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谷川俊太郎 5

すぐれた古典が音楽に限らずすべてそうであるように、ベートーヴェンの音楽も聞く者の生長につれていつまでもその意味を新しくする。私にはベートーヴェンがすっかり分かってしまってもう要らないということがない。

本当に苦しい時に私はベートーヴェンを求める。

私はベートーヴェンをまるで今生きている人間のように身近に感じる。
彼にはどこかしら音楽を超えたようなところがあるのだ。彼には自分を芸術家としてとどめておくことの出来ない何ものかがあるような気がする。
その何ものかのために、私はベートーヴェンと人間的に、実に素朴に人間的にむすびつけるように思うのだ。

「……私は、尚、二、三の大作をこの世に残し、それがすんだら、年とった子供になり、どこかで善良な人々に取り囲まれて、地上の命を終えたいと希っている。」ヴェゲレルに宛てた晩年の手紙の中で、ベートーヴェンはこう書いている。
子供になること、それはもしかするとベートーヴェンが一生の間夢みていたことではないだろうか。彼はあまりに感じやすく、あまりに傷つきやすかった。
しかし本当の子供のもっているあの一番の宝、やすらぎというものを彼はもてなかった。
それは客観的な環境によるよりも、彼自身の生まれながらに負うていた感受性によるものだと私は思う。

彼はおそらく必要以上に苦しむ悩む人間だった。しかし正にその点で彼は偉大だったのだ。



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