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模倣と階級

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タルドは、模倣過程が社会プロセスのなかで生ずるという視点を提示して、この模倣が人間間で見られるいくつかの関係のなかに生ずることを見ている。なかでも、とくに上下関係、つまり上層階級と下層階級との関係として、起こることに注目した。このときに、下層階級が上層階級を模倣することで、社会現象が連鎖的に起こっていく可能性があると考えた。たとえば、タルドがあげた例では、貴族の行なっている奢侈が徐々に平民層に浸透していくことが典型的なものである。フランスの絶対王制期には、貴族文化というものが次第に平民層に模倣されることによって、消費活動が起こっていった。ここで、上層から下層への模倣過程は、自分の所属する層に最も近い層を模倣することから生じた。自分の近くにいる、ほんのすこし上の人たちの模倣をすることが、連鎖的に起こることである。そのほんのすこし上の人たちは、また自分のほんのすこし上の人たちの模倣をするという形がつながって、連鎖的に上層階級の真似をするということが起ってくる。このときに、社会全体でみて集団現象としての模倣が起こるであろうと考えた。このような形で上流層からの流行の普及ということが、上層階級から下層階級にコピーを作る形で模倣され、同じことが反復され、そして最終的に、贅沢消費が下層階級に伝染していくことになる。ここに、模倣という贅沢のひとつの本質があらわれる。

この古典的な模倣の考え方に対して、トリクル・ダウン理論という考え方が出てくることになる。このトリクル・ダウンというのは滴下と訳される。雫が下に向かって垂れていくのと同じように、上層階級から下層階級に文化が滴下することによって、社会行動が次第に大きな層に一般化していくと考える。しかし、このトリクル・ダウン理論のなかでも、タルドの模倣理論をそのまま受け継ぐのではなくて、それにもう一つの要素を加えたのが、ドイツの社会学者G.ジンメルである(15)。かれには、「流行」という論文がある。このなかで流行が生じる理由として、まず第一にタルドと同様、模倣過程というのは流行の要素としてはずすことができない、と考える。流行現象というのは上層部から下層部へ下がっていくような、階級間の現象であると考えた。このとき、上層部が先行者となって、徐々に多数の人びとが追随者となって雪だるま式に膨らんでいく。流行が次第に大きな集団を形成するようになるという過程を、まずは確認している。


しかし、ジンメルは模倣だけで流行が生じるわけではないと考えている。ジンメルの視点のなかで、とくに今日の消費現象を考えるうえで優れている点は、流行現象のなかでの大衆化という傾向を、相対立する二つの動きによって複合的に説明していることである。大衆化というのは、単に下層階級が均等化して似たような傾向を身につけることだけを指すのではない、という点がここでは重要である。問題となるのはここで、ジンメルは流行が模倣だけではなくて、他者と異なるという、差異というものを含んでいることを強調する点である。この差異というものが存在することによって、さらに流行というものが定着するであろう、とジンメルは考えた。


大衆化のもうひとつの動きのなかには、じつは模倣過程とまったく逆の過程が含まれている。それは、上層階級が新しい流行を「創造」し、それを下層階級に対して、「見せびらかし」する過程である。ここでは、なぜ大衆化には「創造」過程が必要なのか、とい点を、明確に考えておく必要があると思われる。というのも、「パンとサーカス」という言葉が残っているように、従来大衆化の欠陥は創造過程のないところにあると考えられ、これが批判されてきたからである(16)。そもそも大衆化とは階級現象、あるいはすくなくとも二つのグループ間での現象である、という点を見すごすべきではない。もし模倣過程のみが、大衆化現象であるとすれば、二つのグループ間の差異は、文化的にはただちに消滅してしまうことになる。模倣過程だけが贅沢が普及する基礎にあると考えると、上層から下層にわたって模倣が行われる結果、この人数には限界があるので、模倣が最後まで行き渡った段階で模倣過程は終わってしまい、最後は消滅してしまうことになる。だから、模倣というのは飽和状態を最終的にはもたらしてしまうものである。流行というのは、このように一回限りのものとして存在するというのが、模倣過程中心の流行理論であった。そして、大衆化現象は下層が上層に同化して、完結してしまって再び起こることはないことになる。

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ここでジンメルは、流行理論の中で多様化が起こるメカニズムを、差異化という過程で説明し、この点を新たに付け加えた。かれは流行では、他者と違うということを強調することが、流行の本質的な要素のひとつであると考えた。たとえば、さきほどのピラミッド型の三角形を描いて、あるひとつの流行をここでAとよんでおく。これが先行者たちによって形成され、大衆層に模倣されるとする。Aが出たらそのAが模倣されて、最後まで膨らんでいく。ところが、それが飽和状態に近づくと、今度はBという流行が出てきて、そしてまた下層階級に浸透していく。ところが、浸透が進むに連れ、今度はCという流行が出てきて、次第にそれがまた流行として浸透していく。それが飽和状態に達すると、Dという流行がまた出てくる。この流行過程に従って、消費の多様化ということが行われるであろう。このような質的な意味で流行の拡大が起こるメカニズムを、ここでジンメルは差異化とよんだ。


