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ある人の、妻についてのここだけの感想-1

思わず妻に説教しましてね。

夕食に、フルーツが出て、妻は、
大きめのかんきつ類、エーと、なんていうんでしょうか、
甘夏とかそんなものでしょうか、
それを、きれいに皮をむいて出しているんですよ。
あまりにきれいに。
皮を薬品で溶かしたかと思うくらい。
これはいけない、うつになるぞ、と思ったもので、
「こんなに細かい仕事をしていたらうつになる、大雑把でいいんだぞ」
と言いまして、そしたら妻がニヤニヤ笑って、
あなたみたいな神経質な人に、そんなこと言われるなんてねえ、
わたしもたいしたもんだ、
「わたし以外じゃ、だれも暮らせないでしょ」っていうんですよ。

そういえばそうかもしれないなあって思ったものです。
最初からそうだったのか、
連れ添っているうちにそうなったのか、
今はもう分からないんですが、妻もやはり細かくて几帳面です。

だって、子供の勉強なんか、自分がすらすら覚えてしまうんです。
古文とか漢文とか英語とかは特にそうです。
細かい脚注とか、すらすら言うもんですから、
子供は劣等感というか、ノイローゼみたいなのものですね。
うちの子たちは、自分は頭が悪いと本気で思っているみたいです。
まあ、妻と話していると無理もないと思います。
自慢していうのじゃないですが、特殊な才能ですね。

わたしなんかは物事を抽象化して考えるタイプでしょう。
妻はそうじゃなくて、何か違うんですよ。
不思議なんですが、たとえば、妊娠中絶についての話になったとして、
彼女自身の主張は特にないんです。
賛成の意見はこう、言っている人はこんな人たち、その歴史はこう。
反対の人たちはこう、と、くっきり整理して、
どっちもどっちだわ、というような立場です。
傍観しているというか、
整理が行き届いているというか。
それぞれの意見には理由があると言うのも、言われてみるともっともなことです。
特殊に見える意見であっても、背景や歴史を知れば、そんなに軽蔑もしないものです。
それは妻から学びました。

風呂場とトイレは全くすばらしくきれいです。
ええ、わたしが神経質なもので、家にはトイレが4つあります、四人家族ですから。
風呂場も二つあります。待つのも待たせるのもいやなんです、わたしは。
それを全部、完璧に磨いています。
趣味と言うのか、
庭の草むしりも、私が何も言わないでいると、一日続けています。
鼻歌を歌いながら、いつまでも。
雑草なんか二、三日でまた生えてくるだろうと言うんですが、
楽しいのよって言うんです。

うちにある本はもう全部読んでいます。
私の専門書も。
出版社から献本が来ると、片っ端から読みます。
誤植を見つけるのが趣味で、
時々書き込みがあります。
楽譜の誤植を見つけるのも趣味なんです。
音楽を聴いてリラックスするなんていう人ではありません。
いつも楽譜を持ってチェックしています。
見ていなくても、頭の中で楽譜に写し取っているに違いないと思います。
オーケストラの重なった音はステレオでは聴きにくいとのことです。

モーツァルトなどだと、楽譜なしでほとんど再現できるようです。
子供の伴奏にはちょうどよくて、練習は楽々なんですが、
子供は早くから、自分は音楽に向かないと思うようです。

妻のほうがよっぽど、うつになりやすい性格かと思います。

創造的とか、人を楽しませるとか、笑わせるとか、そういうのではないんですよ。
誰がいつどう言ったとか、
どの本にどう書いてあるとか、
あの映画のあの場面がこうだったとか、
それはもう正確で、家族で意見が違って、
「じゃあ、確かめよう」といって調べてみると、
大体妻が正確です。

覚えているというより、
写真みたいに見えているのじゃないでしょうか。
論理で人を説得するとかではないんです。
ましてや、情で説得するのでもないわけで。
ただひたすら、理屈は別にして、「だって、こうだったわよ」と妻が言えば、大体正しいのです。

理屈もまあ、言い始めるとかないません。
ウィットゲンシュタインとその解説と伊勢物語を並行して読むんですから。
でも、だからといって、誰にも言わないんですよ。
外で仕事もしないし、人の悪口も言わない、政府の悪口も言わない。
知っているし、意見もあるけれど、
言ってもばかばかしいと思っているようです。
資格は持ってるんですが、使う気はないみたいです。

いろいろ考えて、カードに書き出して、それをまとめて、なんてわたしはやるんですが、
妻はそんなことはしないんです。
見ているだけで覚えてしまうわけですから。
何かを解決するための最適な方法と言うのが、
まあ、地図で最短距離を見るように、見えているわけです。
議論の末に妥協や希望が見えるのではないんです。
幾何学みたいに、答えがあるんです。
答えはもともとそこにあって、それが見えるから、答えはそれだという、
実に違う思考回路なんです。
試行錯誤がないんですよ。

迷路の中にウサギを放すと、うろうろしながら、出口に行って、えさを食べるでしょう。
それがわたしたち。
妻には、迷路が「上から」見えているんです。だから、一番早いのはその道、と見えてしまう。
ただそれだけのことなんです。
勘とか、プロセスとか、そういうものは、「うさぎ」に属するもののようで。
うちの子は、自分をウサギ程度だと思って諦めています。
先の見えないウサギ同士で助け合うのが世界なんだと肯定的に感じているようなんです。
妻から見たら無駄なんでしょうね。

一時、予言みたいな言い方でおもしろがらせたりしましたが、
妻のは予言ではなくて、迷路の出口が見えているわけですから、必然なんですよ。
あんまり言うと嫌われるので、言わないようになりました。

ただ、人を説得するとか、そんなことは苦手ですから、
社会の中で役立つとは思えません。
わたしたち家族の中だから比較的自由に生きて行けるのかと思います。

人間には、お互い不完全な人間として同情に値する間違いとか勘違いがあると思いますが、
それがないんです。そのことが他人に劣等感を抱かせると知っているので、
あまり人と付き合わないようです。

落語なんかも器用に物真似ができます。
うまいもんですが、人前ではやりません。
自分で駄洒落やジョークを考え付く人ではないです。
ユーモアがあるといえばあるのですが、
だいたい出典があるのです。
何か考え付いても、それよりもおもしろいジョークを思い出してしまうのでしょう。

わたしは変人に属する人間ですが、
妻も変人でしょう。
先生そう思いませんか。
それで子供がまともなんですから、神様に感謝です。
多分、まともな人間のほうが幸せだと感じているんでしょう。
遺伝子が薄まってよかったと思っているんですよ。

先生がわたしにうつにならない、ひどくならないアドバイスをしますでしょう、
家に帰って、それを妻に当てはめて観察すると、
ほんとに噴き出してしまうくらい、当てはまるんですよ。
妻は妻で苦しいんでしょうかね。わたしにはそうは言いませんが。

たくさん寝るのは特色でしょうね。
昼に家に電話をすると、しばらくしてから、寝ぼけた声がしますから。

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