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抗うつ剤は元気の元とは少し違う

抗うつ剤というと
飲めば自動的に
元気が出てくる
ドリンク剤やカフェインのようなものとの
広い誤解があるのかもしれない

実際に飲んでみると分かるが
最初はどれも眠くなる
元気が出るどころではない
落ち着くことは確かだが

SSRI,SNRI,四環系、三環系、いずれも眠くなってぼーっとなる
昔の薬ほど眠くなる

中には逆に眠れなくなる人もいるというのでとても不思議なことだ
どのようなメカニズムであるかは確定的なことは分かっていない

同じ薬なのにだいたいの人は眠くなるのに中には目が覚めてしまう人もいるなんて
とても不思議なことだと思う
早期の躁転と考えてもいいのかもしれない
あるいは心理的効果と考えていい場合もあると思う

血圧の薬が降圧と昇圧と人によって違うなどとは思えないし
血糖の薬にしても人によって違う方向に効くなどとは考えにくい

薬を朝飲んだほうがいいという人もいて
寝る前に一度飲めばいいという人もいて
これも不思議なところだ

だから単純な効き目ではないことがわかる

単純な仮説で用が足りないことで有名な話では
単純にセロトニンを増やせば元気が出るのかというとそうでもないことがあげられる

セロトニンを増やしても
気持ちが落ち着くのは二週間後とか一ヵ月後とかになるので
多分セロトニンの濃度だけではないはずで
セロトニンレセプターの数の増減が関係しているのだろうといわれているが
これも確定的ではない

セロトニンの元になるものを食べただけで元気になるとかの人もいて
なんともコメントできない

セロトニンとはダイレクトに関係がないような抗うつ剤もあるので不思議なことになる

セロトニンのお隣さんのようなドーパミンにきく薬が
抗うつ剤として有効なことも昔から有名で
スルピリドとかレボメプロマジン、それから最近のドーパミン調整薬などは
どれも気分調整薬としての使用が一般に認められている

ドーパミンを介してセロトニンに効くという間接的なものなのか
ドーパミンそのもののことで効いているのか
いろいろに意見はある
スルピリドは生理周期に影響するので脳のそんな部分に効いていることが分かっている

ドーパミンとノルアドレナリンを調整する抗うつ剤もあるわけで
不思議なことだ

このように薬剤の効く場所が分散してくると
考え方も転換して
かなり大幅に飛躍すると
要するに休息を取ってもらう薬、無理をしなくなる薬でいいのじゃないかとの考えも出てくる

どういうことかといえば
たとえば、やたらに周囲に気を遣っている人が、
余計な気を遣わなくなることで、精神の疲労を防ぎ、
結局過労を防止できるとすれば、
それはそれで有効な薬になるだろう

マラソンをして、普段は40キロ走る人に
20キロだけで走るのをやめましょうということにすれば
筋肉痛は減るはずだろう

余計な疲労を減らして
必要な活動だけすることになれば
うつ病は減るのだと思うし、治療にもなると思う

夜によく眠れるようにするだけでもずいぶん違う

そんな考えでも、ひょっとしたらいいのかもしれない

その観点で薬を考えるのも方法だし
無理に元気を出す薬というイメージよりも
過労を防いで回復しやすくする薬と考えて
本質的な回復は体自体で考えてくれているのだと思えばいい

たとえば、擦り傷を一発で治す薬はなくて
だいたいは余計な炎症などを防いでいれば
自然に治るのを待つことになるのと似ているだろう

骨折も同じ
ある程度は時間をかけて待つしかない
待つ間に余計に骨がずれないようにしていれば有利だろう

アルコールのようなもので
脳の最上層部に軽い麻酔をかけて
その結果として一時的に忘れることはできる
しかし結局思い出すのでつらいし二日酔いもつらい
一晩で忘れられるストレスならばアルコールでもいいが
そうでもなければアルコールは不利な選択である

カフェインは一時的に興奮させて結局疲労物質を作り出してしまうので
もっと疲れるだろうと思う

能率のよい疲労回復を考えた方がいいのだが
そんなタイムマシンのようなものがあるわけではない

結局よく寝ることがまず第一だ

ところがうつの中でも
眠れなくなるうつと過剰に寝てしまううつとがあり、
ひとりの人の場合でも、時期によって不眠と過眠が入れ替わったりもするので簡単ではない

共通テーマ:日記・雑感

神田橋PTSD

Theme: 神田橋條治先生の講演録

2006年9月16日札幌市で行われた神田橋條治先生の講演録です。

 

 

神田橋   このPTSDの治療は、10年以上も苦労してきたのがようやくまとまりました。まとまったとは、自分が毎日診療しているうえでほとんど困らなくなったという程度のもので、学問としてまとまったという意味ではありません。それを今日、初めて皆さんにお話しします。10年ぐらい苦労しましたので、あらゆる治療法をいろいろ試してみました。ですから、お話しする中にはオカルト的なものから生物学的な示唆を持つものまで全部込みです。体系ではありませんから、どこか一部分だけをちょっと使ってみようかと思ってくだされば、その部分だけでもいくらかの役に立つと思います。「全部がまとまってないからわからない」といわずに、どこか一部分だけでも持ってお帰りになってください。

 

僕は、DSMは嫌いですから、ここでPTSDと申し上げるのも、DSMで定義されているPTSDとは違います。それを説明するのに、僕の個人のPTSDをお話ししましょう。

 

日本が敗戦になりましたとき、僕は小学校3年生だったんです。昭和20年の春に米軍のB29がやってきて、僕の家も全部燃えました。子どもたちはみんな防空壕に入っているのですが、ヒュルヒュルーッという焼夷弾が落ちてくる音がしまして、それがドンと落ちたら、自分の所に落ちなかったと安心するわけです。それまでは自分の所に落ちるかもしれないのです。爆弾と違って焼夷弾ですから、わっと燃えるぐらいのことで爆発の被害は少ないですが非常に怖かったのです。

 

焼夷弾のヒュルヒュルが終わりますとB29は向こうへ行きますから、防空壕から顔を出してみますと、あちこちで燃えていますから大人たちがみんなで水をかけたりするわけです。そうするとB29は旋回しまして、今度は超低空でもう一度やってきまして、消化活動をしている人たちを機銃掃射するんです。見ていると、機銃掃射するときの米軍の航空兵の顔が見える所まで下りてきます。見える限りの空の半分ぐらいが1つのB29で覆われたような感じになって、そこからニヤッと笑ったりして撃っている人の姿が見えます。僕はそう記憶しているのですが、ひょっとしたらそうじゃなくて、付き添っていたロッキードの戦闘機だったかもしれません。ともかく空が全部覆われて物凄く怖かったのです。それが行っちゃって、外に出ると、庭にこのぐらいの機銃の真鍮の色をした弾がいっぱい地面に突き刺さっていたりしました。そういうことがあって、それがひどく怖い思い出でございました。それから間もなく日本は負けたんです。

 

それが僕のPTSDであります。それから50歳を越えるぐらいまで、繰り返し、繰り返し、夢に出てきまして、「もう駄目だ。もうこれで終わりだ」というような感情を伴った夢で目が覚めたりしました。だんだん慣れてきますと、夢を見ているにもかかわらず、これはまたいつもの空襲の夢だということがわかって、「怖いから急いで覚めよう」と夢の中で思って、ぱっと目を覚まして、それから、「また寝ようかな。寝るとまた夢が来るかな」と思っているようなことが、程度は薄れましたが、最終的には50歳ぐらいまで続きました。つまりPTSDというものは、そんなに長く心の中に残るのです。

 

じゃあ現実生活ではどうなのかといいますと、僕がそれに関連しているなと思うのは、天井の低い所に行くとすごく嫌なんです。天井の低い、すぐこの辺まで天井があるようなホテル。ホテルは低いでしょう。それが嫌だったんです。でも、今はそれもよくなりました。

 

それから、いつだったか、『未知との遭遇』という宇宙の映画がありまして、向こうから宇宙船が来て空全体を覆うシーンがありました。そのとき、ひどく怖かったんです。そして何が起こったかというと、それ以後、B29の夢は出てこなくなって、いつもその宇宙船が来る夢。それも最近は消えました。もうすぐ70歳になりますので、ようやく消えたんです。長かったです。

 

そういうものをPTSDに含めています。つまり、PTSDとは、ある心理的な外傷体験の記憶、その記憶の再生に関連して起こってくる、不安状態が、現在「here and now(ヒヤ アンド ナウ)」で動いている精神活動に阻害的に働くことをすべてPTSDと僕は考えているんです。ですから、DSMのPTSDと違うわけです。違うけど重なってはいるんです。したがって、PTSDは、神経症から、僕みたいな正常な人から、スキゾフレニアから、双極性障害から、自閉症から、すべての人にあり得るわけです。あらゆる精神疾患に併存し得る。併存し得るだけでなく、PTSDは、そのもう1つの病気を治らなくします。悪くします。ですからPTSDの治療は精神科の治療現場ですこぶる大切なのです。

 

PTSDの治療において僕が依拠している枠組みは、中井久夫先生がお訳しになった、ハーマンさんの『心的外傷と回復』です。あれが、治療上、一番役に立つと思います。ハーマンさんの本は非常にいっぱい書いてありますから読みにくいですが、簡単にいいますと、PTSDの人の治療はまず、安全な、「安心できる今」をつくってあげる。そのためには主として環境でしょう。環境として、その人が「安心できる今」をつくってあげる。「今」というのはここに現実としてありますから確かな環境です。その次には、この安心できる環境から PTSDという体験を眺めて、それに対する意味づけとか納得とか何かをしていく。「今」を直接にゆさぶらなくなったこの体験は自分を圧倒するものではないので、自分の懐にこの体験を入れ込んでしまう。自分の人生史の中に組み込むことによって、外傷体験は歴史上の出来事として定着される。それがハーマンさんの治療の骨子であります。それに沿って治療をやっています。

 

ここで精神分析のお話をちょっとします。それは、精神分析が役に立つという話では全然ないのです。皆さんが、私の話を聞いて理解してくださるための理論の枠組みとして精神分析の話をします。

 

忘れられた記憶というのがあります。忘れられた記憶は、抑圧された記憶。そいつをもう一度わざわざ引っ張り出して、あれはこうだったとか、今から考えたら思いすぎだったとか何かやって、そしてもう一度、意識された自分の歴史の中に組み込むわけです。組み込むと、それで治療が終わる。なぜ治療が終わるかというと、僕の今のPTSDの観点からの理解でいいますと、一生懸命忘れてしまう、思い出さないようにしてしまうという行為は1つの記憶の領域における回避ですから、その記憶が再生してくる契機になるようなさまざまな活動場面をもまとめて回避します。そうしないと、また思い出すかもしれない。だから回避する。そうすると、自分の精神的な資質や与えられた幸運で仕事のチャンスがあったりしても、それを回避するから生活が狭くなっていく。狭くなっていくことから、内に歪みが生じる。そこで治療者が支えながら、「そんなに忘れなくてもいいじゃないの。思い出しましょうよ」といって記憶が思い出されて歴史の中に位置づけられる。そこで、今まで回避されていたさまざまな能力も状況も、あまり不安なく直面できることになって、精神生活ひいては行動範囲が広がってくるというのが、記憶の面から考えたときの精神分析の治療であると思います。

 

じゃあ、精神分析をしてはいけない人はどういう人か。これは昔からいわれています。忘れてしまう能力がない人。何でもかんでも思い出すような人は、精神分析をしてはいけないのです。そういう人は治療が終わった後、帰りに自殺したり、何をするかわからないから。だから、精神分析の中であたかも悪いことのようにいわれている抑圧とか、回避とか、サリブァン流にいえば「意図的な盲点」というものは、少なくとも過去のその時点における有効なコーピングであったわけです。そのコーピングでやってきた、何とかそこを過ぎてきたけれども、しかし、そのために随分と生活が不自由になっているから、もうぼつぼつそのコーピングはいらないんじゃないのということであって、まだ必要な人にコーピングをやめさせたらしっちゃかめっちゃかになるわけです。だから、精神分析がやっていることは、その人の人生において時代遅れになった、もういらなくなっているコーピングの構えがいまだに続いているせいで人生が貧困になっていることの、その部分を解消することであるわけです。それはあとでPTSDのお話に絡めて申しますから、精神分析全体をある特定の角度から照らしてお話ししているのです。

 

その観点に立ちますと、最近、腹立たしいのは、池田小学校でも長崎でもそうですが、何か事件が起こるといろんなチームを作って、外傷体験がどのぐらい子どもたちに影響を与えているかを、行って調べるんです。「夢を見ますか」とか、「やっぱり思いだしたら気分が悪いですか」と。あれはほとんど犯罪だと僕は思います。記憶が定着していつでも思い出せるようにするために勉強の復習というのがありますね。予習復習の復習。復習は、記憶をいつでも思い出せるように、忘れないようにするわけです。さっきの僕の話でいうと、「そのうち時間とともに忘れるよ」「そのうち過ぎていくよ」ということをさせないように、「思い出すでしょう?思いだしたらドキドキしますか?」「どんなふうに記憶に出ますか」といって復習させれば忘れられないようになって、それはPTSDをつくる作業だと僕は思うんです。ああいうのは検査しないで早く忘れてしまうようにする。その子どもたちは自分のそういう場面を避けたりして生活が狭まっていますから、もう少し時間がたって20歳とかになって、自分の生活力、精神的な力が増えたときにもう一度、忘れていたものを引っ張り出して精神分析をする時期が来る。今したら、血が出ているのに「痛いね」とか言ってなでたりするような実にけしからん治療というか、行いだと思って、あちこちで、「あれは悪魔の所業だ」といっていますが、どうでしょうね。

 

今話したことの中にPTSDの治療の骨子が全部あります。つまり記憶は、こっちが「よし、記憶を思い出してみようか」といって、治療者との間に安心できる間柄の雰囲気ができて、「勇気を出してひとつ共同作業で思い出してみましょうか」とやってるのではないのに、パンパン記憶がよみがえってきたらどうにもならない。それではとても日常が安定するはずがないです。これがフラッシュバックです。

フラッシュバックというものは突然来ます。例えば阪神大震災がありますね。阪神大震災の後で、風で木の葉が揺れたり、子どもが貧乏揺すりをしたり、そういう揺れるというようなものを見ると、それ自体は大震災の記憶じゃないのですが、大震災のときの体験全体がフラッシュバックして、「やめて!」とかいう。揺れるような電気のひもを全部外すとか、理性では、「ばかばかしい。ぜんぜん関係ない」とわかっていても、揺れるものを見ることによって生理的に記憶がよみがえってくるのです。ただし、これは必ずしも脳の不適応的な活動ではないかもしれないです。自分に重要なことについての一発学習というものの有効な活動だと思います。条件反射で学習するのでなかったら学習はできないということになったら、何度も痛い目にあってひどいものです。5回ぐらい地震にあわないと地震の時にぱっとよけることはできない。だから重大なことについては、おそらく一発学習するように脳ができているんです。そうでないと、しょっちゅう痴漢にあったりしたらたまりません。だから、重大なことについては必ず一発学習というのがあるんだと思います。そういう一発学習の能力が裏目に出ているのです。脳はもちろん、いらないときに思い出してもしょうがないから、一生懸命これを押さえようとしているはずです。

 

