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秋葉原の人々 奇妙な人たち

秋葉原は昔から電気の街だから行ったことはある
探検したというほどではない

電気屋だった頃がある いまは通販だ
CDを探して歩いたこともある これもいまは通販だ
そのあとはコンピュータの街になった これもいまは通販でいい
最近はメイドカフェで有名だ これは通販ではよくないだろう
ゲームの街
アニメの街
筑波エクスプレスが開通
駅前には高層建築
山手線の駅ならば当然の光景が広がりつつある

散歩してみたら、店の駐車場のようなところを使って、
フリーマーケットのようなものを開いている

品物は ガラクタ である
捨てた方がいいと思うものばかり
あるいは 昔物語博物館 にでも入れた方がいいようなもの

わたしはものが捨てられない方で
引っ越しになるととてもお金がかかる
特に本は腐らないので保存できるけれど重いので
引っ越し屋さんには嫌われる

そんな私でも、秋葉原のフリーマーケットを見たら、
完全に、もう、捨てるものはさっさと捨てようと思った次第だ

例えば、古いコンピュータ雑誌が置いてある
一冊100円
一体、この本に100円の価値を積極的に見いだす人が見つかるまで、
どれだけの時間がかかるだろう
売り主が生きているうちは無理だろう

ガラクタを、本人だけは大切と思う

その他に、ビデオコードのようなもの とても安物
何かから剥がしたスピーカー 今さら使う人はいない

これって、人生そのものだ
どうでもいい写真が本人には大切
どうでもいい手紙が本人には大切
どうでもいいすべてのものが本人にだけ大切
そんなことを言っている人間の人生は
本質的に無駄

ガラクタを売りつける商売の人もいて、
例えば、「商材ビジネス」なんていうものだ
中身を見なければ値段なんか評価できないのに、
買ってからでないと中身を調べられない

そんなのに比較すれば
ガラクタフリマは
素朴な行為である

でも、それは秋葉原系人間の特質を何かあらわしているようでもある
他人にとっての価値を考えることが手薄なのだ

目の前にいる人が怒っているのか感謝しているのか
興味が薄い

狭い領域での能力は発揮するけれど、
目の前にいる人の気持ちが分からない
多分自分の気持ちをモニターできていない

そのようにして他人に見放されてゆくので、
世間の人がどのようにして人生を生きているのかが
だんだん分からなくなる

独自だけれど、
ずいぶんと損をしている。

半ば可愛そうと思い、
半ば自分に似ていると思い、
しかし現在の自分は、
筑波エクスプレス開通で拡大した
チャンスを考えた方が楽しい

そんなことを秋葉原路地裏の
フリーマーケットで考えた

しかしそんなことを思い、
こうして書いて、
一方でデータ修復をしている
わたし
が、一番無駄なのだった

無駄でもいい、
あまり迷惑をかけないで、
少しの間世界を経験させてもらおう

末期の目で見れば、
世界はとても美しい。
臨終の床で
私は多分、世界と人間を肯定するだろう。
そんな気分になっている。



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