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イスラム世界

イスラム教の人たちの気持ちが自然にわかるのかと言えば
そうでもないところもあるかもしれない

きちんとしているとは思う

あまり深く話したことはないけれど
自分たちを自分たちで尊重する気持ちはあるし
同じように他人を尊重する気持ちもあるような気がする

日本やアメリカでは民族的な服装はしていない

しかし悪く言う人もいて、その人が被った被害を聞く
そんな話の中では彼らは身勝手な人になっているが
実際はどうなのか分からない

民族的な服装には微妙に飾りとか形の違いがあって
お互いに識別できるそうだ

ーー
以下は服装の記事の引用

イスラーム的服装について

 

預言者よ、あなたの妻、娘たちまた信者の女たちにも、かの女らに長衣を纒(まと)うよう告げなさい。それで認められ易く、悩まされなくて済むであろう。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。」(部族連合章59節)

 

と言う節で(イスラーム的服装について)体を被うように命じています。文明化の流れはクルアーンのこの命に反して進んでいます。それは、体を被いかくすことを自然であると見なさず、奴隷族的な服装であると見なします。


こたえ:クルアーンの命は女性にとってまさに天性にかなったものであり、これを不自然だとおっしゃる方々にいくつかの英知の中から4点だけ説明いたしましょう。


第1の英知
イスラーム的服装は女性にとって大変自然で、本来必要なものです。なぜなら女性達は繊細でか弱くやさしく創られているため、自分自身とそして自分自身よりも愛する子供達を守り、助ける男性が必要となりますので、彼女ら自身を愛させ、うんざりさせず、拒絶させないような性質を生まれつき備えています。また女性達の10人のうち7、8人は年老いていたり、みにくかったりしますが、誰にもその事をみせたがりません。また、嫉妬心があり、自分よりも美しい人々と比べて、自分のみにくくならないようにつとめますが、それを指摘される事も責められる事も恐れます。この攻撃をうけず、また、夫の目に不忠実に映らないようにするために、身を被い隠したがります。


更に、より注意深くみますと、若くて美しいが、自分自身をあらわにする事を好まない人々を10人のうち2、3人見出すことはできます。


これは明らかな事ですが、人間は好きでない、嫌悪を感じている人の眼は不快に感じますし、気もめいってきます。そうです、つつしみのない服装を着た美しい女性を見て、10人のうち2、3人はよろこぶでしょうが、7、8人の男性嫌悪を感じるのです。品行方正で、汚れを知らない美しい女性はやさしく、敏感なので身体的にも影響をし、害を及ぼす、汚れた視線をたしかに快く感じないでしょう。更に開放的な場所であるヨーロッパにおいても、多くの女性達はこの注視を快く思わずに「この低級な人々は私達を見つめて不快にします。」と警察官へ不平をのべます。この事は、今日の文明においても、長衣を纏わない事は女性達の本来あるべき姿に反している事を意味します。クルアーンの長衣を纏うという命令は自然にかなったことであり、永遠にかけがえのない価値ある伴侶であり、慈悲(慈しみ)の源でもある女性達を堕落と屈辱更に精神的隷属感や貧困さから長衣を纏う事によって救います。


女性達には見知らぬ男性達に対して自然に沸き起こる恐れや不安の気持ちがあります。その恐れの感情が自然にヴェール(長衣)を纏う事を要求するわけです。更に付け加えますと、8、9分の一時の楽しみのために、お腹の中で子供(胎児)を8、9ヶ月間も育て、その重荷に耐えなければなりませんし、さらにまた、その8,9分の(イスラーム的に)罪深い享楽にふけることにより、保護者のない(父親のいない)子供を育てるために、更に8、9年の間も重荷を背負うことにもなりかねません。以上の事はしばしば起こります。ですから、彼女達は見知らぬ男性を自然と恐れ、本人が気もつかないところで、彼らから身を隠すことを望むわけです。天性のこの弱さというものは、長衣を纏う事によって、男性達の欲望をかき消し、彼らに攻撃の隙を与えず、彼らに力強く警告する事ができます。彼女達を守るとりではヴェール(長衣)なのです。私が聞いたあるニュースでは、ある首都の中心街の市場で、真っ昼間に、みんなの前で、粗野な靴磨き屋が、世界でも有数な上流階級の素足の婦人に話しかけたそうです。この事実はヴェールを纏う事に反対する人々の羞恥心のない顔に平手打ちを食らわす事でしょう。