ところが、このフラッシュバックというものはなかなか押さえられません。中井久夫先生がどこかで書いていらっしゃったけれども、スキゾフレニアに抗精神病薬をやって、ある程度うまく治まったけれども、ある特定の幻聴や妄想だけがどうしても消えないときに、それがフラッシュバックである可能性がある。僕もそれは何例か経験していますが、抗精神病薬が効かない。

 

フラッシュバックでもう1つ大切なのは、さっきのハーマンさんの、安全な環境というものをつくる必要があるということに関してです。治療者も本人も一生懸命、本人の不安が起こらないような環境をつくります。しかし、治療者の努力と全然関係なく、フラッシュバックによって無惨にも壊れるんです。被害者である患者さんの脳がささいなことで記憶をぱっと呼び戻しますから、安全な環境がすぐ壊れます。ハーマンさんは、それに対しては何も方法を持っていないんです。

 

ハーマンさんの方法でも、安全な環境をつくってじっと待っていれば脳は自然治癒力でだんだん良くなるから、僕の場合と同じように夢の中だけに出てくるようになっていけば、眠るときは怖いけど目が覚めたときは安全なんだというふうになります。しかし、僕は何か効くものがないかと思っていろいろやっていて、それを発見しました。

 

漢方です。四物湯(シモツトウ)と桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ)という漢方があります。ツムラでいうと、71番と60番です。これを合わせて1日1回~2回、ひどい人は3回飲ませると、フラッシュバックは1~2ヵ月で随分軽くなります。これをどういうふうにして発見したかといいますと、ここら辺からだんだん怪しげになるので皆さんは嫌いかもしれないけど。僕は薬を使うときに、その人の全体の気をみます。向こうから気が来るのに薬を出して、その気を打ち消せるかどうかというのをみるんです。しかし、そんなことはどうでもいい。発見の経緯は怪しくても大切なのは結果だから、使ってみてください。

 

四物湯は衰弱した細胞を支えるような作用で、桂枝加芍薬湯はてんかんにも使います。そのふたつを使いながら脳をにらんでいましたら、こういうものが見えるようになったんです。(図1,2)


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これがまた皆さんは嫌いかもしれないけど。僕は邪気と呼んでいる、何かウッというような感じが、ここにこういうふうに見えるんです。これは僕だけが見えるのか嫌だなと思っていたら、僕の所に陪席にきている人も大体1ヵ月か2ヵ月するとわかるようになります。「出ていますね」といいます。横から見ますと、図2のようになっているんです。縦から見ると図1のように見えます。これを九大の黒木俊秀助教授に言ったら、「それは帯状回だろう」と。ここのどこかに海馬があるのでしょう。PTSDは海馬と関係があるという話があるけど、僕は海馬を見ているわけじゃなくて、おそらく帯状回でしょう。金沢で山口成良先生にお話ししたらやはり、帯状回だろうとおっしゃいました。僕は脳のことはあまり知りませんが、帯状回はほとんど運動系のトランスミッターか何かが集合しているんだと思っていましたが、最近、「情動とも深い関係があるということがわかってきたんですよ」と教えてくれる人がありました。

 

雑誌『こころの科学』の一番新しいやつがPTSDの特集をしています。また、ほかの人からもらった文献でも帯状回は情動と関係していると書いてあります。ところで、僕にはどうしてもこういうふうな馬蹄形にしか見えないんですが、そんなのはどうでもいいのです。四物湯と桂枝加芍薬湯の処方を出すと邪気が薄れていきまして、並行してフラッシュバックが消えます。僕は、この場所を抑圧した記憶の再生をコントロールする場所として、そのうちに誰か発見するかもしれないと思って楽しみにしていますが。それもどうでもいいんです。ここがくたびれているんだと思います。四物湯は、細胞のくたびれを良くする漢方ですから。桂枝加芍薬湯の方は昔、慶應の相見三郎という先生がてんかんに効くといって発表した漢方で、もともとは腹の薬です。この2種の処方を飲ませると、1~2ヵ月ぐらいでだんだんフラッシュバックが減ってきます。

 

邪気が見えると便利だけど見えなくてもフラッシュバックを見つけるコツがあります。すべての人の行動というものは連続性があるんです。なのに、突如として出た変化。症状が突然出た場合に、フラッシュバックを疑ってください。例えば、先ほどの症例発表で、双極性障害の人がコンビニの店員をぶん殴ったというのがありましたね。理性的な人だったのにぶん殴ったと。あれはおそらくフラッシュバックです。あれは、何か攻撃的なことをされたことがPTSDとしてあって、その店員の人のしぐさかことばによって外傷体験の記憶が誘発されて、店員さんが昔の歴史上の加害者と重なった瞬間に暴力が出ます。本人の理性は、この人と昔の人は別だということはわかっているんです。わかっていても止まりません。あとで反省はしますけど。そう考えると、精神分析での転移という概念は、実はひそかに起こっている小さなフラッシュバックのことではないか。転移とは、昔のことが今のことになってしまっているということだからです。だけど今はそれも考えなくていいです。

 

ところでボーダーライン・パーソナリティー・ディスオーダーとして僕の所に来た人は、もう30名以上。そういう診断の添書を持って回ってきた人には、僕の考えるボーダーラインは1人もいません。すべて医原性のものです。しかも双極性障害と僕が考えるいわゆる2型の人がほとんど全員です。それが境界例とか性格障害といわれるようになった理由は、昨年の『臨床精神医学』の4月号に書いていますけど、1つはマイナートランキライザーによる脱抑制作用。僕は慢性酔っぱらい状態といいますが。酔っぱらいで脱抑制になって抑えが効かなくなります。それは本人に聞いたらわかります。「自分はいろんな感情をもう少し抑えることができるような人間だったのにと、情けないと思いますか?」と聞くと、「はい」といいますから、それはマイナートランキライザーによるものです。

 

それから、抗うつ剤。アキスカルさんはできるだけ抗うつ剤を使わないようにというようなことをいっていますが、僕もそう思います。抗うつ剤を、双極性障害のメインの治療薬にすると境界例をつくると僕は思います。

 

それから、治療者が内省を誘発するような精神療法的な働きかけをするのも境界例状態を作ります。だけど何より一番大きい原因はフラッシュバックです。双極性障害の基本性格は人と親密な関係を作ろうとする傾向があるせいで、いじめを受けやすいんです。ともかくうつの人を診たら、わずか1分しかかかりませんから3つの質問をしてください。1つは、「いじめを受けていた歴史がありますか」ということを聞いてください。それから、双極性障害ではないかということを考えて、「中学ごろから原因のわからないスランプの時期がありましたか」と。スランプの時期があって、自然に良くなっていましたかと。躁は、問う必要はないです。躁はソフトですから、わからないです。「気分が良すぎたことはありませんか」と問うと、「いや、あのぐらいだったら良すぎません」というような話でつまらない。スランプの時期はありましたかということ。そして、自然に良くなっていましたかということ。そして、お父さんかお母さんの家系にそういう気分の波がある人がいませんかと。それだけ聞いてください。それで「イエス」だったら、診断はわからなくても、何が何でも気分調整薬をファースト・チョイスとして出してください。

 

 

そして、PTSDの質問はこんなふうにするんです。「思い出したくもない記憶や昔の気分が、突然吹き出してくることがありますか」と。「ささいな刺激によって誘発される」ということの、このささいな刺激の方は気がついていないことがありますから、突然吹き出してくることがありませんかと。これは、知的障害者で突然暴れて人をぶん殴ったりする人に聞くと、「うん」と、ものすごくうれしそうに反応します。思い出したくもないことがぱっと吹き出してくるという問いは大体わかります。IQ40ぐらいでもわかります。残念ながら自閉症には聞いてもわからないです。しょうがないから、脳の邪気が見えなくてもためしに。漢方はあまり悪いことはないから使ってみてください。投与してパニック発作が軽くなれば、それでいいんです。

 

ただ、四物湯は胃が悪くなることがあります。面白いことに、これが効いている間はあまり胃が悪くなりません。フラッシュバックが減ると胃が悪くなります。四物湯には地黄(ジオウ)という強壮剤が入っているんですが、そいつで胃が悪くなるんです。そのときは減量して1日1回にするか、四物湯に胃薬を加えたもので十全大補湯(ジュウゼンタイホトウ)というものがありますから、そいつに代えてみてください。

 

それから、体がもともと虚弱な人は、桂枝加芍薬湯では合わないことがあります。自閉症でもそういう人はいますが、そのときは、これに水飴を加えた小建中湯(ショウケンチュウトウ)というものがありますので、そいつに代えてみたらいいと思います。

 

それから、フラッシュバックもあるけれども、常にいらいらしたり神経質だったりする人は、この桂枝加芍薬湯にカルシウムを入れた桂枝加竜骨牡蠣湯(ケイシカリュウコツボレイトウ)というのがありますから、それに代えて、こういう組み合わせで使うといいですが、基本処方はほとんど四物湯と桂枝加芍薬湯でうまくいきます。もうすでに漢方をやっている何人かの先生に非常に喜ばれていますから、これは確かです。

 

実はフラッシュバックに効く抗精神病薬はないといってきたんですが、漢方は飲めない人がいますので、そんな人はどうしようと思っていました。ひとつ思いついたんですが、それはピモジド(オーラップ)です。これはなぜそうか、わからないです。また皆さんが、「変なことをいう」と思うかもしれないけど。オーラップの1ミリの1/4錠ないし1/2錠を寝る前に。これが、四物湯、桂枝加芍薬湯の代わりになるかもしれないんです。なぜかは、わかりません。私の根拠はたった1つ。オーラップのこの1/4をこうして持っていくと、脳の邪気がこっちに伝わらなくなって減るから効くんじゃないかなと。先週、思いついたのですから「効くか効かないかもわからないけど飲んでね」といってもう5~6人に出しているんです。来週ぐらいに結果が出ます。1/4だからあまり害はない。ただ、SSRIとの併用がちょっと問題になるので、そうでない人でフラッシュバックのある人に使ってみてください。いいかもしれませんが、わかりません。この講演がペーパーになるころには、「~としゃべったけどもウソだった」とかいって、あとで書くかもしれません。大抵うまくいくんじゃないかなと思います。以上がフラッシュバックの処理なんです。

 

じゃあPTSDはフラッシュバックの処理でいいのか。そんなことはありません。しかも、フラッシュバックは押さえ込めばいいと必ずしもいえないかもしれない。フラッシュバックというものは、実は脳の記憶の系列が過剰負荷を減らすために行っている、脳という生体のコーピングである可能性があるでしょう。すぐに皆さんが思い出されるのは、フォースド・ノーマリゼーションの現象ですね。フォースド・ノーマリゼーションに非常によく似ていると思うんです。桂枝加芍薬湯という発作に対する漢方が入っていることから、何か似通ったものがありそうです。つまり、フラッシュバックを抑えることは緊急処置として必要だけれども、これは生体の自己治癒のプロセスに対して待ったをかけているかもしれないです。ですから、抑えて喜んでいたら駄目なんです。とりあえず緊急処置をして、そこから治療が始まるわけです。次に精神療法が必要なんです。

 

精神療法というと、好かない人もいるかもしれない。だけど、簡単です。今私が話したことは仮説ですけれども。「フラッシュバックがあるからあなたは安定しない。そうでないときは安定しているでしょう」というようなことを話して、それでこちらの治療方針とその治療方針の下に流れている仮説をお話しすること。これが最も精神療法なんです。つまり、インフォームド・コンセントが精神療法なんです。今どのような方針で治療がなされているのかということを患者自身が把握できることが、特にPTSDの精神療法なんです。なぜかというと、PTSDが起こった状況というものは、理解困難な部分、「なぜなんだ」「なぜ私がこのような目に」ということや、レイプ被害者の人だったら「どうしてなんだ」と叫びたい。そしてまたこの症状が起こってきて、なんでこんなことになったのかわからない。この「わからない」ということは、人間が知的な生物ゆえに特別に有害なんです。

 

大事なことをいいます。仮説ですから、わかったといっても真実かどうかわかりません。だけど、わかったという気分が持つ癒しの作用があるんです。水子供養などというのは、「なるほど、そうだったんだ」と、供養して、それでつじつまが合う。つじつまが合うと、確かにそれで良くなる。「あれはウソだ」といったらしかられるかもしれませんが、確かに治療効果がある。だから、つじつまが合って把握できたと思うことは治療効果がある。そう思うと、みんなあまり精神分析を嫌いにならないでしょう。もう隅から隅までつじつまが合ったと思うことで良くなるというのは、人間が知的な生物だからです。どうしてもその部分がうまくいかないと駄目なんです。

 

わかったという感じにして、そしてフラッシュバックが抑えられたら、ハーマンさんがいっているように、「もう一度、少しずつでもあの事件を一緒に眺めてみる?」といって、それから話し合う。せっかくフラッシュバックを抑えているのに、またそれを掘り起こすのは変だと思われるでしょうが、違うんです。フラッシュバックのときは、眺めようと思わないのに来るからかなわないんだけど、「眺めてみようか」といって身構えてからする。ボクシングでもそうでしょう。亀田選手のお父さんは棒の先に何かくっつけてヒュヒュッとやるけど、知らないのに毎日やられたらたまらない。「よし、今からボクシングの練習だぞ。身構えろ。いくぞ」といってからやるから練習になる。本人もその気があるから有効なのです。

 

精神療法でもすべては本人がやる気があってするんです。行動療法もそうです。山上敏子先生が来て話したと思いますけど、人間は動物と違うから、本人がする気がないのにしたら、めちゃくちゃに悪くなる。行動療法も、本人が自分に行動療法をするのを、治療者が助言したり一緒に助けたり。本人の力の足りないところ、例えば、我慢すれば不安がだんだん下がっていくというならそうしようといったときに、「それなら、あなたは自分では行動が制御できないから、私がギュッと握っていてあげようか」といって触る。そうすると、握っている治療者の手は、実は本人の意向でそうしている手であるという感じがあるわけ。人間は、自分でコントロールできているという感じが精神療法になるのです。

 

ところが、僕は今、大体1日50人ぐらいの患者さんを外来で診ていまして、そのうち新患が全国から大体3人~4人ぐらい来ますのでやっていられない。どうしても向こうがしたければちょっとぐらいは手伝うけど、5分以上は診療できないから困った。もう精神療法なんてやれないわけ。

 

そこで何を考えたか。PTSDは犬もなるだろうと。漢方を使ったら効くかもしれない。だけど、犬に「昔のことを思い出して話して」とか、「効いたから、それならひとつ、昔のことを一緒に思い出して」とやってもできませんね。

 

『こころの科学』を読んでください。僕は読んだらうれしかった。中井久夫先生がPTSDについて書いておられる。自分が観察した犬のPTSDの話を書いておられる。神戸の大震災で、やはり犬が駄目になるらしい。中井先生によく吠えていた犬が、おとなしくてほえる気力もなくなって死んでしまったとか、何例か犬の例が書いてあります。僕も前から、犬もPTSDになるはずだと思っていた。

 

この間、5月に九州で総会があって、中井先生が特別講演をなさった。素晴らしい講演でした。控え室で一緒に話したときに見たら、中井先生には脳の邪気があった。(会場・笑い)

 

これがあったから、「これはPTSDの脳です。フラッシュバックがあるでしょう。桂枝加芍薬湯と四物湯を飲みなさい」といった。僕は誰にでも何でもいうのです。そうしたら、「そうね」といって、何か変な顔をしていましたけど、それを飲んでみたというのが雑誌に書いてある。(会場・笑い)

 

