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自己愛的恋愛

自己愛の満足のための恋愛というものがある

これは厳密に区別できるわけではないけれど
献身とは少し違う愛のあり方だ

自己愛の延長として相手を愛している場合である

彼がクリスマスプレゼントを贈ったとして、
彼女が彼が期待したほどには喜ばず
感謝もせず
プレゼントの意義もよく理解していないようだったという場合、
ちらっとではあるが、彼は気分が悪い

それは彼の自己愛が満たされなかったからだ
彼女を喜ばせたいなら彼女が気に入りそうなものを贈ればいいだけで
自分がいいと信じているものを送るのは
なんだか教育しているみたいなところもある

自己愛的であり賞賛を求めている
こんなにも趣味がいい人だとは思わなかったとか
さすがだとか言われたいのだ

しかし恋愛のプロセスの中ではこのようにして
お互いの価値観を開き合うことが大切でもあるので
ある程度傷つきながらも
つきあっていく

軽く自己愛的であることは
お互いを教育し合うことになり
その点では若い人たちの恋愛が自己愛的であってもかまわないだろうと思う
それだってかわいいのだから

そのうち相手の考えていることはすっかり分かるようになる
それは多分若い恋愛の特権だと思う

年をとってからの他人との関わりが自己愛的だと
多分あまり相手にされないと思う
つまらないから

そんな人は一人で遊んでいるのがいい

あるいはお金を出せば8丁目の女性たちが話を聞いて頷いてくれる
そのほうがいいだろう

恋愛しているのに相手のうぬぼれにつきあっているなどおもしろくないことだろう

しかしながら
相手が自己愛的ナルシス・ナルくんなら
その自己愛部分こそ攻めの壺になる
うぬぼれを肯定すればよい

賞賛を惜しまず、その人の得意に思っている部分を褒めておけば、
簡単に好きになってくれるので扱いは難しくない
しかしそのあと一緒に生きてもかなりつまらないとは思う

うぬぼれ屋にとっては他人とは
自分を賞賛してくれるか
使用人であるか
そんなところだ

自己愛人間にとって
他人とは
敵か家来かどちらかである。

まるで猿山の猿のおとぎ話みたいであるが
多分そのおとぎ話はあまり外れていないと思う

猿山の猿についてはどうか知らないが
人間についてはそんな感じだと思う

自己愛人間はお山の大将で
山のてっぺんにいるのだと
錯覚している人と言える

味方にははっきりした序列があり
特別な人だけが自分よりも上にいる

味方でないなら敵である
友達というものがうまく成立しない

味方であれば
自分の生存を助けてくれる使用人であるか
自分の自己愛を満たしてくれる賞賛者であるかということになる

恋愛パートナーとなったときに要求されるのは
食事と生活費の面で生存を助ける
性的な満足を助ける
心理的に賞賛を求めるというわけで
いい加減なところでうんざりするだろう
まるでお母さんなのである

困ったことに現実のお母さんがいて
やむことなく賞賛し
生活費も食事も助けていることも多い



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