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年をとる

もともと体も弱いし頭もはっきりしないので
自分が年をとったと明確に認識することは少ないのだが
気力がなくなったというのか
物事が億劫になったというのか
どうてもよくなったというのか
そのあたりは年をとったのかと思う

一種のなげやりな気分が常になること

自分の人生の一回性を若い頃はもっと大切に考えていたと思う
だんだん気力が衰えて
目標のはっきりしない時間を生きていることが増えた

友人は私がテレビで巨人戦を見て2時間程度を無駄にしているのを見て
なぜかと驚いていたことを思い出す

ただ生きているというのか
そんな残念な時間が増えた

時々思い出してブログなどを書いているが
心底は考えなおしていないはずだ
こうして書いていながらつきつめて自分を変えようとしないのだから
いったい何を書いているのか
疑問にも思う
このあたりのムクムクと湧いてくる疑惑を突き詰めてスパッと表現できたらいいのだけれど
そんなこともできないままだ

これ以上は考えないために書いているのかもしれない

有名な人達の訃報に接して思うのだが
平均というものは実際平均なので逃れられない
そして平均寿命の最後の十年くらいは
ただ単に生存しているだけという場合も多いと指摘されていて
そうなると実質の人生は平均寿命のマイナス10歳くらいのものだろう

長寿の家系というものもあるが
やはりそこでも平均というものがあって
それからマイナス10歳程度が正味の人生なのだろう

老人の頭は老年を痛切には意識していない
意識するのはとんでもなく怖いことだから
なるべく考えないで
サッカーとか選挙とか集中豪雨とかカミツキガメとかいろいろな出来事で
忘れようとしている

それでも何かの機会に自分の生きていた、たとえば30年を意識させられることがあり、
何と自分はもうそんなにも遠くに来てしまったのかと思うものだ

そのような意味で自分を見つめ直すことが少ないのは
多分日本が猛烈な老人社会に突入しているからだろう
身の回りにはまだまだ自分より老人が多い
そして自分より有力な若者はまだ多くない

しかしそれは相対的な感覚であって
自分の昔と比較すると
何と年をとってしまったものだろうと思う

たとえば30年前の自分の日記

こんな老人になりたくて生きてきたはずではないのだけれど
仕方がない、ここまで来てしまったのだからせめてここから先、どうできるかを
若い頃の気持ちに戻って考えてみたいと思うのだ

全くうっかり年をとったものだと思う


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