ほかの患者さんに使ったけど、必ずしも2つ使わなくても、一方だけでも効く人もいる。中井先生は素直だから、神田橋先生がそういうから、自分はそれを飲んでみたと。そうしたら、阪神大震災のはわからないけれども、青年期の自分の外傷を思い出したときの迫力が減ったような気がすると。先生の家は岩盤の上に建っているので、大震災が起こったということは全然わからなかったそうです。本が1冊ぐらい倒れたぐらいで、先生のお宅はほとんど揺れなかったみたいなんです。だから脳の邪気は青年期のやつだったんですね。

 

しかし、それからその雑誌を見ていたら、今度は、性格障害と PTSDの問題を、岡野憲一郎さんが書いておられる。2つあるんです。PTSDで性格障害が起こるというデーターはもちろんあります。他方で、性格障害がある人はPTSDになりやすいという、それもデーターがあるんです。そうすると、鶏と卵で何だかわからないでしょう。この問題に対する答えを僕は考えたの。

 

それは、フラッシュバックがなぜそれほどに有害な力を持つかということ。ここに外傷があります。そこへささいなトリッガーになることがあると、外傷が引っ張り出されてきます。ところが、これに類似した幼い日の外傷があると、もう幼いときのことできれいに忘れていたはずなのに、この外傷がそいつをフラッシュバックします。沈静化して瘢痕のようになっているのに、こっちが強いものだからひきづられてフラッシュバックしてくる。芋づる式の体験。

 

そうすると、ハーマンさんのいう複雑性PTSD。幼児期に、例えば近親姦なんかで何年も何年もそういう害にさらされた人は、次々に芋づる式になっていき、性格障害と呼ばれる病像の本質的な形が完成する。そうすると、さっきの性格障害がPTSDになりやすいし、PTSDが性格障害をつくる、どっちがどっちということが一挙に解決するはずなんです。解決したって、説明がついたって一銭にもならないので、そこから治療が出てこないといけないでしょう。

 

それで、ここからだんだんとオカルト的になるから、嫌いな人は聞かなかったことにしてください。

 

東京の竹島希さんという、気の治療をしている人が気がついて、僕に教えてくれたのです。外傷体験があったころのアルバムに、例えば幼稚園児の外傷体験が写真に写っている。見ると、邪気がある。こいつを気の治療で取ると。そこからがオカルト的なのですが、写真の気を取る。写真がきれいになると、現在のその人の邪気が減るというんです。本当かなと思って、僕も少し気のことができるから、してみたらやはりそうなる。これは全然説明がつかない。

 

 

話は変わりますが、3歳、4歳ぐらいの外傷体験で一番多いのは、両親の仲が悪いとかそういうことじゃない。一番多い外傷体験は引っ越し。それを覚えておいてください。考えてみたらそうでしょう。子どもにとっては、見えている世界がぱかっと変わるわけだから。もう宇宙旅行みたいなものだ、「あれ?」と。

 

昔、九大にいるころ、神経症の治りやすかった人と治りにくかった人のバックグランドを、村田豊久君たちと一緒に調べたことがあった。何も有意差は出なかったけど、1つだけ出た有意差は、幼稚園までに引越しが多かった人が治りにくいということ。その意味は説明できなかったけれど、それを思い出して今しゃべっているのです。引っ越して世界がころっと変わったら、子どもはわからない。

 

対策としていいのは子ども部屋に地図を置いて、「ここからここへ行くのよ」とか、「ここを汽車と車でこうやって行くのよ」と。そして、前の世界は失われたんじゃなくてちゃんとあるということを確かめるために、お休みのときにでも、また同じルートを通って行ってみる。やはりなくなっていないということ、自分が動いたということがわかれば、そうするとそれで外傷体験は、幼い時だったらすぐに治ります。そうやって連続性が断ち切れないようにしてあげてください。それを何人かの人に教えてあげて、とても感謝されました。つまり、引っ越した後に寝小便が増えたり、じんましんが出たりしたのが治ります。

 

ところで歴史上の邪気を取るのに、僕はこういうことを工夫しました。害のない方法だから、これから先はしてみてください。写真を持って来させて、その上に本人の左手と、その上に右手を置く。左手を置いて、右手を置いて。その上に、お父さん、お母さんやら、家族の左手、右手、左手、右手と置いて。数が多いほどいいから。うちへ来た患者さんの場合は、僕が1人ですると気をつかって疲れるから、看護師さんを呼んできて5,6人で寄ってたかってバームクーヘンみたいに積んでやると、大体1分足らずで写真の邪気が取れます。そして、本人を見ると少しいいような気がするから、いいんだろうと思うんです。

 

そのうちに、写真はいらない。写真を持ってこさせたら手間がかかるから、ただ手だけを置いて。左、右、左、右と、本人の左手を一番下に置いて。夕食の前か何か、家族ができるだけたくさん集まっているときに、友達でも何でもいいですから集めて、それを30秒してもらってください。ご飯を食べる前に、黙って。何も考えなくてもいいから、ただこうして。するといいです。

 

何がいいのか。確実にいいことがあります。今僕が話したことは全部だめでも、確実にいいことがある。問題になっているほとんどの家庭は、一緒に何かをするということがない。そこへ毎日、30秒でも黙って何かを一緒にする。何か訳のわからないことを先生がいったから、治療になるのかもしれないからやってみよう。これが有効です。一緒の体験が。

 

それから、お互いにしゃべらない。対話をしない。これがいいの。ほとんどのけんかの源は話をするからです。黙っていればけんかにならない。けんかのない30秒を一緒に過ごすでしょう。だから、平和でしょう。行き違いがないでしょう。しゃべると、「それはそうだけど」とかいってお互いに意見が食い違う。黙ってこんなことをしていては意見は食い違わない。

 

これが本当に効果があるのかどうか怪しいなと思っていたら、僕の所に陪席とスーパービジョンに来ている、広瀬宏之先生という小児精神医学の先生の所、東京の国立成育医療センターというところに子どもの患者がいっぱいいるので5,6歳の子どもにしてみると、終わった後に子どもたちが「気持ちがいい」というそうです。

 

今、僕は、20歳とか18歳、17歳ぐらいの人たちの過去の外傷体験をやっているんですが、広瀬先生は、今、外傷体験の最中にいる人たちをやっているわけです。そうすると、子どもたちが「気持ちがいい」といって、目がぱっと開くそうです。だから、少なくとも現在の外傷にはいいんです。多人数で手を重ねてください。何か役に立つ。何しろ害がないでしょう。しゃべらないでしょう。方法を教えるだけでしょう。診療時間が短くて済むでしょう。「看護師さん、来て」といって、やっても5分以内に終わる。「これをおうちでやってね」「やっていますか」といったりするの。

 

それだったら、犬にもできるはず。犬にもPTSDがあって、犬も治療する。人間はことばを持っているから、ことばだけで構築されている世界。僕の一番新しい本でいえば、『ファントムの世界』。ファントムの世界を治療するのにはことばでないと駄目。犬にはファントムの世界はないから、必要ない。だけど、犬と共有している部分、ことばを使わないでやる治療というものがあり得るはず。だから、そう考えれば、もともとは時間を節約するためにサボりの精神からつくった治療だけど、治療というものの本質をついているんじゃないかなあ。

 

今やったのはフラッシュバックの治療ではなくて、PTSDの内容になっている不安、緊張、過去のごちゃごちゃしたいろんな感情の波を治療しているわけです。それは犬にもあるはずです。

もう1つ、話しておきます。これはオカルト的ではないけれども、あまり皆さんは好かないかもしれない。バッチフラワーというのがある。バッチフラワーを知っている人は変な精神科医なんです。心療内科の先生方はよくご存じです。エドワード・バッチという人が英国にいて、僕が生まれる1年前に死んだので古い人です。この人は、イギリスでやたらはやって金持ちになったお医者さんだったけど、だんだん医者をするのがあほらしくなったんでしょう。患者が病気をして医者がそれを治療するというんじゃつまらないじゃないか。やはり医学というのは、患者が自分で自分をいろいろ工夫して治せるという部分を広げていかないとしょうがないじゃないかというようなことをお考えになった。そしてあるとき、患者が自分でもできる治療法というのを探すために自分の診療所を閉めて、一生懸命に研究された。最後は、花のエキスというか、フラワーの波動を使うということに到達された。それでお金がなくなって、しんだときは貧乏だったらしいです。そういう人がいるんです。それで、38種類の花のエキスを使ってする治療法を考えられました。これはほとんど精神的な内容です。バッチ先生は何を考えたかというと、ほとんどの病気は心身症であると。あるいは、病気が治らなくなっているのは心身症である。だから、花によってその人の精神的なムード、霊的な世界を癒せば、それで自然治癒が急速に進んで、すべての病気が良くなると考えて方法をつくられたんです。

 

インターネットをなさる方は、「バッチ」の「フラワーレメディ」というので検索されますと、日本中にいっぱい店があります。アメリカではドラッグストアとかそういう所にも置いているらしいですけど。それをやってみられたらいいです。僕はいろんなものを探してこれに出会ったときはうれしかった。なぜかというと、その中に、「スター・オブ・ベツレヘム」というレメディがあるんです。これが面白い。これは花の名前です。これはバッチ先生が名前をつけたわけじゃない。バッチ先生が花を探しているときにそういう花があったわけ。おそらくキリストの誕生のときに賢人を誘導した星が「スター・オブ・ベツレヘム」じゃないかと思うのですが、その名前をつけられている花で、写真で見たらまっ白い五弁のきれいな花です。

 

この「スター・オブ・ベツレヘム」の適応にどういうことが書いてあるかというと、「過去にショックを受けたり、何かつらい目に遭ったりして、それを引きずっている人」というのがあるんです。これはもう、ぴったりじゃないですか。

 

これは販売しているんです。探せば、おそらく札幌でも店がいくつもあります。たいていアロマセラピーを扱っている店です。これは安いです。*1本2,310円。これを本来は8滴ぐらい使うのですが。これは使い方がありますけど、そこの店の人が教えてくれます。*2,310円で1ヵ月分ぐらいありますから安いものです。もう1年ぐらい「スター・オブ・ベツレヘム」を使っています。

 

それで気がついたのは、「スター・オブ・ベツレヘム」を使っても外傷体験自体はきれいに過去のものにはならないということです。ただ、外傷体験を思い出したときの迫力、思い出したときの本人の心が揺れる程度が軽くなるんです。軽くなるから、その問題を話し合える。話し合うのがしやすくなる。「どうですか、時々やっぱり思いだす?」「思い出した時はどんな?」というようなことは、5分の診療の間でもできます。それが本人を揺さぶって、またリストカットになったりするようなことが減ってきます。このバッチフラワーは病的な構造を処理しているわけではなくて、病的な構造の中に大量に備給されている精神的なエネルギーというか、別のことばでいえば、スタンスのゆがみが修正されていくので、そういう外傷体験とか恐れとかいろいろなものがあっても、そこにばかりに固執したような意識のスタンスでなくなるということであろうと思います。それはどうでもいいのです。治療として使うととても有効です。

 

そして、ここにもまた大事なことがあると思います。初めは僕が教えてあげるけれども、「バッチフラワーを勉強してください」と本人にいうんです。バッチ先生は「患者が自分で自分の治療をできるようにしょう」ということでこれを発明されたんです。これは試しても害はないから、いろんな本があるので本で勉強して自分で試してみて、バッチフラワーの38の中から自分用のものを選んでいろいろなときに使うようにしなさいと。勉強させる。

 

そうすると、そのことが PTSDにとってはまた著しく治療的なんです。なぜかというと、PTSDというものはほとんどパッシブな体験であり、そのとき、自分がその状況をまったくコントロールできなかったという体験です。だから、無力です。そしてその無力感というものが生活の中に瀰漫して、無気力であり、すぐにギブアップしてしまって手を切る。少し、「何くそ!」という人は根性焼きをしたり。根性焼きというのは前向きですね。「よし!」といってやる。無力から有力へと。だけど、自分でコントロールする方法を少しずつ少しずつ築き上げていこうとするスタンスは、生活の中から無力感をだんだん減らしていくという精神療法になるわけです。

 

三浦雄一郎さんはアルプスをびゅーっと下がっているから、あれは死の恐怖と闘いながらやっているんだろうけど、全然、PTSDなんかにならないものね。あれは好きでやっているんだから。スカイダイビングをやっている人もそうでしょう。あれは全然、無力感じゃないわ。自分で何とかうまくやってやろうということでやっているわけで、好きでやっているんです。好きでやっていてPTSDというのはない。PTSDが起こってくるのは全部、自分は全然する気もないのにそういう状況にさらされて、「あ~あ」というようなものです。「助けて」というようなものですね。そこを、「助けて」じゃなくて、「自分で自分を助けるぞ」というようなスタンスが生まれるということが精神療法なんです。

 

だから、精神療法でいろいろ難しいことをいうのは全部、根本の外なんです。ちょっとマニアの世界。やはり精神療法というものも本当に治療である限りは、犬や猫にもできる部分が本質。人間にしかできないのは趣味の世界でしょう。だけど、人間はうまいことをいってやらないことには、犬猫みたいにして「やってごらん」とかいっても、何とかかんとかいうて、やらないから、それにはやはりことばが必要だけれども。バッチのレメディをつかって次第に、自分なりに状況をコントロールしていこうとする。コントロールできるんじゃなくて、コントロールしていこうとするスタンスがついた瞬間にPTSDとしての治療は終わります。完成します。すると、薬はいらなくなります。それがPTSDの治療で、今のところ9割の人は成功していますので、僕はPTSDの治療についてはこれで完成だと思っています。

 

[追記]  神田橋   その後の経過でオーラップ(1mg)の1/4~1錠寝る前という処方はフラッシュバックの抑制に有効です。ことに知的障害のある人のフラッシュバックに有効です。また最近の経験ではエビリファイ(3mg)1~2錠の日中投与はフラッシュバックにもまた情動の不安定にも有効で使いやすいようです。漢方・オーラップ・エビリファイの使い分けや併用については現在模索中で結論が出ていません。

 



共通テーマ:日記・雑感

妄想性人格障害 浮気を疑われた場合

恋人や配偶者が「浮気しているのではないか」と過剰に詮索する人たちの一部には、
このようなタイプの人もいる。

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妄想性人格障害

裁判に訴えるのがすきという点では、好訴的人格障害と似た点もあるのだが、全体としては大きく違う。まず、「根本的な人間不信」と「過敏」そして「冷酷」が主徴である。

まずはいつものように、DSMで見てみよう。
妄想性人格障害の診断基準。
次の7つのうち4つ以上あれば妄想性人格障害が疑われる。

1.十分な根拠がないのに、他人が自分を利用したり、危害を加えたり、だましているなどと疑いを持つ。
2.友達の誠実さ、親切を不当に疑い、そのことに心を奪われてしまう。
3.何か情報を漏らすと自分に不利に利用されると恐れ、他人に秘密を打ち上げることができない。
4.悪意のない言葉や出来事の中に、自分をけなしたり、脅かすようなことがあると深読みする。
5.侮辱されたり、傷つけられたり、軽蔑されたことを恨み続ける。
6.自分の性格や評判に対し過敏に反応し、勝手に人から不当に攻撃されていると感じたり、怒ったり、逆襲したりする。
7.根拠がないのに恋人や配偶者が「浮気しているのではないか」と詮索する。

ICD-9分類 301.00 妄想性人格障害
ICD-10分類 F60.0
他人の目的が悪意に満ちているという不信や猜疑心は、後述のような4つ以上の兆候として成人直後に始まり現在まで引き続いて現れてくる:

