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批判はするが提案・説得できない

批判だけはできるが
提案や説得はできないし
決断もできない
責任もとらない
コミットしないのである
対案を提示できないのに批判だけする
対案はあなたが考えなさい、考えられないなら辞めなさいというわけだ

そんなタイプの人間類型がある
それでも許される特殊な立場とセットになって存在している

たとえば母親を批判する子供
学校の先生を批判する親
与党を批判する、次も絶対負ける・融解しつつある無責任野党

ーー
ネット上の匿名掲示板を舞台にして
極端なことを言い合う

おおむねは他人に対して個人として言えないような不満や毒舌や極論を
披露しあっているので
次第に長く正確な論理は嫌われ
短くて極端で奇妙な言辞が模倣される傾向になる

匿名でしか発言できない弱い立場の人が発言できることはメリットの一つだろうと言われる
しかしその発言で社会が変わるとか
会社の上層部が考えを変えるということもないだろう

情報過多の環境で政治活動やカルトにはまっていく人たち
その非合理的な情熱

鬱積した不満があるとして
不満の実体を分析しないで
現状と社会への不満と問題の原因を単純化してくれるものに頼る
そのような退行が観察される

ーー
人生の時間をどのように配分するかと考えて
ヨットに乗ったり
トライアスロンをしたり
旅行して意義深い物に触れたり
そんなことが何かの事情でできない場合

そして
不思議なことに
人生の時間を全く無駄に使っているという理解し難い事態がおこっている

これは合理的人間観を全く覆すもので
西欧合理主義哲学の根底からの敗北である

人間は合理的でもないし功利的でもない

匿名で無駄な極端なことを発信し
ほかにできることといえばゲームだけ

将来のために勉強したりアルバイトして貯金したりできれば
どんなにかいいだろう

それができないからしないのだ
できるならやるに決まっている
(そう考えるのが合理主義とか功利主義とかであり、あるいはリバタリアンもそうだろう、
だからみんな不思議に思い、精神病理学的な現象なのではないかと疑っている)

しかしそんなことも
長期不況の末に産業構造の転換に失敗した国の下部構造が規定する
上部構造なのであって不思議はないとも思われる

世界のどこかが一時的な成長センターとなり
一部は停滞の時期を迎え
また時期がくれば成長のトップランナーとなる

つまり、現在に適応してしまえば、未来の停滞が必然である
現在停滞していれば、未来のトップランナーの可能性が生まれる

進化論的に言っても
現在にあまりに精密に適応してしまえば
わずかの変化についていけないはずだ

現在の適者が明日の敗者になるのは必然である

現在の適者の子供達は現在に適応して育ってしまうので
現実の変化に置き去りにされてしまう

現在の不適応は
未来の適応の可能性を含むのだ
同時に破滅の危険もあるのだが

ーー
たとえば米軍基地をどうすればいいのかについて
「どこはだめ」というのは分かった
論理的には「どこでもだめ」となるに決まっている
日本でだめで海外のどこかならいいなどというのも論理が抜けている
共感というものがないものだろうか

では、どうすればいいのかという話にならないで、鳩山やめろとの話になる
論理が脱臼している

どのような積極的な論理があるだろうか

積極的な論理を見いだせないならそれはどうしてなのかを言わなければならない

しかしマスコミはそれを言わず
否定的認知ばかりが踊っているように見える

認知療法しなくてはならないでしょうね

未来志向型の建設的な議論にというんでしょうか
岩波文化人的に言えば

母親にだだをこねている
みっともない子供のように見える

大人のすることではない

ーー
芸能界でデビューするためには
美女美男でない場合
かなり奇妙で極端でゲテモノである必要がある
それが時間がたつとステイタスを得てなんとなく偉そうに振舞っている

彼らの場合には
たけしやタモリのようなレールが敷かれているのでそれでいいのだろう
同じ類型の多いこと
脱皮しきれず相変わらず年をとったゲテモノもいるようだが

自分は無名で無価値のの石ころだと思っている場合
奇妙で極端でゲテモノになるらしい

それを本音だと思うのも怪しい

それは一種の精神的なコスプレなのだ


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