このように、AからBへ、BからCへ、CからDへというように、模倣が飽和するにしたがって、模倣とは異なる、差異化という新たな流行を作り出す創造過程が存在することになる。さもなければ、流行は一回限りで終わってしまうことになる。ところが、現実の世の中を見てみると、流行は継続されて、何回も反復して出てくるという性質を見ることができる。つまり、他者と違うものをいかにして作り出すのかということが存在しなければ、模倣ということは起こらない。逆に、模倣が起こらないと、新しい差異というものを強調する意味もない。ジンメルにとっては、模倣過程と差異化過程というものは、相互に存在することによって、同時に流行という現象を説明している。模倣過程と差異化過程がサイクルを描いていて、それぞれお互いに、模倣がなければ創造もあり得ないし、創造がなければ模倣もあり得ないという形をとって、両者がそれぞれお互いが成り立つ条件になっている。これが、ジンメルの大衆化が起こる説明の基本的な考え方である。流行のなかで、量的拡大と質的な多様化が同時に起こることを説明している。流行の大衆化過程では、模倣と差異化は分かちがたく結合されていて、両者はそれぞれ互いに対立する動きを特徴としている。しかしそれにもかかわらず、あるいはそれゆえに、両者はそれぞれが他方の成立する条件を成している。そして、この流行現象の説明は、贅沢の大衆化についても有効な説明を与えている。十九世紀になって、百貨店文化が起こり、流行をつくり出してはそれを大衆に広めていくという現象が見られた。これを観察して、小説家のE.ゾラが「贅沢の民主化」とよんだことは、かなり有名な事実として語られている。


ジンメルの差異化と模倣という考え方は、明らかにこれまで述べてきたカントなどの趣味論の影響を受けていると解釈できる。第一に、差異化と模倣というプロセスは、趣味論の系譜に見られる二つの判断、つまり感覚的趣味と再帰的趣味に対応していると考えることができる。もちろん、ここでは個人のなかでの認識プロセスとして考えるカントと、社会のなかでの流行プロセスとして考えるジンメルとには違いはある。けれども、はじめに新しい認識を察知する感覚趣味と、社会のなかで新しさを打ち出す差異化には、類比的な関係を見いだすことは可能である。また、総合的な認識をもたらす再帰趣味と、社会のなかでの広がりを獲得する模倣過程との間にも、同型を見いだすことは難しいことではない。第二に、差異化プロセスと模倣プロセスが組み合わされることで、最終的に人びとに共通の消費習慣が生み出されると考えられているが、このことはカントの共通感覚に通ずるものと解釈できる。第三に、趣味論を消費理論に取り入れる最大の利点は、社会のなかで生ずる人間関係のダイナミックスと、消費行動との関係を明らかにできる点である。この点で、ジンメル理論は人びとの欲求を社会過程のなかで明らかにする、という趣味論の発展する方向をうまく理論に取り入れているといえる。この第三については、むしろそれまでの趣味論の限界となっていた点である。ジンメルは、個人のなかの社会認識を、明確に社会のなかの人間関係の、その関係プロセスのなかに位置づけることに成功した。趣味論の社会論的転回を図ったことで、社会理論として趣味論を成立させたと評価できる。けれども、やはりジンメルの流行理論には、贅沢消費を考察するときに、不満な点が残ってしまうことは否めない。それは、贅沢消費の最終的な評価・判断がいかにして行われるのか、ということが明確ではない、という点である。ジンメルは、模倣が現実の形態としては存在することは指摘しているが、それがなぜ妥当なものであるといえるかについては示していない。この論点については、つぎに見るヴェブレンの議論を俟たねばならない。

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病気のカタログについてもこのような
模倣と差異化で説明できる分野があるのではないかと思うのだが
どうだろうか

診断技術の問題もあるのだが
自閉症とか学習障害は垂直的拡散をした歴史がある

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何が自分にとっての上流であるかについて、たとえば家族の中で不一致があり、
父母兄妹でそれぞれ自分の模倣する上流が違っていると
大変に窮屈である

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たいていは一段上位を模倣するので
見る方としては一段下なのかなと思っていれば間違いはない

しかしそこを逆用して
ある種の人たちは二段跳びや三段跳びをする

昔は自動車がぜいたく品で運転手とセットだった
運転手もいないのに贅沢車を持っていたりすると変だった

しかし階級のシンボルはつぎつぎに生み出され利用される

自己破産する人の一部は上流階級模倣に出費している

ブランド製造会社とブランド広告会社と金貸しと自己破産とが連鎖して興味深い

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上流への模倣圧力 (あこがれの人のまねをしたい)
水平差異化圧力  (人と違うことしたい)
同調圧力      (みんなでルーズソックス)

こんな圧力がまぜこぜになって現実を作る


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