1.猜疑心:十分な根拠も無く、他人が自分を不当に扱っている・傷つけている・だましていると疑う
2.友人や仲間の貞節や信頼性に対し、不当な疑いをもち続ける
3.情報が自分に不利なように用いられる、という根拠の無い恐怖のために、他人を信頼するのに躊躇する
4.善意からの発言や行動に対し、自分を卑しめたり恐怖に陥れるような意味あいがないか探る
5.執拗に恨みを持つ:自分が受けた無礼、負傷、侮辱などを許さない
6.自分の性格や世間体が他人に伝わっていないことに攻撃性を察知して、すぐに怒って反応したり反撃する
7.配偶者や異性のパートナーの貞操に対し、正当な理由もなく、繰り返し疑いを持つ
ただし、精神病的な特徴を伴う気分障害や統合失調症、およびその他の精神病的障害を除外すること

*****
基本特徴は「猜疑心」と「敏感性」、これは表裏と思えます。ついで「不信」「論争好き」「頑固」「自負心」「嫉妬」。社会になかなかとけ込めない。ちょっとしたことで怒りを爆発させる。いつも緊張している。他人を疑う、特に浮気を疑う、執念深い、恨む、被害的になる、裁判に訴える、冷酷。

構造を抽出すると、「猜疑の傾向と敏感性」これが表裏一体である。そしてあとの特徴はここから自然に説明されるが、「冷酷」の軸だけは別のような印象である。

※浮気を疑ったとき、最近多いのは、携帯の履歴やメールを見てしまうというものです。あるタイプの人は、見てしまい、そしてあとで後悔して、「こんなことをしてしまう自分は異常だ」「惨めな人間だ」「犯罪者だ」と言って自責します。このような自責があるのは、妄想性人格障害としては本流ではないと思います。本流はあくまで「自分だけは正しいと信じきっている」のです。携帯の中を確かめるのは当然の権利だ、配偶者の行動が間違っている、心のありようが間違っているのだから、正してやる、更生させるのが私の任務だ、といった程度のことは平気で言うようです。本気でそう信じているようです。訂正不可能ですから、妄想と言います。
※自責するタイプは、クリニックに来ることがあります。そうすると、猜疑心も敏感性も、自分の反省の対象になっているわけです。したがって、クリニックに来る人の場合には、訂正不能で対話不可能な「妄想」にはあたりません。

*****
質問リスト。「はい」が多ければ、妄想性人格障害の要素がより濃厚。

質問1 わたしは他人を信用できない。
質問2 他の人たちはきっと色んなことを隠していると思う。
質問3 他人は私を利用したり、操ろうとしている。
質問4 私はいつも警戒しておかないといけない。
質問5 他の人を信用するのは安心できない。
質問6 他人の親切には裏があると思う。
質問7 私がヒントを出すと、他人がそれを利用してしまうと思う。
質問8 まわりの人たちは友好的ではない。
質問9 他の人が自分の邪魔をする。
質問10 まわりの人々が自分を困らせたがっている。
質問11 他の人の言いなりになっていると、とんでもないトラブルに巻き込まれると思う。
質問12 他の人に弱みを握られたら、きっと利用されると思う。
質問13 人が話す言葉には裏があると思う。
質問14 身近な人が不誠実だったり、裏切ったりすることがあるだろう。
質問15 恋人は浮気をしていると思う。
質問16 私は正しい。
質問17 私は無垢で高貴だ。
質問18 私の作戦は完璧だ。
質問19 屈辱は許せない。
質問20 復讐は必ず遂げる。

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周囲の人に対して、自分を出し抜こうとする、だまそうとする、陥れようとするなどと常に警戒して疑っている。
他人の親切に疑いを持ち、親しくうち解けにくく、拘束を恐れ集団に属するのを嫌がる。
他人からは、気むずかしく、秘密主義で、尊大な人間だと思われたり、ユーモアや楽しむといった能力に欠けているように思われがちである。
異常なほどの猜疑心から、ちょっとしたことで相手が自分を利用していると感じる。
病的な嫉妬深さで恋人が浮気していると信じ、その証拠を探し続けようとする(病的嫉妬)。
頑固で非友好的で、すぐ口げんかをしやすい。
人の弱みや欠点を指摘するのは得意。しかし、自分のことを言われると激烈に腹を立てる。
自分の権利や存在価値を過剰に意識し、権威に対しては異常な恨みを抱くことがある。
新しいものに対しても非常に警戒をし、なかなか受け入れない。(好争者)
強い自負心がある。
内心では自分には非凡な才能があり、偉大な業績を残せると固く信じている。
この自負心によって、自分が才能を発揮できていないのは他人が邪魔をしているためだと妄想的な確信を抱いている。
この自負心には、敏感性もあり、ちょっとしたことで「裏切られた」とか「だまされた」とかと叫ぶ。(敏感者)

*****
全体に、柔軟さがない感じを受ける。

さて、このようなタイプの人は、周囲に非常に迷惑をかけるのであるが、本人が相談に来ることはない。むしろ周囲の人が困り果て、抑うつ的になったり不眠症になったりして、相談に訪れる。

できるだけ理解したいと考えるので、一体どういう心理構造になっているのか、考える。

****
まず、「疑い深さ」「他人を信じられない」が根底だろう。

妄想性人格障害の人は世間を敵に回して見ているので、いつも警戒している。自分の疑いを深めるような事実を少しでもつかんで、自分の悪い予想を補強し、自分の予想に反するような事実を無視したり、誤って解釈してしまう。このようにして結局、自分の人間不信をいつも補強している。訂正する機会はあるのに、無視したり、解釈しなおしたりしてしまう。しかし、抑うつ的になるわけではない。びくびくして、かつ、怒り易い。
彼らは非常に用心深く、いつも何か異常なことはないかと、様子を伺っている。たとえば、仕事を始めるとか、知らない人との新しい人間関係ができる場合、誰でも心配がなくなるまでは注意深くそして警戒的になるものであるが、妄想症の人はそのような心配をいつまでも捨て去ることができない。彼らは常に他人の悪だくみを恐れ、人を信頼することができない。人間関係や夫婦関係において、この疑い深さは病的で非現実的な嫉妬という形で現れる。いつも不貞を疑い、言い立てているうちに嫌われてしまい、ますます不貞を確信する。

散々言われているうちに、相手は、その人の異常さに嫌気がさして、本当に浮気をしてしまうことがあり、そうすると、やはり本当に浮気をしていたとなるわけだ。
しかし考えてみると順番が逆で、浮気をしたから疑ったのではなく、疑いが過ぎてうんざりさせてしまい、一種、配偶者を浮気に誘導したとも言えないこともないのだ。

盗聴器を使ったり、パソコンの内容を盗み取ることはこの人たちの得意技である。なぜかどの人も、スパイウェアの話とか、クッキーの扱いとか、一回ずつキャッシャも消去するとか、詳しい。

そうした第一段階の方法で欲しい情報が得られない場合には、さらにエスカレートする場合があり、配偶者周囲の人間に、あれこれと理由をつけて付きまとい、思う通りに動かそうとする。このあたりで明らかな社会生活の破綻が生じるのであるが、本人は気付かない。
夫婦生活は一応プライベートな領域で、何があったかなかったか、立証は難しいことが多い。しかしの人たちの場合、ひそかに写真を撮影していたりなど、のちの訴訟に備えるかのような行動が見られる。

こうした人々に特徴的なのは、結局の目的は何かという点で、誤ってしまうことだ。「浮気をして欲しくない、わたしを愛して欲しい」という願いは素朴なものである。しかしこの人たちは、方法として、盗聴し、コンピュータの内容を盗み、追跡し、写真を撮り、郵便物をチェックし、電話記録をとるなど、このうちのどれかでも発覚すれば、「婚姻関係は破綻し、決定的に嫌われる」ようなことをしてしまう。なぜしてしまうのか、頭の中の天秤が狂っているとしかいいようがないのであるが、してしまうのである。

このタイプの人は、パートナーと暮らさず、孤独を守るほうがいい。

*****
次に、「敏感性」が指標になる。「人間不信」と「敏感性」は表裏である。この人たちには強力性がある。弱力性は少ないので、抑うつ的になることは少ないと思われる。あくまで強力性であり、他罰的であり、自分は正しい。

妄想性人格障害の人は過度に警戒的で、ちょとした侮辱にも傷つき、何も企てられていないのに反応する。その結果、彼らは常に防衛的・敵対的となる。自分に落ち度があっても、責任をとろうとせず、軽い助言さえも聞こうとしない。一方、他人に対してはたいへん批判的である。世間では、このような人間を針小棒大に言う人だという。
プライドが高く、しかし現在はそのプライドに見合った扱いを世間から受けていない。それがなぜなのか反省せず、世間と他人を批判してばかりいる。
実りのない人生になるが、努力しないので、いずれにしても実りはない。それよりも、世間を非難していたほうが自分の立場を正当化できる。他人と世間一般を批判することで、虚構のプライドを守る。そのようにして人生は終わる。

*****
さらに、感情は「冷淡無情」と形容できる。

妄想性人格障害の人は、論争好きで譲歩する事を好まず、他人との情動的な関係を嫌う。彼らは冷淡で、人と親しく交際しようとしない。彼らは自分の合理性と客観性にプライドを持っている。妄想性人格障害の傾向のある人生観を持った人が、専門医を受診することはほとんどない。彼らは助けを求めることを嫌う。多くの人は、一見、社会的には十分うまくやっている。道徳的で刑罰的な生活スタイルが承認される様な居場所を社会の中に見いだしている。固くて狭くて融通がきかない。そのような堅苦しさが彼らにすれば安心感である。融通無碍や自由自在は、却下される。

自分は正義で無垢で高潔である。他人は悪意に満ちて、差別的で、自分の妨害をする。他人の動機は不純で、警戒すべきであり、信じてはいけない。従って、いつも用心深く、油断なく、相手の心の奥底を探りながら、反撃の機会を待ち、ときには裁判で告発する。このあたりに、特有の強力性がある。

拒絶、憤慨、不信に対して過剰に敏感である。経験した物事を歪曲して受け止める傾向がある(この部分では、精神病性の、現実の歪曲がある。現実把握の歪みが見られる。このことは周囲の人をひどく苦しめる)。普通で友好的な他人の行動であっても、しばしば敵対的ないし軽蔑的なものと誤って解釈されてしまう。

本人の権利が理解されていないという信念に加えて、パートナーの貞操や貞節に関しては、根拠の無い疑いであっても、頑固に理屈っぽく執着する。そのような人物は、過剰な自信を持つ傾向がある。過剰な自信を持たなければ、自分が根本的な反省を強いられることになってしまうからである。結局は、仮想的で過剰な、客観性のない自信を誇示することになる。

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(参考)
●敏感関係妄想
非常に敏感で、気が弱く傷つきやすいのですが、一方で道徳感や名誉心の強いタイプの人に起こる妄想・関係です。ちょっとしたことがきっかけで、周囲の人に自分の秘密が全部ばれてしまったというような被害妄想を持ちます。

敏感関係妄想
敏感で内気、控えめ、傷付きやすいが強い倫理観、道徳心を持ち、自意識に満ちている「敏感性格者」が長期間にわたり困難な状況におかれ、逃れることの出来ない葛藤状況に陥った時に起こる症状を「敏感関係妄想」という。ドイツの精神医学者、クレッチマーが提唱した。被害妄想、恋愛妄想などの症状がみられる。

妄想性人格障害の人は、不都合な現実を直視することができない。受け入れられない現実を、自己の中で都合よく書き換えてしまう。だから妄想性となる。それでも、どうしようもなく押し寄せてくる現実に対して、『幼児的な全能感』をもって防衛しようと努め、『誇大的な妄想観念』を築くこともある。

 こうした認知のひずみは、いかなる場合にも起きるわけではない。自己愛が傷つく可能性を感じさせる場合において、それは顕著である。責任を問われかねない場面においては、すばやく現実を歪曲し、「潔白なのに責められている被害者」に徹する。このような理由から、妄想の大半は被害妄想となる。その苦しさからの防衛として、誇大妄想が生じることがあるが、それは二次的であろう。
ーーーーー
妄想性人格: 妄想性人格の人は、他者を信用せず懐疑的である。特に証拠はないのに人は自分に悪意を抱いていると疑い、絶えず報復の機会をうかがっている。このような行動は人から嫌がられることが多いため、結局は、最初に抱いた不信感はやはり正しかったと本人が思いこむ結果になる。一般に性格は冷淡で、人にはよそよそしい態度を示しす。そのような孤立する傾向も、人間不信という間違った信念を訂正する機会を奪うことになる。

妄想性人格の人は、他者とのトラブルで憤慨して自分が正しいと思うと、しばしば法的手段に訴える。対立が生じたとき、その一部は自分のせいでもあることには思い至らない。職場では概して比較的孤立した状態にあり、ときに非常に有能でまじめであることがある。有能だからこそ妥協できない。反省するより前に、自分の人間不信を合理化してしまう。そのことが結局、人間不信を固定してしまう。

*****
PARANOID PERSONALITY DISORDER

Diagnostic Features:

Paranoid Personality Disorder is a condition characterized by excessive distrust and suspiciousness of others. This disorder is only diagnosed when these behaviors become persistent and very disabling or distressing. This disorder should not be diagnosed if the distrust and suspiciousness occurs exclusively during the course of Schizophrenia、 a Mood Disorder With Psychotic Features、 or another Psychotic Disorder or if it is due to the direct physiological effects of a neurological (e.g. temporal lobe epilepsy) or other general medical condition.

Complications:Individuals with this disorder are generally difficult to get along with and often have problems with close relationships because of their excessive suspiciousness and hostility. Their combative and suspicious nature may elicit a hostile response in others、 which then serves to confirm their original expectations. Individuals with this disorder have a need to have a high degree of control over those around them. They are often rigid、 critical of others、 and unable to collaborate、 although they have great difficulty accepting criticism themselves. They often become involved in legal disputes. They may exhibit thinly hidden、 unrealistic grandiose fantasies、 are often attuned to issues of power and rank and tend to develop negative stereotypes of others、 particularly those from population groups distinct from their own. More severely affected individuals with this disorder may be perceived by others as fanatics and form tightly knit cults or groups with others who share their paranoid beliefs.

Comorbidity:

In response to stress、 individuals with this disorder may experience very brief psychotic episodes (lasting minutes to hours). If the psychotic episode lasts longer、 this disorder may actually develop into Delusional Disorder or Schizophrenia. Individuals with this disorder are at increased risk for Major Depressive Disorder、 Agoraphobia、 Obsessive-Compulsive Disorder、 Alcohol and Substance-Related Disorders. Other Personality Disorders (especially Schizoid、 Schizotypal、 Narcissistic、 Avoidant、 and Borderline) often co-occur with this disorder.

Associated Laboratory Findings:

No laboratory test has been found to be diagnostic of this disorder.

Prevalence:

The prevalence of Paranoid Personality Disorder is about 0.5%-2.5% of the general population. It is seen in 2%-10% of psychiatric outpatients. This disorder occurs more commonly in males.

Course:

This disorder may be first apparent in childhood and adolescence with solitariness、 poor peer relationships、 social anxiety、 underachievement in school、 hypersensitivity、 peculiar thoughts and language、 and idiosyncratic fantasies. These children may appear to be ?odd? or ?eccentric? and attract teasing. The course of this disorder is chronic.

