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嫉妬-2

動物の場合、嫉妬は、順位制社会の感情に還元できるものなのだろうか
よく分からない
喧嘩はしているし、餌の取り合いも起こるけれど
その場合には一応、順位決めの儀式があって、まるで会社での席次のように、
潜在的には順位が決まっている
その時に感じる羨望の感情は嫉妬と呼んでいいのだろうか

人間の場合は
嫉妬は男同士の間で、または女同士の間で典型的に発生する
男女の間で嫉妬が生じるのは、お互いに取り替え可能な立場である場合だ
会社の中でならばそれは発生する
男女関係の場合にも同性愛者が関係する場合には
男女間で嫉妬が生じるがそれは同性間の感情の延長と言うべきだろう
結局、取り替え可能だから嫉妬が発生する

夫婦の間では
性行為やもっと広義に愛情の独占ができなくなった場合に
嫉妬が発生する
法律は一夫一婦を定めているので
婚姻外には愛情も性行為もないはずのものである
だから法律的夫婦はお互いの性と愛情を独占できるはずなのだけれど
そうでない場合もあり
そうなると潜在的には、自分の法律的な独占権を脅かすものとして対立者が現れてくるわけで、
その場合には明白に嫉妬が発生する
嫉妬妄想という場合、このような状態を指しているわけだが、
日常の用語ではこれは嫉妬と言うよりも横取りされる危機、
下品な言葉で言うと寝取られ危機と言うべきなのだろう

日常語で言う嫉妬は妻と愛人の間で使う言葉ではないように思う
愛人が妻を嫉妬するという言い方はすると思うが
妻が愛人を嫉妬するというならすでに妻は負けているような気がする

弱い立場の者が強い立場のものをねたむ、その状態が嫉妬だろう

それよりも、組織内で、似た立場の人間がいて、一方がやや優位に立つ場合、嫉妬される。
これが一番普通の使われ方だろうと思う。
その意味では、順位制社会の順位から来る感情と結合していると考えてよいように思われる

似た立場でも、兄貴分・弟分とはっきり決まっていれば、嫉妬にはならないし、
親分・子分でも嫉妬にはならない
入れ替え可能な競争者であると認識している場合に起こるのだろう

日本がアメリカに比較して嫉妬の社会であると言われる場合、
他人の成功を妬み、ひとりだけいい思いをするのは許さない風土があるのだとの意味があるらしい
経済的に成功しても、
それを見せびらかしてはいけないし、見せびらかせば、税務署に密告が入ったりとか、よく言われる

アメリカ人は嫉妬しないわけではなくて
嫉妬するけれど、自分も嫉妬されるようになりたいと努力するのだという
日本人は嫉妬されないようにひそかに成功する方がいいとされていて
何となくそれが作法のようでもある

成功者の失墜をおもしろがるのは民族によらず共通だろうが
日本のマスコミの息苦しさはそのあたりのことがあるのではないかと言われる
成功者を賞賛するよりも、その失墜を喜ぶ
たとえば村上ファンド、またノリピー

嫉妬が強いと
溺れた犬を打つようなことになる

みんなが不幸の衣装をまとっていなければならなくなる

実際にはみんなそれぞれに事情というものがあって
不幸であるに違いはなく
不幸なふりなどしなくても充分に不幸だと思うのだが

一時的にでも幸運を喜んだりしていれば
世間の反感を買うことになる

横並び意識の強い社会では当然そのようになる
同調を強制する社会と言ってもいい

隣の家がどんな暮らしをしているか
たまらなく気になるという心性は
長い間に培われたもので変えようもないだろう

会社など組織に生きる人間にとって
嫉妬にうまく対処できるかどうかは
なかなかの大問題である

嫉妬されるほどの幸運者を出さないようにするのが組織である
才能のあるものは嫉妬に潰されない程度に使わないといけないので
それも上司にとっては難しい

昔から定式化しているいじめがいくつもあり
それは「税金」の一種だと割り切って
どんどん先に行くのがいい

そうでなければ
才能のある人は若いうちにアメリカに行った方がいいという論になってしまう
アメリカのほうが何かの点で楽だとも思わないが
成功した人に聞けばアメリカの方がいいと言うことになるのだろう

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