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川端康成「雪国」

莫言が、
川端康成の「雪国」の温泉の湯を舐める犬の描写で、文学世界に開眼、
と紹介されている。
そこで読み直してみた。その一文だけ提示しても仕方ないのだが、

黒く逞しい秋田犬がそこの踏み石に乗って、ながいこと湯を舐めていた。

書く方も、読む方も、なるほどすごいものだ。

莫言などは言葉ですきまなく事態を構成しているように見える。
川端の言葉の使い方はかなり異なっていて、すきまだらけという感じだ。
平安貴族の伝統が直結していると思う。
伝統がすきまを埋めている。
対照的に、大江健三郎などはむしろ外国文学に根ざしていて、
昔でいえば、菅原道真のような、漢文に通じた人種と見える。

川端が描いていることは「風俗」であろう。
文章の質が最高に高いのでやはり特殊なのだが、
内容を、たとえば翻訳してしまえば、
案外平凡な風俗小説ではないかと思われてくる。

文章の質は、つまり、読書の体験の質であり、
これは他の追随を許さない。
現代の、ビジュアル・メディアに慣れた人々にも新鮮な、
映像的文章を書いている。
映像よりも映像的な文章と言える。

散文詩に近いだろうか。
言葉でしか構成できない世界を出現させていると思う。

昔、岸恵子や岩下志摩が駒子を演じた。
現在ならば駒子に宮沢りえ、
葉子は長谷川京子でどうだろう。

島村が無為徒食という設定も、平安以来の伝統らしくていい。
単に好色なのではなく、好色を趣旨とする文化を愛しているのだ。

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島村にまつわりついて来る駒子にも、なにか根の涼しさがあるようだった。そのためよけい駒子のみうちのあついひとところが島村にとってあわれだった。
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静けさが冷たい滴となって落ちそうな杉林
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こんな表現が並んでいる。

駒子の内面は、まだ未熟な私には分からない点も多い。
飛び飛びの描写のように思える。
今後また経験を経てから読んでみれば、分かる部分もあるのだろう。

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