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価値観の多様化・貧富の差・病気の違い・経過の違い

所用があり地方に行ったら
人間の様子が違うので少しびっくり
(まあ、びっくりと言うほどでもないが、ちっょと気がついたという程度か)

東京の内部でも少し地域が違うと
人間の雰囲気も違うので不思議なものだと思う

むしろ港区をスーツを着て歩いている人間が特殊な存在なのだろう

30年くらい前から
高度経済成長が終わって
価値観の多様化と言われた

これは今考えると
成長の鈍化の言い換えである
ゼロサムゲームと言われたように
増えないパイを取り合うゲームなのだから
取り分が少なくても納得してもらわなくてはいけなくて
そこで価値観の多様化が宣伝されたわけだろう

貧富の差も同じで
富んでいることは下品でつまらないことで
貧乏の方が気楽で楽しいのだと宣伝すれば
多少は社会全体の不満の雰囲気が薄くなるはずだ

そのような背景があって
精神的な不調も起こるのだし
その背景が影響して病気の経過にも違いが生じることになる

ーー
きわめて大雑把な話をすると
高度経済成長の時代には軽躁状態くらいが一番適した精神状態であった
どんどん食べて買い物をする
エコノミックアニマルでたくさんもうけてたくさん消費する
そしてエロジャパンだった
高度経済成長が終わると軽躁状態はむしろ自分にとっては不適応で
他人にとっては迷惑になる可能性がある

そのような意味で
時代の雰囲気が精神の病気に影響する
現在では軽躁状態は治療を要する病気である
昔はむしろ幸福な人だった

ーー
しかし問題なのはこの先である
経済はさらに縮小する
ほぼ全員が前よりも貧乏な暮らしをしなければいけない

エコな生活とか
ロハスとか
一生懸命に宣伝して洗脳しているのだが
日本にいる限りは
貧乏生活に積極的な意義を見いだすしか道はない

そしてそれは実はいいことなのだと私は思う

ーー
実際の経済状況が人間の精神とか価値観のあり方を決めてしまうのは
一方の現実として頭に置くとして
そしてエコがいいと思うのはその結果なのだと思うとして
割り引いて
それでもなお、エコの方がいいと思う

肉よりも葉っぱを食べた方がいいだろうと個人としては思う

鯨のことを欧米人にヒステリックに言われるのはいやだけれど
内部でのおすすめとして言うなら食べなくても特に問題はないだろうと思う

ーー
こんな風に思うのはやはり
現実の状況が思考を決定しているのだろうなと思うのだが
どちらにしても清貧がいいと思うし省略がいいし
小説ならば長いより短い方がいい

長い小説を書くのも読むのも
これから先は病気だと認定される可能性がある

一方、短歌を短すぎると論難する人は少ないのではないかと思う


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