Familial Pattern:

This disorder is more common among first-degree biological relatives of those with Schizophrenia and Delusional Disorder、 Persecutory Type.

2007-12-05

共通テーマ:日記・雑感

モラルハラスメント

モラルハラスメント について

              前書き

「モラルハラスメント」という言葉を知っていますか?
「性的な嫌がらせ」を「セクシュアルハラスメント」と呼ぶことは、
広く知られるようになりました。
それから考えると、「モラルハラスメント」は「精神的な嫌がらせ」と
なります。
しかし、「セクハラ」が単なる「嫌がらせ」などではないことは周知の事実で、
この「モラルハラスメント」も、「精神的暴力」や「精神的虐待」とも呼べる、
とてもひどい人権侵害なのです。
巧妙に人の心を傷つける「モラルハラスメント」。
この見えにくい暴力は、被害者を精神的に殺していきます。
ひどいときには、被害者を自殺に追いやることさえあるのです。

家庭や職場の中での人間関係に悩んだことは、誰にでもあるでしょう。
あなたは、親、パートナーや恋人、教師、上司や同僚、友人などから、
精一杯しているのに認めてもらえなかったり、身に覚えがないのに、
ひどく責められたり無視されたりしたことはありませんか?
そのようなとき、あなたは、自分の努力がまだ足りないのではないかとか、
自分でも気づかないうちに相手を傷つけてしまったために
その人が怒っているのではないかと考え、もっと一生懸命に頑張ったり、
相手の説明を求めようとしたり、こちらの思いを伝えようとしたり、
相手との関係をよりよくするために、
いろいろな努力をしたりするかもしれません。

でも、もし相手が、この「モラルハラスメント」の加害者であった場合、
相手は、あなたのその罪悪感こそを利用し、
無視、皮肉、悪口などを繰り返し、あなたを追いつめていくのです。
しかし、その攻撃ひとつひとつは、
それほど問題だとも言えないようなことのため、
はっきりと攻撃を受けているとはわかりません。
また、たとえあなたが攻撃だと気づき、誰かに助けを求めたとしても、
まわりの人に理解してもらうことは難しいのです。
そして、もしそこであなたが反抗したり別れたりしようとすると、
相手はあからさまに憎しみをあらわにします。
そして、敵意をもった暴力が始まるのです。
あなたの側に責任を押しつける、言葉による暴力が…。

この「モラルハラスメント」は、最近急に出てきたものではなく、
以前からいたるところで行われていたはずです。
今まで、家庭や職場という閉じられた空間の中で行われるため
外部には見えにくく、たとえ外部に漏れたとしても、
もともと被害者の側に問題があるとされ、
教育や指導という名の下に行われることの多いこれらの暴力が、
人権侵害であり、虐待であると認識されてこなかったのです。
それはまさに、ドメスティックバイオレンスと同じ構図の中で
行われる暴力なのです。

わたしたちは、言葉や態度で精神的に人を傷つけていくやり方は
「モラルハラスメント」であり、
それは犯罪にも匹敵する人権侵害だということを、
広く社会に発信していきたいと思っています。
そのことによって、「モラルハラスメント」の被害を受けている人たちが、
自分の身に何が起こっているのかをはっきりと認識できるようになると
思いますし、そのことが、自分を責めることなく安全な場を選択するための
助けになればと考えます。
そのために、「モラルハラスメント」とはどういうものなのか、
どう対処すればいいのか、被害者の回復にとって有効なことは何か、
加害者の気づきと回復はあるのかなどについて、
考えていきたいと思っています。

ただ、この言葉が広まることによって、モラルハラスメントの加害者が、
「モラルハラスメントを受けた」と訴えることも考えられますし、
加害者でない人を、加害者だとまわりが追いつめてしまうことも考えられます。
加害者でない人が、自分のことを加害者ではないかと思い悩むことも
あるかもしれません
(本当の加害者は、そのように自分を振り返ったりはしませんが)。
それらのことに注意しつつ、それでもこの言葉が周知のものとなることで、
少しでも被害者の助けになればと思います。

 参考文献:『モラル・ハラスメント――人を傷つけずにはいられない』
       /マリー=フランス・イルゴイエンヌ著 高野優 訳/紀伊國屋書店

1.見えにくい

この「モラルハラスメント」で特徴的なことは、
それが精神的・心理的なことであるため、まわりに被害が見えにくく、
証拠を示すことが難しいということです。
そのため、他の人に説明してもなかなかわかってもらえません。

また、加害者は被害者のほうに問題があるとか、
自分こそが被害者であるなどの主張をします。

被害者は、まわりの人からも「あなたにも悪いところがある」と言われ、
加害者に抵抗することも、加害者から逃げることもできない状況に
追い込まれていきます。

ここでは、まず、この被害者にとって一番辛い、
「見えにくい」ということについて、説明してみたいと思います。

1.証拠がない
 1)証拠が残らない

この暴力は、家庭、学校、職場など、外部の人間の目に触れない、
密室性のあるところで行われます。
その閉じられた空間の中で、暴力は言葉や態度など
証拠が残らないものによって行われ、被害者の身体には表面上、
傷は残りません。
後で外部の人に証拠を見せたいと思っても、
暴力の手段も、暴力の痕跡も残っていないので、
わかってもらうのは非常に難しいのです。
たとえ身体症状に表れたとしても、
加害者の精神的暴力との因果関係を証明するのは難しく、
それどころか、「自己管理ができていない」、「あの人には子ども時代に
何かあったのよ」などと、新たな攻撃の材料を提供してしまうことにもなります。

また、このモラルハラスメントは、加害者からの直接の暴力だけではなく、
加害者の影響を受けた第三者からもふるわれます。
その場合、その第三者の暴力の証拠が残ったとしても、
加害者は第三者が自発的に行動しているように見せているため、
加害者自身の暴力の証拠は見つけられません。

 2)暴力だと思わない

ひとつひとつの暴力は、後で他の人に言葉で説明をしたところで、
暴力だと信じてもらえないことが多いのです。
被害者は、加害者がそれを承知していて、その範囲内で
暴力をふるっているのではないかと思うほどです。
たとえ、外部の人が見ている前でその暴力がふるわれたとしても、
被害者が暴力の証拠だと思うものが残っていたとしても、
それを見た人は暴力だとは気づきません。

しかし、加害者の言葉や態度の裏には、被害者に対する
人権侵害が隠されており、モラルハラスメントというメカニズムの中で
加害者によって浸食され、抵抗することも防ぐこともできない状態に
追い込まれた被害者だけが、その本当の意味を感じ取り、
傷ついていくのです。

2.外に対しての顔

加害者は外の人に向けてはいい顔をしています。
被害者というえじきを手元に確保しているのですから、
他の人にはいい人間としてふるまうことができるのです。
「まさかあの人が」という人が加害者である可能性が大きいということは、
よく言われるところです。

しかし、そのことが自分たちの身近で起こっているという認識が
まだあまりない今、社会的地位を獲得している人ほど、
カモフラージュしやすい現実があります。
加害者は権力を持っていることが多く、聖職と言われる人に
加害者がいることもあるのです。

3.カモフラージュ
 1)仲間を装う

加害者は、人の目があるときは虐待を悟らせないようにふるまいます。
対外的には仲のよいふりをし、仲間を装うのです。
もし虐待の途中で誰かが近づいてきたら、すぐやめることができ、
平穏を装います。
被害者の方も、他の人に説明してもわかってもらえるとも思えず、
また、本当のことを説明しようものなら、後でまたそれを理由に
暴力をふるわれることがわかっているので、従わざるを得ません。

 2)被害者を装う

加害者は対外的に、自分がいかに傷ついたか、被害者の面をつけて
出していきます。
「あの人は攻撃的だ」「あんなことを言うなんて」「私は傷ついた」
「こんなことをしたのよ」と、外に見せる行動では、あくまでも
自分は被害者であると主張するのです。
その前に自分が何をしたか、何を言ったかは問題にならず、
自分が被害者であると証明できるものは何でも、
ときには事実を歪曲してまでもまわりに主張していきます。
加害者は、被害者を装った加害者なのです。

 3)教育・指導という名のもとに

親や教師、上司など、立場が上の者から下の者に
モラルハラスメントが行われる場合、「教育」や「しつけ」「指導」
などという名のもとに行われることがあります。
「愛情」だとされる場合まであるのです。
それらの美名のもとに、モラルハラスメントの暴力性は
隠されてしまうのです。

4.秘密の強要

加害者は被害者に対し、秘密を守るよう強要します。
黙るよう圧力をかけるのです。
そのときも、はっきりとそう言葉にするわけではありません。
被害者の罪悪感や恥の感覚を利用し、また、
家族や会社のためであるとほのめかすことによって、
被害者自らが喋らないことを選んでいるかのように思わせるのです。

以上のように、加害者の暴力は何重にも覆い隠されます。
それは、まわりの人に対してだけではなく、被害者に向けても使われ、
そのために被害者自身、被害を受けているのかどうか自信がない
という状態が長く続きます。

次は、加害者が自分のしたことを合理化し、自分を正当化するための
メカニズム――被害者が反論し、自分を守ることを難しくするもの――
についてまとめます。

2.合理化

加害者は、どんな方法をとってでも、虐待の事実や権力の濫用を正当化し、
合理化します。
冷たく、固い感じで自信を持って言い放つ合理化の言葉は、たとえ被害者が、
「あの人の主張は、何かおかしい」と感じていても、反論する隙がないように
感じるほどで、第三者なら、ほとんどが納得させられてしまいます。
その基本的な考え方は、自分は絶対に正しいという思い込みであり、
したがって相手に問題があるということになります。

加害者自身、自分がしていることが暴力であり、虐待であるとは
思ってもいないのです。

1.自分は正しい

加害者は、自分は正しい、自分は全てわかっていると思っています。
自分の価値観が正しいということをまるで疑っていないのです。
自分を基準に考えると、自分の考え以外は認められず、
他人からの助言や示唆を拒否します。
あなたのしていることは虐待だと言われても「違う!」と主張します。

ときには、相手を「何か」から救ってやるためにしていることだと思い込み、
虐待よりもその「何か」の方が大変なことであると信じ切っていることも
あるのです。
その大変な「何か」から救ってやるのですから、加害者にとっては
「正しい」ことになります。

その場ではいつも、加害者がルールブックなのです。

2.相手に問題がある
 1)責任転嫁

加害者は被害者に問題があると主張します。
暴力行為が、被害者の問題として正当化されるのです。
加害者の会話のパターンは、「あなたは…」「おまえが…」であり、
「俺を怒らせるおまえが悪い!」と、被害者の側に責任を押しつけます。
もし、被害者が暴力を受けたとまわりに話し始めると、
その人の性格、能力などの問題点を(たとえ作ってでも)訴え、
その人の話には信憑性がないと主張するのです。

 2)指導、教育

加害者は、自分の考えは正しいと信じているので、自分がしていることは
暴力ではない、指導、教育だと思っていることもあります。
そうして暴力は、指導、教育という名、つまり、いたらない相手のために
愛情のある自分が指導、教育してやっているという意識で行われ、
実際は相手を支配するのです。

その上、加害者は、被害者自身にも愛情からのことだと認めるよう強制し、
自分がしていることは正しいことだと認めさせようと躍起になります。

この関係は、親子に限らず、夫婦、恋人、職場での上司と部下、
いろいろな場所での先輩と後輩などの間でも起こり得ます。

3.虐待の否認

加害者は、されることには敏感で、自分の苦しさは強く訴えますが、
その割には自分がする事には鈍感で、虐待をしているという認識が
ありません。
感覚が麻痺しているように、自分の行為に伴う受け手の苦痛には
鈍感なのです。
今起こっている問題を認識せず、虐待をしているという自覚がありません。
虐待しているときの自分自身の葛藤や罪悪感は、意識化されず、
被害者が「つらい」「きつい」と言っても、自分が原因だとは思いません。
たとえ虐待だと本人に伝えても、思い当たらないと言います。
自分の行為の原因と結果がわかっていないのです。

また、加害者は、自分自身の衝動的な暴力行為を、あまり記憶していない
ことさえあります。

4.抑圧し、抹殺したい部分

実は、加害者が暴力を合理化するために被害者に対して指摘することは、
加害者自身にも当てはまることが多いのです。

加害者は、被害者に問題があると主張しますが、実はその問題の部分は
自分自身の中にも見られます。
自分がその問題の部分のような考え方をするからこそ、相手の行動が
そのような意味にとれるのです。

加害者は、自分の中にあってはならないと思い込み、抑圧しているある側面を
他の誰かの中に見つけると、その人を抑圧します。
自分の中のその部分を見るのに耐えられないため、相手にそれを投影し、
相手の問題として論じていく。
または、自分はきつい思いをして抑圧しているのに、それを平気で出している
相手に対して腹が立ち、そのような相手のあり方自体を問題にする。
いずれにしても、相手の問題として合理化していくのです。

そのようにして、加害者は自分を見つめることなく、生きのびていきます。
まるで自分の力を、他者を抑圧するためか、自分を抑圧するためにしか
使えないかのようです。

また、加害者は、相手の中に自分のありようを脅かすと感じるような
危険なものを認知した場合、それを抹殺しようとします。
そのために、相手のその側面こそが問題の部分だと訴え、
暴力を合理化して相手を抹殺するのです。

加害者の精神的暴力は加害者自身によって合理化され、
被害者はひとり、卑劣で理不尽なモラル・ハラスメントのアリ地獄へと
追いつめられていきます。

次は、そのモラルハラスメントの「卑劣さ・理不尽さ」について
まとめます。          

3.卑劣さ・理不尽さ

モラルハラスメントでは暴力自体が見えにくく、その上、
加害者によって暴力ではないと合理化されてしまうことの他にも、
理不尽なことがたくさんあります。

加害者は、相手をおとしめ、弱点をつき、何かをほのめかすだけで
問題点をぼかし、あてつけ、人を使って間接的に攻撃をし、雰囲気で威圧し、
恐怖感を利用してのコントロールをいつまでも続けます。
この策略的で卑劣な方法によって、被害者は一方的に、
いわれのない責めを引き受けさせられるのです。

1.相手の人格を認めない

加害者は、他の人のことをひとりの人格として対等に見ることができません。
自分の意のままに操れる生きた対象を所有したいという欲求があるかのように、
他の人を自分の所有物と見なし、思い通りに扱うのです。
人間としての対等な関係ではなく、自分にとって都合のいいように使える
駒かどうかということが、その人とつながっている理由になります。
相手の感じ方や考え方を認めず、相手の苦しみや屈辱感を完全に無視し、
無理やり同意させ服従させるのです。

モラルハラスメントという虐待の場では、人格の尊重がなく、
人間性の剥奪が行われています。
被害者は、人権侵害の被害者なのです。

2.卑劣な攻撃方法
 1)おとしめる

モラルハラスメントの加害者は、暴力に先立ってまず、相手の価値を
おとしめようとします。
相手の弱点をつき、愚か者よばわりし、それをまわりの人に繰り返し
言っていくことで次第に浸透させ、それ以後の暴力をしやすくします。
また、暴力の間も非難し続け、相手の気持ちをくじき、大事にしている
価値観を踏みにじります。
そのようにして加害者は、他人を否定することで自分を肯定するのです。

