPの4つのステップ

EBPは次の4つのステップを踏んで実践します。
1. 臨床的疑問を回答可能な形に定式化する。
2. この疑問に答えることのできるエビデンスを検索する。
3. エビデンスの内的妥当性、結果の定量化、外的妥当性を批判的に吟味する。
4. 患者さんのケアに結果を適用する。

臨床疑問定式化の4つのステップ

EBPにおいて重要な最初のステップは、臨床で抱えた問題を定式化することです。定式化すべき臨床的疑問は次の4つのポイントです。
1. 患者(patients)=どのような臨床状態の患者群を対象としているのか。
2. 要因への暴露(Exposure)=その患者群に対して、どのような治療的介入あるいは危険因子へ暴露することの影響を知りたいと思っているのか。
3. 比較(Comparison)=どういう治療的介入や危険因子に比較しての影響の大小を知りたいと思っているのか。
4. 帰結(Outcome)=その患者群に対して、治療的介入または危険因子への暴露が、どういう面に影響を及ぼすことを期待して知りたいと思っているのか。
この4つの要素の頭文字を取って私たちはPECO(ペコ)と呼んでいます。

◆PECOを作ることが第1ステップ、その次に検索ですか?

批判的吟味の3つのステップ

そうです。まずPECOを作り、PECOに見合うエビデンスを検索します。逆にPECOをきちんと定式化できていないと、適切な検索もできません。

そして見つけてきたエビデンスに対して批判的吟味を行います。この批判的吟味には3つの段階があります。

第1段階は「内的妥当性」の吟味です。自分が検索して選び出した研究論文が一定水準に達した信頼性のおけるものかどうかを検証します。

内的妥当性は高いと判定できたとき、第2段階として統計学手法により臨床に直接役立つ形に「数値定量化」し、研究内容の臨床的重要性を測定します。

そして、「外的妥当性」を評価します。

◆本当の意味でのEBPでは、ここから必要なのですね?

そうです。この第3段階「外的妥当性」の評価がEBPの最も重要なところと言えるかもしれません。第2段階までで得られたエビデンスが、自分が治療しようとしている目の前の患者さんにどこまで当てはめることができるのかを検討することが、外的妥当性の評価です。以上がEBPのプロセスです。この3つのステップをきちんと評価しないで、エビデンスを患者さんの治療に有効に活用することはできないと思います。


 

エビデンスは患者さんの要望・価値観も考え適用する

検索した論文やデータは、実際の患者さんにどの程度当てはまるものですか?

精神科の場合は、ぴったり当てはまる割合はまだまだ低いのが現状です。薬物療法に関しては外的妥当性を適切に評価することで何らかのエビデンスを当てはめることが可能でしょうが、精神療法はダブルブラインドのRCT(無作為割り付け比較試験)を行いにくいため、強いエビデンスの研究が少ないのです。私たちが日常行っている支持的精神療法などは検索しても適当な論文が見つからないことがしばしばあります。また海外からのエビデンスを確認することができても、そこで行われている治療法をそのまま日本で行うことができないような場合もあります。

 

 

EBPで最適であろうという治療法が出た場合でも、患者さんがどうしても受け入れてくれないこともありますか?

そういうことは起こり得ます。ですから、外的妥当性の検討の中に患者さんの価値観の情報を得ることが必ず含まれます。たとえば何種類かの薬を処方した場合、「こんなに薬は飲みたくない」と言う患者さんもおられます。私どもとしてはそれらの薬を服用することの意義を詳しく情報提供はしますけれど、患者さんがどうしても飲みたくないと言われるのであれば、違う処方に変更することは十分あり得るわけです。エビデンスをただ押し付けるだけがEBPではありません。

 

 



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ワタシが理解できる人、理解できない人

 AさんとBさんという2人がいる時に、「Aさんの発言をBさんは常に誤解なく理解し、その逆もまた同じ」という状態を「コミュニケーション成立比率100%」と定義したとしましょう。

 “理解する”というのは“同意する”という意味ではなく、“分かる”という意味です。「自分は異なる意見をもっている」場合でも、相手の言い分が理解できれば、コミュニケーションの第一歩は成立しています。また、単語や用語が分からない場合に、その意味を聞き返すのも問題ありません。用語を説明してもらえば、コミュニケーションは成立します。

 さて、みなさんには“常にお互いの発言を誤解なく理解できる”「コミュニケーション成立比率100%」の人は何人いますか? 親子や友人、恋人や配偶者、同僚や上司部下などにそういう人は多数存在するでしょうか。

