無臭空間
現代日本人はとても無臭の空間を好む。
風呂に入って、体臭を流してしまう。
スペイン人とか犬から見れば、
匂いが薄くて、
半分透明人間のようなものかもしれない。
実際体臭を消してしまっている。香水を使うとしても薄くしている。
同じようにして、自分の存在感とか意見を消している。
精神的にも無臭化している。
五感の間にも違いがある。
視覚については、見えるものなら隠せばいい。
比較的コントロールし易い。
嗅覚については、隠せない。コントロールしにくい。
自分から「漏れ出るもの」の代表が匂いである。
考えが漏れる、声が漏れる、音が漏れる、などあるけれど、
一番恥ずかしさと結合しているものが、
匂いである。
考えが漏れるときも、たいていは、恥ずかしい考えである。
声が漏れるのも、恥ずかしい声である。
音が漏れて困るのも、恥ずかしい音である。
そうしてみると、他人に知られたくない、恥ずかしいものを、隠す、
この習慣が、日本人に過剰であるということではないだろうか。
風呂に入って、体臭を流してしまう。
スペイン人とか犬から見れば、
匂いが薄くて、
半分透明人間のようなものかもしれない。
実際体臭を消してしまっている。香水を使うとしても薄くしている。
同じようにして、自分の存在感とか意見を消している。
精神的にも無臭化している。
五感の間にも違いがある。
視覚については、見えるものなら隠せばいい。
比較的コントロールし易い。
嗅覚については、隠せない。コントロールしにくい。
自分から「漏れ出るもの」の代表が匂いである。
考えが漏れる、声が漏れる、音が漏れる、などあるけれど、
一番恥ずかしさと結合しているものが、
匂いである。
考えが漏れるときも、たいていは、恥ずかしい考えである。
声が漏れるのも、恥ずかしい声である。
音が漏れて困るのも、恥ずかしい音である。
そうしてみると、他人に知られたくない、恥ずかしいものを、隠す、
この習慣が、日本人に過剰であるということではないだろうか。