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「<意識>とは何だろうか」下條信輔

心はどの場所に存在するのでしょうか。脳の中に、という答えが、現代人なら一般的でしょう。けれども、意外に聞こえるかもしれませんが、他人に、という答えも十分可能だと思うのです。(略)
  このような議論をすると、「心」の中身をそれ以上特定できていない点で、問題を先送りしていりようにみえるかもしれません。しかし、向き合った鏡の中の像のように、あるいは閉じた空間の中のこだまのように、無限に投影しあい、反響しあうのが、意識の実像です。自分と他人の間でお互いに他人を認知し合うところから、意識は発生するのであって、脳内にいきなり他から孤立した「意識の中枢」が出現するわけではないのです。
「<意識>とは何だろうか」下條信輔

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1.スタンド・アローンの脳やコンピュータに自意識の発生を求めるのはどうも間違いのようだ。
(自説はこれと違うが)
2.しかしそれらをネットワークとして組み上げた時に、自意識は発生するのかもしれない。
(これも自説と違うが)
3.脳が他者や社会や文化という「外部」を必要とするのは、そこから何かを学ぶ必要があるからである。学ばないままでは空白になっている。
4.「空白を埋めるもの」を脳は要請している。そしてその「空白」部分には「社会」と「他人」が入る。
5.ネット社会で成長する人間は、上記「脳の空白部分」を別の何かで充たされている。それが病理現象につながることがある。たとえば引きこもり。
6.昔も、たとえば読書により、周囲の現実と違うものをその「空白」部分に代入する人はいて、たとえば、偉大な父親像を読書によって形成するなどはあっただろう。
7.しかしその場合、参照されるべき文章は、たとえば福沢諭吉であったとして、社会化の一つの通路であった。
8.現実体験の代替物を「空白」に代入するのだけれど、その場合、代入されるものは、役に立つ良いものがそろっていた。時々は問題のあるものもあったが、時代を経て、選択されていった。
9.もともと「脳に隙間」が用意されていて、環境を学習して書き込むように出来ているのは、それが環境適応に適した戦略だったからである。新しい子供は新しい環境を取り入れてすばやく進化するのだ。コンピュータとネットと携帯の環境は、まさに子供が適応すべきターゲットになっている。しかしそのことは「大人」になる方向の成長とずれている。そこに問題がある。
10.普通いわれることは対人関係を学びなさいと言うことで、心理学の分野では「心の理論」「メンタライゼーション」などといわれる。つまり、二人が今悲しいのかうれしいのか怒っているのか、理解してくださいということだ。

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