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超党派による年金制度改革に関する提言

採録
1、基礎年金部分は、すべて税方式
2、厚生年金などの二階建て部分は積立方式へと移行
3、さらには、国の年金債務(今まで保険料として国民が支払ってきた厚生年金部分などの二階建て部分)は向こう50年以上かけてでも、国民へ返還する
といった内容

2008年12月25日

「いまこそ、年金制度の抜本改革を。」
― 超党派による年金制度改革に関する提言 ―

衆議院議員 野田 毅
衆議院議員 岡田克也
衆議院議員 枝野幸男
衆議院議員 河野太郎
衆議院議員 古川元久
衆議院議員 大串博志
衆議院議員 亀井善太郎

 

はじめに

年金制度は、国民の老後生活を支える重要な制度である。
にもかかわらず、現在の年金制度は大きな問題を抱えており、高齢者世代、現役世代、若年世代のすべての世代において、年金制度に対する信頼が地に落ちている。
少子長寿化社会や低成長経済、働き方の多様化といった環境変化への対応、番号問題や改ざん問題などの甚大な怠慢やミス・不正の根絶、世代間・内の垂直的・水平的公平性の確保、生活保護との整合性、単身高齢者の困窮の解消など、多くの不満や不安を国民は感じている。結果として、老後の生活の安心を牢固に守るという、年金本来の機能は十分発揮されておらず、さらには、将来の生活設計に対する不安拡大が消費低迷をも招いており、事態は極めて深刻である。
あらゆる世論調査においても年金制度改革は「取り組むべき政策課題」の上位に位置している。また、すでに新聞各社が独自の提言案を打ち出すなど、多くの抜本改革に向けた動きが出てきている。こうした動きに呼応して社会保障国民会議が開かれ、議論が展開されてきた。しかしながら、同会議は税方式か社会保険方式かといった財源論ばかりに偏重した既存の枠組みの中での議論に終始し、課題克服には程遠いものとなってしまっている。政府・厚労省、各党それぞれの改革案も存在するが、それぞれの主張が対立するばかりで、あるべき制度像への収れんが図られてはいない。
いまこそ、あらゆる課題解決のため、これまでの制度の枠組みを超えた抜本改革が必要であり、政治がそのリーダーシップを取らねばならない。
我々は、このような問題意識に沿って、半年以上にわたって、あるべき年金制度改革について超党派で議論を重ねてきた。
年金制度は国民にとって最も身近で不可欠な制度のひとつである。このため、国民に対して、「なぜ改革が必要なのか」、そして「制度改革を行った場合に負担と便益がどのように変わるのか」を真摯かつ丁寧に説いていかねばならない。これは政治の責任そのものであり、この際、党派の利害は超越せねばならない。また、年金制度は国民それぞれにとって平均60年以上と長期に関わるものであり、政権交代によって、制度そのものが揺らいでしまうようでは制度に対して信頼を寄せることはできない。したがって、年金制度改革は超党派で取り組まれるべきものであり、これを政争の具とすることは国民の信頼を裏切ることで決して許されることではない。
本日、我々のこれまでの議論の集約として、年金制度の抜本改革に関する我々の考えを「3つの原則」と「改革の具体像」として示す。

3つの原則 1.現行制度を抜本的に改める 
2.わかりやすく、公平な制度とする
 3.真の国民皆年金を確立する

改革の具体像
 ● 基礎年金-最低生活保障の明確化
 ● 積立保険料比例年金(現役時の所得比例年金)への移行
 ● 低コストかつ確実な執行体制の確立

本提言の内容はまだまだ充分ではない、詰めるべき論点も数多い。
しかしながら、従来の政府・厚労省案では乗り越えられない数々の課題を克服できる本提言は年金制度の抜本改革に向けた嚆矢になるものと確信している。本提言のような内容があってこそ、将来、与野党において年金制度改革の協議を行っていく際、それが実りあるものとなるであろう。また、超党派による本提言を世に問うことで、政治がリーダーシップを発揮しつつ国民的議論の集約を推し進めることができる。我々は、国民の信頼と期待に応える年金制度の確立に向け、引き続き、その先頭に立って活動を進めていく。
3つの原則
原則1、現行制度を抜本的に改める
年金制度は抜本的に改めなければならない。
「抜本的」とは、現行制度の構造そのものを改めることである。したがって、給付と負担の調整に偏重し、制度そのものに正面から切り込んでいない2004年の年金法改正は、我々の意図する抜本改革ではない。08年に開かれた社会保障国民会議では、現在の年金制度の課題を制度そのものによるものではないとの考えを明らかにしている。
現行の年金制度は、後述で詳論するとおり、老後の生活保障の確実性や負担および給付の公平性などについて根本的な課題を有している。このため、制度そのものを「抜本的」に改めるしか、数々の課題を克服することはできない。
抜本改革の提言に対しては、既存の制度が現にあるので「白地に絵は描けない」との批判がなされることがある。確かに、現行制度が既に完成された、国民の支持を得た制度であればその通りかもしれない。しかし、現行制度は、国民の信認も得ていなければ、そもそも完成された制度でもない。それは、基礎年金の財源調達方法に端的に表れていよう。