 コミュニケーション成立比率で人をグループ別に分けてみるとこんな感じになります。

1.90%以上

 日常会話、業務上の会話に加え、感情や感覚の説明でも、ほぼストレスフリーでコミュニケーションが成立する。擬態語、擬声語の意味のとらえ方も、受信者の理解は発信者の意図と極めて近い。前提を省略した会話も問題なく成り立つ。

2.70%~90%

 日常会話のほかにも、適切、効率的に協業する上でストレスを感じない。ただし、感情や感覚の説明、擬態語や擬声語を用いたコミュニケーション、前提を省略した会話については、時に誤解が生じる。

3.50%~70%

 日常会話には問題はないが、一緒に仕事をするにはお互いに注意深いコミュニケーションが必要。業務の場合は、話すだけではなく、文章化や図解による確認が役に立つし、時には必要となる。

4.30%~50%

 日常会話は成り立つが、仕事や議論では相手の言っていることを理解するのに時間と手間がかかり、(お互いに)フラストレーションを感じる。互いの感覚の違いから、頻繁にコミュニケーションミスが生じる。

5.20%~30%

 日常会話においても、さまざまな誤解が頻繁に生じる。

6.20%未満

 相手の言っていることが理解できないことが多い。自分の言いたいことも伝わっていないように感じる。思考構造が違うと感じる。

コミュニケーション成立比率が高ければいいわけではない

 時々、営業員がお客さんに対して、あたかも「私は、お客様とのコミュケーション成立比率がとても高いんですよ!」というように振る舞っているのを目にします。一種の営業テクニックですね。合コンでもよく見ます。端から見る限り、「全然コミュニケーションが成り立っていないよね」と思えるのですが、本人は必死で「すごく理解し合えている感じ」を醸成しようとしています。こういうことが起こるのは、“分かりあえることは望ましいこと”ととらえられているからですよね。

 では、この比率が高ければ高いほどいいのかというと、実はそうでもないのです。ちきりんも大学生のころ、この比率がとても高い人と出会いましたが、その人と話すといつも居心地の悪い思いがしました。

 長年連れ添った夫婦や血を分けた親子ならともかく、初対面に近い人が自分のちょっとした発言にも“その意味”を正確に読み取ってしまうのは、心の内まで見透かされている気分になるものです。結局彼とは何回か朝方まで飲みながら話をした後、疎遠になってしまいました。

 友人にしても恋愛相手にしても、必ずしもコミュニケーション成立比率は最初から高い方がいいわけではないのです。分からないものを分かろうとするプロセス、コミュニケーションの成立比率を高めていくプロセスこそ、人間関係を作るという一番楽しい部分だから、そこを飛ばして分かり合えるとむしろ “気持ち悪い”となるのでしょう。

世の中には話の通じない人も一定比率でいる

 ところで、否応なく関係を持たなければならない人なのに、この比率がずいぶん低い場合はどうすればよいのでしょうか。

 世間には、洋服やアクセサリーを共有し、2人で頻繁に旅行する仲良しの母娘も存在します。そういう場合、2人の間のコミュニケーション成立比率は極めて高く、おそらく“お父さんへの思い”のような微妙な感情まで、母娘で共有できているのでしょう。

 反対に、関係が近くても共有できていない、例えば親なのに、子どもなのにまったく理解できないというのはとてもつらいですよね。

 また、上司とのコミュニケーションが成り立ちにくいケースもとても不幸だし、それが理由で転職する人もいるのではないでしょうか。コミュニケーション成立比率20%未満な上司と働いたことがありますが、とてもつらかったし苦労しました。ずいぶんひどい評価をされて「クビになるかも」と思ったこともあります。

 そういった経験を通して学んだのは、「世の中にはコミュニケーション成立比率が低く、普通に話していても分かり合えない人がいる」ということです。「人間同士、話せば分かりあえる」と思うからつらいのであって、「話の通じない人も一定比率でいる」と思えば気が楽になります。考えようによっては「今日は3割も話が通じてるなあ!」と喜べるかもしれません。

 時には開き直って、「すみません。私にはあなたの言っていることが、全然分からないのです」と言ってみてもいいし、「あなたも、私の言ってることが分かりにくいんですよね?」と聞いてみてもいいかもしれません。「理解しにくい相手」の存在を認めた上で、そこからお互いに工夫すればいいのです。コミュニケーション成立比率が低い人と理解し合う第一歩は、「お互い理解しにくいですよね」と認識することなのです。

 親子の場合もまったく同じで、「親子だから話さなくても分かってもらえるはず」と思うから、理解し合えないことに余計にフラストレーションがたまります。でも、親子であっても「自分とこの人はコミュニケーション成立比率が低いのだ」と認識すれば、何らかの工夫ができそうに思いませんか?