第2の英知
男女間の非常に強い真の関係、愛情と関心はただこの世の生活のためだけではありません。そうです、女性はただ単にこの世のための伴侶ではなく、おそらく、永遠の生活においても良い伴侶となります。永遠の生活においても、夫にとって伴侶であるなら、そうです、永遠の友であり、愛する人である夫をのぞき、自分の良さを他人の目に惹きつけないように、また、夫の気を悪くさせたり、嫉妬させたりしないように気をつけなければいけません。信仰者である夫は真の信仰に従って、妻との関係がこの世のみに限られた一時の彼女の美しさに基づく動物的で、はかない愛情ではなく、永遠の生活での伴侶という点から、彼は真に永続的な彼女への愛と敬意を保ちつづけます。そして彼女への愛と敬意は彼女が若くて美しい間だけではなく、彼女が年老いてしわだらけになっても保たれます。そうです、これに応えて、彼女が彼のみに彼女の美しさと愛を示すということは、人間として必然なことでしょう。さもなければ得るものは少なく、多くを失うことでしょう。


シャリーアによると夫は妻にふさわしい態度をとらなければなりません。つまり、お似合いの夫婦になるということですね。このつりあいと調和を保つと言う事は宗教的に見ても最も大切な留意点です。


ああなんと幸せな夫でしょう、女性の信仰心をようく見つめ、彼女を見習おうとする者は。永遠の生活の伴侶を失わぬために、より信仰心をつよめようとしますから。


ああなんと幸せな女性でしょう。彼女は夫の信仰心の強さよくみつめ、「さあ、永遠の友を失わぬようにと考え、篤信の道へと入りますから。


ああ、身を持ち崩した輩よ。彼は永遠に敬虔な妻を失うのです。
ああなんと不幸な女性よ、敬虔な夫を見習わず、永遠の友を失う者たちは。
不幸は多くの夫たちよ、妻たちよ。彼らはお互いに罪や享楽をまねしあい。お互いを火の燃え滾る地獄へと投げ込みあうのに手を貸してしまうのです。


第3の英知
家族の幸福な生活は夫婦間の誠実な信頼関係とお互いへの敬意と愛情により継続します。つつしみのない服装やつつしみのない行動はこの信頼関係を崩し、お互いへの敬意と愛情も壊します。つつしみのない服装を好む女性の10人に1人は他人(見知らぬ)男性の魅力に引かれず夫の良さを見つめ、多の男性にこの好かれないように努めます。が、10人のうち9人は、自分の夫よりも他の男性の良さを探します。また、男性のうち20人に1人は他人の女性の魅力に惑わされず、妻の良さを見いだします。このように、心の愛情と誠実な敬意が壊されていき、きわめてみにくい低俗な感覚か湧き起こってきます。それは、このようにです。


人間は、親族関係にある者たちには、自分の姉妹のように自然とよこしまな感情を持てないように作られています。なぜなら親戚と言う顔が親しい血のつながりに基づく親切さとそれにふさわしい愛情を形作るからです。しかし、足(腿、脹脛の部分)のようにシャリーアでは、親戚の者たちにも見せるのが禁じられている部分を覆わない事は、低級な自我にきわめてみにくい感情をわき起こさせる原因となります。なぜなら、親戚という表の顔が親しい血のつながりを持つ男性と見誤り、(イスラームの)きまりでは他人の男性であると言う事を気づかせません。が、たとえば、裸足は(親戚の者にも)見知らぬ男性たちと同様の効果を示します。足は足で親戚の者の足かどうかを区別する事はできませんので、動物的な見たいと言う欲求や低級な自我を目覚めさせる可能性がありえます。このような視線は鳥肌の立つような人間性の低下を示すものです!