原則2、わかりやすく、公平な制度とする
国民にとって最も身近な制度であるからこそ、最も重視すべきは、わかりやすい制度とすることである。
現行の年金制度は、法律、資金の流れからコンピュータシステムに至るまで複雑怪奇であり、制度のユーザーである国民も、制度をガバナンスすべき立場にある我々、政治家すらもその全貌を把握することが出来ない。一部の官僚だけがかろうじて把握しているのが実情である。
その弊害として先ず、国民の不信や不安の要因となる。わからないものには当然ながら信頼は寄せられない。次に、ミスや不祥事が起きやすくなる。例えば、宙に浮いた5,000万件の年金記録問題も、国民および政治家の制度に対する理解とガバナンスが行き届いていれば未然に防げた、あるいは、少なくとも軽微な被害にとどまっていたはずである。さらに、複雑な制度には、行政の裁量が入り込んでしまう。行政の裁量は、国民に不公平感をもたらすとともに、行政組織を肥大化させる。加えて、国民側の無駄な事務負担も増大する。
したがって、改革は、制度全体を徹底的にわかりやすいものとする方向で進められなければならない。また、行政の権限や裁量を最小化し、不正や怠慢を排除するためには法律によってすべての枠組みが決められねばならない。こうした観点に立てば、厚生労働省が試案として提示している「保険料軽減支援制度」のように現行制度の枠組みのまま、より複雑化させるものを選択肢とすることはあり得ない。

加えて、制度に対し、国民に不公平感を抱かせてはならない。
現行制度は、公平性に関して数多くの課題がある。代表的なものを挙げれば、先ず、高所得者でも低所得者でも一律月額14,410円の国民年金保険料という垂直的不公平がある。次に、同じ専業主婦でも、夫がサラリーマンであれば直接的保険料負担がなく、他方、夫が自営業者であれば負担があるという水平的不公平がある。さらに、若い世代は保険料が上がるにもかかわらず給付水準は低下する著しい世代間格差がある。また、厚生年金加入者においては、厚生年金保険料を40年を超えて払い続けても、基礎年金の受給額が増えることはない。厚生年金保険料には基礎年金の費用が含まれているにもかかわらず、こうした状況はまったく理解することができない。
今後、少子長寿化が進むもと、税にせよ社会保険料にせよ国は国民に対し追加的な負担を求めていかざるを得ない。そうしたなか、制度がかかる不公平を抱えたままでは、国民の理解を得ることは決してできない。制度における公平性を追究していくことは、国民が前向きに費用負担していくために不可欠な前提条件でもある。