コミュニケーション成立比率の低い人たちと付き合うと世界が広がる

 また、あえてコミュニケーション成立比率の低い人たちと付き合うと、視野や世界が広がるというメリットがあります。

 わたしは“社会派系”ですが、一時期“芸術家系”の人たちと付き合っていた時があります。彼らの生き方や考え方はちきりんのそれとはまったく違う次元のもので、お互いに分かりあうということはあまりなかったと思います。コミュニケーション成立比率はとても低かったでしょう。

 でも彼らと付き合っていた数年間は、ちきりんにとってとても貴重な期間でした。なぜなら、人は普通にしていると「自分とコミュニケーション成立比率が高い人たち」を選別して、その人たちとばかり過ごすことになるのです。友達も少しずつ(お互いに)選別されていくし、仕事だってこの比率が高い人の多い会社を選びますよね。でも、そうしていると世界はどんどん狭くなります。

 コミュニケーション成立比率が低いというのは、“世界観が違う”ということです。“常識とか考え方のベースが違う”とも言えます。そういう人と付き合うことで、今まで知らなかった違う世界をのぞくことができ、思ってもいなかった体験ができることがあります。

 また、コミュニケーション成立比率の高い仲間とだけ付き合っていると、自分が理解できない人や、自分の言うことを理解しない人に対して、「あいつは頭が悪い」とか「理解力がない」、もしくは「わけの分からんやつだ」と切り捨ててしまいかねません。そんなことをしていたら余計世界が狭くなります。未知の世界との扉を閉じてしまうのはもったいないことです。

 というわけで、周りの人と自分のコミュニケーション成立比率を意識的に考え、比率が低い人と付き合う時には「どんな工夫をすればよいか」と考えてみてはいかがでしょう。また、あえてその比率が低い人の世界に、時々は自分から足を踏み入れてみて“違う世界”を体験してみるのもよいかもしれません。









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うぬぼれ屋さんはかわいい

うぬぼれ屋とつきあうのは
あまり歓迎ではないが
それなりに楽しい面もある

うぬぼれ屋はある意味で分かりやすい
予想しやすいのでつきあいやすい
褒めやすいし
いじめやすい

きれいさんを褒めるのは簡単である
スポーツの得意な人も頭のいい人も褒めるのは簡単である

分かりやすい部分について褒めれば
その人は誰よりもそのことを得意に思っているのだから
その通りに喜んでくれるので
まことに安上がりな人たちなのである

何も得意のない人を褒めるには技術が必要である
心理学も多少学んだ方が役に立つかもしれない
しかしおおむね難しいしその人についてよく知るまでに時間がかかる

うぬぼれ屋を少し褒めればどこまでも上がっていくし
うぬぼれ屋を少しけなせばどこまでもへこんでしまう
それはおもしろいくらいで
それくらい彼らは「弱い」のである
強いところがあるから弱くなってしまっているのだ

*****
野球をやっていてもエースだと威張っていられるのは少しの間で
甲子園で勝てるのかといえば簡単ではない

スポーツや知能や美貌については
うぬぼれ屋がいつまでもうぬぼれ屋ではいられないように
きちんとうぬぼれをへし折る制度ができあがっている

*****
よく分からないのはたとえば
どんな例がいいのか、たとえばオタクの世界であるが、
はたしてオタクは自分のオタクをどのくらい誇るものだろうか
そしてある時点で甲子園のように自分の客観的に位置が確認できて
うぬぼれから醒めるときがくるのだろうか

*****
ひそかなうぬぼれを秘めている人はたくさんいるものだ

たとえば性的な領域については長い間うぬぼれの根源であったり劣等感の根源であったりしてきた
性的な体験については客観的に比較しようがないことが理由だったのだが
現状のネット社会のようなレベルで性的な誇大な表現が垂れ流しになると
ほとんどすべての人が劣等感を抱くのではないかと思う

あれは演じているのだとか整形しているのだとか演出なのだと
頭に入っていればいいのだけれど

それに近年のように国境を越えて人種を超えてつきあうようになると
みんな違ってみんないいとは
なかなかならず
昔はいろいろな点で、理由のない優越感とか理由のない劣等感だったものが
次第にはっきり理由のある劣等感だと認めなければならないものもあるので
うぬぼれ屋にとっては
かなりつらいこともある

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最近はひたすら昔のことを夢に見ている

黒澤明監督『夢』の中で放射能や原発のことが語られている
私の夢はそれほどタイムリーではないので
最近はひたすら昔のことを夢に見ている
昔のことと昔の人がなぜそんなにも心に親しいのか不思議ではある

