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連帯と孤立と携帯

みんなどこかしら、おびえている。学校で孤立した友達がいかに悲惨な状況か、いやというほど見てきている。そこで、彼らにどこまで伝わったかはわからないけれども、『今でも僕は変わらないけど、僕らの青春の頃は、連帯は求めるけれど、孤立は恐れなかった』と話してあげると、彼らは、なんだこのおじさんという顔をしていたけど(笑)。でもどこか真剣な顔つきでしたよ。

 で、言葉を置き換えて、『つるむけど、一人になることを怖がらないことだよ』。そのために僕はカメラを手にしたんだ、という言い方をしています。でも僕の生き方なんて特別なケースなわけであって、リアルではないですよね」

人と目を合わせることがなかなかできないということに悩んでいたり、ぼんやりとひとりでいることが楽で、話すことが苦手という子供たちが多いことに、あらためて驚かされる。

人間と人間を、友達と自分を、分断しているものの正体は、僕らが便利だ思って使っている道具ではないのか。便利なものが、人と人の関係を壊している。たとえば待ち合わせをするにも、ケータイ電話が無かった頃は、友達が現れるまで会えるかどうかわからない。でも来ること信じていくわけでしょう。信じることも学ぶし、信頼関係も築ける、人間力は連続性の中で培っていけるわけだから」

これからの時代は便利なものを使うのはいいけれど、必要なだけの便利を選択して捨てていくことも必要になっていくと思うんです。

新しく生まれた文明の力を、個人がどこまで採り入れて捨てるか。



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