SSブログ

身体が大丈夫だったら、きっと何とかなるといわれても困る

こんな文章

ーー
魔法瓶のガラスのように、何かが割れることはある。しかし、身体が大丈夫だったら、きっと何とかなる。

小学校5年生の時に、父と北海道に蝶の採集に行った。いろいろと計画を立てたが、一番いいのが6月だということで、しかし、その頃は学校があるから、あきらめた。

ところが、裏で父が学校の先生に話をつけてくれていたらしい。担任の小林忠盛先生も、「茂木くんが蝶をとりにいくんだったらいいですよ」と許してくれたようだ。ある朝早く、父が枕元に立って、「おい行くぞ」と言った。びっくりした。そのまま電車に乗って、青森に行った。市場で、エイを干したものを売っていた。青函連絡船に乗って、函館に渡った。

静内で蝶をとっていた時、追いかけるのに夢中になって、転んでしまった。その拍子に、肩に斜めにかけていた魔法瓶が衝撃を受けて、中の鏡が割れてしまった。振ると、カラカラと音がする。

「怒られる」と思った。父は、少し離れたところでやはり網を持っている。すっかり悄然として、蝶の様子も目に入らなくなった。

夕暮れになり、帰る時になった。父と合流するしかない。いっしょになってしばらく歩いてから、少し大げさに魔法瓶を振って、カラカラと音をさせて、「割れちゃった」と言った。

「転んだのか?」

「うん。」

「怪我はしなかったか?」

「だいじょうぶ。」

「そうか、気をつけろよ。」

それだけだった。魔法瓶を割って、怒られるかと思ったら、怪我をしなかったかどうかだけを聞かれた。うれしかった。そんな父の反応が、とても意外だったのだ。

いろいろ性格的な欠点もある父親だったが、少なくともあの時だけは素敵だった。

何かがあった時に、真っ先に聞くべきことは怪我はしなかったか、身体はだいじょうぶか、ということ。あの少年の日に改めて学んだように思う。

魔法瓶のガラスのように、何かが割れることはある。しかし、身体が大丈夫だったら、きっと何とかなる。

家族や友人が心配すべきことは、その一点に尽きると思う。

ーーー
いやー、そういわれると、身体が丈夫ではない人は、困るな


共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。