第4の英知
多くの人は多くの子孫を残したいと願います。人口増加を支援しない国や政府はありません。(1900年代前半の頃の事で、この時代は戦争につぐ戦争で人口増加が停滞していた)事実預言者(S)も「結婚なさい、生み増えなさい、審判の日あなた方の増加を誇りに思うでしょう。」


女性にとってイスラーム的な着こなしを放棄する事が結婚増加につながるのではなく、かえって大幅に減少させます。なぜなら、ふらふらしている近代の若者達でさえ自分の妻には貞節を望みます。自分のように放埓なつまりつつしみのない行動をすることを望まず、彼は独身で通したり、しばし援助交際をしたりします。


しかし女性はこのようにはまいりません。夫の行動をその範囲内にせいげんすることなどできません。なぜなら女性は家庭内の出来事を上手にコントロールし、財産や子ども達など、すべてのものを守ると言う役目があるために、女性に必要とされる最も基本的な特性は忠実さと信頼です。つつしみのない人々はこの忠実さと信頼を失います。そして夫に手ひどい心の痛みを与えます。さらに、男性にとって良い特性である勇敢さと寛大さを女性達が携えると忠実さと信頼さが弱まることがあるので、女性にとってはマイナス面も生じ、女性にはふさわしくないでしょう。がそのために男性の役割は彼女の財産管理することでも、忠誠心を示す事ではなく、おそらく、保護し、やさしくし、敬意を示す事です。ですから、彼は制限されませんし、他の女性ともニカーできます。


我々の国(オスマントルコおよびトルコ共和国初期のころ)をヨーロッパと比べることはできません。なぜなら、そこでは決闘のような暴力的な手段による無作法さを誇り(名誉)と取り違えて、(その価値観が)守られています。誇り高き人の妻を汚れた愛で見るものは、首に(死体を覆う)白い布を巻きつけて見ているのです。また、寒い地域に住むヨーロッパの人々は、その国と同様冷たく、堅いですし、アジア、つまりイスラームの土地は相対的に暑いです。環境が人々の道徳観に影響を与えることは良く知られています。おそらく、それらの寒い地域では、開け広げた服装は動物的な欲求や、強い願望を目覚めさせる刺激や陵辱の原因とはならないでしょう。しかし感受性が豊かで感じやすい暖かい国の人々は心の中を往来する欲求を継続的の刺激する開け広げた服装は、悪用、陵辱、若者達への弱さを助長し、強さの減退となる理由となるでしょう。自然の欲求が1ヶ月または3週間であるのに(このような環境では)数日間に一度必要であると感じるようになります。毎月15日間ぐらいは妻を避けなければならない必要性があるので、その時、もし彼が欲に負けてしまうなら、罪を犯す事になりかねません。


町の人々は村人達や遊牧民達を例にして、覆いをとることはできません。なぜなら村人や遊牧民達は日常の生活が困難なために忙しく肉体労働をし、たいへ疲れています。また町の人に比べると注視されることが少なく、罪のない労働者や粗雑な女性達の開け広げた服装は肉体的欲望からではありません。さらに、大都市では怠慢で失業している男性はまれで、10人のうち1人さえ該当しないでしょう。それならば、彼らと比べる事はできません。


来世を信じる姉妹たち、女性達との会話
数県で女性達のグループが誠実で暖かくヌールの生徒達に対し十分過ぎるほど関心を持たれているのを感じた。彼らの生徒達の学び方に対する信頼さを知ったのだが、その女性達は私がイスパルタとゼヘラメドレセに3度目にやってきた時、私から何か話を待っているとのことだった。おそらく、モスクで説教の形でお話したことが彼女達には学びとなるだろう。実のところ、私は重い病に係っており、お話したり考えたりするのもままらない状態であるが、今夜深い深い警告の念が心に沸き起こった。


