SSブログ

幸せの絶対値

幸せと名付けているものは絶対値ではないのだと思い
ばからしくなる

他人と比べているのは間違いない

人と同じくらい幸せならば
その幸せをかみしめることも少ない

人と同じくらい不幸ならば
あまり不幸とも思わない

統計学のように分布を調べてみて
喜びを感じたりしているようで
それ自体はつまらないものだ

貴族の集会でも惨めな思いはあるし
無産者の集まりでも誇らしい思いはあるのだと思うと
そんなものに実質はない

親がいるのが当たり前なら
ありがたみは感じない

親がいないのが当たり前なら
皆同じだと思って特に不自由も感じない

いろんな親がいるから
いろんな程度の幸福がある

孤児であったならそれはそれでつらいものだが
それでも生んでくれた母もどこかにいるのだろうし
遺伝的な父もどこかにいるのだろう

幸福を感じる脳の回路は感覚性のものだから
変化を感じ取っているだけで
絶対値はない

温度を感じるときに皮膚は変化を感じているだけだ
南の島から北極まで考えるとして
どこが一番いいとも言えない

それだけのものかと思うとつらい

むしろキリスト教のように絶対値を決めてくれるものが欲しくなる

しかし一度このように考えてしまうと
決めてもらっているのだという気がして
なかなか難しい

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。