原則3、真の国民皆年金を確立する
真の国民皆年金を確立しなければならない。
現行制度は、真に国民皆年金を達成しているとはいいがたい。まず、加入面をみると、第1に、国民年金制度未加入者は90.5万人(平成16年度)に及び、国民年金保険料の納付率は63.9%(平成19年度)にとどまっている。背景には、所得に関わらず定額という逆進的な国民年金保険料負担や、国民年金保険料という大量小口債権を2,200万人から直接徴収することの限界があろう。第2に、もともと自営業者や農林漁業者のための制度である国民年金制度の就業別加入者数をみると、今日では雇用者が約4割と最大のウェイトを占めている。どのような制度にでも加入していれば皆年金と呼ぶものでもない。第3に、サラリーマンの専業主婦の妻である第3号被保険者は、直接的な保険料負担を負っておらず、加入者としての意識を実感出来ているのかも疑問である。
次に、給付面をみると、基礎年金は満額でも月66,000円と生活保護の生活扶助にも見劣りする上、実際の給付額は月平均53,202円である(平成18年度)。どのような金額でも、給付さえあればいいというものでもなく、意味のある金額が給付されてはじめて皆年金として機能しているといえよう。
さらに、手続き面でも皆年金と呼ぶには疑義が残る。現在、加入期間や年齢など給付要件を満たしていても、申請主義の名のもと、社会保険庁に申請をしなければ年金は受給出来ないためである。そのため、貰い忘れ年金などが生じてしまっている。
国民全員が負担能力に応じて何らかの形で費用を負担し、とりわけ基礎年金に関しては「生活保障」の面で意味のある金額の給付を、受給要件を満たせば当然に受けとるという意味での国民皆年金が目指されなければならない。
改革の具体像
社会保障国民会議に顕著であった「税方式か社会保険方式か」といった財政方式に偏重した議論は、税と社会保険料それぞれを所管する官僚の縄張り争いの域を出ていない。真に国民の立場に立った議論であるならば、基礎年金、所得比例年金それぞれの役割の明確化こそがまず論じられるべきである。財政方式はその後の議論である。
基礎年金が果たすべき役割は最低生活保障と明確に位置付けるべきである。そこでは、意味のある金額が事前に設定されねばならない。年金の用語に従えば、給付水準を先に決め、それに合わせて財源を調達する「給付建て」である。
他方、所得比例部分は従前生活保障と明確に位置付けるべきである。現役時の負担が低ければ、それに応じて少ない年金、高ければ多い年金となる。年金の用語でいえば、拠出した財源に応じて事後的に給付水準が決まる「拠出建て」である。
このように役割を明確にすれば、それぞれに相応しい財政方式は自ずと決まってくる。すなわち、基礎年金の財源は、所得再分配を主要機能の1つとする「税」となり、所得比例部分は所得再分配を極力排した「社会保険料」となる。
こうした整理のもと、我々の考える改革の具体像は、次の通りである。

基礎年金-最低生活保障の明確化
(1)  1人あたり、現在の国民生活水準における月額7万円程度の給付水準を将来にわたり確保する。実際の給付水準は、健康保険料、介護保険料、および国・地方の租税負担との整合性を図る。現在、これらの制度設計および行政機関がバラバラであることで、年金生活者に将来の生活設計に不安を抱かせる大きな要因となっている。一方で、高所得者に対しては、年金課税見直し、あるいは、カナダのクローバック制度導入による給付抑制を今後のオプションとする。
(2) 財源には、税を充てる。これは制度導入時においては、これまでの保険料拠出実績を給付額に反映した場合、消費税換算では3%強程度の引き上げで賄える額に相当するが、保険料が軽減されることを勘案した追加的な国民負担は1兆円程度にとどまる。さらに上記の高所得者への年金課税、クローバック制度のあり方などによって抑制が可能である。この場合、全ての国民に消費を通じて負担を求めつつ間接徴収であることから納税義務者も少なく徴収上のメリットが大きい消費税を基幹税とすることが相当である。また、その全額を消費税で賄うのか、それとも他の財源も含めて賄うかなどについては、年金のみならず、医療・介護制度などを含めた社会保障制度の全体的な改革との整合性をとりながら、税制の抜本改革のなかでさらに議論を深める。ちなみに、改革案への移行に際しては、当然のことながら、これまでの保険料拠出実績は給付額に反映し、公平性を失することなきよう充分配慮する。
なお、年金制度自体はできる限りわかりやすくシンプルな制度とすることに配意し、年金以外の制度も含めた、税制と社会保障制度の一体的な制度設計のなかで、国民が現に生活している実態である「世帯単位」の生活保障機能を確保する。
具体的には、現在の基礎年金は基本的に個人単位であり、夫婦2人は満額で月13万2,000円であるものの、高齢遺族は夫が亡くなる途端に1人分の66,000円になってしまう。単身高齢者はもとより66,000円。老後の生活資金が年金のみの場合、単身になることで生活が困窮化する場合がある。これを回避させるため、所得や生活の実態に応じて追加受給ができる制度(現行の生活保護制度との中間の位置付け)を創設する。対象者特定には、確定申告など既存所得税制を活用し、簡素なものとする。

