平安時代のファンタジー
平安時代には平安時代の性愛のファンタジーがあった
純粋Alcoholと酒の違いである
純粋性愛と人間の情の違いである
それがファンタジーである
ファンタジーを相対化して無力化しているのも所詮はファンタジーであると言えるのかもしれないが
それにしても
純粋Alcoholに似たものになっている
自分のための性があるだけで 相手のための愛がない
性がこんなにも暴落している時代に
愛はこんなにも不可能である
自分のための性があるだけで
相手のための愛がない
自分は悲惨である、自分は破滅すると、理解したところで、安心の要素はないと思うのだが
悲惨な境遇を知的に理解してみたところで現実は変化しない
しかしそれでも一片の慰めにはなる
それも脳の不思議である
理解するとなぜ安心するのだろう
自分は悲惨である、自分は破滅すると、理解したところで、安心の要素はないと思うのだが
意識連続と境遇断絶
昨日までの私と今日の私と意識は連続しているのに
境遇は全く断絶しているのだ
受け入れることなどできるだろうか?
しかしそれでも受け入れよう
それが人生だ