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精神の科学と言葉の分析

精神の科学と言葉の分析が混同されているようなところがあって
ずっと気になっている

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事実ーー言葉ーー理解

人間は事実を理解するときに言葉を使うしかない
それ以外の方法はなかなか難しい
小脳を使って自転車の乗り方が「分かる」とか
天啓によって神の意志が「分かる」とか
いろいろあるとしても
原則は言葉を通しての理解である

その場合、言葉はあくまでも道具であって、事実が真の理解したいことである

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精神の科学の場合

精神ーー言葉ーー理解

といった図式になり

精神と言葉の関係は、事実と言葉の関係とは、かなり違う。

精神と言葉の関係、二つをどれだけ分離できるのか、
それ自体が大きな課題でもある。

精神的な事柄としての「甘え」の分析と
言葉としての「甘え」の分析と
同じと考えて良いのかどうか。

精神の科学という場合、
言葉の分析になってしまうことが多い

脳(精神)ーー脳波、画像、トポグラフィーーー理解

こういった図式であれば、脳内科のようになって
うまく科学の軌道に乗るだろう

しかし現状では脳ではなく精神が問題なのであって
すると言葉の問題は単に道具の問題ではなく
問題それ自体もある

言葉を言葉によって分析するようなことになり
自己言及のパラドックスめいた部分が発生するのも止むを得ない

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言語分析はそれ自体おもしろいしそれはそれでいいのだけれど
それが精神科疾患の治療にどれだけ役立っているのかと考えると
まだまだ課題が多い

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事実を言葉(物理学ならば数式)で理解することと
精神を言葉で理解することとは
行為の位階が異なるような気がする

メタ度が一つ高いような気がする

その分、科学ではない感じがする


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