SSブログ

悲しくて思考停止 渋谷区エリートサラリーマン夫殺害事件

あるブログからの引用
内容が内容なので
ソースは秘匿
しかし大切なことを含んでいるように思う

妻が夫を殺害した。夫には暴力癖があり、アルコール問題もあったらしく、
一方、妻の側にも、テレビショーによれば、勝ち気で……といったような、
性格評価が下されている。

****
この事件、立派なDVが原因なのになぜマスコミはそこに触れないのか?
殺害前日には鼻の骨を折られていたそうだ。
毎日毎日殴られ罵倒を浴びせられ、いつ殺されるか恐怖のどん底にいたであろう。
殺すか殺されるかどちらかしかなかったであろう。

子どものいじめには国も声高々に対策を練る『ふり』をしているのに、
家庭という小さな社会には目もくれない。
それは自分達が同じことをしているからに他ならない。
私は××市役所の職員に「国は何もできないから死ね!」と言われた。
警察には「そんなヤツに掴まったお前が悪い!」と言われた。

小さな社会で頻繁に起こる事件を目の当たりにしている子どもが
学校という社会でやっても当然と思うのは当たり前ではないか!
根本を正さず目前のことだけなんとかしようとしても無駄なのに。。。


私も私の最後の仕事が終わったら、ヤツを殺してやりたいと思っている。
それだけのことを私はされてきた。

この犯人である奥さんは本望であったろうと思う。
しかし、隠蔽しようとしたことは私には理解できない。
私ならその場で自殺するか自首するであろう。
国も警察も税金という名の搾取をしておきながら、
本当に困っている人間には何もしない・できないのだから、
自分の手で成敗することに誰が意義を唱えることができる?
法は弱者の前では常に無力である。
「やったもん勝ちだ!」と国自ら言い切るのだから、
こちらが実力行使をすることに文句を言われる覚えはない。

この犯人の刑が少しでも軽減されることを願う。

*****
以上のような文章である。
悲しいけれど私にはこの人をうまく説得できる言葉がない。
ただ思考停止するばかりだ。

市民が構成する社会も、統治組織である国も、
結局は弱者の痛みには鈍感なのだと思う。
社会は強者が構成する場所である。
弱者にはただ苦しい場所である。

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。