SSブログ

外側の仮面 外界との皮膚と割り切る

本当の自分なんて考えなくていいです

そのグループのその場面だけで
あたかもぴったりであるかのような演出をするだけでいいでしょう

大根役者くらいにはやれる

太宰治なんかの文章で出てくる嫌な感じは考えていればつらいんだけど
みんなそうらしいと思って
外側の自分を作ればいい

外側の仮面
外界との皮膚

たったそれだけなんだよ

空気が読めないとかいうんだけど
空気が読めてる人と違わないように振る舞う学習はできる
算数を習うのと同じでしょう

誰でも最初から
面積を考えられるわけではない

学んで習って外側の自分を作るのだ
学んですなわちこれを習う
わたしは最近は論語の始まりの一句をそのように解釈している

荀子では学はもってやむべからずという

ーーー
そのあたりのコーチなら出来るでしょう

社会と接する部分は仮の自分でいいではないかとその場だけの仮面を勧めるとする
どのように人は交流するものか
自分が本当に納得するとかは別にして
たとえばいまそこに集まっている4人はどのように反応するのか知っていればいいし
それだけのことだ
それを観察して勉強して対策すればどうだろう
そのことのコーチならば少しは出来るかもしれない

多分、自己の中核を改造する必要はないのではないかと思うんですが
そのような適応でいいのじゃないかと

人間は分裂器質的なコアの自分の外側に社会的な循環器質的な皮膚を作っているでしょう
その外側の皮膚を学習によりつくる感覚
それは先輩として教えられる範囲ではないかと

だから東京のサラリーマンを応援できる部分があるのだと思う





共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。