絶対悪の存在 いじめについて
いじめの報道に接するとき、
わたしは絶対悪の存在について思う。
いじめの一部はそのようなものだろう。
相手が自殺するまでいじめることが起こりうる。
実際にそうだと主張しているのではなくて、
概念上の問題として、ありうる。
絶対悪が存在するならば、
この世は善良なる神が作った世界ではありえないと思う。
善良なる神が作った世界には、
最終的な善良さに至るための悪でないならば、
存在してはならない。
悪と見えるものは、善の欠如、または善の相対的な希薄さを意味するはずだろう。
絶対悪は、そうではない。
根本的に邪悪なのだ。
人間が人間に対して、
絶対悪として振る舞うことが可能であると知る。
その時私の中で大切な何かが崩れつつあるのだ。
わたしは絶対悪の存在について思う。
いじめの一部はそのようなものだろう。
相手が自殺するまでいじめることが起こりうる。
実際にそうだと主張しているのではなくて、
概念上の問題として、ありうる。
絶対悪が存在するならば、
この世は善良なる神が作った世界ではありえないと思う。
善良なる神が作った世界には、
最終的な善良さに至るための悪でないならば、
存在してはならない。
悪と見えるものは、善の欠如、または善の相対的な希薄さを意味するはずだろう。
絶対悪は、そうではない。
根本的に邪悪なのだ。
人間が人間に対して、
絶対悪として振る舞うことが可能であると知る。
その時私の中で大切な何かが崩れつつあるのだ。
2006-12-14 18:31