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統合失調症のフィルタリング障害

統合失調症の説明としてフィルタリングの障害といわれることがある
原因なのか結果なのかもはっきりしないし
責任病巣がどこかもはっきりしないので
あやふやな話

しかし患者さんの話を解釈する上では有益なことがある

人間は(というより生物一般は)感覚神経で外界に関してのいろいろな情報をつかまえている
光ったとか,音が出たとか、臭いがするとか
そしてそのひとつひとつに採るべき反応を用意していて
逃げるとか戦うとか方針を用意している
それが中枢神経の原型だろう

単細胞生物もアルカリ性だと回避して酸性だと近寄るとか(逆かな?)の性質があるらしい

感覚を受容しているというが
すべての情報を同じ重みで受け取って処理しているのではない

いつもと変わらない情報はたいてい無視している
感覚していないわけではないけれども
意味付けをいないので刺激は通過するだけで意味を伴わない

つけっぱなしのテレビのようなものだ
主婦の人は昼に寂しいのでテレビを付けっぱなしにするのだという
それは情報を受けるためではなく
新しい重要な情報はないことを確認するためのものだ

そうなるとその人は全く成長しないことになる
変わったことがないかを確認しているだけの情報選択だから
自己成長には繋がらない

まあそれはいいとして
カクテルパーティ効果というものがある
立食パーティであちこちの話が断片的に耳に入ってくるという状況
そんななかで不思議なことに自分について大切そうな情報ははっきりと耳に入る
大切な人が話していれば聞こえるし
気になる単語が話されていれば聞こえる

それは聴覚のフォーカシングとか拡大効果とも考えられていて不思議である
たとえば両耳の部分にマイクを付けて置いて録音したり別室でモニターしていても
現場にいる本人のように
情報を選択的にとらえることはできないようである

なぜそのようなフィルターがかかっているのか
まだよくわかっていない

音の意味の拡大効果はあるのかについて実験があるそうで
軍事機密になっていて公開はまだ先との噂もある
意識の焦点を正確に合わせて感覚すれば
通常の感覚の何倍もの正確さで敵を観察することができるとかの噂

不必要な情報を捨てることも一面だし
必要な情報を拡大することも一面である

どのようなメカニズムなのかよくわかっていない

情報の全体をPCのモニターとすれば
ライトが当たっていて注意が当てられている部分は真ん中の部分で、明るくなっているとする
その他の部分は特にいつもと変化がなければ注意しなくていいと思う部分であって
画面は暗くなっているとする

統合失調症はたぶん、暗くなっていた方がいい場所までが明るくなってしまい
意味が浮き出てしまい,さらにはその意味はたいてい「自分に関する」「悪い意味付け」である
「テレビで私の悪口を言っている」とかそんな具合

躁状態の場合にも多分そのような意味の過剰が発生している
この場合は自我膨張の方向である

どこもかしこも明るくて意味に満ちているので
何が重要なのか判断できなくなる
そこで注意散漫といわれる
注意集中困難といわれる

またそれを補うために過度に慎重になったりして
強迫性の部分が現れる

するとスピードのある判断ができなくなり
日常生活にも支障が出るし
集団行動をするときにテンポが合わない

スタートラインに並ぶまでにいろいろな儀式を経過したりして
やっとスタートラインに並ぶ頃には周りは全部ゴールしている

それでは困るので薬剤を使う
薬剤は真ん中を明るくして周辺を暗くするものなら一番いい

そうでない場合には
全部を暗くするか、全部を明るくするかのどちらかの傾向になる
どちらも困るが
全部が真っ暗になれば陰性症状だし
全部が明るくなれば陽性症状で休まらないことになる
(こんな言い方は標準的ではないが)

ーーーーー
フィルタリングは
いまここで注意を向けるべきものかどうかの意味を抽出することである
それが障害されると
大事なのに逃してしまう(ぼーっとしていて、臨機応変に対処できない)
大事でないのにこだわってしまう(無意味であることを判断出来ない)
ということになる

それが統合失調症では見られるようだという話がフィルタリング障害の話

ーーーーー
認知に関する仮説としては
意味の取捨選択はかなり高度な作業であって
それが「基本障害」であるはずはない、
基本障害はもっと要素的で「基本」のものであるはずだと私は直感するがどうだろうか

ーーーーー
立食パーティで誰の話もとりたてて意味はなく、いつものつまらない話と解釈した方がむしろ心は平安である
あっちでもこっちでも重大な話題が交わされ重大な結論が出されていると考えると
大変疲れるだろう

ーーーーー
この話の背景にドパミンの過剰とドパミン受容体の過剰を考えればつじつまは合うので
そんなイメージのほうが
理解しやすい

過剰なドパミンと過剰な意味が対応している

ーー
壁のシミが人間の顔に見えてしまう
それもフィルターが甘くなっている証拠である

雲がうさぎに見えるのも同様

そんなものを創造性とは言わない

雲は雲なのであって
それがうさぎに見えると言って喜ぶのは
ネジが何本か足りないのだろう

ロールシャッハが苦しいのは単にインクのシミなのに
無意味な意味付けを押し付けられることだ

無意味なシミなのだから無意味と判定するのが正しい機能である
まあ
それはいいとして
そのあたりもフィルターの機能不全の話である

フィルターがどのように機能不全であるのかは
たしかにロールシャッハで分かると思う

無意味なものは無意味ときちんと判定する機能を再構成するのが統合失調症の治療であるから
不用意なロールシャッハテストは反治療的ということになる

フィルターを強化すべきところを
フィルターを破壊するのだから
きつい話


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