 2)はっきりしない問題点

加害者は、相手の問題点を指摘しているように見えますが、実は、
相手にわかるように直接コミュニケーションを取って具体的に
提示するわけではありません。

  ① ほのめかす

加害者は、はっきりとした言葉ではなく、雰囲気や態度によって
「私はあなたを認めていない」というメッセージをほのめかします。
深いため息、軽蔑したまなざし、硬い表情、力の入った肩、視線をそらす、
無視をする、どうとでもとれる言い方などで、少しずつ、でも確実に
相手を傷つけていくのです。

  ② 問題点をぼかす

加害者は、被害者が悪いとほのめかしますが、どこがどんなふうに
悪いと思っているのかをはっきりと伝えることはありません。
問題点や対立点がはっきりすれば、解決へ向けて何かをするということも
あり得ますが、ぼかされているために被害者にはどうすることもできません。
加害者にとって重要なことは、問題を解決するということではなく、相手を責め
自分が優位に立つことなので、この方法はとても都合がいいのです。
こうして、とにかく被害者が悪いということだけが残るのです。

  ③ 話をそらす

あいまいな言い方でぼかされたとき、被害者は、その言葉の意味や
問題点をはっきりとさせるために、具体的に尋ねることがあります。
しかし、そのようなときでも加害者は、「そういうことを言っているのではない」と
否定はしても、何を言いたいのかという具体的なことは言わず、
相手の話の中のひとつの言葉を取り上げて、その言葉がどんなに問題かを
攻撃し、巧みに話をそらしていくのです。

  ④ コミュニケーションの拒否

直接的なコミュニケーションは、加害者によって拒否され続け、
話し合いで解決する望みは絶たれます。
被害者は、相手が怒っているということだけしかわからず、その中で
相手が何を考えているのかを探ろうとし、混乱し、不安になります。
もし被害者が加害者と離れたいと思っても、離れるということさえ
話し合えません。
もうどうすることもできなくなるのです。

 3)人を使っての間接的な攻撃

加害者は自分は直接攻撃を仕掛けず、まわりの人を操って
攻撃をさせることもあります。
加害者は周りの人に、被害者にはどんなに問題があるかを一方的に伝え、
「私のこの気持ち、わかるでしょう?」などと言葉巧みに味方につけていき、
しだいに支配し、「あなたのため」だと言って、その人が望んでもいない
モラルハラスメントをさせるのです。

 4)威圧によるコントロール

加害者は自分が正しいと思っているうえ、それをわからせてやるのが
当然だという考えなので、「叩き込んでやる」という意識で人の心の中に
土足で入り込みます。
決して身体的な暴力はふるわないのですが、その雰囲気や態度は
威嚇的で横暴であり、それによって相手を威圧し恐怖感を持たせます。
そうして被害者の行動を制限し、心を縛り、動けなくさせるのです。
加害者にとっては、これは人を操るゲームであるかのようです。

いったんそのような状態になると、加害者は同じ体勢を取るだけで
コントロールをきかせることができるようになります。
PTSDになるような状態を故意に作り出すことで、小さな刺激でも
大きな影響を与え非常に有効なのです。
そのような方法で、加害者は被害者に自分の期待通りの行動を
とらせようとします。
ですから、加害者の気持ちに添うと態度が一変します。
被害者が加害者の思い通りの人間になるまで、虐待は終わりません。

3.終わらない

 1)継続できる

この暴力は、言葉や態度による精神的なもののため、特別の準備などいらず、
いつでもどこでも始めることができます。
また、虐待し続けたとしても加害者には精神的にも体力的にもダメージが
ほとんどなく、長時間でも疲れずに続けることができるため、
暴力は長期にわたり、執拗に繰り返されます。
傷が残らず血も流れず、見た目に変化が出にくいので、繰り返しが可能で
セーブがきかず、死亡という形で終結しないため永遠に続くのです。
加害者は被害者のダメージを見届けるために、確認ができるまで
しつこく暴力を続けます。

これは加害者にとっての居心地のいいシステムであり、長期に継続し
アディクション化するのです。

 2)えじきの確保

加害者は、誰かを虐待していないと自分を保つことができません。
ですから、虐待できる相手を常に持っておくようにしているのです。
また、加害者は、第三者を虐待することで見せしめをします。
まわりの人は、虐待現場を身近に見ることで恐怖感や無力感を味わいます。
また、離れていった人のことをひどくなじるので、
逃げたら自分もこう言われると思うと、逃げることが難しくなります。
そのうえ加害者は、我慢をすることや耐えることをよいこととし、
それを被害者に押しつけます。
また、逃げることを卑怯だと決めつけるため、被害者は罪悪感を刺激され、
逃げることさえできなくなるのです。

このようにして被害者を追いつめていく加害者。
では、その加害者とは、どんな人たちなのでしょう。
何か共通点はあるのでしょうか。

4.加害者とは

被害者の話を総合してみると、加害者には同じようなパターンがあることに
気づきます。

1.勝ち負け

 1)思い込みによるこだわり

モラルハラスメントの加害者は、自分の勝ちか負けかをいつも考えています。
勝つことに強迫的にこだわり、まわりの人間には敵か味方かのどちらかしか
いないというような極端な考え方をします。
対人関係を力関係でしか捉えることができない加害者は、
その相手との力関係によって態度を変えます。

味方にしておきたい人が自分より上か同等の力をもつと思っている場合、
親密さを相手にもまわりにもアピールします。しかし、相手が下だと思うと抑圧し、
いいように使います。
このように、味方といっても対等な友人という捉え方ではありませんが、
何らかの形で自分にとって役に立つ人間だと思えている間は、
敵に回さないよう気を遣いながら接しているのです。

しかし加害者は、ほんの少しの批判や拒絶を、自分に対する反抗や
敵意の表れだと受け取ります。
はっきりと完全な味方にならない限り、敵だというレッテルを貼り、
何としてでも抑圧し、排除しようとするのです。
敵とみなした人が自分より立場が下だと簡単に抑圧し、同じくらいの力や
もっと力があるかもしれないと思うと、まずまわりに悪口を言うなど、
相手を引きずりおろしてから抑圧します。

いずれにしても加害者は、虐待の構図を取ることでしか自分を守れないと
思っているようです。
また、自分は自分にふさわしいだけの正当な評価を充分には受け取っていないと
思っているため、勝つことへのこだわりは、なおいっそう強迫的になります。

 2)言葉は武器

加害者は最初のうちは、敵とみなした人間に直接何かを言うことは
ほとんどありませんし、相手が何かを訊いたとしても、会話は成立しません。
しかし、加害者が何も話さないわけではなく、話すのが苦手なわけでも
ないのです。
それどころか、むしろ、論争が好きなのではないかと思えるほどの
雰囲気を持って言葉を使います。
しかし、その話は自己完結的であり、その言葉は、相手とのコミュニケーションの
ためのものではなく、勝つための武器なのです。

 3)一貫性がない

加害者は、情緒不安定で不安が強く、他人に対して攻撃的です。
そのときの気分や感情によって気に入らないことが変化し、
言動に一貫性がありません。
まわりの人間は、加害者の思考パターンにはひとつのルールはなく、
予測がつかないように感じます。
しかし被害者は、その予測がつかないルールを加害者から強制されるのです。

自主的に動けと言ったかと思うと勝手にするなと言い、
きちんと謝れと言ったかと思うと、すぐ謝った場合にはすぐに謝るなと言います。
被害者が黙って聞いているとその姿勢を突き、反論するとまた
その姿勢を突くのです。
また、被害者が毅然とした態度でいると加害者は怒り出しますが、
硬直し萎縮していても加害者のイライラは増長されます。
その使い分けには一貫した理論などはありません。
加害者が相手を敵だとみなせば、何をしてもしなくても、攻撃の対象に
なってしまうのです。
加害者の言葉に一定の傾向があるとすれば、その言葉が、
加害者が勝つためのものであるということだけのようです。

 4)支配

加害者は、力のある者に対して迎合する反面、弱い者や敵とみなした者に
対しては支配的、威圧的な態度をとります。
自分の勝ちを安定させるための権力に固執し、その権力によってまわりを支配して
自分と同一化させるのです。
そうしておけば、相手から自分の考えを否定されたり批判されたりして、
自尊心を傷つけられることはありません。
それどころか、必ず自分の意見に同意してもらえるため、有能感を
感じられるのです。
また、支配しておけば相手は逃げません。
ストレス解消のためのうっぷん晴らしの対象を確保しておくためにも、
まわりの人を支配しておく必要があるのです。

2.自己愛的

 1)自分は特別

加害者は自分が特別な存在なのだと思っています。
たとえ実際の業績をあげていなくても、自分には特別な才能があり
仕事ができると思っていますし、まわりの人も当然そう認めるはずだと
思っています。
そのため、自分のために誰もが喜んでいろいろなことをしてくれるべきだと
思っていますし、自分のために他人を平気で利用できます。

また、自分を偉く見せるためにすべてを知っているかのように振る舞い、
そのために言葉を利用します。
たとえば、難しい専門用語を使ったり、抽象的な表現をする、
話を一般化し真実を話しているような言い方をする、誰かを軽蔑し悪口を言う、
相手の考えや行動の意味を勝手に決めつけるなどの方法を使います。
また、質問されても答えは言わない、途中まで言いかけてやめる、
自分についてはあまり話さないなどの方法で相手の興味を引き、
魅力的に見せ、特別な人だと想像させるような振る舞いもします。

 2)自分を守る

モラルハラスメントの加害者は、起きたことの責任をすべてまわりの
誰かのせいにし、他人の欠点を暴きたてます。
それによって、自分は罪悪感を感じなくてすむのです。
現実を否認し、まわりの人の苦しみはもちろん、自分の中にある苦しみさえも
認めません。
内面の葛藤やとるべき責任に対して対応することができず、
自分を省みることをしようとしないため、自分のちょっとした欠点にさえ
気づかないようにします。
これらは、加害者が自分の身を守るための方法なのです。

 3)共感できない

モラルハラスメントの加害者は、相手の感情を理解することができません。
誰かが苦しんでいるのを見ても同情することも共感することもないのです。
加害者自身、苦しみや悲しみという感情を持たないかのようであり、
そのような状況でも、相手への怒りのみが出てくるのです。

 4)羨望と憎しみ

加害者は、自分が持っていないもの、特に才能や地位、考えなどを
持っている人や、幸せそうにしている人に対して羨望を抱き、
それらのものを自分のものにしなければならないと感じます。
しかし、努力して同じものを手に入れようとはしません。
相手に取り入ったり、相手を利用し支配して奪おうとするのです。
そして、もし相手が抵抗し思い通りにならなければ、
加害者の心には憎しみがわき起こり、その結果、相手をおとしめ
破壊しようとするのです。
加害者にとっては、その相手と自分との差を埋めることが、
一番の目的なのですから。

3.妄想症的

モラルハラスメントの加害者にとって、まわりの人は、いつも自分をおとしめ、
攻撃を仕掛けようとしている人たちだというふうに感じられています。
自分が先に攻撃を仕掛け、支配し、常に勝っておかないと、相手の方から
攻撃を仕掛けられてくると思っているのです。
加害者にとって、人生とは悪意に満ちたとても困難なものなのです。

4.生育歴

加害者がこのような傾向をもつ原因は、まだ、はっきりとはわかっていません。
ただ、加害者の生育歴や過去の経験が、強い影響を与えているようです。
加害者は以前、何らかの形で虐待を学習したことがあり、しかもそれを、
虐待だったと認識していないことが多いのです。
それだからこそ、虐待を切り抜けてきたつらさを、虐待の形でしか
出せないのかもしれません。
そのうえ、自分がかつて受けた苦しみに対する復讐であり、
そういう人間関係しか知らないことの表れともとれる自分の虐待行為にも、
加害者自身はまったく気づいていません。
今までに対等な関係の経験がなく、今も安心して本音を語る場所を
持っていないであろう加害者にとっては、そのように自分の加害行為に
無自覚でいないと、生きてはいけないのかもしれません。

このように、加害者は以前の被害者であり、そしてその被害行為に対して、
ほとんどサポートを受けられない状況にいたのかもしれません。
その点ではその人は、他の人からのサポートを必要とする人なのです。
しかしそのサポートは、加害者から被害を受けている人ではない、
別の人がするべきです。
被害者は、加害者の最も近くにいて、しばしばまわりの人から、
その加害者をもっと理解しサポートをするよう言われることが多いものですが、
被害を受けながら、その加害者をサポートすることなどできるはずがありません。
そのようなことをしても、なおいっそうの被害を受けるだけなのです。
しかし、他の誰かがサポートをしようとしても、その人もまた、
次の被害者になる可能性が大きく、結局その加害者のサポートは、
非常に難しいことになります。

5.虐待が起きる条件

1.力関係

今の社会は、残念ながら、権力を持つ者がその力によって弱い者を
支配する社会です。
家庭や学校、地域、職場などで、私たちはそのことを日々学ばされ、
そのことを当然のことだと思いこまされてきました。
そのような社会的背景の中で、モラルハラスメントは起きています。

およそ被害者になる人は権力を持っていない場合が多く、そのように
あきらかに権力の差がある場合は、加害者はその権力を濫用します。

また、ほとんど権力の差がないところでは、加害者はまず相手をおとしめ、
力を奪い、力の差をつけたところで、支配・被支配の人間関係を
つくり出すのです。

そのうえ加害者は、その場のルールを自分に都合のいい
ダブル・スタンダードに作り上げます。
そのため、いったん両者の強者・弱者という人間関係ができあがると、
その関係はますます固定化してしまい、その権力関係の中で、
モラルハラスメントは続いていくのです。

2.密室性

虐待は、密室の中で行われます。
被害者は逃げることができず、外からはその被害が見えません。
加害者はそのような状況を選び、その状況を前提に
虐待を繰り返すのです。

3.虐待者のコンディション

このように加害者は、暴力をふるう対象や状況を選んでいます。
また、自分の調子で虐待をする余裕があるかどうかを
決めているようですし、攻撃の程度もその場に応じて変えてきます。

4.発火点

加害者の攻撃は、ほんの小さな失敗やトラブルから始まります。
被害者の些細なミスを諸悪の根元であるかのように扱い、
この現状をどう修復していくかということよりも、被害者が取り返しのつかない
ミスをしたのだということのみを主張します。
被害者は自分のミスという事実は否定できないため、なかなか反論が
できません。

また、虐待をすることが目的の加害者は、たとえ被害者には落ち度がなくても、
どんなところからでも虐待する理由を見つけ出します。
ときには、加害者自身が責任をとらなければならないようなことが
起きた場合でも、その責任を巧みに被害者に押しつけて、
攻撃を始めるのです。

5.臨界状況

いったん攻撃が始まると、加害者の怒りに火がついたように爆発し、
加害者自身、自分ではどうしようもない状況になります。
また、同程度の攻撃による加害者の満足感はすぐに弱まり、
攻撃の程度は拡大していきます。
そのようにして、攻撃はエスカレートしていくのです。

6.被害者の心理状態①

1.罪悪感

被害者は加害者から、「私には、すべてわかっている」という態度を
とられます。
加害者は正しく、しかも被害者を思いやっているのだという雰囲気を
作り上げられ、その場の判断の基準は加害者であるという状況が
巧みにできあがっていくのです。

そのような中、加害者から「おまえに責任がある」とか「あなたが悪い」と
責められると、被害者の側が罪悪感を感じてしまいます。
たとえ加害者が暴力をふるったのが明らかでも、暴力を引き起こすくらいの
加害者の怒りの原因は、自分のミスやいたらなさにあると被害者は考え、
自分を責めていくのです。

