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ミンコフスキー フレッド・ハリディ なごり雪

センター試験国語にミンコフスキーの引用が出た。
昔のフランスの精神科医。
現在ではほとんど全く過去の人。
世間からはどう思われているのだろう。

書評欄に、英国の中東研究者、フレッド・ハリディの名言。
「今の西アジアの政治的不安定は米ソ超大国が冷戦期に垂れ流した廃棄物に起因していて、ソ連からの廃棄物は兵器、米国からのは米が使い捨てた現地の反米ゲリラだ。」

雪が降りそうというので、わざわざ散歩。人々は変わりなく、何か会合があったようで、
ご婦人方の訪問着姿。

食べれば太ったのは若い頃で、歳をとってみれば、
うっかりしているとやせてしまう。
意識して食べなければならない。

ガソリンについて、恒久的暫定税率というレトリックに苦しむ。
ふるさとの老人に寒い思いをさせ、
他国の戦争に油を贈る、これが自分たちの選択なのかと苦しむ。
各地で大雪。

エスカレーターでおだやかな表情にすれ違い、
長生きしてよかったと思い、
晴れやかな笑顔にすれちがい、
まだ生きていたいと思う。
エスカレーターを降りて、食糧を買う。

昔の歌「なごり雪」で、
「東京で見る雪はこれが最後ね」というせりふが出てくる。

学生時代を東京で過ごし、地方に帰る女性、それを駅のホームで見送る男性、
という風景である。
結局のところ別れるのだから、淡い恋には違いない。

「去年よりずったきれいになった」
なんて歌っている。
「去年よりずっとうまくなった」
なんて言いそうだ。

「去年よりずっときれいになった」
と言うのであるから、
「きれい」ということに価値を見出していることが分かる。
甘い人生である。
そう言いながら、別れてしまうのは、
「自分にはもっときれいな女がふさわしい」と
潜在的に思っているからに違いない。
二重に甘い人生である。

わたしは今なら、
好きだけど別れるという言葉を全く信じない。
別れると言うことは、好きではないのである。
好きだというなら、別れないはずなのである。
だから、別れの歌については、
半ば冷笑しているのだ。

テレサテンが愛人の立場で、
別れると言うよりは、身を引くというのは、
悲しくて涙が出る。

当時、東京は、若いエネルギーを飲み込む都会だった。
いま、年老いた東京が私には見えている。

美容師学校を卒業した女性が、
大学生の男性と、東京駅で別れて、長野新幹線がゆっくりと動き出す。
これよりも、
中国上海で、内陸部出身の女性がマクドナルドでアルバイトして、
少しお金がたまったから、今度はニューヨークに行く。
たくさんの中国人が可能性を求めてアメリカを目指している。
男は上海の金融会社で働いていて、中国の世界戦略を日々体感している。
そんな二人が、別れの日、男の部屋で、最後の食事をして、
ワインを口に運びながら高層階からの眺めを楽しんでいる。
朝になって、朝日はまぶしい。祝福のように彼女の白い肩を撫でている。
愛は確かに尊い。しかしそれぞれの未来はもっとまぶしい。
愛の思い出も点景になってしまう。

なごり雪という題名も旅立ちの朝という題名になり、
二人はこれから何をするのかはっきりと分かる物語になっている。

2008-1-20



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