積立保険料比例年金(現役時の所得比例年金)への移行
(1)  保険料の名のもと国民から費用を徴収する以上、所得再分配は極力排除し、現役時に納めた保険料に応じて給付がなされる制度とする。この観点から、名称も「積立保険料比例年金」とする。
(2)  拠出建てであることから、給付水準がはじめから設定されることはない。まさに自助努力を政府が支援する制度である。現在は、政府があらかじめ現役所得の6割、5割と給付水準の下限を設定しているように政府丸抱えの発想から抜けきれておらず、かつ、保険料水準を固定するのに給付水準の下限も約束するという矛盾をも生じている。
(3)  現行の各種制度を統合し、積立保険料比例年金の対象者は全就業者を基本とする。その場合には、今後の所得捕捉の精度向上や、自営業者・農林漁業者の老後所得保障ニーズに的確に対応できる仕組みとすることなどが前提となる。
(4)  その際、厚生年金報酬比例部分だけでも270兆円とされる純債務の解消が避けて通れない。これには、積立保険料比例年金実現いかんに関わらず、後世代に財政的ツケを先送りしないためにも、きちんと向き合わねばならない。
翻って、現在の政府・厚労省は、数字操作によるバラ色の将来像提示と華美な形容で、年金財政の状況を取り繕い逃げる姿勢が目に余る。例えば、2.3倍貰える年金、一層の少子高齢化が見込まれるなかでの所得代替率予測値51.6%への上方修正(2007年2月の厚生労働省暫定試算)、および、100年安心のうたい文句などがその典型である。これらは、国民とりわけ若い世代に対して不誠実な、かえって不信を招く、誤った対応である。
本来、政府は、正直に、等身大に年金財政を捉え、それを出発点に財政的改善努力を重ねなければならない。そのために先ず、政治的思惑を一切排し、国民向けに、客観的・中立的に情報開示を行う「公的年金会計」を会計基準および実施機関両面から整備する。そこでは、純債務を明確に切り出して可視化する。次いで、純債務解消スキームを定め、政治責任のもとそれを着実に実行していく。
(5)  我々の議論のなかでも時間を費やしたのは純債務解消スキームの具体像である。現時点でのひとつの選択肢は次の通りである。
現行厚生年金報酬比例部分の純債務は、積立保険料比例年金とは明確に切り分け、別会計とし、区分経理する。積立保険料比例年金については、完全積立型の年金とする。
いわゆる二重の負担が特定世代に集中しないこと、一方で、あまりに長期間となりフィージビリティーを失することがないことの両面を勘案、財源確保の程度にもよるものの、純債務解消期間は少なくとも50年を超える長期間が適当と考える。
制度移行時点において一定年齢以下(例えば、40歳以下)の現行厚生年金報酬比例部分の債務について、過去納付額に応じて新制度の積立金に換算・移行するなどの選択肢も考えうる。本措置によって、純債務解消とは別に、国民にとっての新制度への完全移行は20年程度前倒しすることができる。
財源は、基礎年金の財源を税にすることに伴う厚生年金保険料事業主負担(保険料率換算約2.7%程度)の軽減分の活用などを考える。このとき重要なのは、幅広い世代の幅広い課税ベースに財源を求めることである。

 

低コストかつ確実な執行体制の確立
いかに素晴らしい制度が描かれても、確実に執行されなければ意味がない。これは、国民年金保険料の納付率の低迷や一連の年金記録問題などの教訓である。しかも、執行は低コストでなければならない。
法定主義に基づく制度とし、執行体制もこれに基づくものでなければならない。法定主義によって、行政の権限や裁量を最小化し、不正や怠慢を排除することができる。
基礎年金の財源を税とすることにより、既存の社会保険庁の機能と組織の大幅な縮減が可能となり、行政コストの大幅な抑制が期待されるとともに、国民サイドの事務負担も軽減される。さらに徴収機能の一体化も視野に検討することができる。
加えて、税制と年金・医療・介護など社会保障制度に共通する個人番号を導入する。これは、所得捕捉の精度を高めることで税と社会保険料の徴収を、公平、確実なものとするとともに、国が経済的支援を必要とする人を正確かつ迅速に把握し、支援の手を差し延べるためのインフラとしても不可欠である。
以上
(別紙補論:社会保障国民会議が招いた消費税に関する著しい誤解)

社会保障国民会議では、消費税の取り扱いについて、その本来の特性をまったく無視した議論が展開された。「税方式か社会保険方式か」といった財政方式に偏重した議論に伴って、あたかも消費税は全て家計負担であり、社会保険料の事業主負担は全て企業負担であるかのような誤った印象を国民に与えてしまった。これは今後の税制改正に大きな禍根を残すことになってしまったといえよう。
下記の例のように、負担の転嫁の容易性など、消費税には本来すぐれた特質があることを我々は忘れてはならない。


 



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