また、「あなたのためだから言うけど、あの人とつきあうのはよくない」
などと言われ、外部の人とつきあうことに対する罪悪感までも
感じさせられてしまいます。

2.混乱

 1)不安

暴力が行われている場のルールは、加害者が決めていますが、
そのルールには一貫性がなく、被害者には、次に何が起こるか
想像がつきません。
同じことをしても、加害者の気分によって違う意味に解釈され、
違う扱いを受けるのです。

しかも、自分に何か問題があるとほのめかされたとき、その具体的なことは
やりとりされないため、被害者は、加害者が何を感じ何を考えているのか
わからず、それを探ろうとします。

しかし、どんなに努力をしても、自分が間違っているとされていること以外は
何もわかりません。
被害者は具体的なことがわからないために不安になり、加害者と
自分自身の基準の差や、加害者自身のその時々の基準の変化に
混乱していきます。

 2)恐怖による緊張

しだいに被害者は、加害者の感情に振り回され、支配され、
反抗できなくなっていきます。

加害者の影を感じると緊張してしまい、自分の考えや思いが
正直に話せません。
暴力を受ける恐怖におびえ、暴力が自分の身に降りかかってきたことを
悲しみ、いつまでも加害者につかまえられている感覚は拭えず、
暗闇の中にいるようです。
自分の言動が、いつどんな理由で問題にされるのか予想がつかないため、
絶えず警戒し、緊張しています。

いったん自分の言動が問題にされたら、それを理由に半永久的な暴力が
続くため、加害者の言動に対して何か違和感があったとしても、
尋ねてみることもできません。
言うとしたら、緊張感の中で一大決心をし、小さく遠慮がちに
言ってみるのです。

被害者は、情緒的な安定のない状況に置かれていきます。

 3)身体症状

被害者は強いストレスを感じ、胃が痛くなったり、肩や背中、腰などが
痛くなったり、湿疹などが出てきたりすることもあります。
夜眠れなかったり、神経過敏になることもあります。

しかし、たとえそのような体の不調が表れても、虐待が原因だという
証拠がないため、加害者にその責任を迫ることなどできません。

それどころかその身体症状さえも、被害者の弱さや自己管理のなさとして
攻撃されるため、それを訴えることさえできません。

そうして被害者は、自分の身を守ることで精一杯になり、急速に
エネルギーを消耗していくのです。

3.過剰適応

被害者は、自分の感覚や価値観ではなく、加害者がどう思うかを
自分の言動の基準にし、そのうえで考えて考えて、何かを言ったりしたり
するようになります。
自分の身を守るためには、このような過剰適応をせざるを得ないのです。

また、被害者には、ときには加害者から認められるなどの些細な恩恵が
あることもあります。
そのため、加害者を加害者であると認識することが難しく、ときには
その暴力行為を、愛情として錯覚することさえあるのです。
このような状況のときには、被害者自身、自分でも暴力を受けていると
気づきにくいのです。

7.被害者の心理状態②

1.アリ地獄

被害者は、加害者から小さいことをこまごまと管理され、支配されます。
しかし、どんなに加害者の期待に添うように努力しても、加害者がその瞬間に
思い描いている完璧さと全く同じでなければ、攻撃されてしまうのです。
そのような完璧さなど実現不可能なことですので、何をしてもしなくても、
常に攻撃はやってくるということになります。

被害者には、加害者の怒りや恨みの力には限界などないように感じられます。
永遠に続く、地獄のような生活は、自分にトドメを刺すまで続けられるのだと
思い知らされてしまうのです。

逃げたいと思っても、逃げる行為自体までも攻撃されるため逃げられません。
被害者にとっては、八方ふさがりのアリ地獄状態なのです。

2.アイデンティティのゆらぎ

 1)孤立無援感

被害者は、加害者によって外部の人たちとの関係を厳しく制限され、
連絡を取ることを許されません。
連絡を取ったことがわかれば、それは加害者への裏切り行為として、
激しく攻撃されてしまうのです。

また、被害者にとって仲間であるはずの内部の人たちも、加害者によって
分断されており、被害者は孤立無援感を感じます。
被害者は、「こんな気持ちになっているのは自分だけだ」と思わされ、
「誰に話してもわかってもらえず、かえって自分の方が悪いとされる」
と感じています。

また、「相談したことはきっと加害者にわかり、そのことでまた新たな攻撃がくる」
と思うと、誰に話すこともできません。

加害者によって、被害者同士もつながることができないのです。

 2)自尊感情の破壊

被害者は、他者との関係を持てなくなり、自分自身の感覚も
信頼できなくなります。
そして、自分というものがゆらいできます。
ことあるごとに加害者から非難され、その存在さえも否定されるような
扱いを受け、自尊感情が破壊され続けているように感じます。
そのような状況の中では、自分自身を守っていく力さえも、見失ってしまいます。

 3)判断力の低下

そのようにして被害者は、考えることも理解することも、判断することも
難しくなっていきます。
極度の緊張と孤独感、自尊感情の低下という状況の中で、
本来は簡単に判断できるようなことさえ、できなくなってしまうのです。
そして、とても理不尽なことに、そのことがまた、加害者の新たな攻撃の
材料にされてしまうのです。

3.降伏

 1)無能感

被害者は、もう何もできなくなります。
何をしても加害者から常に軽蔑され続けると、本当に自分は何もできない、
軽蔑されてもしかたのない人間なのだと感じるようになってしまうのです。
その結果、ひどい扱いを受けていると感じたとしても、それを他の人に
伝えることができない状態に落ち込みます。

 2)無力感

常に変化する加害者の気分に逆らうと、大変なことになります。
そのような日常的な恐怖感の中で、被害者は力を奪われ、事態を
変化させようと自分で考えたり、抵抗したりすることができなくなります。
被害者には、加害者に従わないという選択は許されてはいないのです。
その結果、虐待を逃れるためには屈服するしかないと思ってしまいます。
他者の要求を断る力を奪われ、無力感、無気力を学習させられて
しまうのです。

 3)麻痺

虐待されることに慣れると、被害者は状況に無頓着になります。
でもそれは、その状況に適応しているというより、意識が麻痺して
しまったと表現した方がいいようです。
被害者は、無意識のうちに感覚や感情を意識から分離しているため、
今起きている出来事が他人事のように思えます。
感情的な苦しみに気づかないようにしたり、自分の感情を凍結保存し、
感じないようにしているのです。
被害者は、生きていくためには、このように麻痺せざるを得ないのです。

4.人間性の破壊

加害者による暴力や脅しは、被害者の人間性をつぶし、その人が
本来持っているやさしさや、健康な能力を発揮できなくさせます。
人が人らしく振る舞うことを困難にさせるのです。
そして、被害者は、加害者のもとで支配され、別の被害者への加害行為を
行ってしまうようにもなります。

そこが暴力の、恐ろしく、そして深刻な犯罪性なのです。

次回は、虐待からの脱出とその後のつらさについてまとめます。         
8.虐待からの脱出とその後のつらさ

1.脱出するきっかけ

 1)気づき

被害者は、加害者によって巧みに支配されており、自分のせいなのだと
罪悪感を感じていたり、混乱のせいで頭が真っ白になったりしています。
そのため、精神的な暴力をふるわれていても、それが暴力であるとは
なかなか気づきません。
その中では、被害者が自ら誰かに相談することも、誰かが介入してくれることも
稀なことかもしれません。

しかし、この虐待の構図から抜け出すには、何らかのことをきっかけに、
外部とのつながりを取り戻すことが不可欠なのです。
虐待が起きている場所とは違う価値観のものに触れる、その場に
属していない人と話をしてみるなどのことをきっかけに、今自分に
起きていることが当たり前のことなのではなく、虐待なのではないかと
疑ってみることが、まず脱出のための第一歩になります。

 2)エンパワーメント

被害者は、被害を受け続け、自尊感情を踏みにじられています。
その中で、この状況を耐え抜くことが自分のためになると感じている
ことがあります。

しかし、最悪の状態をできるだけ長く耐え抜くことは、賞賛されること
なのでしょうか。
加害者の苛立ちや不安は理解できるとしても、加害者からの虐待に
耐える必要はないはずです。

その気づきを得、虐待の構図から抜け出すためには、第三者からの
介入や通報、被害者本人から第三者への相談などを通して、被害者が
エンパワーメントされることが必要です。

その中から被害者は、自分の権利を感じ取り、自分の中の自尊感情や
生きていく力を信じることを少しずつ思い出していきます。
その結果、自分に起きていることが自分のいたらなさからくる当然の
結果なのではなく、加害者からの暴力であることを認識できるように
なるのです。

そして、その暴力を受けるいわれはないことを確信し、その虐待の
構図から脱出する準備を始めます。

2.脱出

 1)出口

状況を改善したり、虐待の構図からの出口を見つけるためには、
相手のモラルハラスメント的なやり方に反応しないことが必要です。
そうすれば、そのやり方は効力を失い、被害者を動揺させるという
加害者の目的は達成されません。

相手の挑発に乗らないこと、相手のあいまいなほのめかしによる攻撃に
対しては、その言葉の意味を具体的に確認し、ほのめかしの内容を
はっきりさせること、後からの攻撃も考え、何を言われたか書きとめておくこと、
手紙やFAXなどで文章が送られてきたときには、とっておくこと
などが有効です。
また、ふたりだけで直接話をしないこと、どうしても話をする必要が
あるときには、第三者を間に立てることなども大切になってきます。

しかし、このように被害者の態度が変わると、一時期、加害者の攻撃は
激しくなります。
それでも、自分の権利を守ることは当然であるとの確信を持ち、
加害者と対立することを恐れずにその場に臨むことで、被害者が
自分の中の力を思い出す助けにもなるでしょう。

 2)脱出

加害者の支配から抜け出すために一番いいのは、加害者から
離れることです。
しかし、すでに虐待の構図ができあがっている中、その場の権力の
中心である加害者から離れ、モラルハラスメントが行われている場から
抜け出すためには、実は莫大なエネルギーを必要とします。

そこで、そのエネルギーを保ち、心理的に加害者に抵抗するためには、
誰かの助けが必要になります。
その人は、加害者の影響を受けていない人で、まわりの人を支配コントロール
しようとしない、安心できる人である必要があります。
そのような人を見つけ、その人と話をし、エンパワーメントされながら
虐待の構図からの脱出を図るのです。

他者の絶対的な権威から解き放たれるパワーは、その後の被害者の
回復のために大切なものになるでしょう。

 3)加害者の怒りと憎しみ

被害者が脱出を図ろうとすると、加害者の心には、ますます被害者に対する
怒りと憎しみの感情がわき起こります。
加害者は、被害者が他の人とつながることや自分から離れていくことを
裏切りと取り、自分こそが被害者であると訴えるのです。
被害者のささやかな抵抗に激怒し、被害者が自己決定をすることを
許せません。
この段階になると、報復したいという気持ちが、加害者の心を支配して
しまうのです。

3.脱出後の心理

 1)抑うつ

虐待の構図から脱出した後、被害者にはいろいろな感情が表れてきます。

まず、自分がどれだけ深く傷ついていたかにようやく気づきます。
自分の心に、今まで思ってもみなかったほど多くの深い傷が
刻まれていることに気づくのです。
それらは、辛い状況を生き延びるために、無意識のうちに自分で心の奥に
押し込め、抑圧せざるを得なかったものなのでしょう。
それが、安心できる場を確保したために、ようやく少しずつ感じられるように
なったのです。

そして、加害者との闘いが終わった今、自分というものが土台から
すべて壊れてしまったかのような感覚にもなります。
今までのことを振り返ると、自分は加害者にだまされ、利用されていたのだと
感じます。

この時期は、そのことで加害者を責めるというより、自分自身が情けなくなり、
自責感を感じてしまいます。
また、加害者の影響がまだ強く残っている場合には、その場を離れて
しまったことに対する罪悪感をぬぐい去ることは難しいものです。

 2)加害者への怒り

被害者の気持ちは、加害者に今まで利用されていたということからくる
自分への自責感や抑うつ的な気持ちから、屈辱感、相手への怒りへと
変化していきます。
今まで失われていた自分の正当な権利を取り戻したいという気持ちになり、
相手を告発したくなったり、相手に謝罪を要求したいという気持ちが
わいてきます。

 3)PTSD

被害者は、加害者から離れ安全な場所にいても、またいつ攻撃される
かもしれないと常に緊張し、不安感や恐怖感が続いています。
なかなか眠れなかったり、眠りが浅かったり、小さな刺激にも
ひどく驚いたり、いらだったりします。

そのような状態はしばらくすると消えていきますが、その後も突然、
暴力を受けていたときの体験がよみがえり、そのときと同じような感情や
感覚になることがあります。
また、眠っているときに悪夢を見たり、夢の中で虐待されたりもします。
そのようにして被害者は、何度も恐怖や絶望感を味わわされてしまうのです。

また被害者は、モラルハラスメントが行われた状況を思い出さないように
するための無意識の心の働きによるさまざまな心理状態を体験することが
あります。
その場に関わりのある活動に対して、たとえそれが今までの自分にとって
大切なものであったとしても、興味を失ってしまうことがあります。
また、感情が麻痺したように何も感じない状態になることもあります。
加害者からの暴力が、自分の身に本当に起きたことのような気が
しなかったり、日常生活は送っていても機械的に続けているだけだったり、
日々のことがらを遠くから眺めているだけで、実際の感覚が乏しいような
感じがしたりもします。

しかし、これらの影響は、次第に小さくなっていきます。

4.脱出後の攻撃

 1)セカンドアビューズ

被害者は、虐待そのものもつらいのですが、加害者側に立ってしまう人や
傍観者的な立場の人からも傷つけられてしまい、辛い思いをします。

加害者の暴力は、まわりの人には見えにくく、また加害者は外に向けての
顔はいいために、虐待の場から離れた被害者がその被害を訴えても、
まわりの人はすぐには信じられません。
そのため、被害者の思い違いなのではないかとか、かえって被害者の方が
加害者なのではないかと見られてしまうことにもなるのです。

また、加害者は、第三者が介入することを嫌います。
一方被害者は、介入してほしいと思っています。
つまり、傍観者的な位置にいて何もしないでいることは、加害者側に
都合が良いことになってしまうのです。
ですから、傍観者的な立場でいられると、被害者にとっては、加害者側に
立たれたような気がするものです。

ただし、中立の立場での介入は、それとはまた違うでしょう。

 2)リモートコントロール

被害者が、加害者のコントロールから逃れようとして離れたときに、
加害者のリモートコントロールが始まります。
加害者は、被害者が離れた後も影響を及ぼせると思っており、
関わりを求めてくるのです。
モラルハラスメントは、言葉を使うためFAXや手紙ででも虐待でき、
ストーカー的な攻撃を続けられるのです。

しかし、被害者が逃げ延び、いきいきしていることがわかると、
加害者の中には怒りがわき起こってきます。
瀕死の重傷を負わせたはずなのにとの思いが、加害者の中にあるのかも
しれません。

そして、このリモートコントロールが有効にきかないことに加害者が気づくと、
自分の怒りを第三者に間接的に伝えることで、コントロールの領域を
広げようとします。
つまり、第三者を巻き込もうとするのです。
しかしそれは、被害者へのモラルハラスメント的な虐待という枠を
外れることであり、まわりの人の目にも見えるような行動が出始める
ことであり、そのためまわりの人の意識によっては、加害者の暴力が
白日の下にさらされることにもなるのです。

