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感情のエレベータ理論

デパートでも電気量販店でもいいけれど、
エレベータで移動するとき、
扉が開くとまったく違う景色が広がることがあり驚かされる。

人間は体験を脳の中に収納する時、
分類記号として、感情のインデックスをつけるのではないかと思う。
感情インデックスの種類は、
その人の成長に従って、分類し直され、細分化され、あるいは統合される。

人間の体験の記憶全体をデパートと考える。
体験には、「楽しい」「悲しい」「悔しい」「秘密のドキドキ」などの感情インデックスがつけられる。
感情インデックスの最初は、「快」「不快」の二種なのだろう。
成長するにつれて、複雑になり、細分化される。
例えば、「悲しい」も、清々しさを含むものや、悔しさにつながるもの、恨みと直結するものまで、さまざまになる。
子供の頃であれば、たとえば10階建てのデパートに体験を分類収納するようなものだろう。

そのような体験デパートを、人は新しい体験をした時に、
エレベータに乗って、移動していく。
「悲しみ」の時には、悲しみの階でエレベータが停止して、
昔の『悲しみ』と再度対面し、今回の悲しみについて、想いを深める。
その階には、見渡す限りの、「悲しみ」が貯蔵されているのだ。

こんな具合であるから、
快感を感じている時には、過去の快感体験が次々に思い出される。
うつの時にはうつ場面が次々に回想される。
それは脳における「うつ」の体験貯蔵地区が活性化され、
再体験されるからだ。
しばらく忘れていた『うつ』を再度経験することで、
いま対面している『うつ』とどう付き合えばよいか、考える参考となるはずだ。
従って、「うつ場面連続想起」が起こる。

成長するとは、
感情インデックスが細分化され、
同時に、
ひとつの体験について、複数の感情インデックスをつけることができるようになる。
例えば、野球の試合で負けた時にも、
「悔しい」「悲しい」と同時に、「スポーツマンシップの心地よさ」「一体化の快感」など、別の面の感情も意識できるようになる。

人間のひとつの体験は、感情としても多面体であるということになる。
上から見ても横から見ても怒りのみ、といったことは少なくなり、
一面では赤であり、他面では青であり、別の面からは、海の色、そんな感じになる。
成熟してくると、ばかばかしい断言は少なくなるものだ。
時と場合、立場や事情によって、感情には違いがあるのだと知るようになる。

達人になれば、
悲しい時にだけ悲しみの貯蔵庫にアプローチするだけではなく、
自分の感情をコントロールして、
いろいろな部屋へのアクセスができるようになる。
それは一般には成熟である。
職業的に必要な人もいて、例えば、俳優である。悲しくなくても、全身が悲しみの表出をするように、制御する。
人の話を聴く人もそうで、目の前にいる相談者の感情に同調させて、そのあたりの体験を掘り起こす。
その上で、相談者の感情インデックスの細分化や精密化に手助けできるかどうか、
試みる。

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