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謙虚と傲慢

諸宗教では当然のことながら
謙虚であれと基本的に教えている

だがそこには矛盾がある
謙虚な自分になりたいなどと考えるくらいあなたは傲慢だということなのだ

自分は徹底的に無価値であり
ただ神が私を愛してくださるから価値があると考えたり
悪人こそ仏に助けられると考えたり
するのだが
自分は無価値だと考える事の目的が
神に選ばれ仏に救ってもらえるという
究極のスペシャル待遇を手にいれるための行動なのであり
それこそとんでもない傲慢というものだ

なぜつまらない自分などが神や仏の直接の救済の対象になるべきなのか
と考えると
広く全般に平等に救済を与えるのなら
人間の側の努力も平均的でいいはずなのである

謙虚であるとは
結局のところ周囲の他人に比較してより謙虚でなければ
普通は謙虚とは言わないわけで
そう考えると神に選ばれるために他人よりも謙虚になろうとしているので
なぜ自分は他人より優先して神に選ばれていのかと考えてみると
結局,傲慢だからである

傲慢な人とお金持ちが天国に入ることは
らくだが針の穴を通ることより難しいというので
絶対に不可能である

従って
実は傲慢であるだけの表面的な謙虚さではいけないのだ
救いを求めるためとなればそれは傲慢であるし
神に選ばれるためであればますます傲慢である

いかなる傲慢さとも関係のない謙虚さがあるものか探しているが
なかなか難しい
磁石のN極とS極のようなもので
大変特殊な場合には単独で存在できるようだが
大抵はいつも二つ同居している



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