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子育てレポート

後輩から

 

いま幼児教育についてレポートを書いています。

突然ですが育ててもらった人に叩かれたりしたことはありますか?

あたしはあります。

いっぱい叩かれました。

叩かれて育ちました。

それと同時に愛情もたくさんもらいました。

 

テキストによると、さいきんの子どもによる恐ろしい事件は

育ての親からの体罰なんかも関係しているらしいです。

 

子どもによる犯罪を犯した青少年の多くは、

むしろよい子として育った子どもらしいです。

親も厳しく育てた結果、

子どもは親の期待にこたえようと

親の期待に沿った勉強のできる子であったり、

おとなしく目立たない子どもであったりするらしいのです。

 

子どもは幼児期から、親からの体罰や過剰な期待、甘やかし等

幼児期の間、親からの様々な影響を受けそれが事件にも深く関わっているというのです。

 

それじゃあ親からの体罰はいいのかどうかということにレポートを書きながらすごくきょうは悩みました。

自分が親だったらどうするだろうと思いました。

体罰でなくても伝わる方法はあるんじゃないか、

話しあいをもつことはできるんじゃないか。

 

あたしは小さい頃、すごくおとなしかったのに、

たくさん叩かれました。

泣き虫だったからです。

何か説明する前に感情が前に前にあふれてきて毎度泣いてしまうんです。

それでイライラされて叩かれました。

 

でもあたしは両親を幼児期の間尊敬していたので、

叩かれても仕方ないと思っていました。

いま、すれないで育つことのできた自分を誇りに思うし、

両親に感謝しています。

 

子育ては難しい。

人を育てるのって正解がないから本当に難しいと思います。

もし自分が親だったら、どうするんだろう。

きょうのレポートは難しかったです。

 

ーー

叩かなくてもしつけはできるけど
条件付きで愛情を与えたり愛情をあげなかったりするのも
子供にとってはなかなか大変


でも子供は子供でずるいし利己的だとも言えるので愛情ばかりでいいわけでもないだろうし
でも、人間なんだから言えば分かるし
言い方が問題でもある

「やめなさい」と言う場合でも、
何通りも感情のこめ方があるでしょう

感情を過剰にこめてしまうのが high emotional expression: high-EE というもので、
良くないと言われています。
なるべく感情を込めないで、フラットに、「いい子はどうするかな」なんて言えれば
親も子も余裕があっていいのだけれどね

親も感情の動物ですから
やはり感情が出てしまう場面があります

> 自分が親だったらどうするだろうと思いました。
自分と同じくらい理屈っぽい子供だったらお手上げです
最近の子はいろいろな情報に接しているし

> 体罰でなくても伝わる方法はあるんじゃないか、
> 話しあいをもつことはできるんじゃないか、
そうだね。主に親がイライラしているのかも。

一種の八つ当たりの可能性はあります。

あと教育で言うAさせたいならBさせろの話ですね
いつも正面から話し合うのがいいとは限りません

正面から話し合ったりすると
自分は大変な問題児だと思ったりするじゃないですか

それもいいことだとも思いません

子供はうまくだまして
自分はいい子だし
親はいい親だと
信じさせておけばいいのじゃないかな

時間がたてば全部分かるでしょう

その点はうちの親は上手で
おだてて
お前はいい子だよ
というメッセージをずっと伝えられたので
いい子でいることの他は考えつきもしませんでした


親の考えもよく分かったし
親との葛藤はあまりありませんでした
私の場合はおだてられて上手くいった例なんでしょうと思います


お小遣いもらっても無駄遣いもしなかったし
親の気持ちを先取りしていたんでしょうね
子供らしい気持ちというのはあまりなかったような気がする
だって子供ってあまりにも馬鹿なんだし

親の気持ちにしたら動だろうかということは分かったし

> 泣き虫だったからです。
> 何か説明する前に感情が前に前にあふれてきて毎度泣いてしまうんです。
女の人でよくなく人はいますね。
大泣きするとスッキリするとか。

男があまり泣かないのは単なる習慣なんでしょうね。

むつかしいですところもあります
例えば、わたしが相手の前で
ため息をついたり
目をそらしたりすると
それが強烈な否定のメッセージになるようです


また電話で何か話すとすごく冷たいとのことで
誤解されるので電話には出ないようにしています

 

自分としてはそんなに強い否定の気持ちではないのですが

何か誤解されてしまうようです

誤解のないように努めてはいますがときどき起こってしまいます

> 子育ては難しい。
good enough mother とかいいます
まあまあでいいんだ あとは勝手に育つ
というものです
完全な親なんて居ません

またある程度集団で育てる感じがいいのかなと思います
親にもそれぞれ個性はあるのですから
個性が悪い方に出た場合に
それを薄めることが出来ます

だからある程度早い時点で保育などに預けていいのだと思います

> 人を育てるのって正解がないから本当に難しいと思います。
正解もないけれど
決定的な間違いもないわけです

> もし自分が親だったら、どうするんだろう。
テキトーにします

テキトーでアイマイでいられないから、
厳しくなったりイライラしたりするところもあるのだと思います
正解だと安心してもいられない、

不正解かもしれないアイマイさに耐えられるかというのも親の課題ですね

わたしがお母さん方に言っているのは
長い目で見ましょう
成長にはいろいろな要素が必要なわけですが、それがいつ必要なのかは曖昧なもので
成長のどこかの時点で経験すればいいのだと思うわけです
3歳までにこれ、
5歳までにこれというわけではなくて
普通の子が3歳までに経験することを7歳になって経験して補ってもいいわけで
全部ひっくるめて30歳くらいまでに一通り分かればいいのじゃないでしょうか

子供って言うのは
草の芽のようなものですよ
早くのばしてあげたいのはやまやまで親心というものですが
伸ばそうとして草の芽を引っ張ってもいいことはないですね
ちぎれてしまいます


水をあげて日に当てて待つしかないでしょう
愛情をあげて後は待つんですよ
なんて一ヶ月に1回くらい言っているように思います

 

ーー

理屈ではいろいろと言えるのですが

実際に子どもが動き回っていたずらをして歩くと

余裕ばかりでもいられませんね

 

一般に言えるのは、

子どもと一緒に親も成長するということです

 

DNAは共通部分が多いわけですから

何かしら親に似てはいるはずで

子育てをしながら親としても自分を知る機会になるようです

 

またしばしばいわれることですが、

親が自分の人生で未解決の問題を子育ての中でもう一度反復し、

解決の機会になるということです

 

これはしばしば親と祖父母の間の問題になりますから

親子三世代にわたる問題の積み残しと解決という構図になります

 

 



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