MARTA: Multi-Acting Receptor Targeted Agent
MARTA: Multi-Acting Receptor Targeted Agent
複数の脳内物質レセプターを標的として作用する薬。
SDA(セロトニン・ドーパミンアンタゴニスト:拮抗薬)は
二つの脳内物質をターゲットとする薬だから、
MARTAの中に含まれるが、
歴史的に、SDAが先で、その後に、MARTAが言われ始めたので、
SDAと呼ばれた薬と、その後にMARTAと名乗った薬とができて、
その頃には、それまでSADと呼ばれていた薬も、
積極的に自分もMARTAと名乗ることもあるようだ。
理屈として間違いではない。
セロトニンレセプターもひとつではないし、いまだに数が増えているようで、
さらに、ひとつのくすりが、体内で代謝されて、別の物質になり、それが、
微妙に別の働きをするらしいことも解明されたりして、
その点では、単にSDAと呼ぶよりは、MARTAと呼ぶのがふさわしいことがある。
例としては、セロクエルやジプレキサ、クロザピン、リスパダール、ルーラン、エビリファイ、ロナセンなど。
この中で、エビリファイはドーパミンスタビライザーと名乗っていて、これはさらに新しい概念である。
SDAは第二世代抗精神病薬と呼ばれたこともあった。
D2に効かないことには抗精神病薬とはいいにくいのでそれぞれに効くのだが、
5HTについては、5HT1Aと5HT2Aについて、調査があり、
たとえば、エビリファイでは、5HT1Aについてはpartial agonist、
5HT2Aについてはantagonistであるといった具合で、複雑である。
SDAやMARTAは結局、ドーパミン系とセロトニン系の両方に影響を与えるので、
統合失調症の始まりの陽性症状の時期にもにも使いやすいし、
陰性症状が問題のときにも使えるし、
セロトニンをコントロールするので、躁うつ病やうつ病のときにも使える。
米国で先に適応症が拡大され、
日本でも、後追いで認可されるだろうと思う。
そうなると、統合失調症と躁うつ病とうつ病は一体違う病気なのかとの疑問も出る。
同じ薬で治るのだし、
同一家系にこのなかの複数の病気が発生しているのだし、
表面的な同一性や相違により、病名を区別しても、意味があるのだろうかという議論になる。
これはさまざまに議論されてきたことだ。
「うつ病」という概念と、短期の状態としての、「うつ状態」は別のものだと考え、
統合失調症はその経過の中で、
たとえば、自我障害の前駆期に、うつ状態になることがあるし、
自我障害が一段落した後で、ポストサイコティック・デプレッションを呈することもあるということはしばしばいわれ、注意を喚起されている。
つまり、現在、うつ状態を呈しているのが間違いないとしても、
それはうつ病の可能性もあり、躁うつ病や統合失調症の可能性もあると考えられる。
可能性は捨てられない。だから、容易に確定的に診断はできない。
うつ病はdepressionで、うつ状態はdepressive stateだから、
post psychotic depressive stage といえばいいのだと思う。
躁うつ病における、躁状態のときには、かなり自我障害に近い混乱があり、
よく見れば、ego expansion はやはり自我障害とは異なるのだけれど、
混乱は混乱であり、現実生活に支障が出る。
うつ病においても、焦燥が強かったり、行動化が著明だったりして、MARTAのほうが
効き味がよいこともある。
D2、5HT1Aと5HT2Aをコントロールしたいのなら、
それぞれに特化した薬剤を三種類使えばいいのではないかということにもなる。
しかしそれは、三種類の薬になってしまう。
エビリファイひとつで、それぞれに働くから、一剤で三方に効いて便利だと考えるか、
三方のそれぞれの効き目を実際はコントロールできなくて、
どの成分をどれだけ、と加減できた方がいいとする考え方もある。
MARTAはなんだか総合感冒薬みたいなもので、
それでいいのかということになる。
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さて、一つの薬が効くのなら、一つの病気ではないかとの意見には、
賛成できない。
完全に効いて完治してしまうのではないからである。
完全には効いていない。
だから、一つの薬で治るとはいえない。
さらに、効果は、病理の根本に効いているのかという問題がある。
たとえば、テレビ電波が混線して雑音が入るというとき、
内部回路の一部を壊してしまえば、雑音はたしかにやむが、
本来の音楽も聞こえなくなる。
ジャズでも、クラシックでも、演歌でも、音は消える。
一つの方法で消えた、だから、同じ音楽だとはいえない。
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そもそもの話、クレペリンによる、統合失調症と躁うつ病の区別は、長期経過であった。
長期にわたってレベルダウンするものは、統合失調症、
長期にわたり、完全にもとの戻る時期があり、また悪化し、また元に戻る、これが躁うつ病である。
うつ病は躁うつ病の躁期のない特殊形である。
こう考えれば、混乱はかなりすっきりする。
現在見えているものは参考に過ぎない。
三つの精神病のどれにでも発展しうる。
そして病理表出の最盛期を過ぎて、最後には、いずれも、同じような、
final common pathwayにいたる。
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しかし最近は、長期経過も、かなり変わってきた。
予後のよい統合失調症があり、
予後の悪い躁うつ病があり、
レベルダウンを続けるうつ病も見られる。
これは入院病棟で、長期の経過を、先輩のカルテを参考にしながら見ると、
分かる。
その後大先生になった人の、若い頃のカルテが読める。
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もちろんなかには、性格障害の要素があったり、
薬剤の予期せぬ効果があったり、人との出会いがあったり、
簡単ではない。
近親者が死んだりして、波乱要因もある。
しかし、概して、統合失調症は軽症型になって、
早期の荒廃を示すことは少なくなり、
うつ病は慢性持続化し、性格障害じみたものになり、次第に社会適応が悪くなっていく例も多くある。
だんだん悪くなるものと、途中ですっかりよくなるものと、実は区別は難しくなっている。
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そんなことも背景としながら、しかし、自我障害があり次第にレベルダウンするものと、
感情障害が主で、すっかり回復するかに見えるもの、
このあたりに大きく分けることは実際可能ではないかと思われる。
そうでないものは性格障害ではないかと考えて見てもよい。
あるいは微細高次脳機能障害と呼ぶべきものであったり、
先天性のものであったり、老年期変化の始まりのものであったりする。
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それにしても、軽症うつ病の増大、統合失調症の軽症化は何を意味しているのだろう。
薬剤の進歩。
早期医療の実現。
心理療法の前進。
栄養がよくなった、
未知のウイルスがへった。
終身雇用と帰属意識の変化
対人関係の大幅な希薄化、
パソコン、ゲーム。携帯の発達、
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一方で、難治例はあくまでも難治である。
こんな話が背景にあって、MARTAは研究されている。