9.被害者の回復

1.回復

 1)回復のために

被害者の回復は、その本人ひとりで進むものではなく、まわりの助けが
必要です。
被害者の体験をまともに取り上げて聞いてくれ、人を支配コントロール
しようとしない安全な人とつながることがまず必要であり、そのような人と
話すことで少しずつ回復していくのです。
とくに、虐待のメカニズムを理解している人の中で話すと、より伝わりやすく、
話を整理しやすいようです。

回復の途中で、加害者と接触する可能性もあるでしょう。
そのとき、加害者はいつまでもコントロールしようとしてくるかもしれません。
そのようなときには、いかにコントロールされないようにするかが大切です。
つまり、リモートコントロールをかけてこようとする加害者に対して、
電波の届かない圏外にいるという立場をとるのです。
また、そのようにすることによって激怒した加害者本人から第三者へ、
その暴力行為が露呈することがありますが、それが被害者の回復の
助けにもなります。

 2)回復の過程

被害者は、自分が体験したことを安全な場所で話したり、文字にしたり、
テープに録音したりして、それを他の人と分かち合いながら、自分の身に
起きたことがモラルハラスメントという暴力であり、自分はその被害を
受けたのだということを認め、受け入れることが必要です。
その過程で、罪悪感から抜け出し、加害者への怒りの感情を認め、
表現していきます。
そしてその怒りの感情の奥にある悲しみや苦しみ、喪失感などに
向き合い、その感情を認め、充分に味わい、表現していくことによって、
被害を受けたというできごとを、文字通り過去のものにしていくのです。

また、今までは保障されていなかった、自分のことを自分で決められる
状況が被害者には必要です。
モラルハラスメントの場で言われてきた常識や理論を鵜呑みにせず、
まわりの人のとらえ方を聞いたり、自分の正直な気持ちと照らし
合わせたりしながら、少しずつ、自分なりの感覚や価値観を取り戻して
いきます。
そして、加害者の言葉や態度、自分のあり方に対する意味を、
加害者から押しつけられた物語ではなく、新しい自分自身の物語へと
書き換えていくのです。

そうして被害者は、モラルハラスメントによってばらばらにされた
自分の心や感覚をひとつにし、つながりを取り戻していきます。
そして、自尊心や自己肯定感を思い出し、自分自身を許し、他者との
新たな、対等な関係を作っていくのです。
また、それらの作業を通して、モラルハラスメントという虐待のメカニズムを
理解することは、今まで起きてきたできごとを整理する助けになりますし、
これからの人生において、新たな虐待を回避する助けにもなるでしょう。

そしてあるとき、今まで加害者に感じていた、自分が破壊され尽くして
しまうような超人的な力を、今や加害者が持ってはいないことに
気がつくのです。

ただし、この回復への作業は、コントロールが難しいくらいに感情が
高ぶってきたときには休憩をとることが必要です。
決してひとりではなく、誰か援助してくれる人と一緒に、少しずつ、
自分の感情や感覚を確かめながら、回復への作業を進めていってください。

2.援助者

 1)基本的な考え方

人には、安全や安心の欲求が満たされる必要があります。
たとえうっかりしていても愚かでも、今いる場所で安心して安全に暮らす
権利が誰にでもあるのです。
また、社会には、安全に暮らせる環境を作る義務があります。
そういう意味で、モラルハラスメントは、基本的な人権を脅かす
暴力なのです。

ときに被害者は、その人自身に何か問題があるかのように見えるときも
あります。
しかしそれは、暴力による被害者の葛藤や混乱がひどいためで、
被害を受けると誰でもそうなるのだということを知っておいてください。

 2)援助者として

今まで加害者によって不当に抑圧されていた被害者の回復のためには、
今までとは逆、つまり、誠実で対等な関わり方をされることが必要です。

援助者は、情報提供をしながらも、具体的な選択においては被害者自身の
意志を尊重することが大切です。
その中には、被害者が特別何もしないということも含まれます。
それも選択肢のひとつだと認めてください。
被害者のいたらないと見えるところを取り上げて、説教などをしたり、
援助者の正義感を押しつけて、プレッシャーをかけたりしないようにすることが
大切なのです。

また、被害者が自分自身情けないとか恥ずかしいとか言ったときには、
援助者は変に共感するのではなく、「情けなくて恥ずかしいのは、
あなたではなく加害者よ」とはっきり言う方が、真のサポートになるようです。

3.次世代への連鎖

被害者が次の加害者になるという、いわゆる次世代への連鎖が
心配されますが、それを断つためには、まず被害者自身が、自分の身に
起きたことが暴力であったと認識することが必要です。

それを認めず、あれは自分のためだったとか、教育や愛情があっての
ことだったとしか認識できないとき、同じ理由でその暴力を、教育や
愛情という名の下に伝えてしまう危険性があるのだと思います。

暴力を受けたと認めることはつらいことですが、それを認め、怒り、嘆き、
そして未来へ向けて進むことができれば、次の世代を虐待する理由など
なくなるのです。
そのような回復の過程の中で、自分の弱さを認めることができ、その弱さを
ダメなものだと評価しないでいられる強さを自分の中に感じ取れることこそが、
次世代への連鎖を断つ鍵なのだと思います。

10.暴力のない社会をつくるために

1.暴力のない社会とは

そもそも、暴力とは何なのでしょう。
暴力とは、何らかの権力を持つ者から持たない者へ、一方的に行われる
理不尽な人権侵害であると、わたしたちは考えています。
その中には、身体的なものだけではなく、モラルハラスメントを含む
精神的なものも含みます。
暴力とは、権力を持つ者が持たない者を抑圧し、支配コントロール
するための権力の濫用なのです。

暴力の中でも、見知らぬ他人からの身体的な暴力は、以前からよく
知られていました。
そして最近ようやく、児童虐待やドメスティックバイオレンスが広く
知られるようになり、親子や夫婦など、親しい間の暴力も暴力であると
認められるようになってきました。
また、ストーカーという名前が知られることによって、精神的なものも
被害だと認められるようにはなってきました。

しかし、モラルハラスメントのような、指導、教育、愛情などという名の下に
行われる精神的な暴力は、まだ、なかなか理解されないところがあります。
モラルハラスメントなどの精神的な暴力も含めて、すべての暴力が
暴力であると、きちんと認められることが大切なことなのだと、わたしたちは
考えています。

では、暴力のない社会とは、どういう社会なのでしょう。
今すぐ、モラルハラスメントを含む暴力すべてをなくすことは、
難しいことなのかもしれません。
そのような社会の中にいて、今、必要なことは、モラルハラスメントなどの
暴力が起きたときに、それを暴力であるとわかる視点です。

暴力をすべてなくすことは難しいにしても、暴力をふるわれたり、暴力を見聞き
したりしたときに、自分自身でもまわりの人にもそれが暴力だとわかれば、
次にどうするか、何ができるかを考えることができるのです。
暴力をふるわれたときに暴力だとまわりに言うことができ、まわりは
それをきちんと聞き届ける、そのような社会が望まれます。
そして、そのような社会であってこそ、暴力の構図から抜け出す方法を探し、
自分の人生を生きるという選択肢を選ぶ自由を得られるのではないでしょうか。

2.環境整備

 1)社会的なシステム

モラルハラスメントが起きたときに必要なことは、それを早期に発見し、
それが加害者の加害行為であることをきちんと見極め、終わらせ、
被害者を守り回復を助けるような手段をとれることです。
そのためには、職場の規則の中に、モラルハラスメントに対応できる条項を
設けたり、モラルハラスメントに対応できる法律を整備したりすることが
必要だと思われます。

さらに、今後、新しい被害を生まないための環境作りも必要です。
職場の中での人権意識を高め、良好な人間関係を保てるような職場環境を
整えることは、モラルハラスメントを防ぐだけではなく、そのことによって、
結果的には企業としての実績も上げられると思われます。
職場や社会は、そのような環境を整えることに努力する必要があるでしょう。

 2)わたしたちにできること

今、わたしたちにできることは何でしょう。

まず、モラルハラスメントが起きたときの早期発見と、被害者をまわりの人が
さらに傷つけてしまう二次被害を防ぐために、起きていることが
モラルハラスメントだと見極める視点を育てることが大切です。
そのためには、モラル・ハラスメントのことを、わたしたちひとりひとりが
正しく理解する必要がありますし、そのために、なるべく広く、
モラルハラスメントの存在を知らせる必要があります。

では、新たなモラルハラスメントを生まないためには、どうしたら
いいのでしょう。
モラルハラスメントは、コミュニケーションが成り立たない状況で起こります。
モラルハラスメントが、コミュニケーションを成り立たなくさせるともいえます。
ですから、人権意識を基本にした真のコミュニケーションをうち立て、
保つ必要があります。

そのために、アサーションの考え方や方法、人権感覚などを学ぶことは
役に立つと思います。
また、閉塞された密室状態で起こるため、常に外部の人たちとつながりを保ち、
風通しをよくしておくことも大切です。
また、何より、小さな頃から家庭の中で、また学校で、年齢や性別に関係なく
お互いの存在を尊重し合うという、真に人として対等な人間関係を学ぶことが
大切でしょう。
そのためには、実際にまわりのおとなたちが、子どもたちとも、そして
他のおとなたちとも、お互いを尊重し合いながら関係を結んでいくことが
大切なのです。
それによって、今現在の、そして未来のモラルハラスメントを防ぐ助けに
なるでしょう。

3.加害者の更生と回復

 1)暴力であるとの認知

モラルハラスメントが起きたとき、加害者自身、自分の行為が暴力であると
なかなか認めません。
しかもまわりの人たちも、気づかない場合が多いようです。
しかし、もし暴力であるとまわりが認知したとしても、今の現状として、
被害にあった人がその場所を離れ、行動を抑制されています。
そもそも、わたしたちには、今いるその場所で、安心して安全に暮らす
権利があるはずです。
行動を抑制されるべきは、その権利を侵害した加害者の側のはずです。
モラルハラスメントに限らず、暴力に関しては、加害者が全面的に責任を
負うべきだと考えます。

そしてそのことは、加害者自身が自分の行為を暴力であると認知する
助けにもなるのだと思います。
まず、自分の行為が暴力であるとわかり、それをきちんと認めることが、
加害者の更生と、加害者の過去における被害体験からの回復への
スタートになるのだと思います。
そしてそれは、新たな加害行為を防ぐことにもなるでしょう。

 2)過去の被害からの回復

加害者は、過去に何らかの虐待の被害を受け、そのときに適切なサポートを
受けられず、そこからの回復ができないままでいることが多いようです。
ですから、もし、その過去の被害からの回復がはかられ、加害者が、
モラルハラスメントを行ってしまうような、自分自身のこだわりに気づくことが
できれば、新たな加害行為は防げるようになるのかもしれません。
        
おわりに

ここで、モラルハラスメントが進んでいく流れを、もう一度説明しておきましょう。

まず最初に、「支配の段階」があります。
それは、加害者が被害者を、なんらかの方法で惹きつけるところから
始まります。
そして少しずつ影響を与え、被害者の考えや行動をコントロールしていくのです。
その際、モラルハラスメントに特有の、ちょっとした嫌味や皮肉、ほのめかし、
相手を拒否するような口調や態度など、被害者を支配下に置くための攻撃が
使われます。
そのとき被害者は、自分のせいだと思ってしまったり、混乱して何も
考えられなくなったりし、次第に、相手の支配に組みこまれていくのです。

しかし、被害者が自分の尊厳を守ろうとして加害者に抵抗すると、加害者は
憎しみを感じます。
そしてそこから、はっきりと精神的な暴力をふるい始める「暴力の段階」に
入るのです。
中傷や罵倒などの言葉による冷たい暴力は、相手の罪悪感を刺激し、
相手に責任を押しつけるような巧みなやり方でふるわれます。
このときには、被害者の方もすでに精神的に支配されている場合が多く、
また、相手にそれほどの悪意があるとの想像もできにくいため、それが
暴力であると認識することが難しいのです。

その結果、被害者はひとりで責任を感じ、苦しんでいきます。
もし、それに耐えられなくなったり暴力だと気づいたりした被害者が、
加害者から離れようとすると、加害者は憎しみをあらわにし、今度は
明らかな悪意をもって、なお一層、被害者を攻撃していくのです。

これは、モラルハラスメントの被害を受けた人には、よくわかる話だと思います。
しかし、その他の人には、わかりにくいことかもしれません。
それでも、わたしたちの実感として、このようなモラルハラスメントは、
職場や学校、家庭の中などいたるところで確実に存在します。

これらの見えにくい暴力が存在すること、そしてそれは、被害者にとって
とてもつらく悔しい状況であること、そしてそれらの暴力は、わたしたちの意識の
持ち方によって気づくことができることなどを、より多くの人たちに理解して
いただきたいと切に願っています。

そして、わたしたちひとりひとりが、モラルハラスメントを少しでもなくす方向に
考え行動していくことが、すべての人の人権を尊重し、真に対等な人間関係を
つくっていく一助になるのだと感じています。

そもそもわたしたちには、その性別、年齢、人種、職業、能力などに
何ら関係なく等しくもっている、さまざまな権利があります。
その中には、「自分の感情と考えをもち、それを表現する権利」や、
「自分自身でいる権利」「尊敬をもって扱われる権利」
「自分のことを自分で決める権利」「恐怖を感じなくてすむ権利」
「不完全である権利」なども含まれています。

しかしモラルハラスメントの行われる場所では、それらの多くの権利が
侵害されてしまうのです。

じっくりと考えてみると、夫婦や親子の関係、教師と生徒、先輩と後輩、
上司と部下など、さまざまな関係の中で、これらの権利をないものとしたり
されたりしていることに気づかれると思います。
その中で、常に片方がもう片方を支配し、コントロールする関係が固定化
されてしまうと、さまざまな暴力が起きてしまいます。

その構図の中で、モラルハラスメントだけではなく、
ドメスティックバイオレンスやセクシュアルハラスメント、性暴力、子どもへの
虐待、職場でのいじめなど、さまざまな暴力や虐待が行われているのです。

もし、日常生活の中で、「うまく言えないけど、なんだか圧迫感を感じる」とか、
「いつもある人の顔色をうかがっている」「何か問題が起きると、自分が悪いような
気になる」「自分が価値のない、つまらない人間のように思えてしまう」などと
感じることがあるとしたら、あなたにそのように感じさせる相手の言動は
暴力なのかもしれません。

まずあなた自身が、あなたの感情や感覚を信頼してあげてください。
加害者は、あなたの落ち度を責めてくるかもしれません。
でも、自分が完璧で何の落ち度もなかったと証明しなければ、暴力を
ふるわれたと言えないなどということはありません。

あなたがもし、モラルハラスメントの被害を受けているとしたら、自分の人生が、
その基礎から崩れ去ってしまったかのような感覚になっているかもしれません。
それでも、あなたの存在を尊重し、等身大のあなたでいてだいじょうぶだという
安心感を与えてくれる人たちは、必ず存在します。
その人たちとつながっていくことで、あなたはしだいにまわりの人たちとの
関係を取り戻していき、そして自分自身への信頼感も取り戻していけるのだと、
わたしたちは信じます。

今は加害者の影響力を、自分を必ず脅かす魔術的な力のように感じられるかも
しれません。
それでも次第に、加害者の言葉に重きを置かないでいられるようになり、
そして、相手には自分を本当に支配する力などないのだということが
実感できるのだと思います。

自分を愛すること、または自分を愛することができると信じることで、
あなたが自分の中のパワーを実感できるようになることを祈っています。

 

 



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