 「15年もまえ若者達のご要望にこたえ、「若者達へのメーセージ」を記したが、気に入ってくれた。実際はこのような時代には、若者達よりもさら女性達にのためノメッセージが必要である」


私もこのような必要性に応じて、大変重い病で弱っているが、3のポイントをあげ、重要な点をその聖なる女性達と私の精神上の若き子ども達へ記す。


1ポイント
この本のシリーズで最も重要な土台となるテーマはシェフカト(慈しみ、情け深さ、あわれみ深さ、)です。婦人達の中に情け深い勇者達が多く存在するという点に自然と関心が集まり、このシリーズでも、多く取り上げられています。生来の献身さについて、いたるところで感じることができるでしょう。(アッラーに感謝し、称えます。)この慈しみに基づく献身さは真の専心さとみ返りを求めぬ自己犠牲と言う意味であると説明してきましたが、今日において、さらにその重要性が深まってきました。


さて、ある母親が子供を危険から救うために、何もみ返りを期待せずに命を投げ出すこと、真の専心さと生来の役割にもとづいて、己自身を子供のために犠牲にすることでもおわかりのように、女性達にはたいへん高貴な勇敢さがあります。この勇敢さが成長することにより、此の世の生活を、そしてあの世での生活をも救うことが可能となります。しかしながら、ときに、よくない風潮がその力強い貴重なよい性格を育てない場合もあります。または何か悪いことに使われることもあります。たくさんの例のうち、1つを取り上げてみましょう。


慈しみぶかい母親は、子供の此の世の生活で、危険に陥らないよう役だつために、いろいろと心からつくします。そして、子供をしつけます。「息子がえらくなりますように、(将軍になりますように。)」とすべての物を与え、ハーフィズの学校をやめさせ、ヨーロッパへ送ります。けれど、子供にとって永遠の生活が危険にさらされるということを考えもしません。そして、此の世の刑務所から救おうとしますが、地獄の刑務所に落ちてしまうことに気がつきません。生来の慈しみを全く逆に作用させ、無実の子供が来世で執り成す者(仲裁人)となるべきところを訴える者(訴人)にしてしまいます。そして、その子供は「なぜ私の信仰を支えることはぜずに、破滅への原因を与えたのですか?」と、不平を言うでしょう。此の世で、完全なイスラームの教育を受けなかったために、彼は、母のすばらしい慈しみにたいしてふさわし対応ができません。おそらく、大いに不足を述べることでしょう。


もし真の慈しみが悪い行いに使われずに、不憫な子供を永遠の刑務所である地獄からまた、永遠の死罪の罪で死ぬことから救うために、その慈しみの神秘により、働きつづけるならば、その子供が行ったよい行いの2倍の善行が母親の行いの帳簿に記帳されることになるため、母親が亡くなったあともいつでも善行が魂にひかりをもたらすように、審判の日に訴人としてではなく、魂を心から執り成す者として永遠の生活において母親にとってありがたい子供となるでしょう。


そうです、人にとって最初の師匠であり、影響力のある先生はその人の母親です。このことについては、私自身、個人的にはっきりといつも感じていると事を告白いたしましょう。


私はこの80年もの生涯の中で、8万人もの方々に出会い学びました。しかし、誓って申し上げますが、一番本質的で、揺るがず、いつでも教訓を新鮮にしてくれた学びとは、私の故母から示唆された精神的な教えです。その教訓は私の性質の一部となり、その教えの基はまるで、私の身体中で支配力を保ちながら存在しつづけています。


他の教えもその基礎の上に建てられた全く同じものであると考えています。つまり、私が1歳の時の習性や心に影響を与えた故母の教えや示唆が、80歳の今、知ることのできた数々の大いなる真実の1つ1つの礎(いしずえ)となっていると申し上げられます。


たとえば、私のふるまい方や信念の持ち方や習性において、基本的で最も重要な慈しむということ、ひかりの便り(シリーズの作品)においても、一番大切な基本である情け深く、慈悲深くあることなどを、私は母の慈しみのある動作や態度、そして母の精神的な教えから確かに学びました。


