震度1への逃避
人生を生きていると
震度5の出来事も震度6の出来事もあったような気がする
そのあとは震度1とか震度2が起きている
人生の中で振り返り
考えなければならないのは何といっても
震度5や6の出来事なのだが
何となく後回しになっていて
とりあえずの震度1や2のことに
心が向いているようなところがある
考えてみてもどうしようもないだろうという考えは確かにあり
だから震度6についてはなるべく忘れているのだろう
人生を屈折する矢印と考えれば、
震度5や6のときに大きく曲がったはずだ
だからその時点での検証が大切なのだとは理解している
しかしそれは億劫なのだろう
震度1がやはり考えやすいし
心への負担も少ないようだ
逃避する態度なのだろう
震度1への逃避である
震度6には直面したくない
あるいは当面は直面できない
震度5の出来事も震度6の出来事もあったような気がする
そのあとは震度1とか震度2が起きている
人生の中で振り返り
考えなければならないのは何といっても
震度5や6の出来事なのだが
何となく後回しになっていて
とりあえずの震度1や2のことに
心が向いているようなところがある
考えてみてもどうしようもないだろうという考えは確かにあり
だから震度6についてはなるべく忘れているのだろう
人生を屈折する矢印と考えれば、
震度5や6のときに大きく曲がったはずだ
だからその時点での検証が大切なのだとは理解している
しかしそれは億劫なのだろう
震度1がやはり考えやすいし
心への負担も少ないようだ
逃避する態度なのだろう
震度1への逃避である
震度6には直面したくない
あるいは当面は直面できない