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ジャン・カルバン「キリスト教綱要」

堀田善衞「ミシェル 城館の人」の中で紹介されている。
カルバンは1536年、27歳の時に「キリスト教綱要」を書き上げた。
まさに天才である。
1531年には最初の本、セネカ「寛容について」の翻訳・注釈書を書いている。
22歳だ。
堀田氏は
最初は自由と寛容を求め、
最後は宗教的独裁に至った
と評している。
プロテスタント運動は弾圧され迫害され、
非寛容の権化となり、
自らをジュネーヴの独裁者とする、
宗教的共和制を完成した。
各国に秘密組織を張り巡らせることさえした。
この変貌は、人間を見つめるものにとって、他人事ではないと書く。

これはドストエフスキーの描く大審問官の話でもある。
蟻塚の蟻として生きる人間は自由に耐えられない、
ただ教会に従っていればよろしい、
それで間違いはないと言い切る。
信仰の内面化を言うイエス・キリストは不要であるとする。

自由と寛容は最初歓迎される。
しかし民衆はそれを自発的に教会に捧げ返納する。
そのあとは独裁制が心地よいのだった。

免罪符の販売と、宗教的独裁と、
いずれがより大きい害悪であるか。

カルバンの場合、一人の人間が、ここまで大きな振幅で振れるものかと、
瞠目させられる。
環境または体験が人の思考を変えてしまうのか、
あるいは時間が経って、即ち加齢に伴いカルバンの内部に変化が生じたものか。
内部の変化というのなら、そこに、病気の可能性はなかったか、とまで考えさせられる。
かなりの屈折と感じられる。
しかしまた、当時の状況を勘案すれば、このような屈折も自然な経過として
理解できるのかとも思う。

このあたりの判定には、他の歴史的人物を複数引用するのがいいのだろう。
その上で、歴史的経験値として、ある程度評価できるのかもしれない。
独裁者たちの人生を掘り返してみるというわけだ。

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