さて、この真の専心さと真の犠牲心を持つ母親達が、慈しむ心を役にたたないことに使い、無垢な子供がダイヤモンドの宝のような値打ちのある来世を考えずに、つかのまの滅びゆく瓶ほどの値打ちしかない現世にその子の穢れの無い顔を振り向かせること、そして、このような方法で子供を愛することは、その慈しみの心を悪用することとなります。


そうです、女性達の慈しみの心に基づくこの献身さとは何も見返りを求めず、どんな報奨も望まず、自己の利益を考えず、みせかけではなく、命をも惜しまないものであります。ほんの小さな見本としてですが、慈しみの心の持つ小さな雌鳥が雛鳥を救うためにライオンにも反撃し、命を犠牲にすることでも(献身さを)明らかにできるでしょう。


今、イスラーム教育と来世のための善行の中で最も価値があり、必須となる基礎は専心さです。この種の慈しみに基づく犠牲心にも、真の専心さが見られます。もしこの2点がそのすばらしい一団の中で成長し始めるなら、イスラーム世界での大いなる幸福の礎(いしずえ)となります。ともすれば男性達の犠牲心は報奨なしでは起こりません。おそらくいろいろな報奨を望むことでしょう。少なくとも名声や名誉を望んでいます。しかし残念なことに哀れな女性たちも悪魔の害からまたは横暴な男性達の抑圧から救われるために、違った方法で弱さと無力さゆえに(男性とは)違った種類の偽善(見せかけ)におちいってしまうのです。


第2ポイント
私は、今年隠遁生活にはいり、社会生活から遠のいている状態なのですが、幾人かの兄弟姉妹たちのために世界に目を向けてみました。私が会った、たくさんの友人達から彼ら自身の家庭生活に関する不平不満を耳にしました。「なんとまあ」と申しました。「人間の、特にムスリムの守りのとりでであり、天国の一種でもあり、小さな世界ともいえるのは、家庭の生活です。これさえもこわれ始めてしまったのでしょうか?」と申しました。原因を探しましたら、イスラームの社会生活、イスラームの教えに害を与えるため、若者達を道から踏み外させ、若者特有の欲望を満たし、楽しみに耽らせ、無駄な時間を過させるために、イスラームに反対する人々が秘密裏に活動していることがわかりました。

 

と同時に、憐れな婦人達の中で、不注意な者達を間違った道へ誘うためにも、彼らは、覆いの向こう側で活動し、影響を及ぼしていることに気づきました。そうしてわかったことは、イスラームの人々に恐ろしい戦いが、その方向から近づきつつあるということです。そこで、私も貴方がた婦人の皆さんと私の心の子供達である若者達に明確にお伝えいたしますが、女性達の来世での幸せとともに現世での幸せや生来の気高い性質を破滅から救うための唯一の方法はイスラーム世界でのイスラームによる教育(しつけ)以外他にありません。ロシアでかわいそうな一団がどのような状態に陥ったかを皆さんもお聞きになっていることと思います。


光のたよりのある部分での述られているとおり

良識ある男性は配偶者に対しての親密さや愛情を、5年や10年のつかのまの、見せかけの外見の美しさの上にではなく、おそらく、女性の美しさの中で最も美しく、継続的な美である慈しみの感性、そして、女性らしさ特有の内面的美しさの上に、愛情を築くに違いありません。それこそ、(憐れな)女性が年をとるにつれて、夫の愛情が彼女に注がれつづけるように、、、、なぜなら、彼の妻はこの世の生活での一時の手助けをする伴侶としてだけではなく、永遠の生活においても、永遠に愛らしい人生の友であるため、年老いるに連れて、より多く敬意といつくしみの気持ちを持ち、お互いに愛し合うことが必要になってきます。動物のような一時的な関係の後に、永遠の別れが待っている物質主義的教育の覆いにつつまれ、今日、家庭生活は本質的に破壊されつつあります。


