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スポーツ・ジャーナリズムについて

8丁目で話していて
スポーツマンの話になった

実際はさわやかな人ばかりではないのだとのこと

話題になったのは
スポーツ新聞やテレビのスポーツニュースが一定の読者と時間枠を確保していることが
スポーツマンの人生を変えているのではないかということだ

スポーツ新聞の売れ行きには上下があるのでそれはいいとして
テレビのスポーツニュースの時間枠はゼロにはならないだろう
サッカーとプロ野球、高校野球などがあるからだ
しかしプロ野球が一段落したこの時期はニュースが枯れて
カーリングとかよく分からないそりの一種とかモーグルとかそんな話題で
だいたいがビジュアルにも好適な若い女性素材である

つまりは大きなニュースがないときの埋め草なのだけれど
埋め草として登場したときの受け答えが適切だったりすると
取材して番組を作る側は便利なのでリピートすることになる
ビーチバレーなんかもそうだろう

本業の実績ではなく、テレビに登場する回数が増える

その結果として、CM出演料が入ったりする
ここまで来ると、スポーツマン・ビジネスとしては大成功である

プロテニスとかプロゴルフのようにプロ制度がきちんとあればいいけれど
そうでないスポーツもたくさんあって
そんな人たちは怪我でもしたらもうどうしようもない、暗い現実を抱えている

そんな中で、非常にうまくいった場合、現役中にCMにも出てそのあとは解説者とか国会議員とかの道がある
テニス選手なら自分のテニスクラブを発展させて指導に当たる
名前が看板だ

国会議員になる場合も、これまでの通例では自民党から出ていた
スポーツマンで、かつ、政治信条があって、旧社会党とか共産党とかそんな話は多くない
スポーツマンはだいたい保守的なのだ
世の中を変えようなんて思わないようだ

だいたいが
与えられたルールの中で試合をする人たちなのであって
ルールに疑問を持つほどの知能はないようだ

そんなスポーツマンのあり方とスポーツ・ジャーナリズムが表裏一体になっているわけだ
スポーツ・ジャーナリストととして生きていく場合、
もとスター選手がスポーツ・ジャーナリズムに登場して解説してしまえば、
どうしてもそちらのほうにテレビカメラは吸い寄せられてしまう。
悪くすると、ジャーナリストは原稿を書いて、昔の有名選手がそれを語るという構図になる。
ゴーストライターのようなものだ。
そんなのはいやだから育たない。
結局、意味不明の解説をしている古い選手がギャラを貰う。その場合も、巨人の選手が有利である。

自民党で活動していたスポーツ系議員はその行動様式をずっと続けているのだと思う。
また、そのことが他の議員に比較して非常に見劣りがするというくらい
周囲の議員が立派でもないということも考えなければならないことだろう。

ーー
テレビのスポーツ枠は本来、
プロ野球の結果と、大相撲の結果だけでよいもので、
それは季節によって違うのだから、短縮してもいい時間枠だ。
しかし社会も政治も国際面もいいネタがあるわけでもないし
半分芸能人のようなスポーツ選手を使えば番組が明るくなるし作りやすい。

そんなわけで有名スポーツ選手が、本来のスポーツの実績とはあまり関係なしに珍重され、
CM、各社審議会関係、関係団体、政界への天下り等をしつつ、
一方で、スポーツ・ジャーナリズムと結託していることになる。
スポーツ・ジャーナリズムがスポーツマンのあり方とかスポーツ界のあり方とかを批判して改革するという動きを知らない。
多分全部封殺である。
まったくもって保守的。

その結託の中では、反権力的な意志というものはなく、
自然に自民党に取り込まれていく。

たとえば、ストライキを決行したときの選手会代表の古田が
どうして自民党からの出馬を考えるのか、理解に苦しむ。
思想的なくくりで言えば、労働界出身だろう。

スポーツマンこそ、自分の力で立つことができる。
だから反権力を貫徹することもできる。
そのように想像するのだが、8丁目の情報によれば、あの人たちの頭の中にはそんなものはない、
あるはずがない、あるのはせいぜい二つか三つの興味だけとのことだった。

だって、若い時代をスポーツに明け暮れたわけだから
それ以上は無理。
よくないのはそれをよいしょして維持しているスポーツ・ジャーナリズムだろう。


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