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サイン言語としての踊り

踊りとか服装とか
無限にバリエーションがあるわけではないから
些細な違いが「意味」をもつようになる

だから鈍感な者には全く分からない世界が広がる

逆に若い頃はしゃいでいる映像を見せられて
なかった事にしたいと思うこともあると語る
何でも記録が残るのも考えものだ

服装は寒さをしのぐ機能もあるが
大部分は「自分は何者か」という他人へのサインである

踊りも、自分で楽しむだけの踊りやエクササイズの機能もあるけれど
多くは他者へのメッセージとして存在するもので
他者のまなざしを前提にして効果が計算される

服装でも踊りでも実現可能な範囲というものは限られる
限られたなかで差異を求めるので
差異に敏感な感性が形成される

制服の着崩しなどは典型的な例だろう
サラリーマンのスーツもほぼ同じといえば同じだし
違うといえば違う

そこで違いが分からないと鈍くさいと差別されることになる
ひとりで勘違いしてイケてると思うこともある

実質の裏付けはないことなので
結局多数決の世界だろうし
味方がいるかどうかの世界だろう

それがサインというものでシンボルというものだ
不安定で不確実なものだが
石油や希少鉱物のように限られたものではないから
既得権益者が支配を持続しやすい領域だ

猫にもミケもいてなにもいて区別になっている
いろいろな仕草もあって可愛らしい
それと地続きなのであるが遥かに人間らしいのは
いろいろと気を使うほどの効果は得られていないことだ
はっきりいえば搾取に気がつかないくらいぼんやりしている

費用対効果で言えば大部分が無駄だろうと思うがどうだろうか
費用をかけるからには何かの効果があるのだろうか
確実に言える効果は自分はうっかり屋だと証明していることだろう

土台、ファッションでも仕草でも
結局自分と同じレベルの感性しかひきつけないので
階級アップにはつながらない原理になる

ほぼ全員が自分よりも上の階級のファッションや仕草を真似るので
結果としては一段上を目指す同志で意見が一致して
もともと同じ階級で話が合うのだと思う

たとえばネクタイは無意味で変なモノだけれど
今のところつづいているわけだ

ネクタイ屋はいつみんなが正気に返るかとひやひやしているだろう


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