他の部分でも述べられているように、
しあわせな男性は永遠の伴侶を失わないように、よいしもべである彼の妻を真似て、彼自身もよいしもべになろうとします。また幸せな女性も彼女の夫の敬虔さに触れると、永遠の友を失わないよう彼女も敬虔になろうとし、現世の生活の中で、来世の生活をも勝ち得ることになります。不幸せな男性は、快楽にふける女性にあわせ、やめようとはせずに、彼自身も(楽しみに)加わろうとします。不幸せな女性は夫の罪を見、違った方法で彼の真似をしようとします。残念なことにその夫と妻は、お互いを火に投げ込む手助けをしてしまいます。つまり、お互いを豪華絢爛な見せかけの文明へと招いてしまいます。


さて、光の便りからのこれらの文章の意味はこれです。
この時代、家庭生活の発展と現世と来世の幸福の発見と女性達の生まれ持った気高い性質の礎(いしずえ)となる唯一ものは、シャリーアに基づくイスラーム教育です。


今、家庭生活で最も大切な点はこれです。
もし女性が、彼女の夫に粗悪さと不誠実さを感じ、夫への仕返しのために、女性の家族に対する義務である貞操と信頼を失ってしまうとしたら、軍隊の規律が乱れるのと同様に、家族生活の製造所も混乱に陥ってしまうでしょう。その女性はおそらく、永遠の友を救うために、できる限り彼女の夫の欠点を改め善くするよう努力するにちがいありません。それともなければ、彼女が彼女自身をベールなしで他の人々に見せ、気に入られるように努めるならば、あらゆる点で彼女を傷つけることになります。なぜなら、真の貞操さを手放す者は此の世でも罰を受けるからです。なぜなら、(人は)生まれながらにして、宗教で結婚することが可能な関係の男女(Namahrem)の目を怖がり、恥ずかしがり、逃れようとします。20人の法的に他人の男性のうち、18の目を不快に感じます。男性にとっても不快であり、法的に他人の100人もの女性のうち1人を見るのも困惑してしまいます。女性はその点でも罰を受け、罪に犯す事になります。

 

彼女の弱さにより、彼女の権利をまもることができません。端的に申し上げれば、女性達が勇敢さ専心さ慈しみ深さにおいて男性達とは比べることができず、勇敢さの点で、男性達は、とても彼女達には及びません。そのために、生来の本質的な弱さから法的に他人の男性達をとても怖がります。覆いの下に自らを隠さざるえないのです。なぜなら男性にとっては8分間の楽しみ、快楽のために浪費したとしても、たった8リラほどの損害ですみます。ところが、女性は8分間の快楽に耽る事の罰として、此の世で8ヶ月もお腹の中の重荷を運ぶことになり、8年間その保護のない子供のしつけのむずかしさで立ち往生することになるため、その浪費は男性のそれには比べる事はできず、100倍も罰を受けることとなります。


そう少くなくないこの種の出来事は示しますように、すばらしい婦人の一団は生来、高貴な道徳観を持ち合わせているので、此の世の罪深い楽しみのために浪費する可能性は実質的にありません。つまり、彼女達はイスラム教育に基づき、幸福な家庭生活を送ることができるすばらしい存在なのです。このすばらしい人々を破壊する者達に神の災いが齎されますようにに、アッラーが私の姉妹達をこの放埓な害から御守りくださいますように・・・アーミーン


姉妹達よ、私はこの言葉を確信して、申し上げています。
日常の暮らしを問題から、放蕩な、非道徳な、西洋かぶれの夫の支配下に入るよりはむしろ、もって生まれたつつましさと満足する心で、村人のように、罪のない婦人として、無駄遣いをせず、生計を立てるほうがよろしいです。あなた自身を売らないで下さい。貴方にふさわしくない夫にめぐりいあったとしても、貴方がたはその天命を受け入れ、満足なさってください。貴方の承諾と満足により、アッラーが望めば、彼も改められ善くなることでしょう。さもなけらば、私がお聞きしたように、裁判所へ離婚の申請をすることになるでしょう。このことは、イスラームの名誉にも、私たち人民の名誉にはふさわしくありません。




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