ずいぶんと長い夢と感じているのだが
睡眠の実時間としては大して長くもないのである

あるノートがあって、私はそれを手書きで書いているのだが
その女はそのノートに電子的な方法でコメントを付けているのだった
きらきら光るマークとか笑う太陽とか
そしてさらに色々なメモ、いろいろな感情

建物はいつも複雑で色々な仕掛けがある
思いがけない結合があるのだ

私はこうして夢を見ている時だけ幸せなのだ
夢と比較すると現実はどこがで大きく間違えているとしか思えない
間違えすぎていて一つや二つではない
どこでやり直したらいいのかも分からない

ただその女の白い優しさだけが救いである


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自分の意見がみんなと違うことを確認したいなら

自分の意見がみんなと同じであることを確認したいなら
話すことは安心の意味しかない
情報は増えない

自分の意見がみんなと違うことを確認したいなら
話すことには意味があるが
マナーが必要である

ーー
いつの間にか、周囲に信者ばかりを侍らせて自分は正しいと思い込んでいる人がいる



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探すのをやめたとき、見つかるのもよくある話

井上陽水の歌
探し物は何ですか
探すのをやめたとき、見つかるのもよくある話で

「探すモード」のうちはだめ
「普段モード」に切り替えればいい

それは理由がある
『探すモード』では、自分の普段の行動をすっかり忘れている
探す場所もいつもの場所ではなくなっている
『普段モード』になると、自分の普段の癖の通りに行動するので
そのうち、探し物に行き当たる

ーーーーー
喩え話で
泥の沼の中に落ちたとして、
もがけばもがくだけ沈んでしまう
あきらめて力を抜けば自然に浮いてくる

これは不安から以下に脱却するかの喩え話なのだけれど
泥沼で「もがきモード」になるのは人間として無理のない反応なのである

泥沼で『諦め安心モード』になることは相当難しい

難しいが解決はそれしかない

これを『諦めろ』『そうすれば浮かび上がる』と説明するのは少し間違いがある
『完全脱力して浮かび上がる条件を最大にしろ』と説明すればおそらく正しいし納得してもらえる

それは『諦めればうまくいく』という逆説ではないのだ
『いかにして正しい方向で努力するか』の問題なのだ

ーーーーー
しかしそれが難しい

マインドフルネスとアクセプタンスはなかなか厄介である

ーーーーー
スピーチが苦手
多少話の流れが悪くても
多少言葉がつっかえても
内容が伝わればいいじゃないですかと
よく言われる

昔でいう目的本意である

スピーチが部長という役職にふさわしい堂々たるものでないとしても
それでいいじゃないですか
ともよく言われる

しかし本人は嫌なのだ
部長という役職にふさわしい堂々としてもので内容も感動的で言葉も爽やかであるいは重々しくありたいのだ

まあ、それはそれで仕方がないことである

ーーーーー
「気にするな」は回避の路線なので採用しない

あくまでも回避ではなく『解決』を目指すのである












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地震プレート理論

地震爆発説を唱える
1.石田昭氏(元名古屋工業大学教授)
http://www.ailab7.com/Cgi-bin/sunbbs2/index.html
「地下深部に地下水が送られ、解離条件が変化して、解離ガスの爆発という地震が発生する可能性があります。」
この解離ガスの爆発というのは、原子状態の水素・酸素ガスの反応という見解

2.山本寛氏(元ヤマハ発動機技術部長)
http://www.kohgakusha.co.jp/books/detail/978-4-7775-1281-2
この解離ガスから、酸素が触媒となって、水素が「ハイドリノ」という現在の量子力学で説明できない低エネルギー状態となって、核融合に至る」という見解です。

地震爆発論については、どう考えても定説地震学=プレートテクトニクス(断層)説より説得力があります。

*****
との事。

プレートが少しずつひずみをためこんで
一気に跳ね返るモデルとか、
プレート同士がもぐりこんだり、一気に反発したりしているのだと説明しているが、
プレートは、つまりは岩石なんですよね。
粘りのある鉄板でもあるまいし、
そのような反発力のあるプレートの実体とはなんだろうと考えてしまいますね。

鉄板なら、バネに使えます。
地表を漂流しているプレートがそんなバネのようなものとは?

それにバネならば、
北側で地震が起きたとすれば北側に進んでひずみを貯めたはずで、
そのプレートの他の地域では起こりにくくなるはずで、
しかしそれは観察に合わないらしい。
sakayanagi000.jpg

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