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ニュースキャスター的批評態度

飲み屋でサラリーマンが政治家などを批評しているのを聞くと
ニュースキャスターそのままだと思うことがある

最近の若い人は新聞を読み比べることもないようで
新聞の影響力は弱くなっている様子だ

人の話を聞いていてもオリジナルな意見は少なく
同じことを繰り返し言っているようだ

オリジナルなことを言っている人は間違っている人が多いのも事実だろう

たぶん情報源が限られているので新しい解釈も考えられないのだろう
同じ言葉が繰り返し言われることが安心感につながるのかもしれない

ニュースキャスターと同じことを言って、一体この人は何をしているのだろうかと思う
話相手にとって見れば、聞いても聞かなくても同じことだ
カラオケの歌につきあっているのと同じである

それでも話すのはたぶん自分は正しいと認められたいからだろう
できれば自分を大きく見せたいと思っている
本当は誰も知らないようなニュースソースを握っていて
それを解説して得意になっていたいものだが
現代の社会ではそのような秘匿情報の管理は厳重である

せめてカラオケのようにニュースキャスターの発言を繰り返す
ひどい批判を受ける心配はないから安心して話していられる

だいたいが全く責任のない立場からの発言だ
外野からのヤジのようなもので
どうでもいいものだけれど相変わらずわめいている
どこか心地よいのだろう

とても臆病な自己愛と見える
攻撃されない範囲で誇大性を発揮している

矛盾しているのだが
自分は優れていると確認したいのだが
わずかの批判にも弱いことを知っている

だから反対されないことを言って肯定されたい
しかしそれでは圧倒的に支持された感覚にはならない

不全感を残しながら
しかし傷付きは回避する

そのような回路なのだろう

まあまあの誇大感と言うべきか
傷付きを回避する用心深さは感じる

どうにかなるという楽観性はないようで
むしろ悲観的に傷付きを防衛している

そのあたりは全然自己愛的ではない
むしろうぬぼれてはいけないと自戒しているようでもある

しかしその範囲内で精一杯威張っているのだ

そんなわけで日本の社会に「父親」がいなくなったわけだ

政治ではリーダー不在
サッカーでは決定力不足
といわれているもの

困ったことに本当の父性的存在ではない人が
おだてられてその気になって
筋違いの発言を繰り返し
おだてた自分たちの愚かさに
みんなうんざりしている
そこまで図に乗るとは思わなかったと言っている
誰でもそうまで持ち上げられれば
そうなると思うけれど

日本男性のだいたいがおばさん顔をしてテレビでしゃべっていて
画面が切り替わると
アメリカのおばさんがおじさん顔で何かしゃべっているので
これも驚く


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