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2009-2-13 春一番

東京でも春一番と考えてよいのだろうか
生暖かいような湿り気を含んだような風が
ぬるぬると吹いているような気がした

今日は会社の不動産調査で、
神田南口あたりを調査してみた。
空きビルはたくさんある。

超高層ビルなどもないごみごみした一角であるが、
少し歩いたところには日本橋があり、
三越本店や日銀がある。

全体に古い低層ビルである。
こんな感じの町も好きだ。

*****
今年も春一番かとの感慨はある
例年以上にある

今年は寒さを感じなかった
どうしてだろう

その年その年で体調も少しずつ違うものなのだろうか
いつもは冷え性なので部屋は暖房をきつくして、
寝るときも掛け布団を多くして、
そんな感じだったのが、今年はそんなものは余り必要ではなかった。

いつもより漢方薬を多めに使ったという点は
冬が楽だったことの原因の一つかもしれない
そもそも暖冬だったわけだろう

*****
それにしても、春一番が過ぎるまで
という合い言葉ですべてを我慢する人生がもうここ十年も続いている自分にとっては
やはり春一番は感慨がある

生きていれば苦しいことの方が多い
人間と接していれば不信を抱くことの方が多い
それは自分に徳がないからだろうとも思うが
半分は仕方がないことなのだろうとも思う。

人生を絶好調できた人はうらやましいと思う
そのように援助してくれる人とか応援してくれる人がいた人はうらやましいと思う
しかしつらいことばかりの人生も悪くない
つらいことの中に少しだけいい部分があったとして
それもすべて自分で苦労して生み出したものだ
誰かに感謝する部分はあるけれど
その人もおかげとまで言わなければならない部分は少ない

いいことも悪いことも自己責任というすがすがしさである

しかしそんなことをしていると
確かに能率は悪くて
いいことなんかほんの少ししかない
たいていは苦難である

しかしいままで多くの苦難があった
そのことを考えれば、いまこれからまた一つ二つの苦難が始まるとして、
どうと言うことでもないのだ

いつもの苦労にまた一つ加わるだけで
そんなことはたいした変化ではない
そう考えていられる
それは一つの利点かもしれない

妻は家を出て行ったきり
何の音沙汰もない
もう2年になるのだろうか
私のメールリストの中にあった人に手紙を送り調停を挑んだ
一回だけで終了したらしい

今さらどの顔をして戻ってこられるかと考えれば、
やはり難しいだろう。
私の側から一度調停を申し立てたのだけれど
一度も出席しなかった。
それが去年のことだ。

そしてずっとずっと音無しである。

妻の使っていた駐車場は
管理人さんにもうずっと使っていませんよね、
他に使いたいという人もいるので、
譲ってもらえたらいいんですがねと
言われて、その通りにした。
だからもう駐車場はない。

もう夫婦ではあるがそれぞれが生きていくようになってしまって、時間が経っている。
私は食事もひとりで用意して食べていたし、
体調が悪いときもひとりで薬を飲んでおかゆを食べて熱と戦い下痢と闘い嘔吐と闘い過ごしてきた。
掃除も洗濯もひとりでやってきた。

妻は郵便物は実家に転送させている。

もうここに至ると妻は戦友でもなく同伴者でもない。
実質のない法律的な身分である。

どこから気持ちがすれ違ったのか、いくつかの場面が思い浮かぶが、
また再びあの苦しい場面がある可能性があるのかと思うと、
誰も幸せにならない
私のために別れて欲しいし、
妻のために別れてあげたいと思う。

妻という人も他の誰かとならば幸せに暮らせるのだろう
私はもうずっと一人でいい
傷つくのは怖いから

板東武者が京の娘と結婚したらこのような結末だろうと思う。
人生に何を求めるかが違っている。
妻は人生に快適と安楽を求め、
私は人生に労働と達成を求める。
私は貧乏人なのだ。
妻は消費者である。

幸い子どもはいない。
結婚してから築いた財産と言っても、それはとても計算しやすいものばかりである。
内助の功と言えるものはなにもない。
妻が再出発するための一時金というのが世間のしきたりではあるが
妻は何も再出発する必要はない
現状のままで走り続ければ充分に充実した人生になるだろう
その設計の中に夫である私は必要がない
どう考えてみても必要がない

そのように深夜に思い
外では春一番が吹いている

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