国に責任を取って欲しいという言葉
報道で、
国に責任を取って欲しいとか、
国に対策を決めて欲しいとか、
国にきちんとして欲しいとか、
そんなような言葉をよく聞く。
よく考えてみれば国というのは抽象的なもので、
総合的な無責任体制だともいえる。
個人としては税金のことで「実体」を感じているかもしれないが、
税務署も、結局我々が定めたものに過ぎない。
国が責任を取ると言っても、
今後法律を改めるとか、
税金から支出するというだけで、
霞ヶ関から群馬の福田家に引越しするわけでもない。
国が認めたというお墨付きが欲しいということも
含まれているのだろうか。
だとすれば、なんとなく、おかみが一番偉いという考えにつながりそうだ。
主権在民ではないようだ。
水戸黄門の威力の源泉が、なんであるか、不安に思う。
葵の御紋にひれ伏す人民でいいのだろうか。
ま、いいんだけどね。
国に責任を取って欲しいとか、
国に対策を決めて欲しいとか、
国にきちんとして欲しいとか、
そんなような言葉をよく聞く。
よく考えてみれば国というのは抽象的なもので、
総合的な無責任体制だともいえる。
個人としては税金のことで「実体」を感じているかもしれないが、
税務署も、結局我々が定めたものに過ぎない。
国が責任を取ると言っても、
今後法律を改めるとか、
税金から支出するというだけで、
霞ヶ関から群馬の福田家に引越しするわけでもない。
国が認めたというお墨付きが欲しいということも
含まれているのだろうか。
だとすれば、なんとなく、おかみが一番偉いという考えにつながりそうだ。
主権在民ではないようだ。
水戸黄門の威力の源泉が、なんであるか、不安に思う。
葵の御紋にひれ伏す人民でいいのだろうか。
ま、いいんだけどね。