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日常生活とセックス

夫婦がだんだんセックスしなくなるのは困ったものだ
民法ではセックスは夫婦でするものと考えている

人間には発情期がなくていつでも発情しているなどと言われるが
もちろんそんなことはない

発情状態になるにはある程度の意識の変性が必要になるのだと思う
坐禅などでは意識の変性が生じてより高度の覚醒状態に至る
逆に軽い退行状態では食欲や性欲に支配される場面が出てくる

夜、寝室、風呂上り、その他の条件が軽度の退行・軽度の意識変性を形成する

昼はきついビジネスをこなして
家に帰ってくると親として何か子供に話をしたりして
家計のやりくりの話も出て
介護の必要な親と電話で何か話たりして
そんなことの合間にセックスもするというのはなかなか大変なことで
やはりすこし異なった意識状態にしなければいけないのだと思う
妻も同じ

そのための装置があれば意識変成しやすいということになる

意識変性装置が別のパートナーという人もいて
それは夫婦関係にはよくないことだ

なんとか夫婦関係の内部で意識がセックスのモードになるようにする必要がある

しかしそれが難しいので
次第に後回しになる

さらに現代では別のパートナーとか専門の場所を考えなくても
ありあまるほどの情報が流通している
それは便利とは言えるけれども夫婦で共有できる種類のものでもないようだ

したい気持ちよりも面倒臭い気持ちが勝つ
夫婦なんだからと考え始めると義務のようになりますます面倒になる

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意識が日常生活モードから性愛モードに変換する瞬間がなければならない

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そうは言いながらつじつまの合わないのが社内恋愛である
たいていはそんなに性欲を刺激するような組み合わせではない
だからこそ妻の側は理由がわからなくて怒り絶望する
むしろ風俗の女性のほうが自分には真似の出来ない何かで夫を喜ばせるのだろうと納得出来る

社内恋愛ほど損ばかりする恋愛もない
家庭も仕事も失う
しかしそれでも好きだというのだから
きっと大好きに違いないと思う面もある

不合理になってしまうくらい好きなのだとの証明にはなるが
そのような不合理な人にはつき合いきれないといつか思うだろう

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新奇なものへの好奇心と解釈する人たちもいるが
それにしては長く続く関係もあるので
そればかりでもない

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現実の人間は自分と同じ程度のものだろうと予想できる
だとすればたいして魅力的ではないであろうことは自明である

そのような程度の簡単な推理もできなくなっているほど頭が曇っている状態で恋愛は進行する
だからかろうじて楽しげな要素もあろうというものだ
現実を見てしまうと絶望が待っている



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