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ミスコミュニケーションが不幸をもたらしているのだろうか

ミスコミュニケーションが不幸をもたらしているのも確かだと思うんですが
ミスコミュニケーションを取り除いたとして
性格に精密にコミュニケーションできたとして
相手が本当にひどいやつだと分かっただけだとしたらどうしたらいいんだろう

人間の中の一部は「ひどい」ものでできているので、それを見てしまうと実際辛い

ーー
なにも新しいことを言いたいのではない

祖母は牛肉を食べなかったのだが
それは牛が自分が殺されるときに事態を察して涙を流すからだという

牛を霜降りにする一つの方法は目を見えなくすることなのだとも言う

牛はあまりに重いので自分の足で立ち上がることができない
立ちっ放しになるしかない
一度座ってしまったら自分では立ち上がることができない

豚も牛も哺乳類なので人間と目と目が合うことがある
その印象を残したままで屠殺されるとしたらどうだろう

豚や牛とさえある程度の深いコミュニケーションができるらしい

なにの人間と人間はミスコミュニケーションしている

ーー
pcメールや携帯メールの時代になって、特にその傾向だという
人間は対面している限り、目も耳も鼻も全部使って話をしてコミュニケーションしている

手紙をかくときは作法というものがあり
昔から書き方もあり、読み方もある

ところが最近の新しいメディアでのコミュニケーションに関しては
まだルールが確定していない
何がルールか分からないままで
他人を傷つけて平気でいる

他人をどんなに傷つけるかの想像力に欠けている
もちろん親がしつけてくれるはずはない

すべてのことに鈍感な人間だけが生き残るだろう
そしてさらにその中で鈍感な人だけがさらに生き残るだろう

ある程度の敏感さを持つ人は
もうこれ以上この世界で生きても無駄だと思うのではないだろうか

いいこともあるけれど辛いことのほうが多い
苦しいことを回避するためならば幸せを放棄してもかまわないと考えるようになる

社交不安障害で回避行動をとると不安が一層強化されるのだと説明される
また強迫性障害でも同様で不安の回避行動を選択するとそれが不安の強化になる

そんなにも強くならなければならないのだろうか
そんなにも強くなれるのだろうか

ほとんど全く信じられない

ーー
昔に比較したら多少は強くなっているような気もするが
鈍感になったのだろう
あるいは忘れやすくなったのだろう

ーー
どうしてそんなにも簡単でそんなにも明白な地点でミスコミュニケーションするのだろうといぶかしく思うこともある
多々ある

とても残念に思う、もったいなく思う、すばらしい人なのに誤解されている

しかしまた思うのだが、正確に理解されたとして、それがどうしたというのだろうか、どうでもいいことではないか

どうせ理解されてもされなくても大したことのない人間ではないか、何の違いがあるだろう

「ヘンリ・ライクロフトの手記」で語られているような諦念

ーー
 一週間あまりの間、自分はペンに手を触れないでいた。まる七日の間、自分は何も、手紙一本さえも、書かなかった。一、二度病気にかかった時を除けば、こんなことは自分の生涯に絶えてないことであった。自分の生涯……それは、あくせくと働いて、心もとなくも支えて来たものだ。万人の生活がそうであるべきような、生を楽しむための生活ではなくて、恐怖におびやかされ続けた生活であったのだ。金を儲(もう)けることは、目的のための手段であるべきだ。が、三十余年の間、……自活したのは十六歳の時からであった、……自分は金儲けを目的そのものと考えなければならなかった。
 古いペン軸がさぞ自分を恨んでいるだろう、と思われもするのだ。今までずいぶんと役に立ってくれたではなかったか。いま自分が仕合せになった時に、それを打っちゃって、塵(ちり)まみれにさせておいてもよいだろうか。このペン軸こそ、来る日も来る日も、自分の人差指に当てがわれていたものだ、……それがもう何年になるだろうか。少なくとも二十年になる。トトナム・コート街の店屋で買ったことを、まだ覚えている。そう言えば思い出したが、あのとき文鎮(ぶんちん)を買って、まる一シリングとられた、……身ぶるいするような贅沢(ぜいたく)であった。ペン軸は新しいニスのつやで光っていたが、今でははげて、全体が茶色の棒きれになっている。自分の人差指には、それで筆だこができている。
 古い仲間で、そしてまた古い敵だ! 自分は厭(いや)でも仕方なしに、そして頭も心も重く、手は震え眼はくらむのに、幾度それを取り上げたことだろうか。インクで黒くよごさねばならぬ白紙が、何と恐ろしいものに見えたことだろうか。とりわけ、今日のように、春の青い眼がバラ色の雲の間から笑いかけているような日には、……そして、陽光が机の上に揺れ動いて、花の咲いた大地の香や、山べりの落葉松(からまつ)の緑や、丘の上の雲雀(ひばり)のさえずりが、もの狂おしいほどにも恋い慕われるような日には、なおさらのことであった。
 かつては、……それは子供の頃よりもまだ遠い昔のような気がするが……自分は張りきった気持でペンを取りあげたものだ。手が震えたとしても、それは希望を持ってであった。けれども、それは自分を愚弄(ぐろう)した希望であったのだ。なぜなら、自分の書いたものは、一ページでも、後まで残るほどのものがなかったのであるから。自分はいま、平らかな気持でそれを言うことができる。そんな希望を持ったことが、若気のあやまちであった。そして境遇の力が、そのあやまちを長引かせたに過ぎないのだ。世間が自分の真価を認めてくれなかった、というわけのものではないのだ。自分は、ありがたいことに、そんな理由で世間を罵(ののし)らないだけに、賢くなっている。誰かがものを書く場合、たとい不朽(ふきゅう)の作品を書いたとしても、世間がそれを認めないからといって、恨みを抱く理由があるだろうか。誰が、彼に発表を求めたか。誰が、彼に傾聴(けいちょう)を約束したか。誰が、彼に違約したか。







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