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2009年9月1日、晴れ

2009年9月1日、晴れ。
昨日よりも約14度高かったそうだ。
体がついていかない。
(ついていけない、か、ついていかない、か、しばらく、さんざん、迷う)

急に大雨が降ったり、豚インフルエンザが流行したり、
急に涼しくて急に暑くて、室内に入るとまた急に寒くて、
「涼しいですね」と挨拶しようとしたら
「蒸していやですね」と先に言われて、「はい」なんて答えたり。
でも、わたしは、顔でははっきり「涼しいよ」と言ってるような気もする。

部屋の中に一匹「か」が飛んでいて、ゆっくり飛んでいるので、何度も「拍手」しているが、
空振りばかり。
ゆっくりだとかえって予測できないのだろうか。
アパートのお隣さんは何を喜んで拍手しているのか不思議に思っているだろう。
大多数の拍手は8月30日の夜のことだった。

選挙で、何不自由なく最高に恵まれて育った麻生家の御曹司が人生の末尾で苦しみを味わう。
また逆に、何不自由なく最高に恵まれて育った鳩山家の御曹司はこれから苦難の扉を開く。
当方は下らない無価値な馬の骨でよかったと胸をなで下ろす。

9月1日は人事の日。いろいろな人がいろいろなことを言い渡されている。うつになる。
一方で、言い渡す方の苦難もある。うつになる。

満月の夜の方が飛行機事故、自動車事故など、軒並み危険は高いのではないかとの卓越した見解を聴く。
確かに、新月の夜、何も見えない暗闇で、子孫の遺伝子を選択するのは危険すぎる。
満月の夜にきちんと目視して子どもの遺伝子を選択した方が生存に有利だろうと思う。
少なくとも外見のいい子どもを残すなら満月の夜のほうがいい。
残念なことに、わたしの祖先は視覚よりも聴覚、嗅覚、味覚を信じたらしい。

信号が黄色の時、ブレーキを踏んでもいいし、アクセルを踏んでもいい。
わたしなら必ずブレーキを踏む。
だから下らない人生になる。しかし安全である。
わたしはいつもローリスク・ノーリターンで生きてきた。
これからもそれでいい。
おみくじなんて一度も引いたことがない。

思いつくのはわたしで
得をするのは隣の人だったりするが、
それでいいと思っている。
回り回って同じだろう。

徳のある人が得をするようにできている。
徳のない自分はそれなりに安物の人生で充分だ。
安物なりの豊かさがありがたい。

辛抱すれば報われる。
それがわたしの信念だ。
この世で報われないならあの世で報われる。
子どもの頃からわたしの心にインストールされているのはそのようなOSだ。
絶滅しかけているが、それでいい。
わたしは墓の中にいる先祖と連帯している。
あの世に行って先祖に説明できないことはしない。

わたしにとって未来は可能性でしかないが
過去は固い現実である。


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