映画「人生は、奇跡の詩」でジャン・レノのニヒリズム
行き着く先はニヒリズムである。
どうしようもない。
声は届かない。
一瞬は振り向くが、言葉はない。
冷たい死んだ宇宙があるだけである。
絶望があるだけである。
バベルの塔
それもまた人間が分断されていることの象徴である
しかしバベルの塔ならば、
それぞれの人間は善良であると信じることもできるだろう
いまの問題は、
絶対悪が存在することだ。
それは神の不在を問いかけているのだ。
ジャン・レノのニヒリズムは、
善良な人間同士の限界を提示しているのではない。
むしろ絶対悪が存在していることを絶望しているのである。
みんな善良なんだけれど、
ちょっとした行き違いが重なってね、
と信じたいものだ。
よく話し合えば分かるんだよ、人間同士だもの。
こどもには一応、そのように言っておきたいものだ。
しかし実際はそうではない。
遍在する絶対悪の問題なのである。
どうしようもない。
声は届かない。
一瞬は振り向くが、言葉はない。
冷たい死んだ宇宙があるだけである。
絶望があるだけである。
バベルの塔
それもまた人間が分断されていることの象徴である
しかしバベルの塔ならば、
それぞれの人間は善良であると信じることもできるだろう
いまの問題は、
絶対悪が存在することだ。
それは神の不在を問いかけているのだ。
ジャン・レノのニヒリズムは、
善良な人間同士の限界を提示しているのではない。
むしろ絶対悪が存在していることを絶望しているのである。
みんな善良なんだけれど、
ちょっとした行き違いが重なってね、
と信じたいものだ。
よく話し合えば分かるんだよ、人間同士だもの。
こどもには一応、そのように言っておきたいものだ。
しかし実際はそうではない。
遍在する絶対悪の問題なのである。